現在私は弁護士として働いているのですが、日本で弁護士になるためには、司法試験を受験して合格する必要があります。
「司法試験に合格する」と一口に言っても、私が司法試験を受験しようとしていた当時は、司法試験が2種類ありました。司法試験制度改革の真っただ中で、旧司法試験と新司法試験の二つが併存している時代だったのです。そして、私がロースクールを受験する時点では、新司法試験がまだ実施されていないため、どこのロースクールが合格率が高いかさえ分からなかった時代です。
今回は、そんな2002年に私大の法学部に入学した私が、2009年に弁護士になり、国家公務員として働くに至る経緯や司法試験・就職といった体験談を交えて、ご紹介させていただきたいと思います。
高校時代 – 司法試験を漠然と意識しながらの大学選び
私は、いわゆる大学受験は考えていませんでした。幸い高校での成績が良かったので、推薦で大学に行こうと考えていたのです。
その頃、特段力を入れて勉強をしていたわけでもないのに、たまたま国語関連科目の成績が良かったため、才能があるものと勝手に思い込み、文系の道に進もうと考えていました。そして、ドラマなどで法律系の話を見るたび、法律に詳しいというのは生きる上で重要だなと感じていました。この「文系の能力」と「法律への興味」が合わさり、進路は法学部が良いなと考えるに至りました。
そこで、高校が保有する指定校推薦の枠の中から、法学部の推薦枠のある大学を探しました。幸い、法学部が強い私大で、私の成績で入れるところが空いていたので、そこを選びました。ただそこは、学部は法学部ではあるものの、学科は法律学科ではなかったため、若干の不安がありました。
そこで、私は大学の事務局に電話して、進路について相談をしたところ、「司法試験は、学科が法律学科だからといって受かるものではなく、最終的にはほぼ自習が重要なので、受験資格を得られる学科であれば問題はない」と言われました。それならばと、法律学科でなくともその私大に進むことにしました。
とはいえ、その頃は司法試験について何も分かっていませんでした。司法試験というものに漠然と憧れていただけかもしれません。ただ、きっと自分は将来司法試験を受けるのだろうな、という予感はありました。
迷いを理由になかなか勉強に本腰を入れなかった大学時代
(1)当時の状況
私が私大法学部に進学した2002年というのは、2年後(私が大学3年の頃)にロースクール(法科大学院)が開始される、という時期でした。
ロースクールができる以前は、大学3年生から司法試験を受験することができました(旧司法試験、現行司法試験などと呼ばれています)。しかし、ロースクールが出来てからは、大学4年間を卒業した後、さらに2年から3年のロースクールに行き、ロースクールを卒業することで司法試験の「受験資格」を得られる、という制度に大きく変化することになったのです(こちらは新司法試験と呼ばれています)。
言い換えると、この時期は、大学やロースクールの教授も、司法試験受験予備校の講師も、もちろん学生も、誰も新司法試験の問題やロースクールの詳細を知らない状況であり、何をどう準備すれば良いか分からない時期だった、ということになります。
学生にとってさらに悪いことは、司法試験の前提であるロースクールに合格するために、従前の司法試験では必要なかったものをいくつも課されることになったことです。
(2)旧司法試験の制度
旧司法試験のときには、憲法・民法・刑法の3科目の択一試験(センター試験のような、複数の選択肢から正解の選択肢を選ぶ形式の試験のことです。司法試験業界では択一試験と呼んでいますので、以下そのように呼ばせていただきます。)と、これら3科目に商法・民事訴訟法・刑事訴訟法を加えた6科目の論文試験、そして憲法、民事系(民法・民事訴訟法)、刑事系(刑法・刑事訴訟法)の計3科目の口述試験が課されていました。
そのため、当時の学生もこれらを基本的に勉強しなければならないのですが、ロースクール受験では、これらに加えてさらに次のTo Doが増えました。
(3)当時のロースクール受験のために必要なもの
▼1 適性試験
まずは、適性試験という、アメリカのLSAT(Law School Admission Test)を参考にして作った、法律の知識関係ない「地頭の良さ」を問う問題の対策をしなければならなくなりました。IQテストのような、国家公務員試験における判断・数的推理の問題のような、読解問題のような、いろいろな問題が出る試験です。
当時はまだ過去問も少なく、サンプル問題程度しか素材がなかったため、この適性試験対策も手探りの状況でした。特に、記憶が得意な人は、記憶不要の試験ですので、嫌な気持ちになったことでしょう。しかも当時は、二つの受験団体が適性試験を実施していたため、どちらも受験しなければなりませんでした。なんとなく傾向が異なる部分もあるため、対策もそれぞれ行わなければならず、無駄に時間と費用を掛けさせられた気持ちでした。
▼2 ステートメント
次に、ステートメントという、志望動機を書いた文書を提出する必要がありました。ステートメントは、アメリカのロースクール受験のときも求められるものなのですが、その真偽は不明なものの、当時は重要性が殊更騒がれていました。多様な人材を育成するというロースクールのコンセプトの下では、学力だけではなく、その人となりも重要だ、という理由付けでした。そのため、ステートメントの書き方についての参考書籍や講義など、対策をしなければならない!と煽ってくるものがたくさんありました。
また、志望理由や自己分析などを絞り出さなければならないステートメントの準備は、意外と時間がかかりました。法律の勉強をしたいのに邪魔されたと思っていた学生も多かったはずです。私自身も、正直、どんな理由で法律家になったっていいだろ、と煩わしく思ったものです。
ただ、ステートメントの役割について教授から聞いた話に説得力を感じ、そのスタンスでステートメントを仕上げました。それは、「司法試験はその準備が大変な試験だ。一朝一夕ではできないため、長期間の辛抱が必要だ。ステートメントでは、そんな辛い受験の準備を乗り越えることができるだけの強い意志とそれを支える目標・動機があるかを見させてもらうためのものなのだ。」というものでした。そういう意味であれば、特に身近に法律問題が起きている必要もなければ、周りに憧れる法律家がいる必要もないわけなので、いくらか気が楽になって書けました。
▼3 英語力
次に、ロースクールによってはTOEICの点数を求めてくるところもありました。これは、本当に勘弁してほしかったです。当時の私は、国語に自信があったことの裏返しでもあったのですが、英語を学ぶことが大嫌いでした。なぜ、日本語がこんなに堪能なのに、他国の言語などをさらに追加で覚えなければならないのか、英語がネイティブの国に比べて日本人は無駄に時間・金・脳への負荷を掛けなければならず堪らなく不公平だ、と憤り、英語なんて使う仕事に就きたくない、だから日本語の文系の最高峰である司法試験を合格して日本語で食っていくんだ、とさえ思っていたからです。
それなのに、まさかのロースクール受験でまで英語の成績を求められるなんて…。記念に一度TOEICを受けてみましたが、リスニングで眠気に襲われて寝てしまう始末でした。点数も笑うしかないほどの点数でした。その結果、英語を求めてくるロースクールは国立・私立問わず選択肢から外さざるを得なくなりました。
▼4 法学既修者検定
次に、「法学既修者検定」という試験がありました。これは必須ではなかったと思うのですが、ロースクール受験の科目と共通する点が多いので、受験した学生が多かったです。
しかし、その出題形式が択一試験のみであり、汎用性のある科目とそうでない科目があったため、結果としてやはり勉強しなければならないものが増えました。
▼5 各ロースクールの試験問題
そして、最も重要な「各ロースクールが出題する試験」がありました。これは、本当にロースクールによって多種多様でした。科目となる法律の種類、科目数から、論文か択一かの試験形式も異なりましたし、論文式といっても問題形式が長文のものから短文のものまで様々でした。
そのため、志望校選びにも困ります。例えば、この1校を足すと、択一の勉強をしなければならない科目が2つも増えてしまう。この1校を足すと論文の試験科目が増えてしまう。そんな悩みと闘いながら、志望校を絞っていった記憶です。
▼6 その他の資格
なお、その他の資格欄に書きたいと思い、在学中に行政書士の試験も受験しました。2002年に行政書士の合格率が19%になったことを良いことに、いろんな予備校や通信教育や参考書が、「行政書士は受かりやすい法律資格だ!」と謳っており、私もそれに騙された人間でした。
行政書士の試験は短答式で、「合格点」が固定されています。出題ミスがあると無条件にその問題は全員が1点獲得できるルールになっています。そして、どうやら2002年は出題ミスが多く、受験生の全員がボーナスの点数をもらうことができ、それがきっかけで合格率が19%に底上げされただけのようでした。
蓋を開けてみると、私が受験した年は、なんと合格率たったの2%台でした。とんだ詐欺でしたが、結果は「合格点」ぴったりでの合格でした。ラッキーでした(ちなみに、行政書士は、司法試験と異なり、「ちょっと受けてみるか」程度で受験する人が多いようですので、しっかり準備した人の合格率が2%の超難関試験、ということではありません。逆に、新司法試験は少なくとも2年間はロースクールに通って準備した人しか受験できませんから、合格率は高くても、記念受験生がいない分実質的な倍率は高い試験と言えます。)。
▼7 面接試験対策
ロースクール受験では、書類選考と第一次の筆記試験(ロースクールによってはレポート)を突破すると、面接試験が控えている学校もいくつかありました。そのため、予備校などでは面接対策の講座なんかも用意されていましたし、いくつか対策本もありました。
何を聞かれるかはともかく、法学部の就活を経験していない学生は、面接慣れしていませんから、そもそも面接マナーから調べたりする必要があり、これにもけっこう時間を使いました。ただ、筆記が終わってからの時期に準備すれば良いので、気持ち的には多少楽だった記憶があります。
(4)受験準備への着手
私が、以上のようなロースクール受験に必要なものが何かを綺麗に整理できるようになったのは、初のロースクール入試が実施された頃(私が大学3年生の頃)からでした。「ロースクール、新司法試験は何もかもが不透明で、みんな手探り状態」という話をいろんなところから聞かされていたのをいいことに、何をやっていいか分からないと言い訳してダラダラ勉強に本腰を入れない日々を続けてしまいました。
大学3年になり、いい加減これではまずい、周りのロースクール受験を目指している人とも差が開いてきた、と焦り、家から近いところにある司法試験予備校に通い始めることにしました。当時は、伊藤塾、LEC、早稲田セミナー、辰巳という4つの大手司法試験予備校に多くの人がこのどれかに通っていました。私は、費用や立地の面でLECを選び、大学3年になってようやく司法試験の入門講座の受講を始めました。
しかし、入門講座のスケジュールを見て驚愕したのですが、講義が全部終了するのは、ロースクール受験の始まる二か月ほど前でした。その時点で「入門」が終わるって、間に合わないじゃん…、とかなり焦りましたが、もうどうしようもありません。やれることからしっかりやっていこう、と思い、毎日予備校に通い、地道に講義を聴き、問題集を解き、勉強に集中して取り組むようになりました。
(5)受験勉強の具体的な内容
▼1 予備校の入門講義の受講
私は司法試験・法科大学院入試を対象にしたいくつかの講義がパッケージされたコースを購入し、それを受講しました。一番の基本は入門講座で、司法試験試験の各科目を基礎からしっかり勉強する講座でした。それに加え、答案の書き方の講座や、適性試験の講座やステートメントの書き方講座などがちょこちょこついている、という感じでした。
受講の仕方ですが、私はライブではなくビデオ受講をし、カセットテープ(時代を感じます)にも録音して家でも聞く、というスタイルでやっていました。寝るときにもテープをつけながら布団に入ったりと、耳から頭に入れるという勉強方法も多く取り入れていました。序盤はほとんどテキストと講義に頼りっきりで勉強していました。そのため、アウトプットの機会はまだほとんどありませんでした。
ちなみにですが、入門講座の講義は、なぜその講師を選んだのかよく分からないのですが(単純に情報収集力がないだけなのですが)、なぜか私はあまり有名でない講師の入門講座を選んでしまいました。
他の友人は、いくつも書籍を出しているような有名な講師の授業を受けているのに、私は一人で誰も受けていない先生を選んだということで、不安がずっとありました。ただ、他の先生の授業を受けていないので知りませんが、今思えば内容的に悪いところはありませんでした。淡々と各科目についてロジカルに説明してくれるところが合っていたのか、力はきちんとつきました。
とはいえ、合格してみないと、それが正しかったかなんて分かりません。そんなことで不安な気持ちを持つのも馬鹿らしいので、予備校の講師選びには、事前の下調べが必要だったのだなと痛感しました。
▼2 旧司法試験の択一試験の受験
大学3年生からは、旧司法試験を受験することができるようになります。僕が大学生の当時は、まだ新司法試験が始まっていませんでした。そのため、旧司法試験も試しに受験してみるか、ということで、旧司法試験の択一試験を受けることにしました。旧司法試験の択一の科目は、憲法、民法、刑法という基本三法ですので、これに時間を使うことは、ロースクール受験の妨げにもならないし、良い勉強になると思って臨んだのですが、実際に良い経験になりました。
まず、過去問を解いてみても、全然時間が足りないし、全然知らない話ばかりでした。模試を受けてみても全然良い点とれないし、もうズタボロにされました。しかし、学生にしてはそこそこ高い受験料(3万円くらい)を払って司法試験を申し込んでしまった以上、受けるまで頑張るしかない、というケチな性格が幸いして、受験まで折れることなく、必死で過去問に取り組むことができました。
そのおかげで、入門講座で学んだ基礎的な知識に、択一の知識や解き方という付属の力を肉付けすることができました。結果は合格点に及びませんでしたが、目指す最終目標である司法試験の問題の質や、受験生のレベルを実感することは非常に良い経験となりました。自分の勉強がいかに足りていないかに気付けたことで、一層気が引き締まりました。
▼3 答案練習
司法試験にせよ、ロースクール受験にせよ、論文試験がありますので、論文の答案を書く練習をする必要があります。これを答練と呼ぶのですが、大学や予備校で答案を書く練習をする機会がありましたので、これを利用して答練をしました。また、自分でもとりあえず書きまくりました。ロースクール受験が近くなったころには、毎日1通は必ず書くと決め、司法試験の過去問や練習問題集などの問題に取り組み、法的な論文を書く練習を重ねました。
論文試験は、正解が分かりにくく、特に大学生の頃には採点基準が全く見えませんでした。過去問集も、出版社によって同じ問題でもいろいろな答案のアプローチがあり、何が正解なのか、混乱する一方です。当時は、この内容や書き方で良いのか全く分からないがひたすら練習していた、という感じでした。たまに採点付きの答練があるのですが、そこで返ってくる点数にも納得感はありません(採点者も結局は学生あがりの人達ですから、眉唾物です)。このように、この頃の論文の練習は、本当に雲を掴むような作業でした。
▼4 適性試験の勉強
予備校で適性試験の講座がありましたが、結局のところ解法を知ってもそれを使えるかどうかが重要な類の試験でしたので、基本的には問題集を解いて解いて解きまくる、という練習をしていました。苦手な形式の問題と得意な形式の問題が次第に見つかってきますので、苦手なものをケアしつつ、しかし苦手なものをできるようになるには結構面倒なので潔く諦めるというスタンスで(司法試験に直接関係ないですから)臨みました。
法律の勉強の息抜きにはなるかな、という感じでしたが、個人的には変な試験のせいで余計な手間を取らされたなーという印象でした。そこまで苦手ではなかったので、点数はそこそこ良いかなというレベルでした。
(5)ロースクールの受験本番
以上のような勉強を来る日も来る日も積み重ね、遂にロースクール受験の本番になりました。私は、筆記試験のある学校2校と、筆記試験のない学校1校を受けました。結果、勝率は三分の一でした。なんと、滑り止めのつもりで受けた学校に落ちていたにもかかわらず、第一志望の学校にだけは受かっていたのです。
前述しましたが、ロースクール入試直前で入門講座がようやく終わるような進捗でしたから、他のしっかり準備していた学生に実力が劣っていることはなんとなく感じていました。しかも、私はロースクールの3期生ですが、この時期は、合格率5%程度の旧司法試験に向けて何年も勉強してきたベテラン受験生が、いよいよ旧司法試験がなくなる(あと数年残っているけど合格率が1%とか2%になる)ということで、満を持してロースクール入試に参戦してきた時期でもありました。法律の知識の差は言うまでもなく、大学生からストレートでロースクールに行くことがなかなか難しい時代だったのです。
そのため、レベルの下がる滑り止めの学校ですら落ちる始末でしたが、私が第一志望の有名ロースクールに合格できたのは、そこそこ戦略がうまくいったからかと思っています。
というのは、そこのロースクールは、旧司法試験の試験科目にない科目が入試科目になっていました。私は、それらの科目についてはベテラン勢は手薄であろうと見込みました。また大学生の受験生も他の基本的な科目には注力しているが、なかなか他までは手が回っていないだろうと考え、私はバランスよく対策をすることにしました。これは、逆に言えば、他の多くのロースクールにも共通する基本科目についての準備が少し減ってしまうことになりますが(そのため滑り止めのところに落ちたのだと思いますが)、第一志望のロースクール受験対策という意味では戦略がはまったようでした。
結局時間は有限ですので、あれもこれも手を出そうとすると失敗します。自分の中で優先順位をつけ、それに最も必要なものに力を入れることで、ギリギリながら良い結果を勝ち取れたのだと思っています。
ちなみにですが、面接試験を受けた際に、私は、「最後に30秒だけいいですか?」と断り、現在の自分の法律知識のレベルが高くないことは自覚していること、しかし自分は努力を継続してできる人間であること、そのため2年のロースクールの期間が終わる頃には合格できるレベルに達しているということ、をスピーチしました。
これは、ステートメントを課す目的について教授から聞いた話を面接にも応用したものでした。つまり、ロースクールにとって重要なのは、2年後に卒業して試験に合格し、そのロースクールの合格率を上げられることです。今の学力が心許なかったため、自分は2年後には相当のレベルに達することができる人間だ、という点を強くアピールしたのです。
このあたりも響いたのではないか、と個人的には思っています(が、ロースクールの評価基準は学生にも分かりませんので、本当のところは不明です)。
人生で一番勉強した「ロースクール時代」
(1)ロースクールの概要
ロースクールには、2年間の既修者コースと3年間の未修者コースがあります。
未修者コースは法律について未修な人が入るコースで、既修者コースは法律について既修な人が入るコースです。想定としては、既修者コースには法学部出身者、未修者コースには、法学部以外の出身者や社会人、という応募者が見込まれていました。
ただ、実際のところは、法律学の勉強を全くしたことのない「純粋未修者」は、当時はかなり少数でした。どこのロースクールにも、「既修コースには受からないくらいの法律知識しかないが、頭は良いので法律知識の不要な未修者コースの試験(小論文)に受かった。」という、いわゆる「隠れ既修者」も混在するのが普通でした。私は、ギリギリながら既修者コースで合格しましたので、2年のロースクール生活となりました。
(2)クラスメイト
この既修コースも、ロースクール3期生の時点では、「他学部・社会人からの入学者を増やし、法律家の多様性を高める」というロースクール設立当初の理念に基づき、多様な年齢層・バックグラウンドの人が同じクラスにいました。
例えば、私は大学卒業後ストレートでロースクールに入学したので、入学当時は22歳で、それが最年少でした(未修コースは、大学3年生の時点で“飛び級”として入学が可能です。ただ、3年間過ごさなければいけないので、大学4年生で既修者コースに受かった人と、卒業は一緒です)。しかし、同い年の人は1割程度で、ほとんどが年上でした。
特に、私の最初の隣の席の方は、お子さんのいる元会社員でしたし、元国家公務員の方や裁判所の職員だった方、司法浪人数年目、という人もいました。年齢でいえば、30歳以上の方が22歳の学生より多かったです。単なる大学の延長で同世代ばかりに囲まれるのではなく、普通であれば交わらないようないろんなバックグラウンドの大人と話をし、一緒に勉強をできるというのは、非常にエキサイティングな環境であったと思います。
(3)既修者コース1年目の状況
既修者コース1年目は、「楽しかった」というしかありません。というのは、ロースクールには、固定のクラスというものがあり、自分の席が決まっており、定期的に席替えがあり、という感じで、まるで高校時代に戻ったかのようにクラスメイトと密な人間関係が築けるのです。
大学では固定の席はないですし、生徒が何を履修するかはバラバラですので、毎日同じ顔を合わせるということはありませんでしたから、この感じ自体が非常に楽しく思いました。この感情は、大学からストレートで進学した私よりも、学生を卒業して数年経った人達の方が強かったようで、彼らもロースクールの環境に大いに興奮していました。
特に私のクラスはメンツにも恵まれたのか、毎週のように飲みに行っていましたし、みんなでフェスに行ったり、クラスで旅行に行ったりと、しょっちゅう遊んでいました。もちろん、勉強面でも、授業の予習が多くて大変でしたが、それよりも楽しかったという記憶が圧倒的に強いのが、1年目でした。
(4)既修コース2年目の状況
そして、ひとしきり1年目で遊び倒した頃に、誰となく「これではやばいな」と気付き、自然と一斉に勉強に集中していきました。私は、あまり授業の予習をないがしろにした記憶はなく、どれも司法試験の勉強につながるものとして取り組んでいましたが、もちろんそれでは足りません。授業の予習以外にも司法試験用に特化した準備もしなければなりませんでした。
そこで、仲の良い人と、択一の問題を解くゼミや、論文の問題を解いて書くゼミなども開くことにして、勉強をする機会をしっかり確保することにしました。そのため、私の一日の多くは、授業の予習と、ゼミのための準備と、ゼミの実施に費やされ、毎日朝の10時から夜の11時くらいまではロースクールにいました。
電車通学でしたので、移動中も勉強時間です。電車の中で論文は書けなくても、択一の問題を解くことはできますので、もっぱら択一試験の過去問を解くのに当てていました。そんなこんなで、当時は4時間半睡眠を心がけていました。もちろん、勉強中に眠くなったら机で仮眠を取りますが、平日の夜布団で寝て翌朝起きるまでの時間は4時間半にしていました。ロースクールは4月入学3月卒業ですが司法試験は5月でしたので、卒業後、試験直前まで、継続してそのようなスケジュールで勉強を続けていきました。
(5)クラスメイトとの自主ゼミの活用
上記の通り、私は大きく分けて択一と論文用の自主ゼミをやっていましたが、はっきり言ってゼミの運用は非常に難しいです。まずはメンバーの選択にミスると、無駄な人間関係のトラブルを招きます。また、悪い言い方ですが、できない人だけで問題の検討をしても、重要なポイントを見落としてしまいますので、意味がありません。有用なゼミにするためには、能力の高い人が不可欠です。また、個々人のニーズにあったテーマのゼミを上手いことアレンジしなければなりませんでした。
私は、比較的多くの人とゼミをやった方だったと思います。例えば、仲の良い人と朝に択一試験を解くゼミをやっていたのですが、これは、一人だと「もう少し寝るか」といってさぼってしまうところを、遅刻したらペナルティというルールを付けて二度寝を避ける、というペースメーカー的な役割を果たしてもらっていました。
また、答案練習のゼミでは、受験経験の長いベテランの方が一人でもいると、知識面が充実する非常にしまったゼミになりました。ただ、ベテランの方にとっても、鋭い観点での若い学生からのコメントも有益であったようですし、文章の書き方についても参考になるところもあったようですので、センス面を若い人が提供し、確かな知識をベテランの人が提供し、相互に補完し合うというのが理想の形でした。
個人的に一番大切なのは、「議論は議論」という割り切りをできる人とゼミをすることでした。例えば、やはり自分が書いた答案を酷評されると、多少なりともイライラします。自分なりの考えもあるので、反論も出てきます。反論したら議論になって、感情的な言い合いのような形になることさえあります。
そういうときに、そのせいで仲が悪くなる、というのではなく、その時間はその時間で大切にし、終わったら後腐れなく元の仲に戻れる、というのが重要でした。それができないゼミは、どんどん潰れていったように思います。
(6)息抜きの仕方
上記のとおり、ほぼ朝から晩までロースクールにいて、それを土日も続けていましたので、当然息が詰まることもあります。そこで、息抜きの仕方も意識的にコントロールしていました。
具体的には、短時間で終わる自分が好きなことを選んで息抜きの時間にし、それを楽しみに頑張るというモチベーションにしていました。具体的には、私は漫画が好きでしたので、週刊の雑誌を昼に休憩がてら読んでいました。また、月に1回、漫画喫茶で3時間がっと漫画を読むことを許していました。他にも、面白そうなドラマがやっている時期は、その日だけは早く帰って観ていました。また、金曜日の深夜に好きなバラエティ番組がやっていたので、それを観てゆっくりすることで、(どうせ土日も勉強しますが)一週間のねぎらいをしていました。
これらのほとんどは、一日1時間もかかりません。しかし、自分の好きなことですから、ここを耐えれば楽しみが待っている、ということで日々頑張れました。このように、自分のモチベーションをコントロールする息抜きを見つけることは、意外と重要だったなと振り返って思います。
司法試験合格へのストラテジー
上記「人生で一番勉強したロースクール時代」で述べたのが、大きな司法試験受験に向けた流れでしたが、本項では、私個人の資質も踏まえて練った、司法試験受験に向けた具体的な戦略について少し触れたいと思います。
(1)苦手な択一に注力
大学時代から感じていたことですが、私は択一式の試験が苦手でした。
なぜそのように思っていたかというと、単純に記憶力が弱いからです。もう少し具体的にいうと、長期的に記憶を保有しておくのが苦手でした。高校の期末テストのように、数日で詰め込めて、一度吐き出したら忘れてよいような短期記憶は得意だったのですが、司法試験の択一は、7科目ありました。昔の司法試験は択一は3科目だけだったのですが、ものすごく増えてしまいました。そうなると、一度憲法を勉強していろいろ頑張って記憶しても、残り6科目を回している間に憲法のことなどすっかり忘れてしまうのです。
しかし、残念ながら司法試験では択一の点数によって足切りが行われ、足切りラインに引っかかると論文試験の採点をしてもらえなくなってしまいます。そのため、択一でミスらないことは最低限必要な条件となっていたのです。
そのような試験の条件と自己の能力分析を元に、択一の勉強にやや力を入れる戦略を取りました。具体的な勉強方法は、ひたすら過去問や問題集を解いて記憶を定着させることがメインとなりました。試験直前は、クラスメイトと定期的に、本番と同様の時間を計り問題演習をするなどして、頭と体に択一試験のリズムを定着させるよう努力していました。
また、市販のテキストには、例えば民法の委任契約と請負契約の違いなど、似た制度についての比較をしてくれている表がついていることが多かったのですが、最終的にはこれを良く見直していました。漠然と記憶していると、最後の二択までに絞ったときに、必ず迷ってしまうことになります。
しかし、似た制度を比較しながらしっかりと違いを記憶しておけば、そのような事態に陥って試験時間を無駄にすることもなくなります。また、似た制度の違う点を洗い出してみてみると、各制度の違い、そのような違いが出てくる理由がクリアになるので、結果的に記憶の定着もしやすくなりました。
以上のように、試験直前期は択一に力の7割くらいを割きました。
(2)得意な科目で点数を伸ばす
実は、司法試験では、論文の方が圧倒的に点数配分が大きいのです。そのため、本来的には、択一に7割の力など注がず、論文試験で多くの点数を稼げるようにした方が合格に近づくことになります。しかし、幸いなことに、私は論文試験は比較的得意でした。択一試験と違って、必ずしも正確な記憶が必要なわけではありません。
論文試験では、自分が採用する立場を決め、その立場に立つ根拠を考えて、それをきちんとした日本語で書けばよいのです。そのため、必ずしも判例の立場に従わなくてもよく、細かい知識というより大きな方向性さえつかめていれば、後は自分の言葉で文章にするだけで良いのです。
ただ、論文試験でも私なりに一つの戦略を立てました。それは、自分の得手不得手を踏まえて、時間配分に差を設けることを「あらかじめ」決めていたという戦略です。問題を見てその場で判断しようとすると迷いが生じて時間配分をミスする可能性があるので、あらかじめ固定したのです。そして、これは功を奏したと思っています。
具体的に言いますと、論文試験には、「公法系」というくくりの科目があり、それは、4時間で一気に憲法と行政法の2科目を解くというものでした。いずれの科目も点数配分は一緒ですので、普通に考えたら時間もきっかり半々にした方が効率がよさそうに思います。しかし、私は圧倒的に行政法が得意で、ロースクールの成績や模試の結果も良かった半面、憲法はいつまでたってもどう書いたら点数が伸びるのかが掴めていませんでした。
そのため、大胆に、「行政法には2時間と10分使って充実した答案を書いて受験生の中でトップクラスに入る。」「憲法は、1時間50分だけで解き、論点を全て拾って一応の内容は書き切ることは意識するが、個別の論述は薄くしても良い。」という決めごとをしておきました。模試の段階でもこの時間配分で練習していました。
この策はまんまとハマり、公法系の結果は上位3%に入る成績でした。やはり、正しい方向で10分間分しっかり書くのと、方向性が分からず誤った論述を10分間書くのとでは、得られる点数に大きな差が出ます。司法試験はそもそも誰も満点を取れる試験ではありませんので、正しい方向であれば、「それ以上書いても点数が入らない」というほど完璧に書き切ることは不可能に近いのです(むしろ10分の追加くらいじゃ全然足りません)。なので、基本的には正しい方向の論述に時間をかければかけるだけ点数が伸びていくという発想は正しいと思っています。
以上の経験から得た思うことですが、誰にでも一科目くらい得意な科目はあると思いますので、長所を伸ばす戦略(10分付与するという戦略以外にもあり得ると思います。)を考えてみるのは価値があると思います。
合格発表を経て司法修習へ
(1)5月の司法試験本番
先ほど書いた戦略を元に、人生で一番勉強した、というくらい勉強しました。一回落ちると、もう1年受験に時間を費やさなければなりません。そう考えると、1回目の受験に向けて、毎日プラス1,2時間頑張った方が、結果得すると思い、いろいろ犠牲にして頑張ったものです。
そして、計4日間、一番長い日で一日7時間もの試験を行い、心身ともに疲弊しきって司法試験が終わりました。終わった日には、ロースクールのクラスメイトと打ち上げをして、悲喜こもごもの感情のもとで開放感に浸った記憶があります。
(2)5月から9月までの間
この時期は、学生でもなければ司法修習生でもない、いわゆるニート時代です。多くの受験生は、司法試験予備校やロースクール関連団体が主催するゼミ講師や答案採点などのバイトをして過ごします。
また、大手法律事務所は、まだ合格発表がされていないにもかかわらず、この時点で採用活動を開始しており、試験直後から就活を開始し、夏には内定をもらっている人もチラホラいる、という状況でした。他方で、公務員である裁判官と検察官の就職活動は、修習中に行われます。
夏の時点で大手弁護士事務所に優秀な人材を青田買いされたら不公平だということで、一応就職開始日について協定のようなものがあったのですが、実質は機能していませんでした。ですので、学生側の戦略としても、とりあえず法律事務所の内定はもらっておいて、修習で経験してみて良かったら裁判官や検察官になる、というような意識で就職をしていた人もいました。
私はというと、検察官志望であったこともあり、基本的には大手法律事務所の就職に興味がありませんでした。そのため、合格発表までは就活は特にせずに、バイトをしたり、修習に向けて(また、落ちた場合のケアとして)刑事系の科目の勉強をしたりしていました。
なお、この時期の司法試験受験指導のバイトに携わった際に、試験を解く側ではなく出す側に回った経験が非常に勉強になりました。やはり、出題者はある答えを書いてほしくて問題を作ります。そのために一字一句無駄にしない文章で問題を作ります。そのために「ここを書いてくれたら点数をあげよう」という採点表を作ります。漠然と文章を書いていた受験生時代と違い、論文試験というものが明確な採点表のある「試験」であることが明確に意識できた瞬間でした。
司法試験の直前期は、漠然とそれが見えるようになってきた科目も出てきており、それができていたものは良い点が取れていました。その感覚が、出題・採点側に回ることにより、一層くっきりしたのです。
これ以降、私は後輩を指導するときには、問題を作成して、採点するという作業をしてみると良い、とアドバイスするようになりました。闇雲に文章を書くことから卒業できると、だいぶ論文の点数が伸びるようになるのです。
(3)9月の合格発表
さて、次は合格発表についてお話します。
試験後、まずはマークシート式で採点も簡単な択一の成績が1か月ほどで郵便で送られてきます。はじっこからペリペリはがしていくタイプのハガキ形式の通知で、ものすごい緊張してペリペリしたことが記憶に残っています。結果、択一は足切りラインを越えていたので、苦手な山場を越えた、と安心しました。
そして、論文の採点を踏まえた総合の合格発表が、9月11日に行われました。
日程が日程だけに、「各地でテロ(不合格の発表)が起きる」とも言われていました。合格発表は、(1)霞が関の法務省の掲示板、(2)インターネット、の2種類で見ることができました。(1)で現地にいった場合、友達もそこにたくさんいるでしょうから、テンションで合否がばれてしまい、嫌だなという気持ちもありましたし、実際それで(2)を選んでいる人も多くいました。
私も少し考えましたが、最終的にはここまでやれば落ちないだろうと思えるくらい勉強できましたし、「人生で、司法試験に落ちることは何回か経験できるけど、司法試験に受かることは一回しか経験できないのだから、せっかくだから現地まで行って喜びを噛み締めてやろう」と思い、(1)の現地まで行くことにしました。
しかし、発表の時間が、確か夕方の4時だかで、けっこう遅い時間に設定されていました。朝起きてから半日以上モヤモヤすること間違いなしです。そのため、前日は朝まで漫画喫茶で漫画を読んで気を紛らわすことにし、朝家に帰って寝て、起きたら発表、というスケジュールを組みました。
そうしたところ、意外にも、朝まで集中して漫画を読むことができ、また朝からもさっと寝入ってぐっすり寝れてしまい、当初行く予定の時間を過ぎて目が覚めてしまいました。自分の神経の図太さを初めて感じた出来事でした(事前には、なかなか眠れないのではないかということの心配すらしていました)。
寝坊したものの掲示時間内には間に合うので、慌てて着替えて電車に乗って桜田門駅まで行ったことを覚えています。遅れたせいか、既に掲示は始まっており、かつ多くの受験生が見に来ていたため入場規制が行われており、長い列ができていました。逸る気持ちを抑えて列に並びました。
列は少しずつ進んでいきました。長いような、短いような不思議な感覚の時間が過ぎていきます。もう、掲示板のあるエリアに入る前から、合格者と不合格者の感情が声となって漏れ聞こえてきていました。ここはそういう場所なんだ、と改めて思い知らされます。緊張が高まったまま、遂に自分が掲示板のあるエリアに入れる番になりました。
当時は、受験番号とそのすぐ隣に名前(実名公開です)が書かれるスタイルでした。自分の受験番号を確認し、その近くまで行き、今さらここでどうしようが何も変わらないと分かりつつ、腹に力を入れて掲示を確認しました。ドラマのようにゆっくり若い番号から受験番号を追ってようやく自分のを見つける、というイメージでいましたが、意外にもパッと自分の名前と番号が目に飛び込んできて、合格していたことが分かりました。自信はあったものの、思わず強くガッツポーズをしてしまったのを今でもよく覚えています。
自分の名前が書かれているところを写真で撮るなど一通り感慨に耽って掲示エリアを出て歩いていると、何人か友人にも会い、幸いそこで会った人はみんな合格していたので、喜びを分かち合うことができました。
こうして、司法試験の合格発表当日は終わりました。今ではプライバシーの関係で名前の掲示はなくなったと聞きますが、やはり番号ではなく自分の名前そのものが掲示されているのは、ストレートに合格を感じることができて嬉しいものでした。
なお、私の頃は最終的な成績も送られてきたので自分の順位などが分かったのですが、あれだけ頑張った択一はそこそこな成績で(全合格者の半分ちょい上くらい)、時間を割いていなかったはずの論文が良くできており、結果として全合格者の上位4%台に入るくらいの順位で合格できました。
(4)国家公務員試験も受験したクラスメイト
ロースクールは、基本的には司法試験を受験する人が通うところですが、私の頃には、若干名、同じタイミングで国家公務員採用総合職試験を受験する人もいました。
当時司法試験の対策だけでヒーヒー言っていた私には信じられないことでしたが、彼・彼女らに聞いてみると、国家公務員試験との併願はそんなに大変ではないとのことでした。
というのも、国家公務員になるための試験科目のうち、法律科目は、司法試験の受験勉強で完璧にカバーできるので、これについて別途準備をする必要がないからです。
なので、司法試験にはない科目の準備だけすればよく、しかもそれらの科目も、法律科目でかなり点数が稼げるのであまり点数が取れなくても合格点に達し得る、とのことでした。
私の頃(ロースクール3期生)は、国家公務員を志望する人の数は少なかったのですが、その後は弁護士の数が増えてきた関係で、就職先の多様化が進んでいます。公務員への道もその一つであり、ロースクール卒業生用の採用枠も用意されたりと、近年ではロースクール出身の公務員も増えてきています。
そのような人は、大学生からストレートで公務員になる人に比べ、2年しっかりとロースクールで法律を学んできているので、法律の知識や法的素養が身に付いていると言え、試験後の省庁の面接でも、法律に関係する業務についてアピールがしやすいようです。
(5)9月の司法試験合格発表後からの就職活動
司法試験の合否が分かり、成績が明らかになると、友人から、ストレートで合格し、成績も良かったのだから、就活をして自分の世界を広げてみるのも良いのではないか、とアドバイスを受けました。内定が出ても後で蹴ればいいだけだし、法律事務所もその前提で採用しているからそんなに大きな問題になりません。そこで、せっかく暇な時期でもあったので、大手法律事務所の就活に手を出してみることにしました。
正直、会社法だの海外案件だのということについてロースクール時代興味を持ったこともなく、また大したイメージもなかったため、これといった上手な志望動機が見つけられていなかったように思います。結果的にも、書類選考は通り、一次面接くらいまでは通るのですが、なかなかその先が通りませんでした。
内定が出ないまま、修習の希望地を提出する期限が迫ってきました。私の実家は東京付近でしたし、大・中規模の法律事務所はほとんど東京にあったので、地方修習だと面接のたびに東京に出なければならず大変だということもあり、東京を第一志望にしてしまいました。東京は、修習生の人数もやたら多く希薄になりがちで面白みがない修習地として有名でしたので、悲しい決断でもありました。
(6)11月後半からの修習開始
結局、修習地の希望は通り、11月の後半あたりから、東京で修習が開始しました。そうすると、12月の半ばころには都内の中堅事務所から内定をいただくことができ、あぁ、東京修習にする必要なかったな、と後悔したものです。
さて、修習というのは、大きく分けて、「実務修習」と「集合修習」に分かれます。実務修習では、弁護士、検察官、民事裁判、刑事裁判の各職場に3か月ずつ研修に行くものです。ここで法曹三者のそれぞれの仕事・雰囲気などを見て、自分の将来の進路を形成していく場でもあります。
私は最初民事裁判から始まりました。裁判所には、裁判官だけでなく、裁判所書記官や裁判所事務官といった公務員職の方が働いています。判決を書くことや細かい庶務まで、全員で裁判実務を運営・管理しており、チームワークが重要だと感じました。一番イメージと違ったのは、裁判官が全てを仕切って偉そうにしているのではなく、裁判所書記官と裁判官が対等な感じでいろいろ議論していたところでした。飲み会の席でもみんな仲良くわいわいやっており、(一つの部署の人数は少ないので、メンバーに強く依存しますが)楽しい職場だなと思いました。
次に検察修習に行きました。検察官も、検察事務官という「女房役」とも言われる人が付いて実務を回しています。検察事務官は、ドラマのHEROでいう松たか子・北川景子のポジションです。修習生という身分でしたので、いろいろ細かい質問があったのですが、それらに対応してくれたのは検察事務官でした。検察事務官も、本当によく事件のことを知っており、まさに二人三脚で事件を処理しているのがよく分かりました。
次に弁護修習に行きました。裁判官・検察官のような公務員と違って、弁護士は完全な私人ですので、いろいろ自由に楽しめました。裁判所・検察官の中にいてから、外に出て弁護士として裁判所書記官や検察事務官とやりとりするのも、面白い経験でした。
次に、集合修習です。集合修習は、各地に散らばっていた修習生が、埼玉は和光市にある司法研修所に集合し、そこでクラスに分かれ座学をし、いろいろな科目の起案をして、法的文書の作成能力を養成する修習です。
そして、この集合修習のときには、自分の答案にA~Fで成績を付けられる、なかなかシビアな時期でもありました。実務修習では楽しく弁護士先生に夜ご飯連れていってもらったりと気楽に過ごしていたのに、いきなり勉強モードです。
そして、伝統的にそうしてきたのでしょうが、優秀な答案を書いたものは、それをクラス内で発表されるという決まりになっていました。その後優秀答案に輝いた人の答案を参考に他のやつも勉強しろよ、という意味もあるのでしょうが、優劣をはっきり付けるのは日本の教育にしてはなかなかあからさまなものだなと思いました。
そして、結局優秀な人は優秀なので、いろいろな科目で優答に選ばれます。そこで自然とクラスメイトのレベルを知るのも、意外と良いものではありました(後々、弁護士を紹介してと頼まれたときに、あの人は優秀だから自信をもって頼める、という感じで。)。
私はというと、刑事裁判という科目では毎回優秀答案に選ばれていました。当時検察志望だったので刑事系に強いのは良いとして、なぜ検察科目ではなく裁判科目なのか不思議ではありましたが、感覚的に刑事裁判の方が圧倒的に楽しく書けていました。
(7)最後の関門、二回試験
さて、実務修習と集合修習が終わると、なんとまた試験があります。これに合格しなければ、弁護士にも検察官にも裁判官にもなれません。司法試験を受けた後の二回目の試験なので、通称「二回試験」と呼ばれています。
ただ、司法試験と違って、ほとんど落ちない試験と言われていました。ただ、ロースクールが出来て合格者数も増えたことにより、二回試験の不合格率はどんどん高まっている状況にありました。私はロースクール3期ですが、先代の1期、2期の時点で、例年にない数の二回試験不合格者が出ていたため、みんな気が気でない試験前を送るはめになりました。
ただ、結果的には3期生はほとんど不合格者を出さずに合格できました。私もある程度勉強してみたら、これは落ちる試験ではないな、と思いましたので、合格発表の日も特に見に行くこともなく、友達からの又聞きでいいや、という程度になってました。頼んだ友達が悪く、最初暗いトーンで「落ちてたよ」と報告されたりしましたが、実際はしっかり合格していました。
司法試験を終えて、法律家としての実務へ
(1)検察官ではなく弁護士へ
以上の司法修習を経て、最終的に、私は検察官ではなく弁護士になることを選びました。
一番大きい転換の理由は、残念ながら検察官の実務修習中に、検察にあまり良いイメージを持てなかったことにあります。もっと言ってしまえば、指導を担当する検察官があまり良くなかったので、「修習生をリクルートするために表に出す人材が、こいつ程度しかいないのか?検察という組織もたかが知れてるな。」と思ってしまったことが原因です。
これが理由で志望を変えた同期が何人かいます。ただ、逆に当初は志望していなかった人が検察になったりしていますので、好みは人それぞれということでしょう。
そうして、結局内定をもらった企業法務を専門に扱う中規模事務所で働き始めることになりました。
(2)弁護士から国家公務員へ
弁護士として働きだしてから数年後、私は出向という形で国家公務員として働き始めました。実は、国会公務員試験に合格してある特定の省庁に勤めることになっても、省庁間で人材交流が行われており、違う省庁に数年間勤めることができます。同様に、省庁は同じ法律職でもある弁護士からも人材を登用しており、私もその枠で公務員になりました。
そこでは、私のロースクールの後輩をはじめ、多くのロースクール出身の若手職員とも出会い、近時の法曹業界と公務員の世界の近さを実感することができました。
※出向という形での国家公務員について
弁護士や公認会計士などについて「特定任期付職員」という形で国が採用する制度があります。
具体的には、国家公務員一般職の任期付職員として定義され、「一般職の任期付職員の採用及び給与の特例に関する法律」に基づき給料は支給され、常勤の国家公務員として勤務し、国家公務員法に基づいた守秘義務や兼職制限等が他の国家公務員と同じように適用されます。
まとめ
現在も、ロースクール制度については小さな修正がたびたびされ、また大きく転換する可能性も出てきているなど、司法試験制度は安定しないままです。しかし、いつの時代でもその時代なりの大変さがあり、また、いつの時代でも勉強を頑張らなければ確実に受からない試験であることは間違いありません。
今回の私の勉強方法は、既に時代に合わなくなったものもありますが、核となる部分で今もなお参考にできる部分は多いかと思いますので、これが何らかの助けになれば幸いと思います。
また、ロースクール後の進路という観点からは、単に弁護士になって弁護士事務所で働くというだけではなく、一般企業の企業内弁護士になったり、国家公務員になったりと、多様化が進んできました。久しぶりにロースクールの同期と飲みに行ったら、三分の一が弁護士で、三分の一が企業内弁護士で、三分の一が国家公務員であったこともありました。
ロースクールという母体を介して、双方の垣根はどんどん低くなってきています。公務員になるためのいろんなルートがあることや、このような就職先の多様化についてもご参考になれば幸いに思います。
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