2020年(令和2年)9月16日、第4次安倍内閣では官房長官を勤めていた菅義偉氏が、第99代目内閣総理大臣に就任しました。
本ページでは、日本の内閣制度の歴史と歴代の内閣総理大臣について解説します。
歴代の日本の内閣総理大臣一覧
| 代 | 内閣総理大臣 | 在職日数 |
|---|---|---|
| 1代 | 伊藤博文 | 861日 |
| 2代 | 黒田清(兼任)三條實美 | 544日 |
| 3代 | 山縣有朋 | 499日 |
| 4代 | 松方正義 | 461日 |
| 5代 | 伊藤博文(臨時兼任)黒田清隆 | 1,485日 |
| 6代 | 松方正義 | 482日 |
| 7代 | 伊藤博文 | 170日 |
| 8代 | 大隈重信 | 132日 |
| 9代 | 山縣有朋 | 711日 |
| 10代 | 伊藤博文(臨時兼任)西園寺公望 | 204日 |
| 11代 | 桂太郎 | 1,681日 |
| 12代 | 西園寺公望 | 920日 |
| 13代 | 桂太郎 | 1,143日 |
| 14代 | 西園寺公望 | 480日 |
| 15代 | 桂太郎 | 62日 |
| 16代 | 山本權兵衞 | 421日 |
| 17代 | 大隈重信 | 908日 |
| 18代 | 寺内正毅 | 721日 |
| 19代 | 原 敬(臨時兼任)内田康哉 | 1,133日 |
| 20代 | 高橋是清 | 212日 |
| 21代 | 加藤友三郎 | 440日 |
| 22代 | 山本權兵衞 | 128日 |
| 23代 | 清浦奎吾 | 157日 |
| 24代 | 加藤高明(臨時兼任) 若槻禮次郎 | 597日 |
| 25代 | 若槻禮次郎 | 446日 |
| 26代 | 田中義一 | 805日 |
| 27代 | 濱口雄幸 | 652日 |
| 28代 | 若槻禮次郎 | 244日 |
| 29代 | 犬養 毅(臨時兼任) 高橋是清 | 156日 |
| 30代 | 齋藤 實 | 774日 |
| 31代 | 岡田啓介 | 611日 |
| 32代 | 廣田弘毅 | 331日 |
| 33代 | 林 銑十郎 | 123日 |
| 34代 | 近衞文麿 | 581日 |
| 35代 | 平沼騏一郎 | 238日 |
| 36代 | 阿部信行 | 140日 |
| 37代 | 米内光政 | 189日 |
| 38代 | 近衞文麿 | 362日 |
| 39代 | 近衞文麿 | 93日 |
| 40代 | 東條英機 | 1,009日 |
| 41代 | 小磯國昭 | 260日 |
| 42代 | 鈴木貫太郎 | 133日 |
| 43代 | 東久邇宮稔彦王 | 54日 |
| 44代 | 幣原喜重郎 | 226日 |
| 45代 | 吉田 茂 | 368日 |
| 46代 | 片山 哲 | 292日 |
| 47代 | 芦田 均 | 220日 |
| 48代 | 吉田 茂 | 125日 |
| 49代 | 吉田 茂 | 1,353日 |
| 50代 | 吉田 茂 | 204日 |
| 51代 | 吉田 茂 | 569日 |
| 52代 | 鳩山一郎 | 100日 |
| 53代 | 鳩山一郎 | 249日 |
| 54代 | 鳩山一郎 | 398日 |
| 55代 | 石橋湛山 | 65日 |
| 56代 | 岸 信介 | 473日 |
| 57代 | 岸 信介 | 769日 |
| 58代 | 池田勇人 | 143日 |
| 59代 | 池田勇人 | 1,097日 |
| 60代 | 池田勇人 | 337日 |
| 61代 | 佐藤榮作 | 831日 |
| 62代 | 佐藤榮作 | 1,063日 |
| 63代 | 佐藤榮作 | 906日 |
| 64代 | 田中角榮 | 169日 |
| 65代 | 田中角榮 | 718日 |
| 66代 | 三木武夫 | 747日 |
| 67代 | 福田赳夫 | 714日 |
| 68代 | 大平正芳 | 338日 |
| 69代 | 大平正芳(臨時代理)伊東正義 | 217日 |
| 70代 | 鈴木善幸 | 864日 |
| 71代 | 中曽根康弘 | 396日 |
| 72代 | 中曽根康弘 | 939日 |
| 73代 | 中曽根康弘 | 473日 |
| 74代 | 竹下 登 | 576日 |
| 75代 | 宇野宗佑 | 69日 |
| 76代 | 海部俊樹 | 203日 |
| 77代 | 海部俊樹 | 616日 |
| 78代 | 宮澤喜一 | 644日 |
| 79代 | 細川護煕 | 263日 |
| 80代 | 羽田 孜 | 64日 |
| 81代 | 村山富市 | 561日 |
| 82代 | 橋本龍太郎 | 302日 |
| 83代 | 橋本龍太郎 | 631日 |
| 84代 | 小渕恵三 | 616日 |
| 85代 | 森 喜朗 | 91日 |
| 86代 | 森 喜朗 | 297日 |
| 87代 | 小泉純一郎 | 938日 |
| 88代 | 小泉純一郎 | 673日 |
| 89代 | 小泉純一郎 | 371日 |
| 90代 | 安倍晋三 | 366日 |
| 91代 | 福田康夫 | 365日 |
| 92代 | 麻生太郎 | 358日 |
| 93代 | 鳩山由紀夫 | 266日 |
| 94代 | 菅直人 | 452日 |
| 95代 | 野田佳彦 | 482日 |
| 96代 | 安倍晋三 | 729日 |
日本の現在の内閣制度はどのようにしてできたのでしょうか?
日本に「内閣制度」が創設されたのは、1885年(明治18年)のことです。「太政官達第六十九号」が発せられ、「内閣」と「内閣総理大臣」がそれまでの「太政官制」と「太政大臣」に代わって設置されました。
明治維新後、五箇条の御誓文の方針に則った政治が太政官制度によって行われてきましたが、古くから続く太政官制度は新しい時代にはそぐわないものになっていました。また、太政官制度は太政大臣が極端に忙しいといった制度面においても欠陥がありました。
当時、参議であった伊藤博文は、太政官制度の改革を提唱していました。そして伊藤博文は内閣制度を提案しています。その提案は保守派などの反対も受けましたが、結果的にその提案が通り、新しい制度が創設されることになりました。
それから1889年(明治22年)には、明治憲法が公布されています。明治憲法の下では天皇が統制権を総覧するものと定められていましたが、内閣については特段の規定は設けられませんでした。
日本の初代内閣総理大臣は誰?
日本が内閣制度に移行したのは、明治18年(1885年)であり、初代内閣総理大臣は紙幣の肖像にもなった伊藤博文です。
内閣総理大臣就任時の最年少記録は、この初代総理伊藤博文の44歳で、現在もその記録は破られていません。
初代内閣総理大臣「伊藤博文」について
内閣制度が創設された際、初代内閣総理大臣に就任したのは伊藤博文でした。
当時、誰が内閣総理大臣になるか世間の注目を集めていましたが、内閣制度をつくり上げたことが評価されたことで就任することになりました。
第一次内閣では、大日本帝国憲法の下準備に奔走しています。その後、1888年(明治21年)に枢密院を開設する際に枢密院議長となるため内閣総理大臣を辞任しました。大日本帝国憲法は、第2代内閣総理大臣黒田清隆の下で、1889年(明治22年)に発布されました。
伊藤博文はその後、1892年(明治25年)から再び内閣総理大臣を務めています。そして、1894年(明治27年)に朝鮮半島を巡って日本と清との間で日清戦争が勃発しました。朝鮮内で起きた甲午農民戦争と呼ばれる農民の内乱に端を発したものです。
この戦争の処理を巡って、日本と清との争いが激化しました。日清戦争は翌年にかけて続き、その結果、日清講和条約が締結されることになりました。
その後、日本は1904年(明治37年)に大国ロシアを相手に日露戦争を起こしています。その結果、アメリカ合衆国の大統領ルーズベルトの斡旋によってポーツマス条約と呼ばれる講和条約が結ばれました。
そして1909年(明治42年)、伊藤博文はハルビン駅を訪れた際に大韓帝国の民族運動家であった安重根に暗殺されました。ロシア蔵相と満州や朝鮮問題について非公式に話し合うためだったと言われています。
任期の長い内閣総理大臣
2006年(平成18年)9月26日から2007年(平成19年)8月27日まで
| 在職日数 | ||
|---|---|---|
| 安倍晋三 | 第1次(2006年9月~2007年8月) 第2~4次(2012年12月~2020年9月) |
連続2,822日 通算3,118日 |
| 桂太郎 | 第1次(1901年6月~1906年1月) 第2次(1908年7月~1911年8月) |
通算2,886日 |
| 佐藤栄作 | 1964年11月~1972年7月 | 連続2,798日 |
日本の総理大臣はアメリカやイギリスに比べ交代が非常に多いと言われています。日本の総理大臣が23人も交代している期間に、アメリカの大統領とイギリスの首相は7人しか交代していないという統計も出ています。
そんな日本の総理大臣ですが、在任2000日を超える総理大臣も歴代で何人かいます。
1位 安倍晋三氏 - 通算・連続共に首位
一人目は、2020年9月まで内閣総理大臣を務めた安倍晋三氏(あべ しんぞう)であり、歴代最長を記録しました。
これまで、内閣総理大臣連続在任日数は、安倍晋三氏の大叔父である佐藤栄作氏が2,798日で最長でした。しかし安倍晋三氏の連続在任日数が2,822日となり、佐藤栄作氏の記録を半世紀ぶりに塗り替えました。
また、短命に終わった第1次安倍政権(在職366日)を含めると、在任日数は3,165日になり、長く通算首位だった戦前の内閣総理大臣、桂太郎氏の記録をも抜いており、日本の内閣総理大臣としては、安倍晋三氏が通算・連続日数ともに一位です。
2位 桂太郎氏 - 100年以上通算首位だった戦前の内閣総理大臣
次いで通算在職期間が長い内閣総理大臣は、桂太郎氏(かつら たろう)です。在職期間は第一次・第2次合わせて2,886日、安倍晋三氏に抜かれるまで、約100年ずっと首位でした。
3位 佐藤栄作氏 - 半世紀もの間連続首位
3位が佐藤栄作氏(さとう えいさく)で、通算2,798日です。又甥である安倍晋三氏に記録を抜かれるまで、連続在任日数は首位でした。
4位以降も有名な総理が多い
なお、伊藤博文(いとう ひろぶみ)の2,720日や、吉田茂(よしだ しげる)の2,616日など、やはり誰でも名前を知っているような大臣は任期が長かったようです。
▼参考URL:首相官邸|歴代内閣
https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/
任期の短い内閣総理大臣4人
2000日を超える長期政権を実現した歴代大臣を紹介しましたが、逆に任期の短かった総理大臣もいます。
最も任期が短かったのは、明治20年に就任した東久邇総理氏です。
東久邇総理氏はもともと日本の皇族で、皇籍離脱後に東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)から東久邇稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った大臣です。
羽田孜氏(はた つとむ)64日、石橋湛山氏(いしばし たんざん)65日と、短い任期の大臣は他にもいますが、東久邇総理氏は終戦事務が一段落したということを理由に、わずか54日で総辞職となりました。
まとめ
以上、「総理の仕事(3) - 日本の内閣制度の歴史と歴代の内閣総理大臣について」でした。
その他の「総理の仕事」シリーズも併せてご参照ください。


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