アメリカ中央にあたる西部にあるコロラド州は、ロッキー山脈がありアメリカのなかでも州平均の高度がもっとも高い山岳地帯です。日本ではマラソンの有森裕子さんや高橋尚子さんがオリンピック前に高地トレーニング合宿をおこなっていた場所としても知られています。
首都のデンバーは、日本からの直行便もあるため日本との繋がりも強く、多くの日系企業が進出しています。今回は、古くから日本とも結びつきが強く、アメリカのなかでも政治的に大きな意味を持つ州とされているコロラド州の特徴や歴史をご紹介します。
コロラド州の特徴
コロラド州は総人口が約550万人で、10年ごとに100万人のペースで人口が増えています。州民の割合は7割が白人で、残りはヒスパニック系とされており、古くからスペインやメキシコ系の人が多く住んでいる場所でもあります。
コロラドの名称は「Color Red」の発音で、その名の通り赤土が混ざって、赤色の水が流れていたコロラド川が起源です。北から南へ貫くようにしてそびえるロッキー山脈は、東海岸から開拓を進めた白人たちが西へと進む際の壁のような存在でした。
全長が4,800キロ以上になるロッキー山脈は、冬はスキーなどのレジャーで賑わうため、1974年にコロラド州は州都であるデンバーに冬季オリンピック誘致を計画しました。
恵まれた環境だったデンバーでの開催が正式に決定しましたが、オリンピックのために自然の一部を破壊することに反対する州民が多く辞退しました。後にも先にもオリンピックを返上したのはコロラド州デンバーだけです。
コロラド州が栄えるきっかけになったのが金鉱です。金鉱の発見は諸説あるものの、1850年にジョージア州を拠点にしていたインディアンのチェロキー族がカリフォルニア州の金鉱へ向かう途中に立ち寄ったデンバー北部で砂金を見つけたことが始まりとされていたり、コロラドを探検していた探検家のゼブロン・パイクが1807年に金鉱発見の情報を手にしていたともされています。
カリフォルニア州のゴールドラッシュが終わりを迎えた頃、チェロキー族が故郷へ戻る際にデンバー西部で金鉱を発見し、コロラド州の金鉱産業は一気に発展していきました。同時に、農業や畜産業も栄えていき、現在のコロラド州は金鉱によって作られたと言えるでしょう。
コロラド州の歴史
コロラド州は、1876年にアメリカの38番目の州として正式に認められました。現在のデンバー市北部にあるラリマー群のリンデンマイヤー遺跡からは、13,000年以上前から人が生活していた痕跡が見つかっています。
1803年、アメリカはフランスの領土だった現在のアメリカ大陸中央部分まるごとを1,500万ドルで買収します。(ルイジアナ買収)その中にコロラド州の一部も含まれていました。しかし、購入した土地の一部はスペインの領土と重複していることが発覚し、アメリカとスペインの間で対立が起こります。
1819年、アメリカは現在のフロリダ州をスペインから購入した見返りとして、揉め事の原因だったコロラド州の一部を放棄します。(アダムズ=オニス条約)後にこの土地はスペインから独立したメキシコのものになりますが、結果的に1846年の米墨戦争に勝利したアメリカが取り返すことになります。
1861年には準州に昇格したコロラド州ですが、南北戦争のときには南部軍がカリフォルニアなど太平洋側へ展開することを阻止する重要な役目を担っていました。南部軍はカリフォルニアやコロラドの金鉱を押さえることも企んでいましたが、コロラド部隊はテキサスからやってきた南部軍による侵略を食い止めたのでした。
その後、南北戦争もゴールドラッシュも終わった後は、鉱山業や農園、畜産業などで発展していきました。1869年には大陸横断鉄道が開通し、翌年にはデンバーまで延長され、アメリカの東西を結ぶ拠点として人と物が流通するようになりました。
1872年には州南西部のユト族居留地で銀鉱脈が発見されます。1878年には中部のリードビルでも銀鉱脈が発見され「コロラド・シルバーブーム」が起こりました。さらに、クリップル・クリークでは最大級の金脈が見つかり、コロラド州の鉱山業は続いていきました。
第二次世界大戦時には、コロラド州の知事だったラルフ・ローレンス・カーが日系人強制収容に反対し、それを知った多くの日系人はコロラド州に集まりました。アメリカ人の多くが強制収容を支持するなか、カー知事はひとり徹底して反対し、州民に日系人の人権を尊重し、受け入れるように演説をしました。
しかし、ルーズベルト大統領によって日系人の強制収容が決定します。3,000人の日系人が州南部のアマチ収容所に到着したとき、たくさんの地元の白人が日系人を脅すために集まっていました。それを知ったカー知事は飛行機で現地に行き、暴徒化した人々を静めたとされています。
日本ではあまり知られていないカー知事ですが、後に「日系人を救った人物」や「今世紀の人」として選ばれるほど人道的な取り組みが評価されました。当時は、このような姿勢が多くのアメリカ人から反感を買い、上院議員有望とされていながらも支持されぬまま政治生命を失ったのでした。
このようにコロラド州の歴史は、もともとはスペインの領地だったこととや、金や銀鉱山によって経済的に大きく発展したことが中心になっています。
コロラド州の政治情勢
コロラド州は2012年と2016年の大統領選の際には民主党を支持しています。しかし、コロラド州は大統領選のたびに「振り子州」や「平衡州」と言われるほど、民主党と共和党がほぼ互角とされています。このことから、コロラド州が政治的にどちらに転ぶかということは大きな意味を持つとされています。
コロラド州は地域によって保守派かリベラル派かが明確に分かれている州とされており、州都のデンバーやボルダーなどの都市圏はリベラル派が多く、農業や軍関連で栄えているエリアは保守派が多い傾向があります。
近年では、10年に100万人程度のペースで増え続ける人口のなかで、無党派のヒスパニック系の割合が増えているため民主党が優勢になりつつあります。
コロラド州の政治情勢の特徴として「振り子州」と呼ばれるほど、保守とリベラルが綺麗に二分されているということを知っておくといいでしょう。
コロラド州の経済
コロラド州の失業率は2.7パーセントで、アメリカの平均値4.1パーセントよりも遥かに下回っています。
ゴールドラッシュ以降、鉱山業、農業や畜産業などが主力でしたが、1980年頃からは情報通信、ハイテク、バイオテクノロジー、観光業などで栄えています。この結果、アメリカでは「シリコンマウンテン」と愛称が付けられています。
1995年にデンバー国際空港が開業して以降は、国際的な観光地として特に冬を中心に賑わっています。ロッキー山脈などの自然を守る頑な姿勢がある一方、アメリカのなかでも「現代最後のフロンティア」として大きな経済価値が眠っている州とされています。
コロラド州の税金
2018年時点のコロラド州の消費税は7.52パーセントです。州税が2.9パーセントに対し、地方税の平均が4.62パーセントで、地方税が高いことが特徴です。
所得税は一律で4.63パーセントかかりますが、州が定める基準以上の税収があった場合は、州民に還元される制度があります。この制度は州民から支持されているものの、教育に十分な配分が出来ない歪みの原因ともされています。
手付かずの自然が多く残っているコロラド州では、石油やガス開発企業を優遇し、税収を増やそうとしていますが、環境保護団体との衝突が激しく、税収の確保は非常に大きな問題になっています。
州民から、石油開発、税率アップ、還付金制度撤廃に反対されている州政府は、苦肉の策として2014年に嗜好用のマリファナを解禁し、税収を増やす決断をしました。
コロラド州の銃や薬物問題
コロラド州はマリファナは全面的に解禁されています。アメリカ中央部においてマリファナが解禁されているのはコロラド州だけのため、マリファナ目的の観光客も多く、マリファナ体験ツアーなどの新しいビジネスも生まれています。
これまでに200以上の事業者が新規登録をし、約2万人近くの雇用を生み出したとされていますが、当初の見込みよりも税収は増えず、1億ドルの予想が6千万ドル程度に下方修正されました。この理由に、安い医療用のマリファナばかりが浸透していることが挙げられています。
コロラド州では1999年に15名が亡くなったコロンバイン高校銃乱射事件がありました。この事件以降は購入時のバックグラウンドチェックが義務づけられ、銃に対する規制が強くなりました。このような取り組みを受けて、AからFでグレード付けされる銃問題への取り組みランクはCとされています。
コロラド州の教育または宗教事情
コロラド州にはコロラド大学やデンバー大学などアメリカでも有名な大学があり、総合的な教育水準は全米トップ10に入っています。しかし、高校を卒業する割合は75パーセント程度と、他州よりも10パーセントほど低く、州外からやってきた学生によって教育水準が押し上げられています。
コロラド州の宗教は、キリスト教が60パーセントを占めていますが、25パーセントは無宗教とされており、全米平均よりも無宗教の人の割合が多い州のひとつです。
まとめ
コロラド州を知る上で、古くはスペインとメキシコの領土だったことや、買収と戦争によって手に入れたこと、さらに、アメリカのものになって以降は金や銀鉱山が見つかって爆発的に栄えたことを押さえておきましょう。加えて、日本人であれば政治家のラルフ・ローレンス・カーの功績も知っておきたいところです。
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