アメリカの秘境と言われるノースダコタ州はアメリカ大陸中央の最北端にあり、カナダとの国境に面しています。日本列島の半部程度の面積があるにもかかわらず、人口は僅か75万人程度で、過去数十年人口の増加がほとんどないほどです。
アメリカ人でも訪れることがないとされるほどのノースダコタ州ですが、手つかずの大自然やインディアンの拠点、さらにはドイツ系移民と深い関係がある場所です。今回は日本人にとってあまり馴染みがないノースダコタ州をご紹介します。
ノースダコタ州の特徴
2018年現在、ノースダコタ州の総人口は約75万人で、ワイオミング州、バーモント州に次いで全米で3番目に少ない人口とされています。広大な土地には野生の馬などが生息しており、ワイオミング州とノースダコタ州は人よりも野生動物の方が多いと揶揄されるほどです。
州民の90パーセント以上は白人で、他州に多い黒人やヒスパニックは2パーセント以下です。一方で、インディアンを先祖に持つ人は5パーセント以上いるとされており、ノースダコタ州はインディアンの文化が色濃く残っていると言えます。また、州民の白人の半数はドイツ系かノルウェー系とされています。
州名の「ダコタ」はインディアンのスー族の言葉で「仲間」や「友」を意味します。この地で生活をしていたインディアンは厚いもてなしの心を持っていたとされ、古くから伝わる「パウワウ」と呼ばれる踊りや楽器の演奏は現代でも継承されており、ノースダコタ州はインディアンの文化が他州よりも根強い場所と言えるでしょう。
しかしながら、歴史を振り返るとノースダコタ州のインディアンはアメリカ政府によって土地や文化を奪われた過去があり、現代においても保証を巡って争いが続けられています。なかでも、1951年に同州に建設された「ギャリソン・ダム」はマンダン族、ヒダーツァ族、アリカラ族が築いた農地や生活拠点をダム底に沈め、これらの部族は生計を立てる術を失くしました。
ノースダコタの地で生活をしていたインディアンの多くはアメリカ政府によって他州へ強制移住あるいは絶滅したと判定され、生活を保証されることはありませんでした。現在ではごく少数の部族の子孫がインディアンカジノを経営し、カジノが唯一の収入源になっています。
ノースダコタ州は国内においてインディアンの文化が根強く残る場所ですが、アメリカ政府はインディアンに対しては冷遇を続けており、残されたインディアン部族はアメリカインディアン協会(SAI)を立ち上げ、インディアンの権利を守ろうと現在も活動しています。この団体は全国的な活動をしていますが、ノースダコタ州やサウスダコタ州は活動の拠点とされています。
ノースダコタ州は人口が少ないことや冬の厳しい気候などが影響し、多くの自然環境が手つかずのまま残っており、それらは州の貴重な観光産業の要でもあります。なかでもセオドア・ルーズベルト国立公園の砂岩層は自然が作り出した貴重な造形美として毎年50万人以上が訪れる名所です。
また、アメリカで2番目に大きなカスター州立公園は野生動物保護区に指定されているため、公園内の道路を車で走っているとアメリカバイソン(バッファロー)やコヨーテ、プレイリードッグなどに遭遇できるとして人気があります。
このようにアメリカの秘境と言われるノースダコタ州は、国内でも有数のインディアン文化が継承され、たくさんの自然が残されている場所なのです。
ノースダコタ州の歴史
ノースダコタ州は、1889年にアメリカ合衆国39番目の州になりました。1738年に白人がこの地を訪れるまではマンダン族やスー族など多くのインディアンがこの地で生活をしていました。この地を初めて訪れた白人とされるフランス系カナダ人のラ・ヴェランドリエは、農業やミズーリ川を通じて他部族と交流し発展していた姿に驚いたとされています。
多くのインディアンは白人が土地を支配しようとしていることを察知し、白人との交易を控えていました。この状態は1804年にルイス・クラーク探検隊がこの地を訪れるまで続いたとされています。
これよりも先の1803年に、アメリカはフランスから現在の15州分に相当する広大な土地をフランスから1,500万ドルで買収(ルイジアナ買収)します。そのなかにノースダコタの一部も含まれていました。これにより開拓者が東から押し寄せ、インディアンは自分たちを守るために白人から武器を手に入れ、毛皮を渡すという交易を始めました。
1820年、ヨーロッパから伝わった天然痘が流行し、ノースダコタのインディアンの大半は命を落としてしまいます。少数部族では生きていけなくなり、少数部族同士で連合を組むようになりました。ヨーロッパを相手にした毛皮の交易は活発化し、1850年頃には同州の州都となるビスマークに蒸気船の拠点が作られ、人も物も流通するようになります。
1861年、現在のノースダコタ州とサウスダコタ州の土地は「準ダコタ州」になります。準ダコタ州時代、この土地で生活をしている人はほとんどいませんでしたが、土地の権利だけは売買されていました。1889年には、準ダコタ州はふたつに分割され、それぞれが同時に州に昇格しました。
ふたつの州は互いをライバル視していたため、州に昇格した順番を巡り論争が起こります。当時のベンジャミン・ハリソン大統領が署名した書類をわざと混ぜて順番を分からなくしたというエピソードは有名です。ちなみに、現在では「アルファベット順」が一般化しており、ノースダコタ州が39番目、サウスダコタが40番目で決着しています。
1800年代後半には鉄道が開通し、ノースダコタ州には多くのヨーロッパ系開拓者がやってくるようになります。なかでも、南北戦争後にはノーザン・パシフィック鉄道が開通し、ほとんどのドイツ系移民は州都のビスマークを起点にして農業を始めました。
当時、21歳以上でなおかつ5年以上同じ場所で農業を営む人には国から無償で土地が払い下げられる「ホームステッド法」があったため、多くのヨーロッパ系の人たちは寒い土地でも育つデュラム小麦などを栽培し、土地も手に入れていきました。現在でもこれらの農作物は国内有数の生産量で、州の主産業でもあります。また、アメリカ国内で需要が高いオーガニック栽培も盛んで、アメリカの健康食品市場を支えている側面もあります。
このようにノースダコタ州は広大な土地とヨーロッパから伝わった農業のノウハウを生かして発展してきた歴史があります。
ノースダコタ州の政治情勢
ノースダコタ州では2012年、2016年の大統領選ではいずれも共和党を支持しています。もともと同州では共和党が強い傾向があり、共和党の大統領候補は同州で勝利することが続いています。保守的と見られがちですが、1898年には州民の発議権をアメリカで最初に導入した歴史もあります。
ノースダコタ州の経済
2018年時点、ノースダコタ州の失業率は2.6パーセントです。同州では統計を取り始めて以降、アメリカの平均失業率を常に下回っていることが特徴です。近年ではアメリカ国内で最も失業率が低い州として知られています。
同州ではリーマンショック直後でも失業率は4パーセント台だったことから、社会情勢の影響を受けづらい職が多いことを裏付けています。事実、州の主産業は農業やエネルギー業など安定した産業に集中しています。
ノースダコタ州の税金
2018年時点、ノースダコタ州の消費税は6.8パーセントです。連邦税が5パーセントで地方消費税の平均が1.8パーセントです。個人に対する所得税は2.1パーセントから5.54パーセントまでの累進課税制です。企業に対する税の優遇措置にも注力しており、国内では事業に優しい州としても知られています。
ノースダコタ州の銃や薬物問題
ノースダコタ州では医療用に限ってマリファナは合法とされています。隣接するモンタナ州やミネソタ州も同様ですが、娯楽用マリファナの解禁には慎重な姿勢を見せていると言えるでしょう。
ノースダコタ州の銃に対する取り組み格付けは最低ランクの「F」とされています。誰でも手軽に銃を購入できることや、銃犯罪の犠牲者数が国内平均よりも多いことが影響しています。
ノースダコタ州の教育または宗教事情
ノースダコタ州の教育水準の高さはアメリカでトップ10に入る水準です。州内最大規模とされるノースダコタ州立大学とノースダコタ大学は毎年多くの優秀な学生を輩出していますが、ほとんどの学生は職を求めて州外で就職する傾向があります。これによる人材の流出や、人口の減少は同州が抱える大きな問題になっており、成長分野の情報通信産業やエネルギー産業を州内で充実させる動きが進んでいます。
ノースダコタ州は人口が少ないこともあり、アメリカで一人当たりの教会数が最も多い州とされています。州民の大半はキリスト教で、カトリックは30パーセントほどです。他州と比較して無宗教と答える人の割合が少なく、信仰心が非常に強い州ということが特徴です。
まとめ
ノースダコタ州はアメリカの秘境と言われている通り、近代的なアメリカではなく、ありのままの自然を残した場所が多い州です。自然だけでなく、開拓時代に追いやられたインディアンの文化を守り続けている州でもあります。アメリカ史を知る上で忘れられがちな歴史がある場所と言えるでしょう。
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