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【目指せ!外交官】水と緑の国「オランダ」の基本知識(2018年12月調査情報)

世界の各国特集、今回ご紹介する「オランダ」は、人口約1,700万人、GDPランキング18位の国です。

「オランダ」は低地が広がる小さな国で、風車と運河と花畑が多い国として有名です。

外交官になるなら押さえておきたい国の基本知識特集です。


オランダってどんな国?

「オランダ」の日本語の表記は「オランダ王国」で、通称として「オランダ」を用いるのが一般的です。漢字による当て字では「和蘭(和蘭陀)」と表記し、「蘭」と略されることもあります。オランダ語の正式名称は「Koninkrijk der Nederlanden」で、通称は「Nederland(ネーデルラント)」です。公式の英語表記は「Kingdom of the Netherlands」です。

日本語の「オランダ」の由来は、戦国時代にポルトガル人宣教師によってもたらされた、ポルトガル語の「Holanda(ホランダ)」だと言われています。

また、「オランダ」は、隣国のベルギーとルクセンブルグと合わせて「ベネルクス三国」と言われていて、この小三国は大国に対抗するため、密な経済協力を行っています。

面積・場所について

「オランダ」の国土の広さは、約42,000平方キロメートルで、日本領土の約9分の1で、九州とほぼ同じ大きさです。

「オランダ」の場所は、西ヨーロッパのライン川下流の低湿地帯の地域で、東はドイツ、南はベルギーと接し、北と西は北海が面しています。そして、ワッデン海や北海、カリブ海などにオランダに属する国や島々があります。

「オランダ」は、国土の4分の1以上が海面以下の低い土地で、一番高い山が海抜323メートルの山です。オランダ人は、海を干拓して堤防を作り国土を造成していて、「世界を作ったのは神だが、オランダを作ったのはオランダ人だ」という、ことわざがあります。

都市について

「オランダ」の憲法上の首都は「アムステルダム、オランダ語:Amsterdam(アムスタダム)」で、商業や観光が盛んなオランダ最大の都市です。アムステルダムの人口は約82万人で、都市圏人口は約230万人にのぼります。

しかし、実際の首都機能を担っているのは、第3の都市「デン・ハーグ、オランダ語:Den Haag(デン・ハーハ)」です。デン・ハーグは、議事堂や宮殿、中央官庁、各国の大使館などが置かれていて、国内政治の中心都市になっています。

人口について

「オランダ」の人口は、約1,700万人(2017年)ですが、国土が狭いため人口密度はヨーロッパで最も高く、約410人/平方キロメートルで世界18位です。

成り立ちについて

紀元前500年頃には、「オランダ」北部フリースラント地方に、洪水に備え人口の丘を築き人々が住んでいました。そして、紀元前100年頃、古代ローマがライン川の南を征服し勢力を上げ、紀元前後の「オランダ」地域は、このローマの支配のもとにゲルマン民族とケルト民族が住んでいました。

5世紀後半にローマ帝国が滅ぶと、ゲルマン民族は部族ごとに国を作り、その中の「フランク王国」が発展し、西ヨーロッパの広い地域を征服しました。しかし、9世紀にはフランク王国は分裂、またヴァイキングの侵攻にもあい、10世紀には神聖ローマ帝国に支配されました。


そして、「オランダ」に皇帝の滞在場所があったため、このころより農民が沼地を廃水し耕作地に変え、技術の発展もあり、食料増産され商業がますます盛んになっていきます。

15世紀になると、ブルゴーニュ公国の一部となりますが、毛織物産業の先進地となり経済的にも豊かになります。しかし、ブルゴーニュ公が戦死すると、娘はオーストリア大公(後の神聖ローマ皇帝)と結婚し、「オランダ」の地域はハプスブルク家(スイス領内のドイツ系貴族)の所領となります。

その後、ブルゴーニュ公娘の孫でもあるカール5世が神聖ローマ皇帝となり、再び「オランダ」地域を組み込み、ハプスブルク領がオーストリアとスペインに分割され、「オランダ」はスペインの支配下になりました。

16世紀中ごろ、ドイツでおきた宗教革命が「オランダ」にも伝わり、従来のカトリックに対する新しい宗派や自由と独立を大切にするプロテスタントを信仰する人が増えました。これに対しカール5世とその息子のスペイン王はカトリックを支持し、プロテスタントを弾圧しました。

これにより、1568年北部オランダではスペイン軍への抵抗運動が起き、1579年には北部オランダ7州が同盟を組みその後約70年間スペインとの戦いが続きます。そして、1609年スペインとの休戦条約が結ばれ、長い独立戦争は終わり、実質上独立しました。その後、国際的にも認められ1648年「オランダ連邦共和国」として独立しました。

上記の独立戦争中、北ヨーロッパ最大の国際貿易港アントワープがスペインに占領され、そこにいた大商人達がアムステルダムに移りました。その結果、巨額のお金が集まり、「オランダ」の黄金時代をむかえます。

大商人たちに支えられ、芸術や科学技術が発展した時代で、また、海外にも積極的に進出し、オランダ東インド会社を設立し、アジアとの貿易も活発に行いました。

しかし、17世紀後半、海外貿易を巡ってイギリスとたびたび争うことになり、次第に国力が衰えていきました。18世紀になると社会不安となり、政治革命を求めて民間運動も起こってきました。

1789年のフランス革命に影響を受け、1795年フランス革命軍はオランダを占領し、オランダ東インド会社も経営破綻し解散します。そして、1806年、フランス皇帝のナポレオン弟、ルイ・ボナパルトが国王に即位し、1810年には「オランダ」全土をフランスと併合します。この時首都がアムステルダムになりました。

その後、ナポレオン帝国が崩壊すると、1814年「オランダ王国」として独立が承認され、翌年、16世紀後半のイギリスに亡命していたオラニエ家の子孫が即位しました。以来、現代にいたるまで「オランダ」国王はオラニエ家世襲制です。

オランダの国民・宗教・言語について

国民について

「オランダ」は人口の約83%がゲルマン系オランダ人です。残りの約17%の人口は、寛大に受け入れたアフリカや中東、東ヨーロッパなどの移民や難民です。

また、オランダ人男性の平均身長は約184cmで、女性は約171cmで日本人男性の平均身長とほぼ同じです。「オランダ」は世界一身長が高い国で知られています。

宗教について

「オランダ」の宗教は、キリスト教が人口の約40%(カトリック約24%、プロテスタント約16%)、イスラム教が約5%、ヒンズー教が約1%、仏教が約1%です。そして、無宗教もしくはその他の宗教徒が、国民の半数以上になっています。

オランダ人の多くの人が信仰しているのはキリスト教で、キリスト教以外の信者は主に移民してきた人です。

言語について

「オランダ」の公用語はオランダ語ですが、オランダ人の多くは英語やフランス語、ドイツ語などの母国語以外の言葉も話せます。国民の半数以上が3か国語以上話せ、都市ではほとんど英語が通じます。


オランダの経済状況について

「オランダ」のGDPは約8,200憶ドル(2017年)、日本円にすると約93兆円で、世界第18位です。同年の一人当たりのGDPは約48,000ドルで、世界で13位です。

「オランダ」は国際貿易を中心として発展し、最大の産業は金融・流通を中心としたサービス産業で、GDPの3分の2をしめます。近年では、2001年にギリシャで派生した、欧州債務危機の影響で低い経済成長率でしたが、2014年に財政支出削減等の対策により、プラス成長となり、失業率も下がってきています。

貿易について

「オランダ」の輸出入ともに最大の相手国は「ドイツ」です。その他の主要輸出相手国は、「ベルギー、イギリス、フランス、アメリカ」で、その他の主要輸入相手国は「ベルギー、中国、アメリカ、イギリス」です。

「オランダ」の主な輸出品目は、光学部品機械・輸送機器類、化学製品、食品・動物などです。そして、主な輸入品目は、機械・輸送機器類、鉱物性燃料、化学製品などです。

「オランダ」の総貿易額は、輸出が約5,300億ドル、輸入が約4,700億ドル(2017年)で輸出額の方が多くなっています。

オランダの政治・政策について

政治体制について

「オランダ」は立憲君主制で、元首は国王です。

「オランダ」の議会は「スターテン・ヘネラール」と言われ、議会制度は両院制です。第二院(下院、代議院)の定員数は150議席、第一院(上院、元老院)の定員数は75議席です。そして、第二院に法案と条約の先議権があり、どちらも任期は4年です。

「オランダ」の行政区分は、本土に12州があり、その州はさらに441の基礎自治体(ヘメーンテ)に分かれています。そして、カリブ海に海外領土(旧植民地)の国や島があり、これらも本土と対等な存在として「オランダ」を構成しています。

選挙制度について

「オランダ」の選挙権年齢および被選挙権年齢は、ともに18歳以上の市民です。選挙制度は第一院と第二院で異なります。

第一院選挙制度は、各州議会議員の「間接選挙」で75名選出されます。その州議会議員は、4年に1回市民により選出されます。第二院選挙制度は、政党名簿比例代表制による「直接選挙」で、150名の議員が市民により選出されます。

オランダの大統領・首相について

「オランダ」の元首は国王で、オラニエ=ナッサウ家(元ドイツの家系)が代々統治しており、王位継承は最長子相続制をとっています。

「オランダ」は議院内閣制で、における政府の長は「内閣首相」で、第二院議員から各閣僚が選出されます。

オランダの国防制度・軍事制度・兵役について

「オランダ」は軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に加盟していて、集団安全保障体制を構築しています。そして、米欧同盟を支持し、対米関係も重視しており、イラク戦争においては、イラク南部に約1,300名の部隊を派遣しています。

「オランダ」の軍隊は、「陸軍」「海軍」「空軍」、そして1998年陸軍より独立した国家憲兵である「王立保安隊」の4軍からなっています。兵力は、軍人約4万人、予備役約3,000人で、軍人の内訳は陸軍約2万人、海軍約1万人、空軍約1万人です。

第二次世界大戦後、軍備を拡充するため徴兵制の施行を行いましたが、冷戦後は軍備を縮小させ1996年徴兵制を廃止し、現在は志願制に移行しています。軍事費は約100憶ドルで、世界36位です(2017年)。

また、「オランダ」は核保有国ではありませんが、アメリカとのニュークリア・シェアリング参加国の1つであり、国内にアメリカ所有の核を置き、核抑止力を持っています。

オランダと日本の関係について

「オランダ」と日本の歴史は、1600年に1隻のオランダ船が大分県の臼杵湾に漂着したことに始まります。その後、徳川幕府はキリスト教を禁じ、鎖国令を出しましたが、「オランダ」とだけは長崎出島での交易を許し、日蘭の交流は400年以上続いています。

日本から「オランダ」への輸出額(2017年)は約13,500億円で、主要貿易品目は、一般機械(電算機類の部分品など)、輸送用機器(自動車の部分品など)、電気機器(電気計測機器など)です。

また、「オランダ」からの日本の輸入額(2017年)は約2,700億円で、主要貿易品目は、食料品(肉類など)、化学製品(医薬品など)、一般機械(原動機など)です。輸出額が輸入額の約5倍になっています。


そして、「オランダ」にいる日本人の数は「約9,000人」で、日本にいる「オランダ」人の数は「約1,300人」です(2017年)。さらに、約370社以上(2016年)の日本企業が「オランダ」に進出していて、業種別では製造業が、進出地域はアムステルダム市を含む北ホラント州が、それぞれ最も多く半数以上を占めています。

日本に進出している「オランダ」企業は約190社で、総合電機メーカーや石油開発会社、ビール会社などがありますが、日本企業と合弁会社を設立して進出している企業も少なくありません。

まとめ

いかかでしたか?

「オランダ」は、国名が「低い土地」という意味であるように、低地で緑と水に恵まれた自然が多く美しい国です。街には道路よりも高いところに、運河があるところが多々あり、長年この水に苦しんできた国でもあります。

ちなみに、「オランダ」は「世界一」の教育をする国として知られています。「オランダ」の義務教育は5~18歳ですが、ほとんどの子は4歳になったその日から学校へ通い始めます。そして、「オランダ」の学校は、公立も私立でも教育費無料で、学校の4分の3以上が私立です。そのため、「オランダ」の子供は、その子にあった学校を選んで入学し、しっかりした教育制度のもと、学べるそうです。

なお、男子サッカーの「オランダ」のFIFAランキングは、2018年10月では「14位」です。

本記事は、2019年3月8日時点調査または公開された情報です。
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