公務員の子どもに生まれた私 - 両親が公務員の家庭に育って

今回は、両親が公務員として働くご家庭で育った女性に、「公務員の子ども」として生まれ育った故に感じたことや考えたこと、経験などについてレポートにしていただきました。

「公務員の子ども」であり、そして自身もまた公務員になることを選んだ女性によるコラムです。


はじめに - 公務員の両親をもった女性のコラム

私の両親は市役所の職員として働いていました。私は子どもの頃から両親に、「公務員だから安定しているし給料もいい」と言われて育ちました。そんな私が両親が公務員である故に感じたこと、考えたことをまとめました。

父と母の経歴について

私の父は市役所に勤務し、母も同じく市役所に勤務していました。私の実家は新潟県の某市で所謂田舎と呼ばれるところです。

公務員として40年間働いた父親

父は高校卒業と同時に1年間は臨時として当時の町役場に採用され、翌年正職員として採用され、それから約40年間市役所職員として市民のために仕事をしてきました。父は本当は大学で経済学を勉強したかったそうなのですが、3人兄弟の長男であり、当時は長男が家を継ぐものという価値観が強くあったため、父は大学進学を諦めて町役場に勤めました。

最初は土木課や水道課などで測量などもして異動を重ねて出世していきました。公務員は2~3年で異動があります。父の話によると短期間で異動があるのは長期間同じ職場だとどうしても特定の市民と癒着関係になる可能性があるため、短期間での異動があるのだと話していました。父は西田敏行のような体格で性格は非常にまじめです。お酒は好きですが、ギャンブルなどはしません。

休みになると田んぼの仕事をしたり、平日でも仕事に行く前に田んぼに行き、田んぼの水の様子みて、草刈りをして、それから仕事に行くという生活をしています。仕事から帰ってからも田んぼに行き、同じく水の様子をみて、草刈りをします。このように非常に仕事熱心な父です。

結婚後、公務員になった母親 - 育児との両立の大変さ

私の両親は市役所の職員として働いていました。私は子どもの頃から両親に、「公務員だから安定しているし給料もいい」と言われて育ちました。そんな私が両親が公務員である故に感じたこと、考えたことをまとめました。

母は父と結婚してから市の職員になったそうで、最初は老人ホームの調理員をしばらくしてその後、同じ老人ホームで事務を数年勤めました。その後異動があり、市役所の本庁に勤務になり、主に福祉課で主任をしていました。母は毎日帰りも遅く、8時半や9時くらいに帰って来て、そこから私の夕食を作ってくれました。

当時は(疲れているのはわかるけど早くごはん作ってくれないかなぁ)と思っていましたが、私が結婚して夫婦で生活していると9時まで仕事をしてそこから家に帰ってごはんを作り、さらにそのあと洗濯もするというのがどれだけ大変かというのがわかってきました。

母は事務の仕事を長くしていたので「計算が合わなくて遅くなっちゃった。まだ頭の中が仕事モードで数字が回ってる。」と疲れた様子で話していました。市役所に勤めている時に、県庁から職員が派遣されて上司になった人がいるのですが、議会の資料の作成や議事録の作成なども仕事であったそうで多忙なうえ、県の職員とうまくいかずストレスをかかえ精神的に病んで休職したのち57歳くらいで早期退職しました。若い頃は美人だった母も役職にもつき、毎晩遅くまで仕事をして苦労をしたため体型も太り、顔もむくみ、おばあさんのように老けてしまい、相当苦労したんだなと今になって感じます。

そんな父母のもとに生まれました。やはり両親が公務員だとお金には余裕があったみたいで、小学生の頃までは1年に1回母方の私から見て祖父母と一緒に温泉旅行に行き満たされた生活をしていました。

バブル時代、公務員の両親をもつ私の生活の質

父が公務員として働いていた20~30代の頃は日本経済はバブル期の頃で公務員よりも民間企業で働く人のほうが給与がよかったと聞いています。


ただ、それからデフレ経済になっていくについれて公務員の安定と一定水準の給与が魅力となっていきました。

私の実家は父、母共に公務員のため、生活に苦労した覚えはなく、欲しいものは大体なんでも買ってもらえて、大学にも進学させてもらえました。行きたいなら大学院にも行ってもいいと父から言われるほどでした。家は持ち家で家賃は必要ありませんでした。

父の年収が約800万円で母の年収が約420万円でした。

遊びというと友人や同僚との食事や飲み会、たまに旅行に行くくらいの両親でしたので、資産も着実に増えて行ったと思います。1980年代は郵便局(現在のゆうちょ銀行)や銀行に預けておくだけて利子が3%という高い利子がついた時代で、何も考えずに貯金するだけで利子もついて資産形成をして行きました。

公務員の福利厚生

民間企業にも福利厚生がありますが、公務員にも共済組合の福利厚生があります。子どもの頃には共済組合だと割引が受けられる旅館やホテルに宿泊して旅行をしました。

また現在は共済年金も厚生年金に統一されましたが、共済年金によって国民年金、厚生年金よりももらえる額が大きいという利点がありました。父は公務員だったのでずっと共済年金をかけていましたが、厚生年金に統合してからは「あてが外れた」といい、新車を購入しようとしていましたが、それを見送ったりするなどの影響が出ています。

確かに共済年金は優遇されているとは思いますが、今まで払ってきた分は適応しなくてもいいのにと思います。

私も公務員へ - 公務員の待遇の話

基本的なことですが、給料が毎年上がり、ボーナスも約4ヶ月分出て、長く勤めれば退職金も出て生活が安定するので仕事にも専念できます。

土日祝日が必ず休みであり、年次有給休暇も仕事量にもよりますが取得できるなど、多くの中小企業を含む民間企業と比較すると羨ましいと思うほど休暇の制度が整っています。そのため父や母に私が小学生の頃から「公務員はいいぞ」「公務員になったらどうだ」と耳にタコができるくらい言われ続けてきました。小学生の頃の私は(そうなんだ)と思うくらいでしたが、高校生になり進路を考える年代になると(父と母が公務員だから逆に公務員にはならないかな。興味がないな。)と思うようになりました。

大学を卒業した私は大学で教育学や心理学を勉強したこともあり、児童福祉関係の仕事に就きたいなぁと思い、就職活動をしました。そして採用されたのは東京にある某市の社会福祉事業団でした。そこは準公務員と言われるところでした。

そこで働く人たちは市民のために仕事もきっちりこなして、有休も上司から取得するように言われて取得できるような、また自分で申請して仕事に影響のない範囲であれば長期の年休も取得できるような職場だったので仕事と休みのメリハリがありました。

私はそこで働いたのち、保育士になりたいと思い、国家試験で資格を取得し、地元の新潟県に戻り、保育園で働くことになりました。

私の家系を見てみると、父母は公務員、父方の兄弟は老人ホーム、予備校の事務、母方の兄弟は大学教授、予備校講師など親族は公務員であったり教育関係の仕事が多いのです。必然的に私も影響を受けたのか、社会福祉に従事したり、保育園で保育士として働くなど同じような職業についています。

公務員の大変さも間近でみて育ちました

待遇が良くクビになることもなく、近年の学生が憧れ、また民間企業に勤めている人から羨ましがられる公務員という職業ですが、もちろん大変さもあります。

飲み会などに行き公務員だというと「残業もなくて仕事も楽なんでしょ」「残業代もでるんでしょ」と非常に羨ましがられるのですが、実際はそうではないことも多々あります。


私の母がそうでありましたが、毎日帰宅は21時頃になりそれもサービス残業でした。また夜遅くまで市役所の明かりがついていると市民から「節約しろ」と言われるので電気も間引いて薄暗い中で仕事をしていたようです。

市のイベントにはボランティアで参加しなくてはならず、また市の防災メールで近隣に火災などが発生するとその様子を見に行かなくてはなりませんでした。土日のプライベートの時間も仕事で潰れるということも多々ありました。

高校生の頃の公民館のイベント

私が高校生の頃に公民館のイベントで小学校のALTの先生による英会話教室があり、それに参加しました。

その時ちょうど父がその支所の役職だったため、父が1番最初に挨拶をしているのを実際に見て、人前で喋る仕事は大変だなぁと思った記憶があります。その時に私は(将来は偉くなったら人前で話すようになるんだ。今は人前で話すのが苦手だけど、それに慣れるような仕事に就きたいなぁ)と漠然とですが、考えるきっかけになりました。

今保育士をしていますが、父の姿を見て私の職業観が形成されていった経緯もあるので、父の働く姿を見ることができてよかったと実感しました。

小学生の時のフッ素の思い出

小学生4年生の頃、フッ素を希望する人はその用紙を担任の先生に出さなくてはいけませんでした。

フッ素とは学校で実施されるむし歯予防のために低濃度のフッ化ナトリウム溶液を少量口に含んでブクブクうがいをする方法のことです。先生はそれをまとめて役所に提出することになっていました。

その用紙を父に見せると、「フッ素やるか」と言われ私が「うん」と答えると「それなら俺が出しとくわ」とその用紙を直接役所に提出しました。私はその時は小学生だったので深くは考えずに(助かるなぁ)とだけその時は思っていました。しばらくして担任の先生からフッ素の用紙を提出するように言われて、私は「もう提出しました」と答えると先生はなにやら調べたみたいで、私の分だけすでに役所に提出されているのに気づき、私に「そういうのは先生を通してください。そうやって提出したならそのように言ってください。」とみんなの前で注意されてしまいました。

トホホな出来事でした。

行政サービスの利用について

そして父はよく行政のサービスを利用していました。

家の改装をする時に補助金が出るとなったらその申請をして申し込みをして補助金をもらいながら改築をしたりしていました。私はそれを見ていて行政サービスは積極的に利用するべきだということを学びました。そのあたりも情報格差といえばそれまでかもしれませんが、せっかく税金を払っているのだから、受けられるサービスは受ける、何か困ったらとりあえず市のサービスがないか探してみる、こういうことが大事だと親から教えられたわけではありませんが、実感として学んでいきました。生活をしていれば困ることも出てくると思います。

その時に行政サービスを利用できることを知っているかどうか、これも豊かに生活をしていくためには必要なことかなと思います。そういう意味でも両親が公務員でよかったと思っています。近年は情報格差という言葉もあります。インターネットの世界はすごく進んでいて、AI(人工知能)などの分野でも発展が目覚ましいですが、インターネットには様々な情報があります。それを選択していく能力がこれからは大事になってくると思います。

まとめ - 編集部より

以上、「公務員の子どもに生まれた私 - 両親が公務員の家庭に育って」でした。

公務員として働くご両親のもとで育ち、自身も公務員として働く女性によるリアルな声を聞くことができました。身近な人が公務員として働いていたことで、公務員のいいところも、あるいは大変な部分も間近で見てきたことと思います。

現在は保育士として活躍中とのこと。今後も益々ご活躍されることをご祈念しています。

本記事は、2017年9月9日時点調査または公開された情報です。
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