アメリカ史上最も多くの人が亡くなった南北戦争の舞台、奴隷制度が根強いエリア、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの出生地などとして広く知られているジョージア州ですが、アメリカの歴史を知るうえで非常に重要な州のひとつです。
特に悲しい歴史が多く残る州ですが、現在では変貌を果たした姿はアメリカで暮らすアフリカ系の人々の支えにもなっています。今回はそんなジョージア州の特徴や歴史をご紹介します。
ジョージア州の特徴
2018年時点でのジョージア州の総人口は約1,043万人です。アメリカのなかでもトップ10に入るほど人口が多く、とくに1970年以降は急激な人口増加が続いています。州民のおおよそ60パーセントが白人種で、黒人種が30パーセントと他州と比較して多いことが特徴です。
現在でもアフリカ系アメリカ人が多く生活しており、街によっては半数以上が黒人という場所もあります。南北戦争が終結した1865年以前までは、ジョージア州で生活をしている人の半数以上は奴隷だったという歴史があります。
1914年から1950年頃までにかけて、ジョージア州などの南部エリアで生活をしていた黒人種の人達は、ミシガン州のデトロイトやニューヨークなどに代表されるアメリカ大陸北部の工業地域へ一斉に移動しました。南部での差別や奴隷制度から逃れ、豊かな暮らしを求めたのです。これを「Great Migration」と呼びます。
それでもジョージア州に残った黒人種の人たちの子孫がいまでも生活を続けており、他州よりもアフリカ系アメリカ人が多く暮らしているのです。このような背景があり、ジョージア州はアフリカ系アメリカ人が多い州なのです。
ジョージア州にはいたるところに歴史上の人物の縁がある場所が点在しています。なかでも「I have a dream…」の演説や、1964年のノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの出生地であるアトランタ市には彼の活躍を讃える国立歴史史跡があり、コレッタ夫人と共に埋葬されています。
また、第39代大統領を務めたジミー・カーターは同州のプレーンズの出身で、第32代大統領のフランクリン・デラノ・ルーズベルトは病の治療のため同州のウォームスプリングスで最期を過ごしました。
ジョージア州の州都であるアトランタはアメリカ屈指の経済都市で、日系企業も多く進出しているため日本からも直行便が就航しています。さらに、コカコーラ、UPS、デルタ航空などアメリカを代表する企業の本社機能が置かれている場所でもあります。
近年では、保守的な共和党への支持が強く、妊娠中絶の制限、同性婚の禁止、白人至上主義など自由主義と真っ向から対立する姿勢をとっている州のひとつとして知られ、潜在的に過激な保守派がいることが懸念されています。
このようにジョージア州は、アフリカ系アメリカ人の歴史が色濃いため、差別や白人至上主義など歴史に関連した風潮や問題が続いているのが特徴と言えます。
ジョージア州の歴史
ジョージア州は、1788年にアメリカで4番目の州として認められました。南北戦争の際には奴隷制度を維持するために北部の自由軍と対立し、1861年には合衆国からの離脱をした州でもあります。1870年に再び合衆国に加盟しました。
もともと、このエリアを白人が開拓する以前まではチェロキー族やクリーク族などのインディアンが農作を中心にして生活をしていました。これらのミシシッピ川流域のインディアン達の住居は、川の氾濫や動物などの侵入を防ぐための土塁のうえに作られるなど文明が発達していました。
フロリダ州に上陸して開拓を進めたスペイン人のエルナンド・デ・ソトが率いた開拓者によって高い文明を築いていた多くのインディアンは虐殺されてしまいます。また、白人が持ち込んだ疫病によっても多くの人が命を落としました。
後に、生き残ったインディアンたちさえも第7代大統領のアンドリュー・ジャクソンが掲げた民族浄化政策のひとつである「インディアン移住法」によって強制的にオクラホマ州に移動させられました。その際は歩けないような老人にも重たい荷物を持たせるなどし、移動の途中でチェロキー族の数千人が命を落としたとされています。
1800年初頭、ジョージア州政府とインディアンの間で生活を保証する条約が結ばれ、インディアンの近代化が強制されました。もともと文明が発達していたチェロキー族やクリーク族は、文字の読み書き、計算、ついには部族の法廷、部族の政府までも構築しました。
そんななか、チェロキー族の領土で金鉱が見つかり、ジョージア州政府はすぐにでもチェロキー族の領土を取り上げることを画策します。1828年、ジョージア州政府は領土を剥奪、生活保障打ち切りの法案を可決させます。
酋長は、アンドリュー・ジャクソン大統領に直訴しますが、インディアンを絶滅しようと考えていた大統領はそれを無視し、ジョージア州政府を支持しました。当時、インディアンの領土は調整してはいけないとアメリカ最高裁判所が裁定していたにも関わらず、大統領とジョージア州政府はこれを無視したのです。
現代においてもアメリカ政府はジョージア州のインディアン部族は絶滅したとし、領地返還はせず、インディアンの子孫に対しては何も保証しない姿勢を貫いています。
1861年、奴隷制度存続を主張した南部軍と、それを抑える北部軍が争った南北戦争が本格化します。ジョージア州のアトランタは戦場の中心になり、北部軍のウィリアム・シャーマン将軍によって焦土化し、ジョージア州全域が壊滅的な被害を受けました。
ジョージア州の兵士だけでも2万人近くが犠牲になり、兵士の5人に1人が亡くなったほどです。この悲しい歴史は世界的なヒット作になった「風と共に去りぬ」でも触れられているためご存知の方も多いでしょう。
このようにジョージア州は、開拓時代のインディアンへの仕打ち、南北戦争の舞台など悲しい歴史があるのです。
ジョージア州の政治情勢
ジョージア州は2012年、2016年の大統領選で共和党を支持しています。2003年頃まではアメリカ国内最長記録とされるほど民主党の単独支配が続いていました。1872年から2003年までの130年間に渡り、白人による一党支配が続けられていたほどです。
2009年、ジョージア州上院議会において「州や国民の自由を減らすような法や命令はアメリカ合衆国憲法の無効化と考える」という決議が成立しました。このことは、ジョージア州はアメリカ合衆国からの脱退を考えさせる内容として話題になりました。南北戦争の際に一度、合衆国から離脱した経緯があるため連邦政府にとっては厄介な決議とされています。
ジョージア州の経済
2018年時点、ジョージア州の失業率は4.4パーセントで、アメリカの平均値とほぼ同じ程度です。州都のアトランタには、アメリカの大企業が集中していることから経済力は高いと言えるでしょう。
現在では、通信、物流、製造業などが盛んですが、奴隷制度の中心であったことからも分かるように農業も盛んです。綿花やピーナッツ、トウモロコシなどに加えて、ピーカンは世界一の産出量を誇ります。
ジョージア州の税金
2018年時点で、ジョージア州の消費税は7.15パーセントです。州税が4パーセント、地方税の平均が3.15パーセントという内訳です。処方薬や医療、食料品には課税されないのが特徴です。
所得税は1パーセントから6パーセントまでの累進課税制でアメリカ全体の平均値である9.8パーセントよりも低く設定されています。近年では、観光産業に付随するサービス業の発展が伸びており、州の歳入に大きく貢献しています。
ジョージア州の銃や薬物問題
ジョージア州では医療目的でも娯楽目的でもマリファナは違法です。南部の州はマリファナ解禁には消極的で、ジョージア州もその典型例と言えるでしょう。
州民10万人に対して銃犯罪による犠牲者数は14人という割合ですが、購入時のバックグラウンドチェックが行われないことや、州民の銃保有率が高いため、銃に関する格付けは最低ランクの「F」になっています。
ジョージア州の教育または宗教事情
ジョージア州にはアメリカ国内最古の公立大学であるジョージア大学があります。研究を中心にした大学として知られ、アメリカ全土から様々な分野の専門家を目指す学生が集まっています。
大学の卒業率や、学費、低所得者層の卒業率などすべてがアメリカの平均値並みとされています。州の宝くじ制度が奨学金を負担するホープ奨学金制度があり、高校卒業または一般教養の認定試験に合格した人が受け取れます。
宗教では、他の南部同様にキリスト教プロテスタントが最も多く、州民の70パーセントを超えています。近年ではアトランタを中心にローマ・カトリック教や、ユダヤ教など多宗教化の流れがあります。ただし、無宗教は10パーセント程度で他州よりも低い水準です。
まとめ
ジョージア州は、開拓のインディアン排除、南北戦争の舞台、黒人奴隷制度を主張し続けた州など、現代と歴史が非常に強く結びついている州と言えるでしょう。ジョージア州はアメリカ史のなかでも隠れがちな歴史が多い州なのです。
繰り返す歴史という観点で考えると、合衆国からの離脱や、白人至上主義の主張など不安な要素も隠れているのも事実です。一方で、南部の自然や穏やかな気候で新たな観光地としても人気を集めている側面もあります。
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