「ドミニカ共和国」ってどんな国?
「ドミニカ共和国」の正式名称はスペイン語で「República Dominicana」、英語では「Dominican Republic」です。漢字では「多米尼加」と表記し、その他「土弥尼加、多明各共和国、多米尼加、多米尼加共和國、多明尼加共和國、多明尼加」などとも表記されます。
「ドミニカ共和国」の広さ 面積・場所について
「ドミニカ共和国」の面積は約48,442平方キロメートルで、九州に高知県を合わせた広さです。
「ドミニカ共和国」の場所は、西インド諸島の大アンティル諸島のイスパニョーラ島東部にあり、同島西部にあるハイチと国境を接しています。
「ドミニカ共和国」の首都について
「ドミニカ共和国」の首都は「サントドミンゴ」で、「サントドミンゴ」は、座標は、北緯18度28分58.8秒、西経69度55分0.2秒に位置しています。
「サントドミンゴ」の人口は、2007年現在、約91万3,540人です。
「ドミニカ共和国」の人口について
「ドミニカ共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約1,073万人であり、人口密度は、約214.81人で、第46位です。
「ドミニカ共和国」の成り立ちについて
「ドミニカ共和国」は、1492年にコロンブスによるイスパニョーラ島が発見、1697年に同島の西側が仏領となり、1795年に仏西戦争の結果全島が仏領となりました。
1804年にハイチとして仏から独立、1814年にパリ条約で東側はスペイン領となり、
1822年にハイチ軍によって占領、1844年にハイチから独立、1861~1865年にスペインと合併されました。
1916~1924年は、米国によって軍事占領があり、1930~1961年は、トルヒーリョ将軍による独裁が継続、1961~1963年にクーデターによって軍事評議会が開催、1965年に政府軍と反政府軍の武力衝突が発生しました。
1996年にフェルナンデス大統領(PLD)が就任、2000年にメヒーア大統領(PRD)が就任、2004年にフェルナンデス大統領(PLD)が就任、2012年にメディーナ大統領(PLD)が就任、2020年にアビナデル大統領(PRM)が就任しました。
「ドミニカ共和国」の国民・宗教・言語について
「ドミニカ共和国」の国民について
「ドミニカ共和国」の人種割合は、ヨーロッパ系が約16パーセント、アフリカ系が約11パーセント、ムラートが約73パーセントで、約10~20パーセントは、先住民であるタイノ族の血が流れています。
「ドミニカ共和国」の宗教について
「ドミニカ共和国」の国家宗教は、ローマ・カトリックが約64パーセントで、ユダヤ人はヨーロッパでのナチスによる迫害から逃れたものが、1930年代後半になってからようやくドミニカ社会に現れるようになりました。
「ドミニカ共和国」の言語について
「ドミニカ共和国」の公用語は、スペイン語で、国民の間ではカリブ・スペイン語の方言であるスペイン語ドミニカ共和国方言が話されています。
しかし、移民によってハイチ・クレオール語やフランス語、ドイツ語、英語、イタリア語なども使用され、特にハイチ・クレオール語はハイチ人移民やその子孫によって、約120万人に使用されていると推測されています。
ドミニカ共和国のスペイン語は、語彙の面でアラワク族の言葉の影響を大きく受け、他国のスペイン語に比べると、かなり癖があります。
「ドミニカ共和国」の経済状況について
「ドミニカ共和国」の通貨はドミニカ・ペソで、GDPは約88,941億米ドルで、世界67位です。そして、一人当たりのGDPは約7,530.19米ドルで、世界78位です。
「ドミニカ共和国」の貿易について
「ドミニカ共和国」の貿易相手は主に、輸出が米国、スイス、ハイチ、プエルトリコ、カナダで、輸入が米国、中国、メキシコ、スペイン、ブラジルとなっています。
「ドミニカ共和国」の主な輸出品目は、フェロニッケル、金、銀などの鉱物、光学機器・精密機器、電流遮断機などの電気機器・部品、輸血用器具などの医療機器、カカオ、綿Tシャツで、輸入品目は、石油・石油関連品、天然ガス、機械類・電気機器類、自動車、医薬品、鉄鋼、穀物です。
「ドミニカ共和国」の政治・政策について
政治体制について
「ドミニカ共和国」は、立憲共和制で、議会は、二院制、上院は32名、下院は190名で、任期は4年です。
「ドミニカ共和国」の政策
「ドミニカ共和国」は、1492年、コロンブスが、その第1次航海で現在のドミニカ共和国北部に到達し、同地はイスパニョーラ島と命名され、新大陸におけるスペインの最初の植民地となりました。
1697年にリスウィク条約により、同島は二分され、西側はフランス領になり、1795年の仏西戦争の結果、全島がフランス領になり、1804年ハイチとして独立されました。
1814年にスペイン系ドミニカ人が決起し、島の東部は再びスペインに帰属、1821年にスペインからの独立を宣言、1822年、ハイチは、同島東部がスペインの保護を離れた機に、同島東部は占領されました。
1844年、同島東部はドミニカ共和国として独立、ハイチの脅威が続いたことから1861年にスペインの保護を求めてその支配下に戻るが、1865年に再び独立しました。
ドミニカ共和国の政局と経済が不安定を極めた中、米国に依存するようになり、その経済支配下に組み込まれ、1905年に米国は、ドミニカ共和国の対外債務支払いを保証するため関税徴収権が確保され、軍事干渉も可能にする協定を結ばせて事実上の保護国とされました。
1914年に第一次世界大戦が始まると、ドイツの影響を懸念した米国によってドミニカ共和国は軍事侵攻され、1924年まで軍政下に置かれました。
1930年代からのトルヒージョ独裁体制を経て、1962年末に民主的選挙が実施され、1963年に左派「ドミニカ革命党(PRD)」政権が発足されました。
しかし、7か月後のクーデターを経て、1966年まで軍主導の臨時政府が政権を担った。この間、左右勢力による対立が内戦に発展し、米国による軍事介入を招きました。
1966年に軍・旧体制派の支持を得て発足したバラゲール政権は、米国の支持も背景に政権基盤が確立、トルヒージョ政権崩壊前後の約2年間に加えて、1966年~1978年の3期、1986年~1996年の3期の政権を担いました。
左派PRDは、1978年~1986年、さらにメヒーア大統領の下で2000年~2004年に政権を担いましたが、メヒーア大統領では、汚職問題、経済不安定化など厳しい政権運営を強いられました。
ドミニカ解放党(PLD)のフェルナンデス大統領は、1996年~2000年、2004年~2012年に政権を担い、同大統領は、経済成長、国際化、近代化を成し遂げたと評価されました。
一方、自由主義経済政策推進により貧富の格差が生じ、治安対策、失業対策や汚職対策に成果を上げることができませんでした。
2012年5月の大統領選挙では、与党PLDのメディーナ候補(元大統領府相)が約51.2パーセントの票を集めて当選し、同年8月に就任しました。
メディーナ政権は、GDP比4パーセントを教育費に充て、識字教育に力を入れ、毎週末に「サプライズ訪問」と呼ばれる地方訪問を行い、農民への低金利貸付や学校、病院の建設など低所得者層を対象とした社会政策が積極的に推進されました。
2015年6月に憲法が改正され、大統領の連続再選が可能となり、2016年5月の大統領選挙では、メディーナ大統領が同国史上最多の得票率約61.7パーセントの票を獲得し、再選を果たしました。
メディーナ政権は、教育予算の対GDP比4パーセントの確保、観光開発、地方経済支援と低所得者向け施策、マクロ経済の安定等の成果をあげましたが、治安や汚職等の社会問題があったほか、国民の多くが経済成長を実感できないとして、国民の不満が高まりました。
また、2020年大統領選挙に向けての、メディーナ大統領の更なる連続再選の問題を巡り、与党の分裂を招きました。
2020年7月、大統領選挙が行われ、野党現代革命党(PRM)のアビナデル候補が約52.5パーセントの票を得て当選しました。
国会議員選挙では、野党PRMが上下両院ともに第1党(上院32議席中18議席、下院190議席中90議席)を獲得しました。
2020年8月に発足したアビナデル政権は、新型コロナウイルス感染症対策の強化、医療分野の改善、官民連携を通じた雇用創出、汚職取り締まりを主要課題として掲げています。
「ドミニカ共和国」の元首・首相・外相について
「ドミニカ共和国」の元首について
「ドミニカ共和国」の元首は、ルイス・ロドルフォ・アビナデル・コロナ大統領です。
「ドミニカ共和国」の首相・外相について
「ドミニカ共和国」には、首相職がなく、外相は、ロベルト・アルバレス・ヒルです。
「ドミニカ共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「ドミニカ共和国」は、対米重視、EUと協調関係を維持しています。
アビナデル政権は、第一の貿易相手国であり、200万人のドミニカ人が居住する米国との戦略的関係を強化する方針を表明しています。
カリブ諸国連合(ACS)の原加盟国、中米統合機構(SICA)加盟国(2013年10月正式加盟、カリブ共同体(CARICOM)オブザーバーとなり、2007年3月に米国と自由貿易協定(DR-CAFTA)が発効されました。
2008年10月にEUとの経済連携協定を批准、2020年9月英国との経済連携協定を批准、2016年~2017年はCELAC議長国を務め、2019年~2020年の国連安保理非常任理事国となりました。
隣国ハイチとの関係は1994年10月以降、相互に緊密化を模索、ドミニカ(共)は2010年1月のハイチ地震災害に際して、積極的に支援が行われました。
他方、100万人以上といわれるハイチ人の不法移民問題が大きな課題となり、2013年から政府によって「不法移民正常化計画」が実施、2017年まで約26万人が登録されました。
最近は再びハイチからの不法入国および国境地域の治安が問題視されており、政府によって国境監視が強化されています。
2020年10月、アルバレス外務大臣は国連安保理協議会に出席した際、ハイチの政治的、社会困難に対するドミニカ(共)単独での解決策はないと明言し、国際社会への協力が要請されました。
長年台湾と国交を維持してきましたが、2018年4月に中国と外交関係が樹立、2018年11月、メディーナ大統領が中国を訪問し、首脳会談、18の協定及び覚書への署名が実施されました。
アビナデル大統領は、米国との戦略的な同盟関係を重視する姿勢を示し、中国については、投資をドミニカ(共)の戦略的分野(空港、港、通信)以外に限定するとして、一定の距離を置く姿勢を示しています。
昨今のベネズエラ情勢の解決を目指し、2017年9月から2018年2月まで6度にわたってベネズエラ与野党間対話が実施されましたが、合意には至っていません。
2018年6月、政府は、ベネズエラ大統領選挙プロセスが正当性を欠くとのOAS決議を支持する立場が表明されました。
2021年1月、政府は、1月5日に設置されたベネズエラ議会の正当性を否認。ベネズエラにおける人道危機、民主主義および人権問題の悪化に対する懸念が表明されました。
軍事力は、予算は、2017年において約496百万ドル、兵役は、志願制、兵力は、約
5万6,050人で、その内訳は、陸軍が約2万8,750人、海軍が約1万1,200人、空軍が約1万6,100人です。
「ドミニカ共和国」と「日本」の関係は?
「ドミニカ共和国」と「日本」の政治関係は、1934年11月に外交関係が樹立、1941年12月に外交関係が断絶、1952年6月に外交関係が再開、1957年に互いに大使館が設置、2006年7月に日本人移住50周年を迎え、2015年に日・中米交流年を迎えました。
経済関係は、対日貿易において、2020年現在、貿易額は、輸出が約127.53億円、輸入が約170.67億円で、主要品目は、輸出が科学光学機器、電気機器、医薬品、カカオなど、輸入が自動車などの輸送用機器、科学光学機器などの精密機器、一般機械、鉄鋼などです。
文化関係は、2017年現在、一般文化無償資金協力が19件で約7.65億円、草の根文化無償資金協力が5件で約4,218万円となっています。
在留邦人数は、2020年3月現在、721人、在日ドミニカ共和国人数は、2019年6月末現在、610人です。
まとめ
以上、国特集「ドミニカ共和国」でした。
ちなみに、「ドミニカ共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「156位」でした。
FIFAデータ
https://fifaranking.net/ranking/
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