人口132万人、北ヨーロッパの国「エストニア」の電子政府化と簡素な税制に注目
仕事の中で、実は大きな割合を占めるのが経理に関する作業です。
例えば、自営業者の場合1~3月までは確定申告という前年にいくら所得があったかを税務署に申請する作業に時間を取られますし、企業においても営業や生産部門と並んで経理が部門かされる位、大変な労働力を伴います。
このように私たちが普段仕事をしている上で経理作業というのは多大な労力を伴っているわけで、私たちの経理作業をサポートするために、税理士や会計士などの専用の資格も存在します。
しかし、世界を見渡すと税理士や会計士に頼らずに自分で税務申告ができる国というのも存在します。それが今回紹介するエストニアという国です。エストには、電子国家やIT先進国として日本のニュースにもたびたびとりあげられています。
本記事では、日本の税務の複雑さと、エストニアでは、なぜ税理士や会計士のニーズが低いのか、について説明します。
複雑で毎年変わる日本の税制
国家や地方自治体などの重要な働きの1つが所得の再分配です。すなわち、所得が高い人からは多めに税金を取って、その税金の一部を使って所得が低い人に富を分配するのが、国家や地方自治体の重要な働きだと言えます。ただし、これを行うためには、所得がどの位あるのかという事を国家や地方自治体が把握しなければなりません。
この時に注意するべきなのが、「所得=入って来たお金」ではないという事です。例えば、1年間に会社から500万円の給料を貰える人が二人いたとしても、片方は自分1人の生活に500万円を使える、片方はその500万円で妻1人と子供2人を養わなければならないならば、相対的に後者の方が貧しいと言えます。
日本の所得の計算方法
所得とはこのように実質的に裕福か貧しいかを計算する指標で、例えば先ほどの例について妻1人、子供2人を養わなければならないのならば、妻に対する配偶者控除38万、子供は年齢にもよりますが16歳以上19歳未満ならば1人につき38万円が控除されます。つまり、1人で年収500万円の人よりも500万円で妻1人、子供2人を養っている人の方が100万円以上所得が低いと見なされるのです。
このような所得の計算方法はその時代時代によって変化するのはもちろんの事、政府の政策によっても変わります。例えば、住宅の購入を促進するために、住宅ローン減税を特定の機関のみ有効にするような時限的な税制優遇策も数多く行われています。
日本の税制は一般人が理解するのが困難
このように、毎年のように税金に関する制度が変わるために、日本において普通の一般人が税制の事をきちんと理解するという事は困難です。このような理由から、個人や法人の税務申告や書類作成を代行したり、税制上メリットのある申告方法を提案する税理士や企業が正しく会計を行っているのかを監査する会計士の仕事のニーズが誕生するのです。
マクロな視点から考える経理に関するコスト
このように複雑な税制度と一般人・企業の緩衝材として税理士・会計士という職業が存在するわけですが、マクロな視点から見ると、このような事にコストを掛けるのは、社会全体が最適化されていないからだと言えます。
例えば、社会に新しい商品を誕生させるために研究者が開発を行ったり、その製品を広めるためにマーケッターが販売促進策を考えたり、営業担当が販路を開拓したりと企業はチームプレーで会社の業績を上げようとします。そして、このような企業の集団が国家の活力となるのです。
経理作業の省力化
しかし、経理という仕事は、どちらかというと省力化するべき作業です。すなわち、帳簿に記載するという作業は新商品を開発したり、販路を構築したりなどというプラスの作用はなく、早く正確にコストを少なく終わらせる事が重要だと言えます。
例えば、申告方法を工夫する事によって企業の利益を拡大する役割を果たす事はできますが、国家というマクロな視点で見た時に、このような働きは必ずしも良いとは言えません。節税される事によって税収が減るからです。このように、経理にまつわる仕事というのはマクロな視点で見た時に、できれば機械化したい省力化するべき作業だと言えます。
また、所得をチェックするという機能も同様です。複雑な税制度によって富の再分配をおこなうためには、その過程に多くの公務員が必要となります。ただし、この富の再分配について公務員の採用自体は発生しますが、マクロな視点で見れば、他の事に使えた労働力が富の再分配のために浪費される事になります。
このように、経理作業や所得の把握、富の再分配と言った活動は実はマクロな視点から見ればできるだけ省力化する事が国家の為になると言えます。
今回紹介するのは税制の在り方ですが、実は税制の他にもベーシックインカム、地方創生、ICOなど近年の政治を巡るトレンドキーワードはすべて、このような国家活動をどのように省力化するべきか、という問題から説明できるキーワードです。
なぜエストニアでは税理士と会計士が消滅したのか
以上で説明した通り、経理作業、所得の把握、富の再分配には、多大な労力を伴い、日本においては一般人が制度を把握できないので、税理士、会計士のニーズが存在しますが、エストニアには存在しません。
なぜ、エストニアではこのようなサービスのニーズが、低下したのでしょうか。それは税制を簡素にしたからです。
日本では所得が大きくなると税率も上がる累進課税制度を採用していますが、エストニアでは所得税は一律20%です。法人所得税は、配当を出す場合、20%の課税となります。更に消費税は20%で本や医療品などの一部の商品は軽減税率が適用されて9%となります。日本にあるような法人・個人に対しての地方税はなく、相続税・贈与税などはありません。
また、電子政府化が進んでおりあらゆる申請がインターネットを通じてでき、キャッシュレス化が進んでいて現金の割合が少ないので、銀行の口座を見ればその人の資産状況が把握できる状況となっています。そして、国民の資産を把握するために、全国民の預金残高を政府が把握できるという仕組みが整備されています。
このように、脱税を防ぐために個人の資産をチェックできるインフラが整っている事も、税理士や会計士が必要ない理由として挙げられます。
エストニアでは、国が個人の所得を把握できるインフラがあるというハードの面、簡素でわかりやすい税制というソフトの面の2つが合わさって、個人でも税務申告が簡単にできるようになり税理士や会計士が消滅したと言われています。
エストニアには税制を簡素化する事によってどうなったのか?
エストニアの税理士、会計士は消滅したという表現をしましたしそのように記述している記事も多いのですが、もちろん厳密には、それまで税理士や会計士として働いていた人が、すべて職を失ったというわけではありません。エストニア国内にも税理士や会計士は存在します。
ただし、日本でイメージするのと仕事の内容はかなり異なります。個人でも簡単に税務申告ができるので、日本で主流となっている税務申告書の作成だけでは十分に利益を上げる事はできません。
ただ、個人を相手に税務申告を代行するというだけでは、利益を上げられなくなって、税理士、会計士たちは法人向けに国際税務を行ったり、自分で実業を行うなど色々な方法で生き残りを図っています。
また、国としてはIT立国として電子政府化を進めるだけではなく、IT産業での起業が積極的に行われており、経済成長率は高く、財政的にも堅実に運営されていて、ヨーロッパ圏でも安定した国の一つとして挙げられます。ただし、ヨーロッパ圏でも累進課税制度を採用せず、一律課税であり貧富の差は大きいと言われています。
国家の税制と社会保障制度
エストニアの事例を踏まえて、税制と社会保障制度の在り方について説明します。資本主義の国においては、大きく分けて「夜警国家」と「福祉国家」という2つのスタンスが存在します。
「夜警国家」とは、国が行う仕事は国防や警察などの必要最小限に限定して、後は民間が自由市場で切磋琢磨していく事によって、国家を発展させようという国家観です。
「福祉国家」とは、民間の自由市場に任せると貧富の差は拡大するので、弱者を保護する為に国が積極的に社会保障を整備しようという立場の事を指します。
どちらが一概に正しいとは言えませんが、一般的に19世紀頃は夜警国家を目指す方向で動いていた国が多く、20世紀以降になると福祉国家へ方向転換を行った国が多い、と言われています。
日本は保険制度や年金制度を整備しており、社会保障への支出の額の大きさからも、福祉国家としての性格が強い国だと言えます。しかし、福祉国家は所得の再分配に膨大なコストを割いています。更に所得の再分配を行うには、それに関わる人を雇用しなければならないので、実際に弱者に還元している以上の社会保障関連費用が間接的に必要となります。
この増加していく社会保障をどのように抑制するのかという、答えの一つが所得の再分配の仕組みの簡素化です。所得の再分配の簡素化とは、すなわち税金や社会保険料の徴収する仕組みを簡素化する事と、手当や助成金などの富を分け与える仕組みを簡素化する事の2つのステップがあります。
前者の事例は、エストニアが実現している電子政府化と簡素な税制による税金の徴収コストの削減、後者が各国で議論されているベーシックインカムのようなシンプルな社会保障の事を指します。
まとめ – 社会保障関連の歳出抑制のための高いハードル
本記事では、日本の税制の問題点と、エストニアの取り組みについて説明しました。
確かにエストニアのような手法をとれば社会保障関連の歳出が抑制できると考えられますが、エストニアの事例を日本にすぐ導入できるというわけではありません。
これには、2つのハードルがあります。
1つ目は情報を透明化することへの抵抗です。税制を簡素化して個人でもできるようにするならば、税理士や会計士という第三者のチェックが入らないので、脱税を防止する仕組みを構築する必要があります。そのために、政府が個人の口座残高を把握できるような仕組みが必要となるのですが、これには反発が大きいと考えられます。
2つ目は、日本の税制は毎年のようにコロコロ変わって制度も複雑ですが、これをシンプルに変える事には、実は強い抵抗があると考えられます。この税制の複雑さを利用して働いている人が存在しますし、累進課税制度を廃止してしまえば、所得の再分配の機能は弱くなるので左派勢力からの反発が考えられます。
このように、そのまま導入するのは難しくはありますが、増大していく社会保障費をどのように抑制するのかというのは、実は差し迫った問題です。その一つの解決策の方向性として、エストニアのような事例の研究が、今後重要となっていくと考えられます。
(最終更新日:2020年5月9日)
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