アメリカのほぼ中央に位置しているミズーリ州ですが、実は隠れたアメリカの観光地として知られています。とくにフランス文化の影響が大きく、州内にはヨーロッパのような街道や、道路沿いにワイン工場が並ぶなど美しい光景が広がっています。
日本でも人気の歌手であるシェリル・クロウや、映画俳優のブラッド・ピットが育った場所としても知られるミズーリ州は、別名で「The Show-Me State」とも呼ばれるほど州民は疑い深いことでも知られています。今回は、そのようなミズーリ州の特徴や歴史について解説します。
ミズーリ州の特徴
2018年時点でのミズーリ州の総人口は約611万人です。第二次世界大戦終結後の1946年頃から人口は増え続けています。ミズーリとはミズーリ川に由来しており、この周辺で生活していたインディアンの部族名でもありました。インディアンの言葉で「丸太船に乗った人」という意味もあります。
州名にも関係しているようにミズーリ州はミシシッピ川などの川に沿うようにして街が発展していきました。イリノイ州との州境にあるセントルイス市は開拓時代の要所として栄え、アメリカ大陸東部から始まった開拓が西部へ進む際の玄関口とされていました。
開拓時代に栄えたセントルイス市ですが、現在ではデトロイトに次いで治安が悪い都市としても知られており、2000年以降の調査では常に治安の悪さでトップ3に入っています。 暴力犯罪発生率は州民1000人に対して18パーセントと高く、一部の犯罪率の高さが州全体の犯罪率を高めています。
一方で、日系企業も進出しており外国人が住むエリアは同じセントルイス市内であっても治安が良いとされています。治安が悪いエリアではアフリカ系アメリカ人が90パーセント以上を占めており、治安が良いエリアではその比率が少なく、アメリカ社会の二極化の顕著な例としてセントルイス市は度々取り上げられています。
ミズーリ州を表現する際に用いられる言葉として「The Show-Me State」があります。この言葉には「疑い深い人たち」という皮肉が込められており、ミズーリ州の人たちを揶揄した表現とされています。
この背景には、1899年にフィラデルフィアの議会でミズーリ州出身のヴァンディバー議員が「I am from Missouri. You have got to show me.(私はミズーリから来たんだ、証拠を見せてほしい)」と口にしたことから、ミズーリ州の人はとても疑い深いという印象が広まりました。この一件以降、ミズーリ州の人はあらゆる規制や制度に対して容易には信じない人達として見られるようになったのです。
事実、ミズーリ州におけるタバコやアルコールの生産量が多いことと結びつけ、雇用主はタバコやアルコールなどの依存症を理由に従業を解雇することは難しく、仮に従業員が解雇されるようなことがあった場合は「不適切」と判決が下るほどです。ミズーリ州はタバコやお酒に関しては極めて放任主義の傾向があります。
ミズーリ州は開拓時代に多くのフランス人が交易のために生活していたことから、ワインやビールなどのアルコール生産が主産業でした。世界的に有名なビールのバドワイザーを始め、ミズーリワインなどもミズーリ州を代表するアルコールです。
ちなみに、1904年にミズーリ州のセントルイス市のフォレストパークで開催された万国博覧会においてソフトクリーム、ハンバーガー、ホットドックが一般大衆向けに初めて登場しました。
このようにミズーリ州は開拓時代の要所であったことや、タバコやアルコールの産地として知れれる一方、疑い深い性格をした人たちというイメージが定着しています。
ミズーリ州の歴史
ミズーリ州は、1821年に24番目の州として認められました。もともと、この地では7,000年以上前からインディアンが生活をしていたことが分かっています。ミシシッピ文明と呼ばれる高い文明が築かれており、部族には政治や宗教なども存在していました。
この地で生活していたインディアンは盛り土をしたマウンドと呼ばれる構造物を作っており、ミシシッピ川を沿うようにしてこのマウンドが存在していたことから、古くから川を通じて文明が発達していたことが証明されました。1750年、イリノイからやってきたフランス系カナダ人がこの地で生活を始めたことが白人による開拓の始まりです。
ミズーリの地では小麦やトウモロコシ、タバコの栽培が行われ、船を使って南部のルイジアナなどに運ばれていきました。1764年にはフランス人によってセントルイス市が作られ、この地はフランス領ルイジアナと呼ばれるようになりました。1767年にはスペイン人もこの地で交易を始め、ヨーロッパの生活用品や美術品などと引き換えに毛皮が用いられます。
手漕ぎの船だったものが蒸気船に変わり、ミシシッピ川やミズーリ川での交易は盛んになっていきました。1803年にはアメリカがフランスから領土を買い取った「ルイジアナ買収」により、ミズーリの地もアメリカのものとなります。
開拓が本格化してからは、西部を目指した開拓者たちにとってミズーリは出発点となったことから「西への玄関口」と呼ばれるようになりました。結果的にアメリカの念願だった太平洋への道を発見したルイス・クラーク探検隊が出発したのもミズーリでした。
1812年、ルイジアナ州の一部がミズーリ準州になります。1818年には準州から州への昇格を政府に申請しますが、その際にミズーリは奴隷制度を支持することを表明します。これにより当時の22州が均等に奴隷制度支持11州(奴隷州)、奴隷制度撤廃11州(自由州)に分かれていたバランスが崩れる懸念がありました。
そこで政府はミズーリを奴隷州として州に昇格させる一方、メイン州を自由州として同時に州に昇格させバランスを保ちました。このことは「ミズーリの妥協(Missouri Compromise)」と呼ばれています。
1848年、アメリカ西部でゴールドラッシュが始まります。これによりミズーリ州内に西を目指す人たちのためにたくさんの街が作られました。これまで「西への玄関口」と知られていたミズーリ州は、この頃から「西への出口」と呼ばれアメリカ西部の開拓に拍車がかかっていきました。
南北戦争の際には奴隷州だったミズーリ州ですが、多くの州民は奴隷反対派のアメリカ合衆国(北軍)からの離脱に反対し、奴隷賛成派のアメリカ連合国(南軍)に加わることを拒否しました。南北戦争終結後の1865年にはミズーリ州は奴隷制度を撤廃し、南軍を支持した人からは選挙権を剥奪し、特定の職に就くことを禁じる法を成立させました。
ミズーリ州はこの頃から女性が参政することを目的とした活動を始めており、1867年に組織化された団体はアメリカ初の女性参政団体になり、今日の女性が活躍できる社会実現の先駆けになりました。
このようにミズーリ州は開拓時代から東西を結ぶゲートウェイでした。それを象徴するようにセントルイス市には高さ192メートルのアーチが1965年に建設されました。このアーチはいまでもミズーリ州の象徴として広く知られています。
ミズーリ州の政治情勢
ミズーリ州では2012年、2016年の大統領選でいずれも共和党を支持しています。古くから民主党と共和党が拮抗する州として知られており、その時の政治を決定付ける州と言われています。大統領選においてはミズーリ州で勝利した人物が大統領になっている確率が高いとされています。
州の産業でもあるタバコやアルコールに関する規制が緩く、公共の場での飲酒や泥酔は罪にならず、タバコにかけられる税率が国内で最も低く「全米で最も喫煙者に優しい州」とされています。アメリカでは珍しく50席以下であればレストランでも喫煙可能です。
ミズーリ州の経済
2018年時点、ミズーリ州の失業率は3.5パーセントです。小麦やトウモロコシなどの農業が主産業ですが、近年では隠れた観光地として人気を集めています。とくにワイナリーがあるエリアの光景はヨーロッパそのものとして知られ、アメリカのなかのヨーロッパとして親しまれています。
酒、タバコに関する規制が緩いことから愛煙家やお酒好きに支持されており、近年では隣州のカンザス州と共同でカジノ施設の建設が相次ぎ、観光業の成長を後押ししています。
ミズーリ州の税金
2018年時点で、ミズーリ州の消費税は8.03パーセントです。連邦税が4.225パーセントに対して、地方税の平均が3.8パーセントです。アルコールやタバコなどの税率が低いため、消費税は僅かに高めです。
近年、ミズーリ州議会では「暴力的なゲームに課税をすべき」という論調が起きており、相次ぐ銃乱射事件に独自で歯止めをかけようとしていることが物議を呼んでいます。
ミズーリ州の銃や薬物問題
ミズーリ州では医療目的でも娯楽目的でもマリファナは違法です。タバコやアルコールに対して規制が緩いことから、他州よりもマリファナに移行する人が少ないとされています。ミズーリ州では州民10万人に対して銃による犠牲者が18人と非常に高い割合で、銃を使った犯罪も多く、銃への取り組み格付けは最低ランクの「F」です。
ミズーリ州の教育または宗教事情
ミズーリ州の教育水準は国内の中央値とされています。7歳から17歳までの教育は義務とされていますが、必ずしも学校に通う必要はなく、州法では家庭教育も認められています。州内には全米大学20傑のひとつセントルイス・ワシントン大学などもあります。
ミズーリ州の宗教はキリスト教が80パーセント以上を占めています。開拓時代から続くフランスの影響もありカトリックも多く、1818年にはカトリック系の神学校が設立されました。ミシシッピ川より西では初の大学でカトリックの歴史がある州です。
まとめ
ミズーリ州は東西を結ぶゲートウェイであり、ミシシッピ川やミズーリ川を使って発展を遂げてきました。また、タバコやアルコールなど主産業への規制が緩く、自州を守る意思が強い州と言えます。それ故に「The Show-Me State」の印象が残るのかもしれません。
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