アメリカ北東部にあるニュージャージー州はニューヨークにもほど近く、多くの日系企業や日本人が生活している日本と関係が深い場所です。アメリカがイギリスから独立する際には「独立戦争の交差点」と表現されるほど衝突の舞台でした。また、発明家のトーマス・エジソンが拠点を置いていた場所でもあります。
アメリカの建国と発展が眼前で行われてきたニュージャージー州はアメリカ史を知る上で欠かせない州のひとつです。今回はそんなニュージャージー州についてご紹介します。
ニュージャージー州の特徴
2018年現在、ニュージャージー州の総人口は約900万人です。1945年、第二次世界大戦が終わってから現在までの間に人口はほぼ倍増しました。州民は白人が60パーセント程度で、ヒスパニック系が18パーセント、黒人が13パーセント程度で、国際色が強い州と言えます。
多くの人種が集まる背景として、1861年に開戦した南北戦争から逃れてきた人たちや、1950年代の近代工業化などがあります。また、1800年代はアメリカ産業革命の中心地でもあったため職を求めた人が集結しました。現在では、ニューヨークで働く人やその家族のベッドタウンとしても有名です。
ワシントンD.C.がアメリカの首都になる前、首都機能を果たしていたフィラデルフィアやニューヨークなどとも近かったため、郊外都市として栄えてきました。また、ハドソン川やデラウェア川、州の最高地点のハイポイント、東海岸のサンディフックなどリゾート化された場所も多く、アメリカ東海岸のリゾートとも呼ばれています。
土地柄、政府関係者や大企業関係者も多く、アメリカで2番目に裕福な州とされています。また、年収がアメリカの平均よりも上回る人が約80パーセントで、州内にある21郡のなかで9郡はアメリカ国内で最も裕福な郡の100傑に選ばれています。このことからニュージャージー州はアメリカのお金持ちが生活している場所と言えるでしょう。
アメリカの東海岸と言えば政治色が強く、経済の中心というイメージがありますが、意外にもニュージャージー州はカジノを合法化している州でもあります。ラスベガスがあるネバダ州に次いでカジノを合法化した州としても知られ、カジノは観光産業の中心になっています。2013年にはオンラインカジノも合法化され、カジノは一大産業として州の歳入を支えています。
近年では裕福な人が多く生活し、カジノも成功しているニュージャージー州ですが、アメリカ独立運動が活発だった1700年代は度重なる戦闘の中心でした。それ以前はオランダ、スウェーデン、イギリスが領有権を主張し、この土地を支配した国は度々変わっていった背景があります。
アメリカ独立戦争の際にはイギリス軍とアメリカ軍がニュージャージーで100以上の戦闘を繰り返しました。後にアメリカ初代大統領になるジョージ・ワシントンが兵隊を引き連れてデラウェア川を渡る姿を描いた絵はとても有名です。アメリカ独立戦争の様々な出来事がニュージャージー州で起こったのでした。
このようにニュージャージー州はアメリカ独立の舞台だったことに加えて、現代のアメリカの政治や経済を支える州として栄えています。
ニュージャージー州の歴史
ニュージャージー州は、1787年にデラウェア州、ペンシルベニア州に次いでアメリカ合衆国3番目の州になりました。白人がこの地にやってくるまでの間は先住民族のレナペ族が農業を中心にした生活を送っていました。レナペ族はデラウェア川やハドソン川に沿うようにして拡大を続けていました。
ヨーロッパから毛皮の交易のためにやってきた白人と先住民族が接したことで文明に変化が訪れます。1614年、オランダから交易のためにやってきたオランダ人がこの地に植民地を築き「ニューネーデルラント(英語読みではニューネザーランド)」と名付けます。レナペ族は土地は共有の財産と主張しますが、オランダでは入植者が土地を購入できるという法律があったため、レナペ族の主張は無視されるかたちで入植者が土地を獲得していきました。
1638年にはスウェーデン人によってニュージャージーの土地に新たな植民地が築かれ「ニュースウェーデン」と名付けられました。後にニュースウェーデンはニューネーデルラントと統合されますが、ドイツ系、フィンランド系などのヨーロッパ人がこの地で生活を始めていきました。入植者たちは、インディアンからタバコ栽培の手ほどきを受けながらヨーロッパとの交易を活発化させました。
1664年、ニューネーデルラントはイギリスによって征服されてしまいます。オランダ、スウェーデン、イギリスによって領有権が変化してきたニュージャージーで多様な宗教、文化が続いているのにはこのような背景があるのです。1700年代には宗教や民族に寛容的な政策を打ち出し、多くの開拓者から支持されて人口が増えていきます。
1674年から1702年の間は「西ジャージー」と「東ジャージー」に分断されニューヨーク植民地の一部として扱われましたが、1702年からはイギリス王室によって統治されるようになります。1775年に始まったアメリカ独立戦争ではイギリスに反抗した「13植民地」のひとつになり、独立宣言2日前の1776年7月2日にニュージャージー憲法を成立させました。
これらの行為はイギリスを刺激し、アメリカ軍とイギリス軍が行き交ったニュージャージーの地は「独立戦争の交差点」や「革命の交差点」などと言われるようになります。独立戦争の際にジョージ・ワシントンがこの地を拠点にしたことから「革命の首都」とも呼ばれました。このことからニュージャージー州とアメリカ独立は深い結びつきがあるとされています。
アメリカ合衆国誕生後は、北部のなかで一番最後まで奴隷制度を維持した州になりました。奴隷制度の廃止か継続かでアメリカが二分された南北戦争では同州は北軍に加勢し、自由州として戦いました。
南北戦争終結後は産業革命が始まり、繊維産業、鉄鉱石産業などが広がっていきます。そんななか、ニュージャージー州を拠点に活動していたトーマス・エジソンは電話、蓄音機、白熱電球など様々な発明をし、1093の発明のうち520をニュージャージー州で生み出しました。
あまり知られていませんが、ニュージャージー州のエジソンの研究所では日本人の「岡部芳郎」が在籍しており、6年間エジソンと共に働いていました。機関士として航海していた際に病になり、アメリカで途中下船し、そのままアメリカで生活することになった岡部は、研究者の傍らエジソンのボディガードやヘンリー・フォードともキャンプをするなど日米の親交を深めた人物です。
ニュージャージー州はオランダやスウェーデン、イギリスなどに支配され、アメリカ独立の中心地でした。このような歴史から文化、宗教、政治、経済などにおいてリベラルな風潮が残っています。
ニュージャージー州の政治情勢
ニュージャージー州では2012年、2016年の大統領選ではいずれも民主党を支持しています。アメリカではリベラルな州という見方が強く、LGBTの人たちにも結婚の権利があることを法律で認めています。また、2007年には死刑制度を廃止したことでも注目を集めました。このようなことから、リベラルな歴史は現代でも続いていると言えます。
ニュージャージー州の経済
2018年時点、ニュージャージー州の失業率は4.6パーセントです。アメリカの平均よりも高いものの、2009年のリーマンショック後、2013年頃から緩やかに改善傾向にあります。国内トップの裕福層が生活をしており、日本の億万長者に該当する人は国内でトップ3に入るほど多いとされています。
古くから農業や港を活用した輸送業などで栄えてきましたが、現代では科学分野が強く、国内大手の薬品メーカーが拠点を置いています。ベッドタウンでもあるため飲食業や小売り業などのサービス業も盛んです。
ニュージャージー州の税金
2018年時点、ニュージャージー州の消費税は6.6パーセントです。州内では一部の自治体が都市企業エリアと呼ばれる特区に該当するため消費税率が約半分になります。また、家庭で消費される食材や衣類などは非課税です。
しかしながら、所得税などその他の税金を含めると、ニュージャージー州の州民はアメリカで一番税金を徴収されているとされるほど税率は高くなっています。
ニュージャージー州の銃や薬物問題
ニュージャージー州では医療目的に限りマリファナは合法とされています。リベラルな思想やアメリカ北東部のマリファナ全面解禁の風潮を考慮すると、同州も全面解禁になる日は近いとされています。
ニュージャージー州では国内最高レベルの銃規制法があり、火薬やBB弾すらも武器とみなされます。銃を始め武器と見なされる物を所持したうえで傷害や暴行事件を起こすと、持たない場合よりも遥かに厳しい処罰を受けます。
ニュージャージー州の教育または宗教事情
ニュージャージー州はアメリカで2番目に教育水準が高いとされています。4年制大学の卒業率が高いことや、幼児教育の水準も高いことが特徴です。アメリカ東海岸ならではの教育水準の高さと言えるでしょう。
ニュージャージー州はキリスト教に加えてカトリックが多いのが特徴です。アメリカ建国以前にヨーロッパ系の人が多く移り住んできたことが関係しています。さらに、リベラルな州らしく無宗教と回答する人が20パーセントを超えています。
まとめ
ニュージャージー州は東海岸特有のリベラルな文化が根強い州と言えます。さらに、政治や経済、教育いずれの分野でもアメリカでトップクラスです。アメリカのなかでも歴史がある東海岸を代表する州のひとつでしょう。
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