「ギニアビサウ共和国」ってどんな国?
「ギニアビサウ共和国」の正式名称はポルトガル語で「República da Guiné-Bissau」、英語では「Republic of Guinea-Bissau」です。漢字では「幾内亜美須」と表記表記されます。
「ギニアビサウ共和国」の広さ 面積・場所について
「ギニアビサウ共和国」の面積は約36,125平方キロメートルで、九州とほぼ同じ大きさです。
「ギニアビサウ共和国」の場所は、北にセネガルと、南と南東にギニアと国境を接しており、西は大西洋に面しています。
「ギニアビサウ共和国」の首都について
「ギニアビサウ共和国」の首都は「ビサウ」で、「ビサウ」は、大西洋に通ずるジェバ川の河口、西経11度52分 北緯15度36分に位置しています。
「ビサウ」の人口は、2004年現在、35万5,000人です。
「ギニアビサウ共和国」の人口について
「ギニアビサウ共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約192万人であり、人口密度は、約50.24人で、第126位です。
「ギニアビサウ共和国」の成り立ちについて
「ギニアビサウ共和国」は、15世紀にポルトガル植民地となり、1973年9月にポルトガルより独立宣言、1980年11月にヴィエイラ首相、クーデターで政権を奪取、革命評議会が設置、1994年8月に大統領選挙が実施され、ヴィエイラ大統領が当選しました。
1998年6月に一部軍人による反乱が発生、1999年5月にヴィエイラ大統領亡命、サーニャ国民議会議長が暫定国家元首に就任、2000年1月に大統領選挙が実施、クンバ・ヤラ大統領が選出されました。
2003年にクーデターが発生、10月に暫定政権が発足、2005年に大統領選挙が実施、ヴィエイラ大統領が就任、2009年3月にヴィエイラ大統領殺害を受け、ぺレイラ国民議会議長が暫定大統領に就任しました。
2009年9月に大統領選挙が実施され、サーニャ大統領が選出、2012年4月に大統領選挙中に一部軍人によるクーデターの動きがあり、国連がクーデター首謀者らに制裁を課し、2012年5月にヌハマジョ暫定大統領が就任しました。
2014年5月に大統領選挙が実施、ヴァス大統領が選出、ペレイラ首相が任命、2015年8・9月にペレイラ内閣が解散、ジャ内閣組閣も最高裁違憲判決を受け解散、コレイア首相が任命、10月に新内閣が発足されました。
2016年5月にコレイア内閣が解散、ジャ首相が任命、6月に新内閣が発足、2016年10月にコナクリ合意により、ECOWASの調停のもと全関係政党が署名、2016年11・12月にジャ内閣が解散、エンバロ首相が任命されました。
2018年4月にゴメス首相が任命、2019年11月・12月に大統領選挙が実施、エンバロ大統領が選出、2020年2月に就任、ナビアム首相が任命されました。
「ギニアビサウ共和国」の国民・宗教・言語について
「ギニアビサウ共和国」の国民について
「ギニアビサウ共和国」の人種割合は、約99パーセントをアフリカ系の諸民族が占め、バランテ人が約30パーセント、フラニ人が約20パーセント、マンジャカ人が約14パーセント、マンディンカ人が約13パーセント、パペル人が約7パーセントです。
このほかにも民族が存在し、バランテ人が中央部から南部、フラニ人とマンディンカ人が北部、マンジャカ人とパペル人が海岸部に居住しています。
国民の1パーセント以下ですが、主にカーボベルデから来たクレオール(ムラート)やポルトガル人を中心とするヨーロッパ人なども存在しています。
なお、バランテ人などの現地住民は、クレオールが政治などを支配していたことに長年不満を抱いており、1980年のクーデターに結びつきました。
「ギニアビサウ共和国」の宗教について
「ギニアビサウ共和国」の国家宗教は、現地宗教が約40%、イスラム教が約50%、キリスト教が約10%となっています。
南北に隣接するギニア、セネガル両国がイスラム教徒が多数派なのに対し、「ギニアビサウ共和国」は、飛び地的にその他の宗教の信者の比率が高くなっています。
「ギニアビサウ共和国」の言語について
「ギニアビサウ共和国」の公用語は、ポルトガル語ですが、ポルトガル語を話す人の割合はさほど高くありません。
共通語としての役割は、ポルトガル語をベースにしたギニアビサウ・クレオール語で、1992年現在、ポルトガル語は、国民の1割以下に話される言語に留まり、ほかにバランテ語(英語版)、フラニ語、マリンケ語などの現地語などが存在しています。
「ギニアビサウ共和国」の経済状況について
「ギニアビサウ共和国」の通貨はCFAフランで、GDPは約13.40億米ドルで、世界175位です。そして、一人当たりのGDPは約789.88米ドルで、世界176位です。
「ギニアビサウ共和国」の貿易について
「ギニアビサウ共和国」の貿易相手は主に、輸出がインド、中国、シンガポール、ベトナム、輸入がポルトガル、セネガル、パキスタン、中国となっています。
「ギニアビサウ共和国」の主な輸出品目は、ナッツ類、鉱石、魚介類で、輸品目入は、食料品、石油製品、機械類です。
「ギニアビサウ共和国」の政治・政策について
政治体制について
「ギニアビサウ共和国」は、共和制、議会は、国民議会で100議席、任期は4年です。
「ギニアビサウ共和国」の元首・首相・外相について
「ギニアビサウ共和国」の元首について
「ギニアビサウ共和国」の元首は、ウマロ・シソコ・エンバロ大統領です。
「ギニアビサウ共和国」の首相について
「ギニアビサウ共和国」の首相は、ヌノ・ゴメス・ナビアムで、外務・国際協力・共同体大臣は、スジ・バルボザです。
「ギニアビサウ共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「ギニアビサウ共和国」は、独立後しばらくは親東側路線でしたが、ヴィエイラ政権以降は、経済再建を重視した欧米先進国寄りです。
ポルトガル語諸国、欧米諸国、アラブ諸国と良好な関係を築きつつ、近隣諸国との協調を目指しています。
1990年から国交を結んでいた台湾とは1998年4月に断交、中国と国交を回復し、2006年7月にポルトガル語圏諸国共同体(CPLP)サミットが開催されました。
2012年4月、軍人による大統領選挙中の反乱と暫定政権の成立を受けて国際的な風当たりが強まり、アフリカ連合(AU)活動資格停止等の制裁を受けました。
2014年6月に民主的な大統領選挙の遂行を受け、AU活動資格停止は解除され、2015年3月、EUおよびUNDPと共催でドナー円卓会議が成功裏に開催され、「戦略・実施計画」に基づいた取組が進められました。
軍事力は、予算は、2019年現在、約1,900万ドル、兵役は選抜徴兵制、兵力は、約
4,450人で、その内訳は、陸軍が約4,000人、海軍が約350人、空軍が約100人です。
「ギニアビサウ共和国」と「日本」の関係は?
「ギニアビサウ共和国」と「日本」の政治関係は、日本は、1978年から在セネガル大使館が兼轄しており、ギニアビサウは、2003年以降は、在中国大使館が日本を兼轄しています。
経済関係は、対日貿易については、2019年現在、貿易額の対日輸出は0万円、対日輸入は1億4,905万円です。
主要輸入品目は、2019年現在、ゴム製品、食料品、化学製品で、進出日本企業はありません。
在留邦人数は、2021年2月現在で1人、在日当該国人数は、2017年6月末で8人です。
まとめ
以上、国特集「ギニアビサウ共和国」でした。
ちなみに、「ギニアビサウ共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「120位」でした。
FIFAデータ
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