【中学校の先生に聞きました!】地域、学校別の雰囲気、特色の紹介

その学校がどこにあるのか、生徒数は何名か、周囲の環境はどのようなものか、それによって、学校の雰囲気や特色は様々です。

本記事では、中学校の先生に、地域、学校別の雰囲気、特色などをコラムにして書いてもらいました。


はじめに – 中学校の先生によるコラム

筆者は、中学校の先生になって、京都府、大阪市で計3校勤めました。どこの学校もそれぞれに特徴や特色があり、その学校に馴染んでいくのは、難しくも楽しい経験でした。

今回は、筆者の勤務した3校の雰囲気や特色を、紹介します。

その1:京都府京丹後市のM中学校

地域性

学校の近くには山や田んぼがあり、少し足をのばせば海もあり、町に1つは温泉があるという自然豊かなところでした。京丹後市には全部で6校の中学校があり、私が勤めたM中学校はその地域では1番栄えているところにある学校でした。しかし田舎なので、地域密着という雰囲気があり、何かあったときの家庭訪問も頻繁に行きましたし、保護者の方の協力も厚かったと感じました。狭い地域なので、スーパーや温泉に行って生徒や保護者に会うといったこともありました。

校下には4小学校ありました。学校自体は1学年4クラスくらいの規模でしたが、校舎や校庭が驚くほど広くて、グラウンドで4つの部活動が同時に練習し、テニスコートも別で4面ありました。生徒はバスか自転車(ヘルメットをかぶる)か徒歩で通学していました。警報はなんでも(暴風でも大雨でも洪水でもなんでも)学校が休みになりました。勤めた学校の中では1番休みが多かったです。冬は雪が積もる日が何日かあったため、学校にある公衆電話で親に迎えに来てもらう生徒もいました。

周りに田んぼが多かったためか、米の収穫時期になると、土曜日の部活などで、稲刈りを手伝うから休むという生徒もいました。(今思うとただ部活を休みたかっただけかもしれませんが。)

学校の雰囲気

勤めていたのは10数年前なので、もう変わっていると思いますが、当時は、私が赴任するまでの何年間かが荒れた状態で、荒れが終わるときであり、ほとんどは人懐っこい生徒が多く、幼いと感じることはありましたが、わりと素直でまじめな生徒が多かったように思います。しかし、一部にはやんちゃな生徒もいました。教師に反抗してどうにもならないとかいうほどではなかったと思います。地域の中では1番栄えているということでいきがっているといったような感じでもありました。

日々の指導でよく言っていたのは、上履きのかかとを踏まないこと、短くしているスカート丈を戻すこと、自転車通学時のヘルメットを自転車を降りるまで着用することであったと思います。

先生方も特に生活指導についてはわかりやすいルールを作られていて、校長先生中心に教師一丸となって動いているという雰囲気を感じました。授業が終わると特別な事情(生活指導上の問題など)がない限り、全先生が部活指導にあたり、部活指導が終わるとそのまま下校指導にあたりました。(下校時刻が決まっていました。)その後、残った仕事(次の日の準備など)をしたり、何かあったときは家庭訪問をしたり、という感じで働き、終わったら帰っていました。

何事にも素直に一生懸命取り組み、時には反抗的なこともあった生徒たちの卒業式はほとんどの生徒が声をだして返事し、歌を歌い、お世話になった先生方や保護者の方々に恩返し、先生方や保護者の方々からはおめでとうというあたたかい雰囲気がある式だったと思いました。また、卒業生の親から卒業生への手紙をお願いしていて、卒業式までに担任が集めて、卒業式の日に渡していました。思春期の子どもを育てた親から思春期の子どもへの手紙は、なかなかないことだと思うので、素敵な取り組みだなと思いました。

これは京都府がということがいえるかもしれませんが、先生の研修がとても充実していました。特に初任者研修は月に1度以上はあり、夏休みには宿泊研修もありました。初任者研修が1日がかりのため、授業補填のために講師の先生もきてくださいました。研修内容も体制もとても充実していたと思いました。研修簿みたいなのもあり、それも結構書いたりしないといけなかったので、その部分は結構大変だったなと感じました。

特色

行事がとても盛んでした。取り組みにも時間をしっかり確保されていたと感じました。特に体育大会では、縦割りで団を作り、各団でよさこいソーランの発表をしていました。3年生のよさこいリーダーは毎年教えてもらっているよさこい指導者から基本のよさこい踊りを教えてもらい、その後自分たちで団のよさこい踊りを考え、団の下級生たちに教えていました。普段は部活動以外ではあまり交流がないので、上級生が下級生に教える活動は学年を越えた交流でとてもいいなと思っていました。


地域(京丹後市、宮津市、与謝野町の京都府の北丹ブロック)の陸上大会(春)と駅伝大会(冬)があり、選抜された生徒が放課後に残って練習する活動がありました。指導は主に体育科の先生や陸上部の先生方でしたが、それ以外の先生も一緒にグラウンドに出て、指導にあたったり見守って応援したりしていました。当時私も若かったので、一緒に練習するようなこともありました。生徒に指導する立場ではありながら、あたたかく、時には厳しく生徒に接し、一緒にがんばろうという雰囲気が感じられる活動であったなと思います。

その2:大阪府大阪市K中学校

地域性

大阪市の海に近いところにあり、生徒たちが遊びに行く場所は少し足をのばして難波であったり、USJも近かったので、年間パスを持っている生徒はよく行っているようなことも言っていました。校下には3小学校ありましたが、それぞれの地域に神社があり、夏になると祭にむけて生徒たちは獅子舞や笛の練習をしに行ったりしていました。

祭の巡視があったので、様子をみましたがみんな祭の法被のような衣装を着て本格的でしたし、女の子はみんな化粧をしたり髪の毛を編み込んだりハデな感じにしていました。

学校の雰囲気

私が赴任した時は少しずつ落ち着いてきている荒れを終息させていこうというときで、まだまだやんちゃな生徒も多かったですが、5年務めていく中でだんだんマシになっていきました。

勤めた当時は、担当ではなかったですが、2、3年生が結構荒れていました。一部の生徒ですが、髪の毛を染めていたり、胸ポケットに携帯が入っていたり、服装も男子は学ランのボタンを全部開けていたり(1つ2つあける生徒もいました。)、学ランの中に指定のシャツではないものを着ていたり、指定外の学ラン(短ラン)やズボン(ぼんたんとかツータックとかいうそうです)を着ていたり、女子はスカートの丈をこれでもかというくらい短くしたり、セーラー服の袖ボタンをはずしたりという感じでした。頭髪はその当時EXILEが流行っていたので、そりこみをいれてくる生徒もいました。

その中でもさらに一部ではありますが、教師に反抗する生徒がいたり、授業中校庭を歩いている生徒もいました。先生を殴って警察に被害届を出すことも私が勤務した5年間の中で1回ありました。(その生徒は鑑別所にいっていました。)

校内にお菓子の袋が落ちていることもあったので、積極的に拾う先生たちもいました。(熱心にされていて、だんだん活動のようになり、生徒も一緒に拾ったりしていました。)

そのような雰囲気の学校では、生活指導力がある先生方(当時は特に教頭先生、生活指導部長の先生、それ以外の生活指導にたけている先生)の意見が様々な場面で反映されることが多かったです。学校を良くしようと協力する姿勢が先生方の中にあり、チームで働いていると感じていました。しかし残念ながら、精神的に病まれて休職されたり、退職される先生も数人いらっしゃいました。

保護者の方々はごく一部理解をいただけない方もいましたが、基本的には学校に理解を示してくださり、協力的だったと思います。

日々の指導で一番言っていたのは男子には学ランのボタンを全部閉めること、シャツを出さないこと、ずらしているズボンをちゃんとはくこと、女子には短いスカート丈を戻すこと、セーラー服の袖ボタンをとめること、中に色や柄のついたシャツを着ないことなど服装のことが多かったです。

卒業式は1週間くらい前からきちんとした卒業式にしようと、委員長たちが委員長会議で話し合い、学年集会で委員長が次々に生徒に訴える場面がありました。(もちろん教師も訴えます。)このころになると委員長も集大成なので、自分たちで意見をだし、集会だけでなく自分で声をかけられる友達には声をかけたりと積極的に動いてくれていて、良いリーダーに育ったなぁと感心することがたくさんありました。しかし、それでも当日に思いが届かず、数人ではありますが、頭髪にそりこみを入れてくる生徒がいたり、スカートは短いままの生徒がいたり、卒業式後に卒ラン(名前とか刺繍とかがはいった特別な学ランみたいな服)を着る生徒がいたりと、卒業式前から卒業式後まで大変だったなと思います。

しかし、それ以外ではリーダーたちが働きかけてくれたり、まじめな生徒もたちは協力してがんばってくれたりといいこともたくさんあるので、とても感動的な卒業式でもありました。卒業式中に保護者代表の方からのご挨拶があり、思春期の生徒への思いや、教師への感謝を述べてくださる場面もとても感動的だったことを覚えています。

特色

生徒会、委員長たちの取り組みをたくさんされていました。学年の委員長会では、委員長たちが自分のクラスの状況や課題について話し、どうしたらよくなるかについてみんなでしっかり話し合って月目標を決めていました。月目標に沿ったクラス対抗の取り組み(チャイム着席チェック、号令時の服装をチェック、忘れ物調べなど)をして、各クラスで目標を達成しようと呼びかけてゲーム感覚で改善に努める取り組みは効果的であったと思います。

学校全体の生徒会の活動としては学期に1回クリーンアップ活動という清掃活動を行っていました。生徒会、各学年委員長がそれぞれ1人ずつ友達を誘って、みんなで普段掃除しないようなところをピカピカにするという活動をしていました。例えば1つの階段と決めたら、階段の掃き掃除はもちろん、拭き掃除、壁の拭き掃除までやって誰が見てもいつもと比べて断然きれいになっていました。生徒たちに達成感があり、次の日に登校した生徒からもすごいというような声も聞こえ、とてもいい取り組みでした。それを生活指導部等が生活指導通信に載せてくれたりもしたので、がんばってよかったと思わせることができる取り組みであったと思います。

それ以外でも挨拶運動をしたり、入試前に3年生を励ます活動をしたり、生徒たち同士のつながりで学校をよくしていこうという取り組みがたくさんされていてとてもよかったと思いました。(ピアサポートに近い感じでした。)


その3:大阪府大阪市M中学校

地域性

校区にJR環状線も地下鉄も通っていて、少し足を延ばせば梅田まで自転車で行けるくらいの都会に近い場所ですが、下町の雰囲気もあり、住みよさそうで落ち着いていると感じました。(個人的にはこの学校に勤めることがなければ住みたいと思うくらい便利もよくて、環境のいいところです。)生徒はどちらかというとマンション住まいが多かったですが、戸建てに住んでいる生徒もいました。校下には2小学校ありました。

学校の雰囲気

赴任する前の10年間くらいは驚くほど荒れていようですが、私が赴任した時にはどの先生が赴任しても落ち着いていると感じるほどに落ち着いた学校でした。集会などで、整列する際も、体育の先生の指導が行き届いているからか、「前へならえ」の指先は前の生徒の方の高さまであげ、礼をする前の「姿勢を正して」の号令でみんな姿勢を正して、その後礼をしていました。(赴任して一番の衝撃でした。)

授業も乱す生徒はいませんでした。生活指導はこれでもかというくらい先生たちが厳しく、それにも驚きました。校則も髪形やスカート丈、靴や靴下のなど細かくあり、もう少し緩くてもいいのではないかと思うほどでした。指導の基準は生徒手帳に書いてあるということにも驚きました。服装で一番指導したことは男子の詰襟のホックを止める、ベルトをつけるということでした。(そんな細かいのはこの学校だけです。)そのような学校なので生徒たちも落ち着いてはいましたが、教師によって態度を変えたり、教師に見えないところで嫌がらせをする、SNSの書きこみによるトラブルなど陰湿なことはありました。年によっては学年に1人くらい非行にはしる生徒もいましたが、他中の生徒と仲間になることが多く、学校に来なくなることがほとんどでした。非行以外でもさまざまな理由で不登校になる生徒もいましたが、私が勤めた3校の中では1番多かったように思います。

先生たちは、校長先生、教頭先生が中心ではありましたが、年配の先生、学年などの主任の先生、生活指導にたけている先生など様々な先生が会議などで意見を言われていました。時には一部で派閥があったりもしました。全体的には教師間は、協力はしていましたが、関係性はドライであったと思います。生徒が落ち着いている分、みんなで団結してしないといけない指導などが少ないため、そのような雰囲気であったのだろうと思います。

基本的に先生が何事も主導で、生徒たちはそのレールにのせられて、ちゃんとやっているという風に見えました。生徒会活動や、委員長会活動もありましたが、毎年、毎月行っている活動を繰り返し行っているように感じていました。生徒たちがきちんとしている分、変えなければならないことも少ないため、活動もあまり活発ではなかったように思います。そのような学校の卒業式は感動しないのではないだろうかと思っていましたが、実際には、まじめに3年間頑張ってきた生徒がまじめに返事をし、歌を歌って卒業していくさまもそれはそれで感動的でした。(みんなまじめに3年間がんばったなぁという感動は初めての感覚でした。)特に生徒会長の答辞は卒業式の最大の感動場面で、毎年時間をかけて行っており、3年間の振り返りをしつつ、保護者や教師、一緒に巣立つ仲間たちへの感謝を述べたりする場面など、感動的な場面がありました。

特色

文化祭を六稜祭と名付け、一大イベントとして行っていました。1年生は学年の合唱コンクールがあり、金賞、銀賞に選ばれた2クラスだけが、六稜祭で発表できるという形になっていて、どのクラスも一生懸命に練習をしていました。(音楽の先生が本格的だったので、声を大きく出すというのは当たり前で、はっきり言葉を出すことや強弱をつけること、発声の仕方など専門的な指導をされていました。)2,3年生は学年、もしくはクラス別の舞台発表で、毎年様々な工夫をして発表をしていました。時には学年全体でライオンキングのミュージカルを行うなど興味深い発表もありました。その他にも学年、教科でも展示物もあり、舞台鑑賞が終わった後は展示見学の鑑賞時間が設けられ、六稜祭の日は生徒たちは1日かけて楽しむ日になっていました。

まとめ

いかがでしたか?

筆者が勤務した中学校3校の雰囲気や特色を、紹介しました。

新しい学校へ赴任するたび、その学校の雰囲気や特色を感じ、戸惑うこともあるものの、楽しい経験もたくさんありました。

教師を目指している方、教師として新しい学校へ赴任する事に不安がある方は、ぜひこの記事をご参考ください。

本記事は、2019年9月29日時点調査または公開された情報です。
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