※本記事は、2017年9月調査の内容です(今後更新予定です)。
「岡山県庁」について
岡山県は、約191万人で全国で20位、国土は、7,114.47平方キロメートルで全国で17位です。地方公共団体としての業務の中心となる役所「岡山県庁」は政令指定都市に指定されている岡山市にありますが、倉敷市が中核市に指定されています。
岡山市は2009年(平成21年)4月に政令指定都市に移行しましたが、その際北区・中区・東区・南区の各4行政区が設置されました。広域行政圏は、旧地方振興局単位で振り分けられています。市町村は15市10町2村になります。
※人口:平成27年調査(国勢調査)
※面積:2016年10月1日調査(全国都道府県市区町村別面積調査)
「岡山県」の成り立ち
「岡山」という名前の由来は元々、現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んでいたものでした。戦国時代に宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後城下町が形成され、それを含めて岡山と呼ぶようになりました。
1871年(明治4年)7月14日、明治新政府による廃藩置県により岡山藩を受け継ぎ、備前国を範囲として岡山県が設けられました。当初、現在の岡山県域には14県が設置されていましたが、同年12月には岡山県、深津県、北条県の3県となりました。その後、1875年(明治8年)12月10日に備中国と備後国に当たる小田県(旧深津県)を編入し、1876年(明治9年)4月18日には、備後国6郡を広島県に移管、美作国に当たる北条県を併せました。
1896年(明治29年)に吉野郡石井村を兵庫県佐用郡へ、同郡讃甘村大字中山を兵庫県佐用郡江川村へ編入し、1963年(昭和38年)、和気郡日生町(現:備前市)東部の福浦地区(寺山を除く)を兵庫県赤穂市へ編入した後は、現在の岡山県の境域がほぼ確定されました。
岡山県庁のリーダー岡山県知事「伊原木 隆太」さんはどんな人?
平成24年(2012年)11月12日から岡山県知事を務める伊原木隆太さんは、昭和41年(1966年)7月29日に岡山県の岡山市で生まれました。家族は妻と娘2人で、父は前天満屋代表取締役会長の伊原木一衛です。
キャリアは東京大学工学部を卒業後、平成2年(1990年) 4月に外資系経営コンサルティング会社に入社しました。平成10年(1998年) 5月に株式会社天満屋代表取締役社長就任しましたが、その後平成24年(2012年)11月12日に、初の民間出身の岡山県知事として就任しました。
座右の銘はあえてもたないそうです。
公式ホームページ:http://www.pref.okayama.jp/page/298941.html
岡山県の行政、ここを知っておこう!「おかやま生き活きプラン」
県政においては、最上位に位置付けられる総合的な計画「新晴れの国おかやま生き活きプラン」が策定されています。この計画では、すべての県民が明るい笑顔で暮らす「生き活き岡山」の実現を目指しています。
すべての県民が明日への希望で満たされ、物質的豊かさのみにとらわれることなく、明るく笑顔で生活を送るために目指すべき「生き活き岡山」の姿は、次の6つです。
(1)子どもたちが前向きに伸び伸びと学んでいる地域
(2)犯罪や事故がなく健やかに暮らせる地域
(3)みんなが主役となる参画社会
(4)次代を担う若い世代が安心して子どもを生み育てやすい地域
(5)豊かさを実感できる便利で活力のある地域
(6)県と市町村との連携を通じて発展し続ける地域
また、中四国の拠点として、グローバルに発展する岡山として国内外に向けて発展する上で目指すべき「生き活き岡山」 の姿は、次の5つです。
(1)旺盛なチャレンジ精神と地域挙げての支援
(2)岡山の強みが生かされ、経済活動が活発化している地域
(3)国内外に確立した「岡山ブランド」
(4)広域連携の推進
(5)人々が集う国内外の交流センター
まとめ
いかがでしたか?
岡山県と言えば桃太郎の舞台として知られ、きびだんごや桃が人気のお土産や名産として挙げられることが多い都道府県です。ですが岡山県はぶどうの名産地でもあり、マスカットやピオーネは絶品です。今後はグローバルな発展も目指しているため、国内外問わず岡山県の魅力が伝わっていくことでしょう。
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