子供の学力低下の本質とは
元・保育士で現在の人事採用の仕事をしています。
現在の職場で「学生の質が低下している」という話しを良く聞きますが、実際には、そんなことはないだろうと思います。
なぜなかとういうと、1990年代の18歳の人口は約200万人ほどでした。その中で大学に進学するうちのは35%ほどいましたが、現在の18歳人口は118万人と、1990年と比較して約6割ほどまで人口が減少しています。しかし進学率は、58.7%に増加しているため、大学数や学生数は増加傾向にあります。そのため、「学力」という観点から判断するのであれば、学生の学力は、ひどく低下しているわけではないのです。
以前ゆとり教育という政策が行われたことによって、ゆとり教育と称して学校が、土曜日が休みになり、授業内容が大幅に削減されたことで、子供が勉強をしなくなったというレッテルを張られ続けているだけなのです。
では、どうして未だに子供の学力低下という言葉が残り続けているのでしょうか?
それは、学力が低下したのではなく、さまざまなことが要因となって、現象としては生徒が勉強しなくなっていきていることが挙げられます。特に今の日本人高校生は、中国人生徒の3分の1しか勉強していないという統計結果が現れています。日本の学校外の勉強時間が、平日で50分であるのに対して、中国では147分であるとも言われています。しかも1980年代の日本の平均授業時間は、100分であったというから、この20年あまりで半減したことになる。勉強時間が少なくなれば、学力が低下するのは当たり前のことなのです。
学校で勉強する時間を増やせば学力がすぐ上がるものではないですが、勉強量や学力低下問題は、社会全体の大きな変化という視点からもっと分析する必要があるのです。それではいったいなぜ日本人は、ここまで勉強しなくなったのでしょうか?
そもそも「ゆとり教育」とは何でしょうか?
そもそもゆとり教育とは、いったいどういうものなのでしょうか?
ゆとり教育の目的は、生徒の勉強の負担を軽減することで、その分、心のゆとりを確保することで、のびのびした自由な発想を育むことを促進するための教育指導方針として導入されたものです。さらにそれは、国際社会の中での学力を形成することを目的として作られています。そのために3つの育みを掲げて取り組まれています。
<ゆとり教育の3つの育みとは>
1)考える力を育む
2)生きる力を育む
3)豊かな人間性の育む
人が社会人として生きるためには、今後の未来では、国内のみで存続するための企業の生き方では、社会人としての成功は非常に難しいものとなります。海外へと進出していく力を養う必要性が大きな未来を生む糧になります。そのために、世界的に渡り合っていくための会話力や説得力を与えるディベート力を若いうちに育てる必要性があるのです。特に日本人にとって海外で成功していくためには、独創的なユニークな発想力が必要不可欠になるのです。
しかし、ゆとり教育では、こうしたディベート力や独創的な発想力を養うことに注力するあまり、基礎的な学力を向上させるための授業時間を削減してしまってきたことで、その社会に必要である能力に時間を確保してきていたのです。これが、いわゆるゆとり教育の中で問題となっている学力低下に結びついてしまっており、ゆとり世代は、この学力低下のレッテルを張られ続けてしまっているのです。
ここで、皆様にも一つ勘違いしてほしくないことがあります。それは、ゆとり世代で生きてきた人が、じゃあ、勉強をしなくなったかというとそういう訳ではありません。私が付き合ってきた人の中で非常に色々な知識をもったゆとり世代の方がいます。ゆとり世代だからと言って、勉強ができない子しかいないと思うかもしれませんが、決してそんなことはありません。
<ゆとり教育がもたらすデメリットとは>
1)授業内容がつまらなくなった
2)勉強量と学力低下
このゆとり教育がもたらすデメリットとして大きな問題となっているのが、学力低下問題です。皆様もゆとり教育の中では、小学生の間に台形の面積を習わない等は聞いたことがあるかと思います。これほどまでに従来には早い段階で学んでいた基礎学習も、それを習得する時期が遅れてしまうため、受験までの間に自分でそれを学習しなくてはいけなくなってしまったため、基礎学力の低下に不安を余儀なくされるという問題が生まれてしまっているのです。
しかし、決してゆとり教育の全てが悪いものという訳でありません。ゆとり教育が本格的に実施され始めたのは、2000年に入ってからですが、実際には1980年代からその教育方針は、段階的に詰め込み教育方針からゆとり教育方針への移行準備は進められていたのです。
<ゆとり教育がもたらすメリットとは>
1)学校別独自学習カリキュラムの導入
2)農家での芋掘り等課外学習体験
3)語学研修/語学演習
4)ごみ拾い等のボランティア精神の養成
このゆとり教育の導入によって各学校がその創意工夫によって独自の学習カリキュラムを組み、バラエティに富んだ学習機会を生徒に与えようというのが、総合学習の狙いとなっています。特に多くの学校では英語や中国語等の語学学習を導入したり、ゴミ拾い等によるボランティア精神の養成等、学校における独自の試みが行われています。しかし、実際には、英語などの語学学習の時間等にあててしまう学校が多いようです。
勉強量と学力の低下における問題のその他の要因とは
しかし、勉強量と学力低下問題の全てがゆとり教育によるものかというとそうではありません。特にゆとり教育のせいだけに押しつけるのは早計です。日本の教育の中で学力低下の問題は、そんな単純なものではないと私は思います。そう。勉強量と学力低下の問題は、その他にも様々要因が考えられるのです。
<勉強量と学力の低下における要因とは>
1)家庭環境問題
2)ネット社会における記憶力の低下
3)競争心の低迷
4)少子化
勉強量と学力の低下におけるその他4つの要因が挙げられます。
その1「家庭内のしつけや家庭環境」
まず一つ目に挙げられるのが、家庭内におけるしつけや教育等の家庭環境の問題です。これは、どんなにゆとり世代であろうとなかろうと、親からの正しいしつけや教育を受けていなければ、勉強をしない環境が生まれてしまい、学力の低下をしてしまうこともあるということです。
勉強量と学力の低下は、学校教育のみならず、自宅にいる間のしつけやその環境も、学力低下を招く要因になります。特に核家族化が進んでいる現代では、親が共働きであったり、叔父や叔母が一緒に住んでいない環境が多いため、子供と接する時間が圧倒的に少なくなっているためなのです。又食事の時間以外は、部屋のこもってしまう等子供と一緒にいる時間が減ることで、子供の生活を把握できていない家庭環境では、こうした学力低下が生まれやすくなるのです。
しつけがなく、なんでもできる環境を子供に与えていると、自律心が欠如してしまい、厳しく自分を律することができなくなるためです。だから、学校の勉強を一生懸命しなければならないのに、ついつい怠けてしまう。学習の習慣が身に付かない。遊びにうち勝つ強い精神力がなくて、どうやって勉強できるのか。きちんとした生活習慣こそが学力を付ける第一歩である。それができていない結果として低学力が引き起こされてしまうのです。
インターネットの普及
現代は、ネット社会と言われるほど、インターネット事業が普及したことで、パソコンや携帯一つで様々なことを瞬時調べられるようになりました。何をするにも携帯一つでできるようになったことで、記憶に留める、書くということをしなくなったことで、勉強に対する意識が低下してきてしまっているのです。
又携帯電話は、ゲーム等の遊びにも活用することができます。小学年の高学年生にもなると一人一台の人が携帯持っているとも言われる程、学校生活や日常生活でも利用している子供が増えてきているのが実情なのです。特に携帯ゲームに時間を費やす時間が増えれば増えるほど、携帯への依存性が高くなるため、それだけ勉強する意欲が失われていきます。
このようにネット社会による普及は、勉学の意欲を低下させてしまうアイテムともなっているのです。
又その他にも、こうした携帯ゲームやテレビ、マンガ等遊ぶためのアイテムが普及してきていることも、様々な遊びができる環境が増えたことも大きな学力低下の要因になっています。勉強より面白いものがいっぱいあるのだから、決して楽しいとは言えない勉強に目を向けなくなるのは当たり前のことです。
日本の豊かさ
そして、勉強量と学力の低下のもう一つの理由として、日本経済が豊かになったことによる競争心の低迷も大きな勉強量と学力の低下の要因となっています。戦前戦後の間では、食べ物がまだまだ少なく、贅沢な暮らしができなかった時代。家庭内の裕福な家庭と貧困層の差には多大なる差が生まれていました。しかし現代社会では、比較的給与所得の低い家庭でも、それなりの生活できるまでに日本の経済が大きく発展しているため、食に困ることがなくなってきている子供が少なくなってきているのが実情なのです。そのため、こうした日本経済の発展が、裕福になるための競争心が低迷してきているのです。ある程度の稼ぎがあれば、食べていけるため、勉強して大金持ちになりたい。そうした考えを持たない子供が増えてきているのです。いや、勉強をしたからと言って、生活が裕福になるとは言えない日本社会が生まれしまっているのです。これが、学力を低下させてしまう要因の一つとなっているのです。
それだけ日本の生活水準自体が豊かになったことで、貧困レベルが改善してきていることはうれしい事実なのですが、こうした貧困レベルの改善が、勉強することで、子供心にも、貧乏になりたくない等の思いから強い信念をもって勉強に取り組むということ自体がなくなっているのです。
少子化
そして、又勉強量と学力の低下の要因には、少子化も大きな要因となっています。
これは、どういうことかというと、少子化によって起こる大学数と子供の人口の問題です。大学の数は決まっているのに対して、その子供の数が減れば、当然入学できる枠が変わらなければ、入学できる割合が増えます。しかし、当然大学側も経営をしていますから、入学する割合が減少すれば、大学の経営悪化に追い込まれる可能性が出てくるのです。つまり、子供の数減少は大学側にとって死活問題になるわけです。そのため、大学側も入学される数をむやみに下げることができないのです。
人口の減少に伴って、大学側もある程度学力が低くても、定員の数を満たすために入学させざるを得ないため、こうした少子化によって、全体的な学力低下が懸念されるのです。
勉強量と学力の低下の改善策とは
それでは、いったいどのようにすれば、この学力低下の問題をなくすことができるのでしょうか?
実際には、総合的な学力が低下したという結果はでていなく、以前と比較しても学力そのものは、おちていない結果になっています。学力の低下ではなく、全体的な勉強量の低下が大きな問題となっているのです。勉強量低下に伴う学力低下の回避策には、主に下記の様な方法が考えられます。
<勉強量の低下に伴う学力低下の回避策とは>
・少子化の改善
・競争心を促すカリキュラムの導入
・ゆとり教育における楽しめる授業体制の確立
・家庭環境における勉強法の確立
全体的な勉強量の低下や学力低下は、国が取り組まなくてはいけない問題です。勉強量の低下及び学力の低下は、確実に国の政策も影響しています。国の問題でもあるということなのです。子供の数を増やすための国の抜本的な改革が必要だということなのです。
又こうした改革に伴って、カリキュラムの大幅な改革が必要になるでしょう。結果を出すため競争心を促すカリキュラムをもっと増やし、子供が負けたくないという感情を作り出す環境作りが学校教育に今必要とされています。従来の教育法のままではなく、ゆとり教育への移行に伴ったカリキュラムの改善が求められているのです。又競争心を促すばかりだけでなく、もっと子供がやっていて意義のある授業作りそして、子供に興味を引く、そして楽しめる授業作りが今求められているのです。
そして勉強量の低下は、学校側の全体的な授業料が減っている以上、確実に家庭での勉強量を増やす必要性が出てきます。そのため、塾や自宅で勉強させるというスタンスを広げる必要性が出てきます。そう。昔のように学校に任せておくという考えだけでは、学力の向上を望むということができないということなのです。
各ご家庭で勉強のさせ方を考え、しっかり勉強ができるような環境作りが今求められているのです。
まとめ
勉強量や学力の低下は、現代でも大きな問題になっています。
ゆとり教育は、それまでの偏差値重視の公教育を見直す目的で導入され、その理念には、教える内容を絞って全員がそれを達成するという考えがあった。
しかし、その結果、わかる子供が増えるどころか逆にわからない子供が増えてしまったのです。
これは、教える内容を減らしたために知的刺激が減り、もっと理解できるはず子供は、脳の活性化の習慣がつかず全体的な学力の低下につながった。学校の授業自体も、ついて来られない底辺の子供に合わせて進めたため、わかる生徒にとってはつまらない授業になってしまっているのです。
こうした子供の勉強量と学力の低下には、国そして教育業界そして各ご家庭各々の改善が必要不可欠であり、その改革が新たな良き未来を導く糸口になることを絶対に忘れてはいけないのです。
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