現代社会が生み出す子供の「いじめ」と不登校問題!問題はいったいどこに?

学校の先生の現場の課題であり、社会課題となっている「いじめ」についてのコラムです。

そもそも「いじめ」とは、何かから、昔と今のいじめの質の違いやいじめがなくならない理由などについて考察しています。


何十年も前から消えることのない「いじめ」や「不登校」の問題。もしかしたら昔いじめを受けたことがある方、又人をいじめているという認識がなくても、ふざけ半分でいじめをしてしまったと感じる方も多いのではないでしょうか?

今回は、社会課題となっている「いじめ」についてのコラムです。

そもそも「いじめ」とは・・・

そもそも「いじめ」とは、相手に身体的または心理的な攻撃を加えることをいい、又相手が苦痛を感じる様子を見て快楽を感じることをいいます。特に学校でのいじめについては、文部科学省が「当該児童生徒が、一定の人間関係にある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」と定義されています。

しかし、従来からずっといじめの問題に対して語り続けている日本の現代社会でも、未だこうした問題が完全になくなっていないのが現状です。いったいどうしていじめというものが生まれ、そしてそれがなくならないのか、その理由について突き詰めていきましょう。

昔と今のいじめの質の違いとは

まず昔と今ではどのようにいじめの質が変わっているのでしょうか?その違いについて解説していきましょう。

昔は、インターネットはありませんでした。当然、便利なスマホなどの携帯電話などが普及していななかったため、直接的な会話におけるいじめが一般的で、口で罵声をいわれたり、馬鹿にされる程度のものでした。

しかし、近年では、ネットの普及による「ネットいじめ」が、深刻化した問題となっています。ネットでのブログやLINE等、「匿名だからばれない」というメリットを活用して、いじめが加速してきているのも要因の一つになっています。

特に、携帯をもつ子供が増えたことによって、LINEという直接会話をしない手段によって自殺を図った事例もあるほど、こうしたLINE等の携帯を活用した見えないいじめが深刻な問題となっています。

いじめや不登校が起こる要因とは

まず「不登校」が起こる原因には、当然いじめと学校の授業が大きく関与しています。いじめがなく、楽しい学校生活が送れていれば、まず不登校になるリスクは基本的にないと言ってもよいでしょう。しかし、いじめがなく、不登校が起こる場合の要因として挙げられることがあります。それは、授業に対して

・わからない
・やる気が起こらない
・先生との相性が合わない

等の場合です。特に授業自体にやる気が起こらないことで、子供はとても敏感に反応します。意味がわからないことややりたくないことに対して、非常に素直な心を持っているのが子供です。こうした感受性豊かな子供は、そのストレスを敏感に察知するため、授業を受けたくないという思いが不登校という行動に走っていくのです。


それでは、もう一つ大きな問題である「いじめ」はいったいどうして起こってしまうのでしょうか?その理由には、大きく4つの理由が挙げられます。

<いじめが起こる4つの要因とは>
・外見
・性格の不一致
・家庭環境問題
・教師によるいじめ

まずいじめが起こる大きな理由として、外見が非常に大きく関与しています。しかし、どうして外見が、いじめを引き起こす要因となっているのでしょうか?

先程子供は、感受性が豊かと言いましたが、実は、これが大きく関与しており、子供の間は、非常にイヤなものはイヤという意志が非常にはっきりしている点にあります。そう。見た目が受け付けない、話すだけでイヤ等、そうしたことだけでも、それがいじめの対象となっていくためなのです。又いじめの対象になりやすい人にも特徴があり、外見のうち身長が低い人程いじめを受けやすい傾向があります。こうした微妙な外見の差によっても、気に入る、気に入らない等の差が生まれ、いじめの要因が自然と作り出されてしまうのです。

又その他の要因としても、付き合いをしていくうちに徐々に相手のことがいやになってしまい、性格の相性や喧嘩等によって歪みがうまれ、いじめに発展してしまう場合があります。

又家庭環境も大きく影響を及ぼします。人の家庭環境の違いによって、子供の性格を大きく変化させてしまう場合があります。家庭環境による性格の豹変によって、いじめをすることがストレス解消になってしまう子供や人によっても様々な感情が生まれやすくなり、これがいじめに発展していくのです。

そして近年よく耳にする教諭からのいじめです。教諭による暴言が行われる場合等もいじめや不登校になりやすい原因の一つですが、近年は教育法でも教諭を厳しく罰せられるようになっているため、こうした問題はだいぶ少なくなっており、教諭の立場が非常に弱いものになってしまっているため、逆に教諭の立場が弱くなったことで、生徒が教諭に暴力をふるうような環境も生まれてしまっているのも大きな問題の一つになっているのです。

いじめがなくならない訳とは

それでは、何十年も前から起こり続けているこのいじめの問題は、いったどうして解決することができないのでしょうか?

<いじめがなくならない理由とは>
・いじめそのものが生まれやすいため
・いじめは遊びから始まる
・仲の良い仲間からも発生する
・時代の流れによっていじめの形が変化するため

一つのいじめを事例に解説していきましょう。これは、親しみやすい教諭が生徒を少しからかうようなことを、皆の前で言っており、その状況を見ている生徒が特定のその子をからかうようになっていくことで、そのからかうという行動がエスカレートしてしまう事例です。からかうという行動は、加害者側にとってみれば、それ自体が遊びみたいなものであり、いじめをしているという認識がないことになります。

又中学に上がった時に仲間のグループが変わったりして環境が変化したことによって、その子が仲良いと思っていた子からある日突然いじめが始まったのです。

実は、私も同じようないじめ(からかい)を受けた経験がありました。その仲間は、同じクラスの仲間であり、小学校の時に仲良かった友達と一緒にいたはずが、その中で鬼ごっこをしていると、いつも鬼になってしまうのです。それから、登下校の時も一緒に帰ろうとしていると、突然逃げられたりすることがありました。いじめとまではいかなくても、小さな嫌がらせが、そのグループ内でエスカレートしていくのです。又中学校に上がると、その中のいじめの主犯がいなくなることで、そのいじめがパッタリおさまったのです。

このように、いじめというものは、非常に些細なことから生まれやすく、又仲のいい仲間からでも発生するものなのです。

国立教育政策研究所のいじめ追跡調査によると「いじめを受けていますか?」というアンケートに対して、小学校の6年間でいじめを受けた経験のある子は、なんと90%以上と言われています。そして、加害経験のある子も、89%と、かなり高い比率でいることがわかります。さらに、日本のいじめの約8割が、クラス内で起こっているのです。同じクラスで同じ空気を吸って、仲間であればあるほど、密接な関係性の中でいじめは起きるのです。

いじめは、その環境や人との境遇によっていじめの被害にあったり、時には、加害者側に入ったり、その形を変化させることができるのです。今のいじめの大きな特徴は、常に流動的にその形を変化させ、どっちにでもなれる状況にあることなのです。


このようにいじめは、突発的に発生するいじめや知らずのうちに生まれているいじめ等、形を変化させ、簡単に現れるため、いじめという問題がなくなりにくいのです。

いじめはなくすことができるのか?

それでは、いつの時代でも消えることのない、このいじめの問題は、完全に抹消することはできるのでしょうか?

先に回答から申し上げておくと、それは、まず不可能と言ってよいでしょう。それは、子供の心が伝えるものだからです。人の心は、100人いたら、100人の感情があります。一つの学校という枠組みの中で、そのすぐに生まれるいじめは、いじめと捉えにくいいじめやわかりにくいいじめ、軽いいじめやひどいいじめ等、そのいじめの形は様々であり、又時間の経過や環境の変化に伴って消えていくいじめもあります。

人を無視したり、冷たく接したりすることも、人によってその捉え方は様々であり、それをいじめと捉えてしまうケースもあります。その人が特定の人を無視したり、冷たく接することは、家族同士でもおこりうることです。そうした行動に出ることは、日常的に起こりうる小さな問題なのです。そうした小さな問題が学校という環境がさらに問題を大きくしてしまい、そのいじめにも様々ないじめの形が存在するため、いじめ問題は根が深いといえる問題なのです。

近年、大人の社会の中でも電通の過重労働勤務に伴って一人の女性の命を奪う大きな問題になりましたが、こうした問題も私は、大人の社会における一つのいじめと同じような問題だと思っています。

企業という大人が働く社会の中にも様々な問題や事情が潜んでいます。そんな中1人の女性の叫びを聞いてあげられない。その人の思いが、周りの人に届かない、届きにくい、そうした環境こそがその人の命を奪う結果になってしまったのです。

いじめとは、子供だけがやっている問題ではないのです。大人の社会でも、他人を何の脈略もなく傷つけたりする行為はいくらでも存在します。誰かにはぶられたりすることって、大人になってもあると思うし、嫌味や悪口を言われることもあります。それはリアルでも、職場でいえば、パワハラやセクハラ等の言葉に変わって存在しています。これもいじめの一つですし、違法労働をさせる会社や弱者対策を怠り、多くの貧困者、死亡者を出す国についても同様なのです。

大人の社会でも、子供の社会でも共通している言えることは、自己利益を追求して、他人を犠牲にする環境が生まれてしまい、人を傷つけるということなのです。大人の社会でも消えることのない問題なのですから。子どもの社会で消えるわけがありません。

もしかしたら、そうした全ての人の心の叫びを聞いてあげることは非常に難しい問題なのかもしれません。だからこそ、いじめという問題はなくならないのです。

但し、なくすことができなくても、減らすことができます。生まれてはでてくるものをいかに減らし、気づいてあげられる環境を作ることこそが、これからの未来においてとても大切なことなのです。

まとめ

いじめは、決して子供だけの問題ではありません。大人の社会でもいじめは起こっているのです。社会人になっても、様々な性格に人がいるため、大人の中でもいじめというものが起こってしまうのですから、感受性豊かな子供との間で、当然完全にいじめがなくなるはずがありません。人間である以上、いじめをなくすことは、できないものなのかもしれません。しかし、いじめを減らすことはできます。

それには、人間同士お互いがいじめは絶対してはいけないという意志表示、そして行動が必要なのです。そしてもしいじめをしている人を見つけたら、それを回りの皆が止める行動力が必要になります。ここで重要なことがいじめというものに対して、周り全体が注意を促すことができる環境、そしていじめに対する国の法律ができることが、より一層いじめを減らすことができる一歩に繋がることでしょう。

本記事は、2018年9月1日時点調査または公開された情報です。
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