アメリカ西部で最もリベラルな州と言われるオレゴン州はマリファナが全面的に合法で、ごく一部を除いて消費税がかからないことでも有名です。日本人にとっては観光で訪れたカリフォルニア州から足を伸ばせる場所として「買い物天国」と呼ばれることもあります。
とてもリベラルな風潮が強いオレゴン州ですが、その性格は州の成り立ちから既に表れていると言えます。そこで今回はリベラルな州、オレゴン州についてご紹介します。
オレゴン州の特徴
2018年現在、オレゴン州の総人口は約414万人です。西にカリフォルニア州、北にシアトルがあるワシントン州と面しているため人口はそのふたつの州に流れる傾向があります。それゆえに同州には大自然が残されており、クリスマスにアメリカで使用されるクリスマスツリー用のモミの木の大半は同州で栽培されています。
オレゴン州は白人が80パーセントでヒスパニック系が10パーセント以上を占めており、スペイン語を使う人が多く生活しています。黒人よりもアジア系の割合が多く、とくにアジア人は生活費が高いカリフォルニア州から引っ越してきた人が多いとされています。
近年では企業の移転も活発になっており、法人税や生活費が異常に高いカリフォルニア州からオレゴン州に拠点を移す企業は増加傾向です。とくにIT関連の企業がオレゴン州に拠点を移しており、その様相とオレゴン州の自然をかけて「シリコン・フォレスト」と呼ばれてます。
オレゴン州の州名の由来はいくつもあり、フランス語で嵐やハリケーンを意味するouraganや、ポルトガル語で小さな滝に該当するAure il aguaの発音が変化したものなど諸説あるため特定されていません。ちなみに、オレゴン州民は同州の正しい発音は「オラガン」であると主張しており、国内では発音を巡って度々議論が起きています。
オレゴン州の最大の特徴は「リベラルな風潮」でしょう。とくに35歳以下の若者にとってオレゴン州最大の都市であるポートランドは全米で最も住みやすい街として有名です。マリファナが合法であることや、消費税がかからないということ以外にも、自然が近く、歩いて生活できるように整えられた街や環境に優しいまちづくりは世界各国がお手本にするほどです。
オレゴン州はチェーン店よりもローカルならではの飲食店が多く、とくにコーヒー、ビール、ワインなどはローカルのオリジナルブランドが多く、州民から支持されています。オレゴン州民はオレゴン州を大切にする意識が高く、若者の間ではリベラルな風潮を続けようという意味で「Keep Oregon Weird(オレゴンは変な場所であり続けよう)」というキャッチフレーズも生まれました。
また、女性が活躍できる場所を築くことにも注力しており、ポートランド州立大学では女性によるリーダーシップスキルのプログラムが有名です。事実、同州ではこれまでに女性が州知事を2度務めています。リベラルな風潮はLGBTの人たちからも支持されており、次世代を担う若者たちにとって同州は魅力的な存在と言えます。
このようにオレゴン州はリベラルな風潮が非常に強いことが特徴です。また、それらに共感した若者層からの支持を得ており、アメリカの次世代の姿が見える場所とも言えます。
オレゴン州の歴史
オレゴン州は、1859年にアメリカ合衆国33番目の州になりました。この地では15,000年前には人が住んでいたとされ、白人がこの地にやってくる1500年代まではインディアンのシャスタ族、ネズ・パース族など多くの部族が生活していました。インディアン達はコロンビア川に沿うようにして太平洋に面した西部周辺を拠点にしていたとされています。
1543年、スペイン人探検家たちが太平洋からオレゴンの地を見つけ、1565年に本格的な艦船の派遣が始まりました。1778年までこの地への上陸が成功した記録は残っていませんが、この地のインディアンはヨーロッパ製の銀の花瓶などを所有していたことから1700年代初頭には白人がインディアンに接触していたと考えられています。
1778年、イギリスのジェームズ・クック船長がこの周辺を探検し、1792年にはイギリス人探検家のジョージ・バンクーバーが海路から上陸を果たします。1805年には陸路からルイス・クラーク探検隊がこの地を訪れ、後に交易品として使う毛皮用の動物が多く生息していることを突き止めました。
交易が活発化した当初、インディアンは白人を歓迎していたものの、ヨーロッパからの疫病で人口は激減し、白人によって漁場や狩猟場を奪われていきました。次第に立場が弱くなっていったインディアンはアメリカ政府から和解金を受け取り、東のオクラホマなどへ追われるようにして去っていきました。
もともとアメリカ東海岸から始まった開拓ですが、1803年のルイジアナ買収によって西への道が開かれました。ルイス・クラーク探検隊はミズーリ州から陸路でオレゴンに行く道を開き、1843年には子どもを含む875人の開拓者が幌馬車を使ってオレゴンに向かいました。
この幌馬車での旅は過酷なものだったとされていますが、オレゴンにたどり着いた開拓者たちは豊穣な土地を誰よりも先に手にしたのでした。過酷な旅の途中、彼らは目指すべきオレゴンの地を「西のエデン」と呼んでいたことは有名です。この時に自由を目指した人たちの精神は現代にも繋がっています。
1848年、オレゴンの地の境界線を巡ってアメリカとイギリスは戦争寸前までになりますが、北緯49度線を境にすることで平和的決着をし、オレゴンの地は「オレゴン準州」になります。
1850年、アメリカ政府はオレゴンの地に残っていたインディアンたちを強制移住させることで手に入れた土地を開放し、その土地を手に入れようと開拓者が増加します。この際の人口増加に伴い、オレゴン準州は1859年にアメリカ合衆国33番目の州に昇格しました。
州の成り立ちからもリベラルな風潮が伺えますが、オレゴン州は人種差別が根強かった場所としても知られています。とくに非白人種と少数民族のインディアンには厳しく、1844年には奴隷制度を禁止しておきながら奴隷を州外追放し、少数民族には税金を多く課すなどの措置がありました。1951年までは人種間結婚は禁じられており、いまからは想像がつかないほどリベラルとは遠い政策がありました。
自由を目指して始まったオレゴンの開拓や過去の過ちの経験を受け、現代では国内屈指のリベラルな風潮が生まれたと言えるのかもしれません。
オレゴン州の政治情勢
オレゴン州では2012年、2016年の大統領選では民主党を支持しています。1980年代までは共和党が強かったものの、1990年代からは一貫して民主党が圧倒的に強い州になりました。リベラルな印象が強いものの、州内では西部ほどリベラルで、東部ほど保守的という構図ができています。
オレゴン州では1988年にアメリカで初めて不在者投票が承認され、現在ではアメリカ国内で唯一郵送での投票が義務化されています。
オレゴン州の経済
2018年時点、オレゴン州の失業率は4.1パーセントで、アメリカの平均値と同じです。2009年のリーマンショック直後は11.8パーセントまで上昇したものの、その後は緩やかに回復しています。主な産業のひとつに農業があり、ヘーゼルナッツ、ワイン、クランベリーは世界トップレベルの品質と産出量があります。
日本人にも馴染みがあるスポーツ用品メーカーの「ナイキ」や「コロンビア」はオレゴン州に本社があります。近年ではカリフォルニア州からIT系の企業が移転してきており、GoogleやFacebookのデータセンターの一部は同州にあります。
オレゴン州の税金
2018年時点、オレゴン州の消費税は0パーセントです。これまでに10回近く消費税の導入が提案されてきましたが、ことごとく州民に反対された過去があります。同州で最後に消費税が議論になったのは1993年であり、20年以上消費税については議論されていません。
法人税の負担も軽く、国内で税金の負担が少ない州のトップ10に入っています。その代わりに同州の税収は資産税と所得税に依存しているため、不動産所有者や高所得者は税金の負担が大きくなります。
オレゴン州の銃や薬物問題
オレゴン州ではマリファナは合法です。街のいたるところでマリファナが吸えるため観光客に敬遠される問題が生じているほどです。しかし、マリファナを観光産業の目玉にする動きも活発です。
オレゴン州では銃に対する取り組み格付けは「C」グレードとされており、州民10万人に対する銃による犠牲者は11名とやや高い傾向です。一方で、マリファナを解禁したことで銃による犯罪は減少傾向に向かうという指摘もあります。
オレゴン州の教育または宗教事情
オレゴン州の教育水準は国内平均以下とされています。もともと州の支出の半分以上は公共教育に充てられていましたが、近年では高等教育への財源確保が困難になり、予算削減が続き教育水準が下落傾向にあります。
オレゴン州では大半の州民はキリスト教ですが、無宗教の人の割合が高く、おおよそ30パーセントを占めていることが特徴です。国内でも高い水準の無宗教者はリベラルな若者が多く生活していることなどが要因です。
まとめ
オレゴン州は国内屈指のリベラルな州のため、政治や文化など様々な面で独特の風潮があります。アメリカの次世代を担う人たちが集い、新たなアメリカの文化を築く場所になるのかもしれません。
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