「アメリカのサマーリゾート」という愛称を持つメイン州は、かのブッシュ大統領ファミリーが休暇を過ごす場所であったり、アメリカの水産業の拠点でもあり、アメリカ人にとっては身近な州のひとつです。
アメリカ史においては、フランス、イギリス、インディアンの3者が100年以上に渡り土地を巡って争いを続けた中心地です。今回は、現代では平和なリゾート地でありながら、激動の歴史があるメイン州についてご紹介します。
メイン州の特徴
2018年時点でのメイン州の総人口は約133万人です。州の西側はカナダとの国境に面しており、モントリオールまでは州都のオーガスタから車で5時間程度の距離です。州の最大都市はポートランドで、アラスカ州を除いてアメリカ大陸のなかで最北に位置する州です。最北端に位置していることから、アメリカで最初に日の出が見られる場所としても知られています。
メイン州は、アメリカ南部と比較して白人の比率が非常に高く、州民の95パーセントは白人とされています。その多くの先祖はフランス系かイギリス系であることが特徴です。そのため州内ではわずかながらフランス語が用いられることもあります。
メイン州はアメリカ大陸最北端で大西洋に面しているため、古くから船を使った交通や漁業の中心地でした。また、氷河期に出来たとされる大小6,000以上の湖沼や、全長3,500マイル以上のフィヨルド式海岸線も特徴です。
この恵まれた自然環境を活かして、近年ではリゾート地や観光地として広く知られています。また、ポートランド港は鉄道を結びつけて国内外への物流の拠点として発展してきました。1950年頃までは不凍港として通年で機能していたポートランド港は、隣国のカナダの物流も支え、カナダに対しても重要な役割を果たしてきました。
1900年代、漁業はメイン州の主産業でした。主にロブスター、ウニ、海苔などは一級品とされており、海外はもとよりアメリカ国内で営業している日本食レストランにも流通しているほどです。
アメリカ人にとってメイン州と言えば、ブッシュファミリーを思い浮かべる人がいるほど、彼らが愛した場所です。第41代大統領を務めたジョージ・H・W・ブッシュ(通称 パパ・ブッシュ)はメイン州のケネバンクポート海岸に別荘を持っており、国際的な非常事態でも別荘で優雅に過ごす姿を世間に見せつけるというパフォーマンスに使用していました。
第43代大統領を務めた息子のジョージ・W・ブッシュは、1976年にメイン州の父親の別荘付近で飲酒運転で逮捕された経歴があります。1978年までメイン州の運転免許を停止されたため、ジョージ・W・ブッシュにとっては苦い思い出の地です。
このようにメイン州は、主に海洋に関連した産業で成長を遂げた州であり、現在でも恵まれた自然環境を活かした産業が続いています。
メイン州の歴史
メイン州は、1820年に23番目の州として認められました。もともと紀元前3,000年からアベナキ族、パサマクォディ族などのインディアンがこの地で生活をしていました。インディアンと白人がメイン州の地で初めて接触したのは1604年にフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランがこの地を訪れた時だとされています。
すぐにフランス人やイギリス人による開拓が始まりますが、冬の厳しい気候や食料不足、インディアンの抵抗などもあり思うように進みませんでした。インディアンたちはヨーロッパからの開拓者を次々と返り討ちにしますが、土地を巡ってインディアン同士でも争いが起こるようになり、メイン州で生活をしていたインディアン達は、フランス寄りかイギリス寄りかで分かれるようになっていきました。
インディアンの部族それぞれがフランスかイギリスにつくかどうかは、この後に起こるフレンチ・インディアン戦争に影響しました。1755年には、フランスとイギリスの対立は悪化し、アメリカ大陸の北東側を中心にして戦争が起こります。(フレンチ・インディアン戦争)
結果的に勝者となるイギリスからすれば、フランスとインディアンの連合軍と戦った戦争という見方ですが、イギリスに同盟していたインディアン部族もいるため、この戦争の名称は「七年戦争」や「第四植民地戦争」などフランスやカナダ、イギリスで呼び方が異なります。
アメリカ大陸を舞台に行われたこの戦争は1760年に終わりますが、飛び火したヨーロッパ各地での争いは1762年まで続きました。最終的に1763年、講和という形で終結し(1763年パリ条約)イギリスはメイン州を含む「ヌーベルフランス」と呼ばれたアメリカ大陸のフランス領を手に入れ、敗れたフランスにはカリブ諸島の一部が与えられました。また、この際にスペインはフロリダをイギリスに譲る代わりに、キューバとルイジアナを手に入れ、アメリカ大陸の支配図は大きく変わりました。
1775年にはアメリカ独立戦争が起こります。イギリス本国と13植民地(後のアメリカ合衆国)が、イギリス支配からの独立をかけて争います。1776年7月4日、13植民地はアメリカ独立宣言をし、正式にアメリカ合衆国が誕生します。
圧倒的な勢力で海岸沿いを制圧したイギリス軍でしたが、兵士の数が足りずに内陸まで攻め込めぬまま、フランスの援護を受けたアメリカ合衆国に降伏させられてしまいます。1783年、イギリス政府はアメリカ独立戦争の終結と13植民地(アメリカ合衆国)の独立を承認しました。(1783年パリ条約)メイン州はこの独立戦争での激戦地でもありました。
1818年、奴隷制度を巡ってアメリカは大きく揺れます。当時のアメリカは22州で構成されており、奴隷制度を認める「奴隷州」11州と、奴隷制度を認めない「自由州」11州に二分されていました。そこにミズーリ準州が奴隷州として州への昇格を求めたのです。仮に、ミズーリ州を奴隷州として昇格させてしまうとバランスが崩れてしまう懸念がありました。
これを受けてアメリカ政府は、ミズーリ州を奴隷州として昇格させるのと同時に、自由州としてメイン州を作りバランスを保つことにしたのです。また、北緯36度30分線より北には奴隷州を置かないことも付け加えました。このことを「1820年のミズーリ妥協(Missouri Compromise)」と呼びます。
このようにメイン州にはフランスやイギリスとの争いの舞台であったり、アメリカ独立戦争の主戦場、奴隷州と自由州のバランスを保つための妥協案で生まれたという歴史があるのです。
メイン州の政治情勢
メイン州では2012年、2016年いずれの大統領選でも民主党を支持しています。自由州の歴史が長いため民主党が支持されることが多く、2012年にはアメリカのなかでもいち早く同性婚を認めた州のひとつでもあります。
ちなみに、ブッシュファミリーの別荘があったことで知名度を上げたメイン州ですが、選挙結果を見る限りは共和党のブッシュ氏が支持されることはありませんでした。
メイン州の経済
2018年時点、メイン州の失業率は3.0パーセントです。アメリカの平均値4.1パーセントを大きく下回っています。メイン州は海洋都市として発展してきたと同時に、鉄道と海を結ぶ流通経路を確立させました。ポートランド港の荷物はそのまま鉄道でアメリカ各地とカナダに運ばれ流通しました。
内陸部ではブルーベリーやリンゴの栽培が盛んで、なかでもブルーベリーはアメリカの90パーセントのシェアを占めています。水産業や農業と共に発展してきたものの、近年ではメイン州に拠点を置く企業は減りつつあります。
メイン州の税金
2018年時点で、メイン州の消費税は5.5パーセントです。メイン州の多くの地域で地方税が課せられないため、他州よりも消費税率は低いと言えるでしょう。一方で、宿泊や飲食、レンタカーなどには7パーセント以上の税率がかかるため、観光客には税負担が大きいと言えます。
所得税は2パーセントから8.5パーセントの累進課税制を採用しています。また、州の主産業でもあるブルーベリーの収穫量に合わせた税金もあり、1ポンドにつき1.5セント徴収されます。
メイン州の銃や薬物問題
メイン州は2016年にマリファナの嗜好品としての利用を合法化しました。マリファナの合法化はメイン州に限ったことではありませんが、他州と比較して所有が許される量が2.5オンス(約71グラム)と倍以上多いことが特徴です。
メイン州の銃に対する取り組みグレードは最低ランクの「F」とされています。購入時のバックグラウンドチェックがなく、銃犯罪による犠牲者の割合が高いことが関係しています。ただし、2016年にマリファナを解禁したことで犯罪は減少するという見方もあるため、メイン州の犯罪率や銃犯罪の数値は国内で注目されています。
メイン州の教育または宗教事情
メイン州の教育水準はアメリカの平均以上で、なかでも小学校以前の幼児教育においてはアメリカで6番目に高いとされています。また、リベラルアーツと呼ばれる教養系でトップクラスの大学が多くあり、ボウディン大学やコルビー大学など国内では知られた大学があります。
メイン州の宗教はキリスト教が80パーセントですが、宗教への関心や信仰心の調査の度に「無宗教」や「宗教に関心がない」と答える人が増えています。事実、無宗教の人は17パーセントと他州よりも高い数値です。
まとめ
メイン州は現代ではリゾート地の印象が強い場所ですが、歴史を振り返ると度々戦争の舞台になった背景があります。また、1820年のミズーリ妥協によって誕生した州であることは知っておくべき事実と言えるでしょう。
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