「サンシャインステート」とも呼ばれるフロリダ州は、アメリカ南部にあり年間を通して温暖な気候のため、リゾート地としても有名です。日本ではフロリダ州と言えばディズニーワールドやユニバーサルリゾートなどの観光地として広く知られています。
現代ではアメリカの観光地として有名なフロリダ州ですが、実はアメリカ大陸を開拓した人たちが初めて上陸した場所という歴史もあります。イギリスやスペインなどによって支配されていたこのエリアには独特の文化があるのです。
フロリダ州の特徴
2018年時点でのフロリダ州の総人口は約2,098万人で、10年ごとに200万人以上のペースで人口が増え続けています。カリフォルニア州、テキサス州に次いでアメリカで3番目に人口が多い州です。
白人種では、リタリア後の余生を送る人がフロリダ州に移住してきたりする一方で、キューバを始めとする南米諸国からの移民が移り住んでいることも人口増加の要因です。
フロリダ州はメキシコ湾や大西洋に囲まれた半島になっています。隣国のバハマやキューバとは海上に国境があり、西に広がっているパンハンドルと呼ばれるエリアと、南に伸びる半島部分があり、同じ州でありながら東部標準時間と中部標準時間のふたつの時間が存在しているのが特徴です。
フロリダ州の代表的な特徴として挙げられるのが気候でしょう。フロリダ州は、一年中晴れていて暑いと思われがちですが、南北に長い半島のため北部では秋になると紅葉が見られ、冬には風が吹いて体感温度が急激に下がることもあるほどです。
ユニークな点として、フロリダ州の四季の変化は気温ではなく、降水量で判断されることが挙げられます。春から夏にかけては雨が多く、秋から冬は雨が少ないためフロリダ州の人は雨が多くなると夏の到来を感じ、雨が減ると冬が始まるという感覚なのです。また、どの州よりも多い降水量は、ときに雷や雹なども引き起こすため自然災害が身近なことも特徴と言えるでしょう。
毎年6月から11月にかけてはハリケーンシーズンとされており、とくに8月から10月には巨大ハリケーンがフロリダ州を襲う傾向があります。フロリダ州は長い海岸線を持っているためハリケーンの被害を受けやすく、観測を始めた1851年以降、130以上のハリケーンがフロリダ州を襲い、2004年には一年間で4つのハリケーンが襲来し、450億ドル(約5兆円)の損害が発生したほどです。
近年では、日本人アスリートやジュニアアスリートがアメリカ国内に拠点を置く州としても知られています。とくにフロリダ州には、テニスやサッカーなどのトップ選手を育成し続けているIMGアカデミーがあることで有名です。
このように、フロリダ州は州の歳入を支えるリゾート地サービス、他州よりも気候や自然災害の影響を受けることなどが特徴と言えるでしょう。
フロリダ州の歴史
フロリダ州は、1845年にアメリカで第27番目の州として認められました。現在のフロリダ州の辺りには、1513年にスペイン人探検家のフアン・ポンセ・デ・レオンが白人として初めて足を踏み入れたとされています。
白人が開拓する前まではおおよそ35万人のインディアンが生活していました。入植したスペイン人が記録している限りでも100以上の集団、組織化されたものから個人の集まり程度のものなど多様なコミュニティが築かれていました。
18世紀初頭、フロリダ州で生活をしていたアイス族、トコバガ族などは一気に数を減らします。その背景には、アメリカ大陸での領土拡大を進める白人たちが北部のインディアンたちに物資支援を行い、フロリダのインディアンたちを強制的に追い出したためです。その際の行いは卑劣なものだったとされています。白人による開拓はインディアン同士が争う結果を生んでしまったのです。
後にアメリカ政府から絶滅部族の認定を受け、保留地を認められたセミノール族とミカズキ族が自らの保留地で観光産業を発起し、1979年にはインディアンカジノを開いて大成功を収めます。その後も、カジノ増設、ゴルフ場などを開き、今日のフロリダ州の観光産業の基礎を築きました。
1521年、スペイン人のフアン・ポンセ・デ・レオンは開拓を始めるために再びフロリダに上陸しますが、インディアンによって返り討ちにされます。 1539年には、スペイン人エルナンド・デ・ソトが率いる620名の開拓者が上陸します。これを後に「フロリダ侵略」と呼びます。
このときの様子を出版したものがフランスにも伝わり、フランスまでもフロリダに目をつけるようになります。慌てたスペインは1562年に遠征隊を派遣し、1565年にセントオーガスティンが築かれ、実質的にスペイン統治に成功します。このことは、アメリカの植民地歴史のなかで最も古いヨーロッパ人による開拓ということでもあります。
17世紀にはイギリス人開拓者たちがフロリダを制圧しようと南下、同時にフランス人たちもやってきます。この際に、スペインに味方するインディアンは迫害され、セントオーガスティンの街は壊滅状態になり、1719年にはフランスが占領します。
その後もイギリス、フランス、スペインがフロリダを巡って争いを繰り返しますが、1763年にはイギリスが占領し、約30,000人のスペイン人はフロリダから姿を消します。
アメリカ独立戦争ではフランスとスペインがイギリスに勝利し、フロリダの地は再びスペインのものになります。しかし、そこには僅かなスペイン人しかいませんでした。
スペインはフロリダの地に開拓者を呼び込むため土地の無償提供を提案しますが、集まったのは領土を広げたい一心の白人か、アメリカに復讐を狙うインディアンだけでした。これに怒ったイギリス人開拓者たちによって反乱が起き、1810年まで「西フロリダ自由と独立の共和国」が続きます。
結局、フロリダの土地は第10代大統領のジェームズ・マディソンによって、フランスから広大な領土を購入した「ルイジアナ買収」の一部であることが宣言され、アメリカに併合されました。1822年には準州になり、1845年に州として認められました。その後、南北戦争の際には一旦独立をしますが、1868年に再びアメリカ合衆国へ再加盟しています。
いまでこそ平和な雰囲気のフロリダ州ですが、アメリカ大陸のなかで最も古くからスペイン、フランス、イギリスを巻き込んだ複雑な領土支配の歴史があったことを知っておくといいでしょう。
フロリダ州の政治情勢
フロリダ州は2012年の大統領選では民主党を支持していましたが、2016年には共和党を支持する結果になりました。もともと、南部の州は他州より保守的な共和党を支持する傾向がありますが、珍しく民主党を支持する州のひとつでした。しかし、2016年の選挙では南部らしく共和党を選んでいます。
保守的な南部でありながら票がブレる背景には、移民が多いことや好調な商業が影響しているとされています。不景気には弱者である移民に優しい方が評価されがちですが、好景気の際には観光産業を加速させる政策が好まれます。フロリダ州では、弱者救済よりも経済優先が好まれることもあるのです。
フロリダ州の経済
フロリダ州の失業率は3.7パーセントで、アメリカの平均値よりも低い水準です。フロリダ州の経済を支えているのはサービス業で、ホテル、レストラン、カジノ、ゴルフ場など人手が必要な産業が多いことから失業率が低い傾向にあるとされています。
観光産業に次いで農業も盛んで、とくにオレンジやグレープフルーツなどの柑橘類果実は60パーセント以上を占めています。アメリカのオレンジジュースの95パーセントはフロリダ州産の物が使われているほどです。
フロリダ州の税金
2018年時点で、フロリダ州の消費税は6.8パーセントです。地方税が0.8パーセントで、州税が6パーセントの内訳です。南部の州のなかでは消費税率が低い州とされています。
フロリダ州では個人への所得税はかかりません。豊富な観光産業や農業からの歳入が大きく影響していますが、アメリカ国内において貧富の差が激しい州のひとつであり、クレジットカード滞納率がアメリカのなかで2番目に高い州であることも事実です。
フロリダ州の銃や薬物問題
フロリダ州では医療目的でのマリファナの使用は容認されています。娯楽目的のマリファナは違法ですが、慢性的な薬物問題を抱えている州でもあります。南米からのコカインや、中国からの新種の薬物密輸は観光産業の影で蔓延しています。
フロリダ州の銃による被害者は10万人に対して25名程度の割合ですが、購入のしやすさや保有率、銃が関連した軽犯罪の発生率が高いことから、銃規制のランクは最低ランクの「F」とされています。
フロリダ州の教育または宗教事情
フロリダ州はアメリカのなかで7番目に高い教育水準とされています。2年制、4年制いずれも卒業率が高く、学費の安さ、低所得者層の卒業率の高さでも高水準です。一方で、高校生よりも下の教育機関の教育水準は最低レベルにあるとされています。
フロリダ州ではキリスト教が最も多く、80パーセントを占めています。他州と比較してフロリダ州独特のケースなのが、ヨーロッパ系のローマカトリック教徒が多いことです。
まとめ
フロリダ州は、アメリカ最古のヨーロッパ白人種が開拓した土地という歴史があります。
現在では恵まれた気候を生かした観光や農業などの産業が盛んですが、開拓の際には非常に複雑な歴史があったことを覚えておくといいでしょう。
コメント