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【アメリカ州制度】負の文化が根強く残る場所「サウスカロライナ州」解説

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サウスカロライナ州


アメリカ南東部にあるサウスカロライナ州は13植民地時代にいち早くイギリスから独立し、アメリカ合衆国に参画した後に脱退、その後再び合衆国に加盟したという歴史があります。そして、その背景には経済的な興盛や奴隷制度があります。

サウスカロライナ州はアメリカ史における重要な出来事の中心地で、アメリカの負の文化が根強く残る場所とも言えます。そこで今回はサウスカロライナ州について特徴や歴史を交えてご紹介します。

目次

サウスカロライナ州の特徴

2018年現在、サウスカロライナ州の総人口は約502万人です。もともとはひとつだった兄弟州のノースカロライナ州は1,027万人ですので約半分の人口です。州民の60パーセントは白人ですが、約30パーセントは黒人が占めていることが特徴です。奴隷制度が盛んだったアメリカ南部らしく他州よりも黒人が多いとされています。

州名はイギリス王だったチャールズ(Charles)をラテン読みしたカルロス(Carolus)に由来しています。1729年にカロライナ植民地だった場所がノースカロライナとサウスカロライナに二分されました。ノースカロライナには北に隣接するバージニアから人が集まり、サウスカロライナは広大で肥沃な土地、そして利便性が高い港を使った交易で栄えていきました。

なかでもサウスカロライナ州の繁栄を支えてきたのが米やインディゴの栽培です。内陸部にはプランテーションと呼ばれる農家がいくつもあり、それぞれが大規模な農業を営んでいました。そして、それを支えたのがアフリカ人奴隷です。

奴隷のなかでも田畑を耕す技術がある人や、インディゴ栽培の技術がある人が多く雇われるようになり、たくさんのプランテーションは奴隷たちの知恵と働きによって大成功を収めていきました。この結果、サウスカロライナ植民地は独立するまでは最も裕福な植民地となり、ひとつの国家としても成立するほどになったのです。

サウスカロライナ州は農業や交易で経済的な成功を収めたものの、その原動力になっていたのが奴隷でした。1860年、奴隷制度撤廃を訴えたエイブラハム・リンカーンが大統領に選出されるとサウスカロライナ州は他の南部州の先陣を切ってアメリカ合衆国から離脱を決意し、後に南北戦争の南軍となるアメリカ南部連合を結成しました。

サウスカロライナ州にとって最も大きな出来事となる南北戦争では、もともとは13植民地だったジョージア州、サウスカロライナ州が盟主的な存在とされ、北軍から徹底的に攻撃を受けます。これが俗に言う「Sherman’s March」です。シャーマン将軍が率いる10万人の兵を使ってジョージア州とサウスカロライナ州の鉄道、農地、工場、橋、民家などすべてが破壊されました。

南北戦争終結後、サウスカロライナ州は荒廃し貧困に襲われてしまいますが綿栽培などの農業を中心に再建が進められました。1868年にはアメリカ合衆国へ再加盟しましたが、州内には人種差別や貧困などアメリカの暗い部分が今もなお影を落としています。

サウスカロライナ州は奴隷制度によって成功を収めますが、強い独立心とアメリカ合衆国への反発がすべてを失わせてしまう結果を招いた歴史があります。サウスカロライナ州にとって奴隷制度と南北戦争は切り離せない事実であることが特徴です。

サウスカロライナ州の歴史

サウスカロライナ州は、1788年にアメリカ合衆国8番目の州になりました。その後、南北戦争をきっかけにアメリカ合衆国から離脱し、1868年に再び加盟しました。独立に対する強いこだわりがあり、13植民地のなかでいち早く独立し、なおかつアメリカ合衆国から最初に離脱した歴史があります。


サウスカロライナの地では紀元前1万3千年頃に人が生活をしていたとされていますが、白人による本格的な開拓は1670年頃に始まりました。これよりも100年以上前にスペイン人探検家のエルナンド・デ・ソトがこの地を訪れていることが分かっていますが、その際には入植する人はいなかったとされています。

1715年、サウスカロライナの地ではインディアンのヤマシー族と白人開拓者の間で長い期間かけて殺し合いが続いたヤマシー戦争が起こります。一旦はヤマシー族が勝利したものの、チェロキー族などが白人開拓者に加勢しヤマシー族は壊滅状態になり、土地は開拓者に奪われました。

その後、カロライナ北部と南部に独立した政府が築かれ、事実上の南北分断状態になりましたが、1729年にはそれぞれがイギリス王室領と認められノースカロライナとサウスカロライナに正式に分断されました。1776年3月、サウスカロライナはイギリスから独立を宣言し、同年7月4日のアメリカ独立宣言に署名しアメリカ合衆国に加盟しました。

その後は米、タバコ、インディゴ、トウモロコシなどの農業を中心にして成功しますが、独立戦争の際には州内の奴隷の30パーセントがイギリス軍に加勢または逃げ込み、サウスカロライナを離れました。そして、1860年に反奴隷制度派だったエイブラハム・リンカーンが大統領に選出されて事態が大きく変わります。

サウスカロライナの経済を支えていた奴隷制度を廃止すると州は成り立たなくなる可能性があったことから、他の南部の州に先駆けてアメリカ合衆国から離脱し、奴隷制度存続を訴えました。サウスカロライナ州に続くようにミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州が合衆国から離脱し、アメリカ連合国軍を結成します。

1861年4月12日、北軍に加勢すると発言したロバート・アンダーソン少佐がいるサムター要塞を攻撃し、これをきっかけにして南北戦争が本格的に始まりました。これが南北戦争の始まりを意味する「サムター要塞の戦い」です。サウスカロライナは南北戦争の始まりを迎えた場所でもあります。

1865年、シャーマン将軍の侵攻によって壊滅的な被害を受けたサウスカロライナでは北軍によって奴隷の開放および自由にするための職業訓練などが実験的に行われました。そして、南北戦争によって壊滅した南部の州の再建と奴隷制度崩壊後の政策をいちからやり直す「Reconstruction」が始まったのです。

リコンストラクションは1877年にかけて南部の州を合衆国へ復帰させることや、解放された奴隷の社会的地位向上を目指しましたが、根強い差別意識までは解決できず、サウスカロライナ州を始め南部の州では1960年頃の公民権運動まで公に人種差別が続きました。

サウスカロライナ州は公民権運動後に繊維産業や農作物の栽培で息を吹き返し、軍事基地や税の優遇を条件に多くの企業誘致を進めました。しかし、州民の30パーセントを占める黒人は貧困層が多く、不十分な教育や人種差別などが根強い州の課題になっています。

サウスカロライナ州の歴史は独立、奴隷制度、南北戦争、人種差別などアメリカの暗い歴史がすべて詰まっていると言えます。

サウスカロライナ州の政治情勢

サウスカロライナ州では2012年、2016年の大統領選の際には共和党を支持しています。同州では州議会議員の女性の割合が10パーセント程度とアメリカで最も低く、1969年に批准したものの女性の参政権を否決した過去があります。

また、南部軍の象徴でもあるアメリカ連合国の国旗が教育機関に掲揚されることがあり度々議論になっています。このように保守的でプライドが高い風潮が同州の政治的な特徴と言えます。

サウスカロライナ州の経済

2018年時点、サウスカロライナ州の失業率は4.4パーセントで、アメリカの平均値よりもわずかに高い程度とされています。2009年のリーマンショック直後は12パーセントあったものの現在にかけて緩やかに回復しています。

もともと農業で栄えてきた同州ですが、第二次世界大戦をきっかけに軍事基地が作られ、終戦後も拡張を続けているため関連する製造業は同州の大きな産業になっています。

サウスカロライナ州の税金

2018年時点、サウスカロライナ州の消費税は7.37パーセントです。連邦税が6パーセントで、地方消費税の平均が1.37パーセントです。同州では低い法人税、州の資産税なし、地方所得税なしなど企業に対する税の優遇が多く、とくに海外の製造業が同州に拠点を置いています。企業にとって税のメリットが多いことが特徴です。


サウスカロライナ州の銃や薬物問題

サウスカロライナ州ではマリファナは全面的に禁止されています。アメリカ南部ではごく一部が医療用のマリファナが解禁されていますが、ほとんどは禁止しているため保守的な南部らしい結果と言えます。

サウスカロライナ州は全米ワースト10に入るほど銃による犠牲者数が多く、銃に対する取り組み格付けは最低ランクの「F」です。また、州民10万人に対する犠牲者数の割合は17名と非常に多くなっています。

サウスカロライナ州の教育または宗教事情

サウスカロライナ州の教育水準は全米で下から2番目に低いとされています。幼児教育も含めて水準が低く、教育は州にとって大きな課題です。一方で、1770年設立のカレッジ・オブ・チャールストンや、無宗派の大学で有名なファーマン大学など多様な特徴を持った学校が多いのが特徴です。

サウスカロライナ州ではキリスト教が90パーセントを占めており、非常に信仰心が強い人たちが多いことで知られています。他州とは対称的に無宗教の人はわずか3パーセント程度とされています。

まとめ

サウスカロライナ州は奴隷制度によって成功を収めたものの、南北戦争を境にその姿は大きく変わりました。現代でも人種差別が残っているとされ、アメリカの差別社会の背景を知るには同州の歴史を知るといいでしょう。

本記事は、2018年9月24日時点調査または公開された情報です。
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公務員総研の編集部です。公務員の方、公務員を目指す方、公務員を応援する方のチカラになれるよう活動してまいります。

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