アメリカ大陸にやってきたイギリス人たちが最初にイギリスから独立を果たした場所が「ニューハンプシャー州」です。アメリカの北東部にあり、カナダと面している同州はニューイングランドと呼ばれるアメリカ北東部を構成している州のひとつです。
ニューハンプシャー州を言い表す言葉として「Live Free or Die」があります。同州の自動車のナンバープレートにも刻まれているこの言葉は「自由に生きるか、死ぬか」や「自由に生きられないなら死ぬ」という意味が含まれており、ニューハンプシャー州を作った人たちの自由への執着心を表しています。
今回は、アメリカのなかでも特に自由への思い入れが強いニューハンプシャー州についてご紹介します。
ニューハンプシャー州の特徴
2018年現在、ニューハンプシャー州の総人口は約134万人です。第二次世界大戦が終わった1945年頃から1990年頃まで人口は右肩上がりで増え続けましたが、州の面積がアメリカで46番目の狭さということや、雇用を生んでいた工業の低迷で人口増加は落ち着いています。
州民の94パーセントは白人とされており、メイン州、バーモント州に次いで白人が多い州として知られています。白人のなかで最も多いのはフランス系とアイルランド系で、1800年頃から始まった同州での工業化の際にヨーロッパからアメリカにやってきた人たちの子孫です。そのため、フランス文化が根強く、同州のコーアス地方では20パーセント近くの人がフランス語を使って生活しています。
ニューハンプシャー州が最も注目されるのは4年に一度行われる大統領選の時です。大統領選の予備選挙がアメリカ50州で最初に行われる場所であるため、ニューハンプシャー州の結果が後に続く選挙に大きく影響を与えるとされています。さらに、アメリカのなかでもひときわ独立心が強いとされる州が、民主党または共和党のどちらに傾くかは予想以上に影響を与えると言われています。
日本とニューハンプシャー州の接点のひとつとして「ポーツマス条約」が挙げられます。日本とロシアの間で締結した日露戦争の講和条約は、1905年にニューハンプシャー州ポーツマス海軍造船所で30日間、17回の会議によってまとめられました。
日露戦争の終結は第三国であったアメリカのニューハンプシャー州で迎えたのです。ちなみに、ポーツマス条約が締結した9月5日はニューハンプシャー州では公式の記念日とされており、会場となった場所には歴史遺産を守るための記念館があります。これらはアメリカ政府や有志によって守られています。
ニューハンプシャー州の北部にはホワイト山地があり、ここにある山の一部には歴代の大統領の名前が付けられています。アメリカ北東部最高峰のマウント・ワシントン(1,917メートル)は異常なまでの激しい気象で知られており、瞬間最大風速103メートル/秒という記録があります。
あまりにも危険だったため先住民族は「偉大な精神を持った場所」としていました。現在では頂上付近に気象観測所が設置されていますが「世界最悪の気象観測所」と言われています。ただし、夏の期間はハイキングやレジャーに訪れる人も多く、州の観光産業を支えています。
このように、ニューハンプシャー州はイギリスから最初に独立を果たした強い独立心を持った州であり、その誇りは現代にまで継承されています。また、日本にとってポーツマス条約の舞台になった関係深い場所でもあります。
ニューハンプシャー州の歴史
ニューハンプシャー州は、1788年にアメリカ合衆国9番目の州になりました。1600年頃にイギリス人やフランス人の探検家たちがこの地を初めて訪れ、1623年にはイギリス人漁師がポーツマス近くのオディオーンズ・ポイントで生活を始めました。1631年には現在のドーバー市に恒久的な開拓地が築かれ、漁業を中心にして栄えていきました。
イギリスから次々にやってきた漁師たちによって新たな町が築かれていきましたが、1639年にはそれらを統合し、隣接するマサチューセッツ港植民地と合併します。マサチューセッツの管下になったニューハンプシャーで統合された町は「ポーツマス」と名乗ることを議会に提案し認可されました。
しかし、1679年にはイングランド王によって植民地は分断され、ニューハンプシャー側はイギリスの王室領になります。1686年には再び合併しますが、1691年には再度分断され1698年まで王室領として振り回される結果になりました。イギリスの介入によりニューハンプシャーで生活をしていた人たちはイギリスに反抗心を抱くようになっていきます。
1774年、ニューハンプシャーの愛国者たちはイギリス軍の拠点だったウィリアム・アンド・メアリー砦を攻撃し、イギリス軍から大量の弾薬や武器を奪い取ることに成功します。この時に奪った武器などは半年後に起こったバンカーヒルの戦いで役立ち、愛国者によって結成された「大陸軍」は、本格的にイギリス軍を相手にアメリカ独立戦争を仕掛けることになるのでした。
大陸軍のひとつだったニューハンプシャーですが、最初にイギリスから独立を宣言し、後にアメリカ合衆国となる13植民地のひとつになりました。また、アメリカ合衆国が独立宣言をする半年前の1776年1月には州憲法を批准し、アメリカで独自の州憲法を持った初めての州になりました。
1776年7月4日、13植民地はイギリスからの独立を宣言し、アメリカ合衆国が誕生します。1788年6月21日、ニューハンプシャーはアメリカ合衆国憲法を9番目に批准し、憲法成立を決定付けました。ニューハンプシャーはイギリスからの独立、アメリカ合衆国の憲法成立の際の中心的存在だったのです。
1852年の大統領選の際にはニューハンプシャー州出身のフランクリン・ピアースが第14代大統領に就任します。ニューハンプシャー州では一般人の地位を向上させたとされる「ジャクソン流民主主義」が主流でしたが、フランクリン・ピアースは奴隷制度拡大や、南北戦争においては南軍を支持するなど不器用な政策を繰り返し「史上最悪の大統領」と評されるようになりました。
誠実で真面目だったものの、自身の短所を理解できなかった人物として、他州よりも自由を愛するニューハンプシャーでは厳しい目を向けられてしまったのです。そして、この頃から同州では繊維産業や靴製造業を中心に工業化が進み、1960年頃までアメリカの経済を牽引しました。
世界大恐慌以降、州の北部は観光産業、中央部ではハイテク関連事業が盛んになっていますが、他州と比較して州の歳入に結びつく産業に偏りがあるため税収は少なく、国内最高レベルの資産税が課せられています。
このようにニューハンプシャー州は、アメリカ合衆国の前身である13植民地の先駆けであり、イギリスからの独立の先陣を切った存在でした。その後も民主主義を貫き、どの時代も自由を求めてきた州と言えます。
ニューハンプシャー州の政治情勢
ニューハンプシャー州では2012年、2016年の大統領選ではいずれも民主党を支持しています。自由のイメージが強い同州ですが、選挙の際には接戦州のひとつでもあり、票の動向には大きな注目が集まります。2008年には同州議会の上院議員24名のうち13名が女性になったことが話題を呼び「ニューハンプシャー州=リベラル」という印象をアメリカ国民に植え付けました。
ニューハンプシャー州の経済
2018年時点、ニューハンプシャー州の失業率は2.6パーセントです。アメリカの平均値である4.1パーセントを大幅に下回っています。1945年以降は、繊維産業を中心にして発展してきましたが、1960年には多くの工業は人件費の高騰や海外生産などが原因で失速しました。工業に変わる主産業がいまだに安定していないのが州の課題です。
ニューハンプシャー州の税金
2018年時点、ニューハンプシャー州の消費税は課せられていません。アメリカ北東部ではデラウェア州とニューハンプシャー州だけが消費税を導入していません。また、所得税も課せられないことから一般人にとっては非常に恵まれた環境と言えます。一方で、外食、宿泊、タバコ、酒、資産、投資など様々な分野で税が発生するため一概に良いとは言い切れない側面もあります。
ニューハンプシャー州の銃や薬物問題
ニューハンプシャー州では医療目的に限りマリファナは合法です。隣接するメイン州やマサチューセッツ州では全面解禁されており、リベラルな風潮のニューハンプシャー州がどのようになるか注目されています。
ニューハンプシャー州では銃への取り組み格付けは「D」とされています。州民10万人に対して銃犯罪の犠牲者数が9名とアメリカ北東部の平均よりも高くなっています。
ニューハンプシャー州の教育または宗教事情
ニューハンプシャー州の教育水準は全米で4位です。4年制大学の高い卒業率を始め、幼児教育の水準が高いことで知られています。ポーツマスには1827年に開校したポーツマス高校や、150年の歴史があるニューハンプシャー大学など名門校が揃っています。
ニューハンプシャー州の宗教はキリスト教が多いものの、23パーセントの人が「信仰心が強い」回答し、52パーセントが「無宗教」と回答しています。他州と比較して明確に信仰心の違いが浮き彫りになっています。
まとめ
ニューハンプシャー州は自由と独立の先駆けであり、現代でもリベラルな文化が色濃く残っています。「自由の国、アメリカ」と呼ばれる根幹はニューハンプシャー州の歴史からもよく分かります。
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