アメリカ中西部にあるサウスダコタ州は誰もが一度は見たことがあるであろう巨大な岩山に4人の歴代大統領の顔が彫刻されたラシュモア山がある場所です。また、現在でもインディアンがこの地で生活しており州民の9パーセントを占めています。
アメリカの田舎中の田舎と言われ、郊外に出るとまったく人と出会わないともされるサウスダコタ州はゴールドラッシュやインディアン闘争など様々な出来事が起きた場所です。そこで今回はあまり知られていないサウスダコタ州の歴史などについて解説します。
サウスダコタ州の特徴
2018年現在、サウスダコタ州の総人口は約87万人です。アメリカのなかで4番目に人口が少ない州で、人口密度は1平方キロメートルに対して4人程度とされています。アメリカで最も人口が多いカリフォルニア州が1平方キロメートルに対して90人程度ですから、人口密度が低い場所であることが分かります。
人口は緩やかに増加傾向ですが、過去20年に10万人程度しか増えておらず、他州の半分以下の上昇率です。また、州民の84パーセントは白人、9パーセントがインディアン、ヒスパニックが3パーセント、黒人はわずか1パーセント程度です。サウスダコタ州では英語の次にスペイン語か先住民族言語のスー語が使われています。
現在ではインディアンのスー族がこの地で生活をしていますが、もともとはダコタ族、ナコタ族、ラコタ族などの個体が集結しスー族と呼ばれるようになりました。スー族は狩猟を中心にして生活しており、白人開拓者に対しては凶暴な振る舞いをすることで知られていました。
スー族は東隣りにあるミネソタ州から白人開拓者やチパワ族に追われるようなかたちでサウスダコタにやってきました。行き場を失ったスー族はやむを得ずサウスダコタのアリカラ族を攻撃し、ウンデッド・ニーという町に拠点を構えました。
手荒なやり方でサウスダコタに拠点を構えたスー族は、白人からは「悪いインディアンのスー族」と呼ばれるようになり対立関係になってしまいます。この時の関係悪化が現在でも続いており「土地を奪われたインディアン」と「インディアンに殺害された白人」という水と油のような構図ができてしまいました。この根強い対立関係は現在も裁判というかたちで続いています。
サウスダコタ州の特徴のひとつに「ゴールドラッシュ」があります。一般的にアメリカのゴールドラッシュと言えばカリフォルニア州が有名ですが、実はサウスダコタ州のブラックヒルズでも金鉱が発見されています。このブラックヒルズ一帯は先住民族にとって偉大な精霊が宿る聖地であり、狩猟の場でもありました。
1874年にカスター将軍がブラックヒルズで金鉱床を発見し、一気に白人がこの地に押し寄せ、瞬く間にインディアンの聖地は奪われてしまいました。この際、アメリカ政府はインディアンを騙す手口を使ったため、インディアンと白人の関係はますます悪化してしまうのでした。
サウスダコタ州は自然豊かで観光業も盛んな場所である一方で、インディアンと白人の対立関係が酷い場所でもあります。「インディアンとの関係」がこの州を知るうえで最も鍵になる特徴と言えます。
サウスダコタ州の歴史
サウスダコタ州は、1889年にアメリカ合衆国40番目の州になりました。1861年から1889年までダコタ準州と呼ばれる現在のミネソタ州やネブラスカ州も含む広大な場所でした。ダコタ準州のなかでミネソタ準州とネブラスカ準州が分離され、残った場所がノースダコタ州とサウスダコタ州に区別されました。
州名のダコタとはインディアンのダコタ族の言葉で「仲間」を意味します。1743年にフランス人探検家のラヴェランドリー兄弟がこの地を訪れたことが先住民族と白人の初めての接触とされており、その際にフランス領土であることを示す銘板を残していきました。
1803年、アメリカ政府はフランスからサウスダコタを含んだ広大な土地を買い取り(ルイジアナ買収)アメリカ東海岸から始まった開拓は本格的に西を目指すようになりました。それを指示したのがトーマス・ジェファーソン大統領で、実際に探検に出向いたのがルイス・クラーク探検隊として有名なメリウェザー・ルイスとウィリアム・クラークです。
ちなみに、フランスから土地を買い取り太平洋へと繋がる西への開拓を指示したトーマス・ジェファーソン大統領は、サウスダコタ州のシンボルとも言えるラシュモア山に彫刻されている4人のなかのひとりです。
1817年にはサウスダコタの地で毛皮の交易が活発化し、アメリカ国内以外にもヨーロッパからも開拓者がやってくるようになりました。そして、1858年には先住民族のスー族はサウスダコタの東側をアメリカ合衆国に割譲する条約を結びました。
1874年、東部からの鉄道も通るようになったサウスダコタをカスター将軍の軍隊が遠征に訪れます。その際にブラックヒルズ一帯に金脈があることを突き止めました。この時代、アメリカ政府はサウスダコタの西部はスー族の土地とする条約を結んでいたものの、カスター将軍を派遣し、ブラックヒルズ一帯を勝手に占拠してしまったのです。
これに抵抗したスー族とアメリカ陸軍は戦争になり、勝利したアメリカ軍はスー族の土地を5分割し、一部のインディアンを閉じ込めてしまいました。この事件は現在でも闘争中であり、アメリカ最高裁判所と連邦議会はアメリカ政府に賠償金の支払いを命じたものの、スー族は賠償金ではなく土地を返還することを望んでいることから決着していないのです。
この一件は、アメリカの最高機関が違法と判断しているにも関わらず、アメリカ政府はスー族の要求を受け入れないため、インディアンに対する不当な扱いとされています。
1889年、ダコタ準州が州に昇格するに相応しい人口数に達したため、ベンジャミン・ハリソン大統領がノースダコタとサウスダコタに分割して同時に州に昇格させました。1890年、アメリカ合衆国とインディアン最後の武装闘争と言われる「ウンデット・ニーの虐殺」が起こります。ウンデッド・ニーという町でアメリカ軍がインディアンを無差別に殺害し、スー族が300名程度、アメリカ軍が25名亡くなりました。「命あるものはすべて殺された」とされるほどアメリカ軍は女性や子ども、家畜など関係なく無差別に殺害しました。
アメリカ軍はこの闘争を「ウンデッド・ニーの戦い」と美化し、兵士には名誉勲章を授与しました。しかし、スー族の死者数を数えることもなく、遺体はひとり2ドルの手間賃でアルバイトに処理させていました。
このようなことからも分かるように、両者の捉え方の違いはいまもなお根強く残っているのです。これらはサウスダコタ州を知る上で必ず知っておくべき事実でしょう。
サウスダコタ州の政治情勢
サウスダコタ州では2012年、2016年の大統領選の際には共和党を支持しています。もともと共和党が強い州で1972年以降、大統領選では常に共和党候補が勝利しています。また、州議会でも両院ともに共和党が多数派になっていることから、共和党の絶対的支持基盤と言えるでしょう。
サウスダコタ州の経済
2018年時点、サウスダコタ州の失業率は3.4パーセントです。アメリカの平均値を下回っているものの、州の最大の課題とされているのが貧困です。人口のおおよそ12パーセントは貧困層に該当し、なかでもインディアンの貧困は最悪レベルで、部族内失業率は80パーセントを越え、乳児の死亡率は全国平均の3倍以上とされています。
インディアンカジノを運営している一部のインディアンを除いては仕事にありつけない状態が続いているため、オバマ前大統領はインディアンの生活改善を約束しました。しかし、インディアンと政府は対立関係が続いていることから事態に進展は見られません。
サウスダコタ州の税金
2018年時点、サウスダコタ州の消費税は6.40パーセントです。連邦税が4.50パーセントで、地方消費税の平均が1.9パーセントです。アメリカ国内で一人当たりの税収が最も低い州としても知られ、個人からは所得税、相続税、無形資産税などは徴収していません。
インディアン居留地内にある企業は、事前に決められている割合をインディアンに還付金として収める決まりがあります。州政府は個人からの税収を増やすと生活への影響が大きいため歳入は課題のひとつです。
サウスダコタ州の銃や薬物問題
サウスダコタ州ではマリファナは全面的に禁止されています。しかし、ノースダコタ州など隣接する州では医療用マリファナは解禁されており、税収に悩む州政府はマリファナを税収のひとつとして検討している状態が続いています。
サウスダコタ州の銃に関する取り組み格付けは最低ランクの「F」グレードとされています。銃事件の発生数こそ少ないものの、誰でも容易に銃を手に入れられる環境であることが危険と判断されています。
サウスダコタ州の教育または宗教事情
サウスダコタ州の教育水準は全米で17番目で平均よりも上です。なかでも2年制大学の卒業率は全米で1番高く、成人の85パーセントは高卒、21パーセントは学位を取得しています。しかしながら、公立学校の教員の給与は全米で最も低く、平均よりも15,000ドル以上開きがあります。
サウスダコタ州の宗教はキリスト教が90パーセント近くを占めています。無宗教の人は全体の8パーセントでアメリカの平均よりも低く、信仰心は強いと言えます。
まとめ
サウスダコタ州はインディアンと白人開拓者との関係が悪かった歴史があり、現在でもアメリカ政府と対立が続いています。アメリカ政府がインディアンにした仕打ちなど酷い事実が多いものの、アメリカ国内では知らない人の方が多いのが実情です。
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