はじめに – ベーシック・インカム(Basic Income)を考えるにあたって
近代国家像には大きく分けて2つのパターンがあります。
1つは民間への介入をできるだけ辞めて、自由主義市場の競争に経済の発展は任せて国の仕事は治安を維持するための警察、国境線を維持するための国防など国家しか行えない重要な仕事だけを行うべきだという「夜警国家」という国家像です。
もう1つは自由主義市場の自由な競争に任せると貧富の差は拡大し、国は荒廃してしまうので、裕福な人も貧しい人もきちんと生活ができるように国家が税金をきちんと集めて、社会福祉を充実させなければならないという「福祉国家」という国家像です。
どちらが正しくてどちらが間違っているとは一概に言えませんが、少なくとも日本は自由主義経済の国の中でも比較的、福祉国家的な国家像の元に運営されてきた国だと言えます。社会保険制度が充実していて貧乏な人でも病院の診療を受ける事ができますし、歳をとって働けなくなっても年金によって生活費は得られます。
しかし、このような福祉国家が永久に運営できる保証はありません。若者が老人になるまで年金制度が維持されているのかについて懐疑的な人も少なからず存在していますし、社会保障費は国家の財政を圧迫しています。つまり、福祉国家を維持するための財源を確保する事は徐々に困難になっているという事です。
よって、国家の社会保障を何らかの方法でアップデートする必要があるのですが、その際に注目するべきなのがベーシックインカムという制度です。ベーシックインカム制度が導入されるか否かは実は公務員志望者にとって重要な論点でベーシックインカムによって公務員の働き方は変わる可能性があります。
本記事ではベーシックインカムとはどのような制度なのか、どのように社会に影響を与えるのかについて説明します。
社会保障制度の崩壊とポスト社会保障
日本において税金や社会保険として集められた富は、年金・医療・福祉などの財源である社会保障給付費として分配されます。この社会保険給付費は右肩上がりで増加を続けており、1970年にはわずか3.5兆円だった費用が、1980年には24.8兆円、1990年には47.4兆円、2000年には78.4兆円、2010年には100兆円を超えて、105兆円、2017年は120.4兆円の社会保障費が予算として計上されています。このように、社会保障給付費は50年足らずで約35倍まで増加しているのです。
この社会保障給付費の増加率は国民所得額に増加率を上回っており、1970年には国民所得額に対して5,8%しかなかった社会保障給付費の割合が2017年には29.8%まで増加、1人当たりの社会保障給付費は7千円から120.4万円まで約170倍に増加しているのです。
今後、少子高齢化とそれに伴う生産年齢人口の減少に伴い、社会保障給付費が国の歳入に占める割合はますます増加すると考えられます。このような状態から日本の社会保障制度はいずれ破綻するのではないかと指摘される事もあります。日本でもボリュームの大きい団塊世代全員が後期高齢者となり、医療や介護の為の費用がピークを迎える2025年前後が一つの破綻が懸念されるタイミングではないかと言われています。
このように今まで富の再分配において重要な役割を果たしてきた社会保障制度は危機的な状況を迎えており、既存の社会保障制度をどのように制度設計しなおして、新しい持続可能な社会保障制度にリニューアルするのか、新たな社会保障制度を設計する事が求められているのです。
新たな社会保障としてのベーシック・インカム
このような背景を持って現在議論にあがっているのがベーシックインカムです。
ベーシック・インカムとは、英語でBasic Incomeで直訳すると基本となる収入で、政府が国民が最低限生活をするのに必要なお金を定期的に給付する制度の事を指します。
このような定義だけ見れば、国民にお金をばら撒くので、かえって社会保障にお金が掛かってしまうのではないかと思われがちですが、ベーシックインカムは複雑になっている社会保障制度を一元化し、社会保障制度に必要な予算を縮小・安定させようという主旨で議論されています。
現行の社会保障制度でもベーシックインカムのように定期的にお金を給付する社会保障制度はあります。例えば、年金や生活保護、雇用保険などは定期的にお金を給付する「ベーシックインカム的」な制度です。このように現代の社会保障制度は国民に一律で給付するのではなく、特定の条件を満たした対象者に対して行う個別対策的な社会保障政策になっています。
ベーシックインカムはこのような個別的な社会保障政策を廃止し、ベーシックインカムに社会保障政策を一本化する事によって社会保障に掛かる予算の削減を狙います。もちろん、ベーシックインカムにしても個別的な社会保障政策にしても予算の範囲内でしか、給付を行えませんが、ベーシックインカムを導入する事のメリットは社会保障政策の運用コストを削減できる事です。
実は個別的な社会保障政策の為には膨大な公務員の労力が使われています。例えば生活保護制度によって貧困層を救済するためには、まず生活保護を行うべきか審査する人が必要になりますし、生活保護が必要な状態なのかケースワーカーが定期的に訪問してチェックを行う必要があります。
ベーシックインカムを導入すればこのような審査やチェックの手間が必要なくなるので個別の社会保障政策を運用するための行政コストを削減する事が可能になります。このような理由からベーシックインカムを導入すると、社会保障政策に使われていた行政コストが削減できるので公務員の仕事が削減されると考えられます。
ベーシック・インカムのメリット・デメリット
この他にもベーシックインカムには様々なメリットとデメリットがあります。行政コストが削減できる事以外にもよく指摘されるメリット・デメリットについて説明します。
ベーシック・インカムのメリット1:制度上救済不可能だった貧困層も救済可能となる
まず挙げられるのが、今まで制度上救済不可能だった貧困層も救済可能だという事です。例えばこの自治体は生活保護が受けやすい、あの自治体は受けにくいという様に個別的社会保障政策は運用主体によって運用方法にバラつきがあり、同じような条件なのに社会保障が受けられない、受けられるという風にケースがわかれる場合が存在します。ベーシックインカムを導入すればこのように社会保障制度の運用の差や制度の穴によって救済できなかった貧困層も救済可能となります。
ベーシック・インカムのメリット2:職業選択の自由度があがる
また、職業選択の自由度が上がります。安定した生活資金がベーシックインカムによって得られるので、収入が無くなるリスクが怖くて起業できなかった人も起業する事が可能となります。また、ブラック企業から転職したいけれども、退職すると生活ができくなるので仕方なく働き続けている人もベーシックインカムによって最低限の生活が保障されているので転職する事が可能となります。このように職業選択の自由度があがると考えられます。
ベーシック・インカムのデメリット1:財源の確保が困難
ベーシックインカムは個別社会保障を廃止し行政コストを削減するための政策なので、ベーシックインカムを導入すれば、年金や生活保護などの個別社会保障は大幅縮小もしくは廃止されます。こうなった場合、例えば年金や医療・介護費の補助などによって充実したサービスを受けていた高齢者はベーシックインカムが導入される事によって今までの個別社会保障よりも給付が減ってしまうと考えられます。
このように一律の給付を行うので、今まで手厚い給付を受けていた層が個別的な社会保障が受けられなくなるという事がベーシックインカムのデメリットとして挙げられます。
日本にベーシック・インカムは実現できるのか
では、ベーシックインカムは実現できるのでしょうか。例えばアメリカのアラスカ州にはアラスカ永久基金というベーシックインカムと似たような制度があったり、自治体単位の定額給付の制度は世界中に散見されますが、国レベルで社会保障を一品化してベーシックインカムを導入している例は2018年1月時点でまだ存在しません。
2017年からフィンランドで2000人を対象にしてベーシックインカムを導入する社会実験を2年間行っていたり、2016年にはスイスでベーシックインカムの導入が検討され国民投票によって否決されたりしています。まだまだ導入はこれからの制度だと考えられます。
日本においても2017年に希望の党が衆議院選挙の公約としてベーシックインカムの導入を掲げていましたが本格的な選挙の争点となった事はありません。また、ベーシックインカムの導入とセットで年金制度や社会保険制度などの個別の社会保障制度を廃止する事には大きな反発が予想されますので実現は困難であると考えられます。
まとめ
一説によると2045年までに日本の平均年齢は100歳に達すると言われています。22歳で大学を卒業して仕事を初めて、60歳から65歳位で定年退職して後は退職金と年金で悠々自適に過ごすと言うモデルは過去のものになりつつあります。
年金制度が設計されたのは1960年前後ですが、この時の平均寿命は男性が65歳、女性が70歳でした。2017年の平均寿命は男性81歳、女性87歳ですから平均余命は大幅に増加したので、60歳や65歳で定年退職すると年金制度が財政的に不健全になるのは当然のことだと言えます。
平均余命が当初の想定より大幅に長くなった以上、年金制度を始めとする社会保障は見直しをせざるを得ません。
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