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【アメリカ州制度】アメリカ初の成文憲法を作った州「バーモント州」解説

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バーモント州


アメリカ北東部、カナダとの国境に面しているバーモント州はアメリカ合衆国の前身である13植民地以外で初めて合衆国に加わった州で、アメリカで最初に奴隷制度を廃止した州でもあります。独立心が強く、一時期は共和国として存在していたほどの歴史があり、現在でも誇り高いフランス系アメリカ人が多く生活しています。

13植民地以外で初めに合衆国に加わったバーモント州は他州とは異なる精神や歴史が特徴です。そこで今回はユニークな経歴を持っているバーモント州についてご紹介します。

目次

バーモント州の特徴

2018年現在、バーモント州の総人口は約62万人です。州民の95パーセントが白人で、他州よりも遥かに黒人やヒスパニックが少ないことが特徴です。州の面積は全米で45番目、人口の多さは49番目のため非常にコンパクトな州と言えるでしょう。もともと、バーモントはフランス系移民が開拓した場所だったため現在でもフランス系アメリカ人が多く暮らしています。

州名のバーモントは諸説あるものの、フランス語で緑の山を意味する「les Verts Monts」に由来すると考えられています。同州には雲母や緑泥石などの緑を含んだ鉱物が豊富なことや、深い緑色をした森林に覆われていることなど「緑」と関係が深いことが特徴です。それを象徴するようにバーモント州の車のナンバープレートは緑色をしています。

実際にバーモント州にはグリーン山脈と呼ばれる山地や森林が多く、州の愛称は「Green Mountain State」です。州の土地の約75パーセントは森林とされ、景観や自然環境を保護するために厳しい条例が定められています。また、アメリカで消費されるおおよそ35パーセントのメープルシロップはバーモント州で生産されています。

恵まれた自然環境を生かした観光産業は州の主要産業で、州の総生産(GSP)の30パーセントを占めています。なかでも秋から冬にかけての観光産業はとくに盛んで、絵葉書の世界と称される紅葉や、スキーなどのウインタースポーツを楽しむ人が多く訪れます。同州のキリントンという街は、スキー競技のオリンピック選手たちの合宿地としても知られており「ニューイングランド最大のスキー都市」です。

バーモント州は州に昇格する以前はバーモント共和国でした。ニューハンプシャー植民地やニューヨーク植民地の開拓者たちがバーモントの土地も開拓しようとした際にバーモントの人たちは抵抗しました。その際に活躍したのが、後にアメリカ建国の父としても知られることになるイーサン・アレンが率いた非民兵組織のグリーン・マウンテン・ボーイズです。

バーモントの人たちは抵抗を続けてバーモント共和国を設立し、結果的に1777年から14年間独立した国として存在しました。このような歴史からバーモントの人たちは正義感と独立心が強いと言われています。ちなみに、バーモント共和国憲法は代議員だったイライジャ・ウエストが所有していたウィンザー酒場で4日間議論され批准に至りました。酒場だったこの場所は現在でも州の歴史的価値がある場所として維持されています。

バーモント州は共和国として存在していた歴史があり、現在では美しい自然や景観美を生かした観光を主産業にしている観光州であることが特徴です。

バーモント州の歴史

バーモント州は、1791年にアメリカ合衆国14番目の州になりました。最も特徴的なこととして、アメリカ合衆国の前身である13植民地以外の土地として初めて合衆国に加盟したことが挙げられます。州に加盟する以前は独立した共和国として14年間存在していました。

バーモントの周辺一帯ではモヒカン族などのインディアンが狩猟をしながら生活していました。1500年時点でおおよそ1万人のインディアンが暮らしていたとされています。1535年、フランス人探検家のジャック・カルティエがこの地を訪れたことが初めての白人到来とされ、1609年にはフランス人探検家のサミュエル・ド・シャンプランがこの一帯をフランスの領土と宣言しました。


1666年、シャンプレーン湖周辺にフランス人によってサンタン砦が築かれ、本格的に白人の入植が始まります。フランス人だけでなくオランダ人もやってくるようになり、交易の拠点が次々に作られていきました。後にバーモントを支配するイギリスは1724年になって初めて入植地を築きました。

バーモントを含む一帯にフランス人が築いた入植地は「ヌーベルフランス」と呼ばれ、1755年にイギリスとフランスはヌーベルフランスを巡って戦争を始めます。フランス軍にも、イギリス軍にもそれぞれを支持するインディアンの部族が加勢し、三つ巴状態となりますがイギリスが勝利し、1763年にパリ条約が結ばれ終結しました。

これによりバーモントを含むヌーベルフランスはイギリスに割譲されます。バーモントにはマサチューセッツ湾植民地、ニューヨーク植民地、ニューハンプシャー植民地などから開拓者が集まりました。それぞれの植民地がバーモントの領有権を主張し争いが起こりましたが、もともとバーモントで生活していた人たちを守り、入植に抵抗したのがイーサン・アレンが率いたグリーン・マウンテン・ボーイズです。

1777年、バーモントはバーモント共和国として独立することを宣言します。その際に制定された憲法では、奴隷制度の廃止、公立の学校を設立、そして土地を所有していない男性にも選挙権を与えるという内容が含まれていました。当時としては画期的だったバーモント共和国の憲法はアメリカ初の文章化された成文憲法です。

1791年、バーモント共和国はアメリカ合衆国へ14番目に加盟します。13植民地以外からは初めての州昇格でした。後の1795年に15番目に加盟することとなるケンタッキー州も同時期に昇格を検討していましたが、ケンタッキー州は奴隷制度を支持する州だったため、奴隷制度を廃止したバーモントを先に昇格させ、均等を保つためケンタッキー州を後にまわしたとされています。

1861年、南北戦争の際にはバーモント州は奴隷制度撤廃を支持する北軍に加勢し、34,000人の兵を送りましたがそのうちの15パーセントが戦死し、どの州よりも犠牲者の割合が多かった結果になりました。

早い段階から奴隷制度撤廃の立場を明確にしていたバーモント州ですが、インディアンに対しては冷たい一面があり、2006年には同州で生活するアベナキ族を「インディアン」としては認めましたが、政府が生活を援助する「部族」としては認めない曖昧な判決を下したことは有名です。

バーモント州は共和国として独立した歴史がありますが、その背景には奴隷制度撤廃や平等な選挙権など、自由と平等に基づいた精神があったのです。

バーモント州の政治情勢

バーモント州では2012年、2016年の大統領選の際には民主党を支持しています。これまで同州は圧倒的に共和党が強いとされてきましたが、1992年以降は民主党が勝利しており、1992年を境にして明確に支持政党が移行しました。この背景にはニューヨークなどのリベラルな場所から移住してきた人が増加したことが関係しています。

バーモント州の経済

2018年時点、バーモント州の失業率は2.8パーセントです。他州と比較して失業率は低く、それを支えているのが主産業である酪農と観光業です。観光業は州総生産(GSP)の30パーセントを占めており、全米で最大の割合です。

ちなみに、ハウス食品の「バーモントカレー」はリンゴと蜂蜜で有名ですが、実際にはバーモント州はリンゴとメープルシロップが有名であり、カレーと同州は直接的な関係はありません。ハウス食品が同州発祥のリンゴ酢と蜂蜜を使った「バーモント民間治療」と呼ばれる治療からヒントを得て作ったものです。

バーモント州の税金

2018年時点、バーモント州の消費税は6.18パーセントです。連邦税が6パーセントで、地方消費税の平均が0.18パーセントです。個人の所得税は3.6から9.5パーセントの累進課税制で、個人の所得に対する税負担は全米トップクラスです。所得上位の1パーセントが州の所得税による歳入の30パーセントを占めています。また、同州では相続税や贈与税はかかりませんが、資産税がかかることが特徴です。

バーモント州の銃や薬物問題

バーモント州は2018年1月にマリファナの使用を合法化することを決定しました。カリフォルニア州のように税収の増加などを理由にしたのではなく「個人の自由」を主張したことで注目を集めました。ただし、マリファナの販売は禁止されています。

バーモント州は全米で最も規制が緩い州として知られています。しかし相次ぐ学校での銃犯罪や銃規制の流れを受け、銃を厳しく規制する方針に急遽転換しました。わずか2週間の間に銃規制が最も緩い州が、銃を厳しく規制すると言い出したことは話題になりました。

バーモント州の教育または宗教事情

バーモント州の教育水準は全米で8番目に高いとされています。2005年と2006年には全米で最も賢い州とされ、高校卒業率は91パーセント、4年制大学卒業率は34パーセントといずれも全米平均を上回っています。


バーモント州は全米で最も宗教心が薄いとされています。実際に無宗教の人は州民の35パーセントを占めており、他州の平均よりも10パーセント近く上回っています。モルモン教の創始者ジョセフ・スミス・ジュニアは同州出身のためモルモン教徒も大勢います。

まとめ

バーモント州は独立心や自由の精神が強く、それを実現してきた州と言えるでしょう。なかでも共和国を築いたことや、アメリカ初の成文憲法を作ったことはアメリカ史を知るうえで重要です。

本記事は、2018年9月24日時点調査または公開された情報です。
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この記事を書いた人

公務員総研の編集部です。公務員の方、公務員を目指す方、公務員を応援する方のチカラになれるよう活動してまいります。

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