はじめに
南太平洋に位置する「ツバル」は9つの環礁からなる島国です。
現地の言葉でtuは「立ち上がる」、valuは「8」を意味するこの国名は、1978年にイギリスからの独立を果たした際に居住可能な島が8つあったことに由来します。
「ツバル」は気候変動による海面上昇の影響で数十年後には沈没してしまう可能性があると懸念されています。
世界で4番目に小さい島国「ツバル」
南太平洋に浮かぶ小さな群島国「ツバル」は、バチカン市国、モナコ、ナウルに次いで世界で4番目に小さな国です。この国の総面積は25.6㎢で東京都の品川区程のスペースに約11,000人が暮らしています。2017年の世界銀行の発表によると、人口はバチカン市国に次いで世界で2番目に少なく、国民の多くは自給自足の生活を営んでいます。
吸い込まれそうなコバルトブルーの海に浮かぶ島々は、珊瑚礁でできているため、風向きや潮の流れの変化でその形をどんどん変えていくといいます。この「楽園」とも称される美しい島々は、地球温暖化などの影響から数十年後には水没してしまう恐れがあるとして、メディアで頻繁に取り上げられるようになりました。
ここでは「ツバル」の人々と先人たちが作り上げてきた、この国の歴史、そして「ツバル」の現状についてご紹介します。
「ツバル」人とは
人々が「ツバル」に住み始めたのは約2000年前からと考えられています。この地に移住してきた人々の多くは、サモアやトンガなど、西ポリネシアから航海カヌーでやって来たポリネシア人です。「ツバル」人の多くは、未だ先人たちの知恵を駆使した手製のカヌーで魚を釣る昔ながらの生活を送っています。
「ツバル」の公用語は「ツバル」語と英語ですが、日常会話ではほとんどの住民が「ツバル」語を話します。「ツバル」語と一言でいっても島ごとに方言があり、ヌイ島ではミクロネシア系言語の一つであるキリバス語が使われています。「ツバル」語はポリネシア語の一種で、サモア語によく似ているとされ、「ツバル」人とサモア人はお互いの母語で意思疎通ができるといいます。
1865年にサモア人牧師によってもたらされたキリスト教は、未だ「ツバル」の人々の生活に大きな影響をもたらしています。「ツバル」人の多くは敬虔なクリスチャンで、人口の97%にも及ぶ人々が「ツバル」教会(キリスト教プロテスタント系)に属しているとされています。その為、「ツバル」人は休息を取ること、そして教会に参列することを、キリスト教で安息日とされている日曜日のルーティンとしています。
「ツバル」の歴史
ポリネシアから移住してきた人々が暮らす「ツバル」の島々に、初めて欧米人が訪れたのは1568年のこと。スペイン人の探検家アルバロ・デ・メンダーニャがヌイ島に上陸したのを機に、「ツバル」の島々は次々とその存在を知られるようになり、ヨーロッパから多くの奴隷貿易商や捕鯨船員などがこの地を訪れるようになったといいいます。
1850年代になると、「ツバル」の住民達は労働者としてハワイ、タヒチ、ペルーなどへの移民を強制されて国外へ。この現状にさらに追い打ちをかけるように、「ツバル」の島々で疫病が流行したため1870年代後半を迎える頃には、「ツバル」の人口は激減したと言われています。
1877年からは「ツバル」の島々はイギリスの影響下に入り、1892年には島々は「エリス諸島」と名付けられ、北隣のギルバード諸島(現キリバス共和国)と共にイギリスの保護領になりました。そして1915年、イギリス人たちは自国の植民地となった島々を、「ギルバード・エリス諸島植民地」と命名しました。
太平洋戦争が勃発するとギルバード諸島は旧日本軍が占領し、エリス諸島にはアメリカ軍が陣を取り、両国は戦火を交えました。終戦を迎えるとギルバード・エリス諸島は再びイギリス政府の統治下に置かれますが、1967年に国際連合(国連)主導による植民地解放への動きが活発化したことを受けて、独立を目指して舵を取りました。
1974年に行われた住民投票及び国連24カ国委員会の視察の結果、ポリネシア系住民の多いエリス諸島とミクロネシア系住民の多いギルバード諸島は、文化・社会・言語が大きく異なるとして分離することが決定しました。以降エリス諸島は「ツバル」に、ギルバード諸島は「キリバス」としてそれぞれの道を歩き出し、「ツバル」は1978年にイギリス連邦の一員となり独立を果たしました。
2000年には第55回国連総会において、「ツバル」の国連加盟を承認する決議が全会一致で採択され、189番目の国連加盟国として迎えられました。
「ツバル」の政治と経済
現在もイギリス連邦の一員である「ツバル」は、イギリス同様の議院内閣制で政を行なっています。国家元首はイギリス王(現在はエリザベス2世)で、行政府の長としての任務を首相が担っています。首相は国会議員の中から立候補、投票により選ばれた者をイギリス連邦が信任し、首相に選任します。行政は首相を筆頭とする内閣が担当し、閣僚の使命任命は首相が行います。
立法は一院制の議会が担っていて、議会は国民の直接選挙により選出される15名の議員によって構成され、議員は4年の任期を有します。人口が少なすぎる「ツバル」には政党がなく、行政上の下部組織もないのです。
外交では「平和愛好国とのみ国交を持つ」との基本方針の下、従来から関係の深いオーストラリアとニュージーランドの両国と緊密な関係を築くとともに、最近では世界の舞台にも積極的に参加しています。
経済においては、「ツバル」は天然資源に乏しく、また大きな産業もないことから国内経済のおよそ2/3を外国からのODA(政府開発援助)に頼っていて、国民一人当たりのGDP(国内総生産)は20万円にも達しないとされています。
美しい自然に恵まれ、治安も良好とされる「ツバル」は観光地として発展できる可能性を秘めていると考えられます。しかし現実は「ツバル」は他国からは遠く離れていること、そしてインフラの整備が追いつかずに観光地化があまり進んでいないことなどから、この地を訪れる観光客は思うようには増加していないといいます。
「ツバル」政府にとって、今後限られた収入を如何に運用していくかが課題とされ、外国の援助への依存を減らすため、政府機能の民営化等による公共部門の改革を行なうことが急務とされています。
日本と「ツバル」の歴史
では日本と「ツバル」、二国間の関係はどのように構築されてきたのでしょうか。
太平洋諸島諸国とアジア諸国は、地理的に近接していることから、文献にその史実が記される前から、なんらかの交流があったものと考えられています。「ツバル」を含む太平洋諸島諸国と日本は、一般的に知られている以上に深い関係で結ばれています。
ここでは日本と「ツバル」の歩みを紐解きます。
日本と「ツバル」 – 出会いから戦後まで
前述のとおり、第二次世界大戦では、現在「ツバル」の首都となっているフナフティをはじめとする3カ所にアメリカ軍は基地を設営し、旧日本軍への攻撃の拠点としました。旧日本軍が占領していたギルバード諸島(現キリバス)では3日間に渡り激戦が繰り広げられ、両軍合わせて五千人を超える尊い命が奪われました。
この戦いの折、旧日本軍はフナフティ環礁への爆撃を9回に渡り行っていますが、住民たちは既に近隣の島々へ疎開していたため、旧日本軍の爆撃による犠牲者はほとんどいなかったとされています。
第二次世界大戦後の日本と「ツバル」の関係は、1978年10月の「ツバル」独立を機に始まりました。日本は「ツバル」が独立すると同時に国家承認を行い、翌1979年には両国の間に外交関係が樹立しました。以降現在に至るまで、日本と「ツバル」は良好な関係が続いています。
日本と「ツバル」、現在の二国間関係
日本と「ツバル」の友好な関係は、特に日本の経済協力が関係構築に大きく貢献しています。日本は「ツバル」に対して、2016年までの累積で無償資金協力・技術協力を合わせて134億円を超える額のODA拠出を行っています。
また政府高官をはじめ、民間レベルでの人的交流も盛んに行われていて、政府高官レベルの交流としては、 2006年に小池環境大臣(当時)、2007年に石原東京都知事(当時)、2008年に鴨下環境大臣(当時)、2013年に石原環境大臣(当時)が「ツバル」訪問を実現しています。また、「ツバル」からは首相をはじめ数々の政府の要人たちが訪日を果たしています。
民間レベルでも、「ツバル」が直面している環境問題の解決を図るために、さまざまな事業を通じて多くの日本人が活躍しています。地球温暖化や海岸線の浸食に効果が期待される「マングローブの植林」などの取り組みも、継続的に行われている事業の一つです。このような事業では現地の人々と力を合わせて作業を行うため、交流の機会としての役割も担っています。
「ツバル」人の日本人観
穏やかな南国の気候、青い海と空に囲まれた楽園に生まれ育った「ツバル」の人々は、大らかで明るい性格の人が多く、外国人訪問者達を笑顔で温かく迎えてくれるといい、もちろん日本からの訪問者も例外ではありません。
「ツバル」は国土も人口も極めて少ない小国なので、人々は全て顔見知りとまではいかなくても、それに近いものがあります。日本からの経済協力についての話題も、住民達は当然島のいたるところで耳にするわけですから、「太平洋を挟んだ隣人」である我々日本人を好意的に受け止めてくれている人がほとんどだといいます。
また公のシーンにおいては、「ツバル」は国連を始めとする国際機関や国際会議などの場において、日本の立場に理解を示し、支持してくれる大切なパートナーと位置付けられています。
「ツバル」の人々の未来
日本と良好な関係を築いている「ツバル」という国は、山積する環境問題となかなか活路を見出すことができない国内経済の問題に直面し、今まさに試練の時を迎えています。日本は、そして世界の国々は「ツバル」をどのように援助することができるのでしょうか。
現在「ツバル」が置かれている現状を紹介するとともに、「ツバル」のこれからを考察します。
沈みゆく島国
1985年に、地球温暖化に関する初めての世界会議(フィラハ会議)がオーストリアのフィラハで開催され、二酸化炭素による地球温暖化の問題が世界的に 大きくとりあげられるようになりました。1992年に国連気候変動枠組条約が締結されると、「地球温暖化の影響を受けて沈んでしまう国」の一つとして紹介され、この小さな「ツバル」という国は一躍世界の注目を集めました。
「ツバル」の島々は標高が低いため、将来海の底に沈んでしまうことが懸念されています。「ツバル」が水没の危機に瀕している理由は、これまで地球温暖化に伴う海面上昇と地盤沈下が原因とされていましたが、最近になってこれらの現象は人為的なものによるものではないかとする説も唱えられるようになりました。
デリケートな珊瑚礁が基盤となって形成されている「ツバル」の島々は、地盤が軟弱だと言われているにも関わらず、インフラ整備として大規模な土木工事を行なってきたことで、さらに地盤は弱化し、海水による侵食が進みやすくなってしまったことが地盤沈下の大きな要因ではないかとする説や、独立後にファンガファレ島への遷都が実施されたことで首都のフナフティに人口が集中したために地盤が沈下しているとする説など、諸説が飛び交っている現状です。
いずれにせよ、すでに進行している海面上昇の影響で水没している地域も出てきている他、温暖化で多発している津波や高波によって、塩害による農作物の被害も発生しており、「ツバル」の人々が主食としているタロイモの収穫にも影響を及ぼしています。さらには海水が井戸水に混じり水不足になるという被害も出ており、さまざまな被害が「ツバル」の人々の生活を蝕み始めています。
移住という選択
「沈みゆく「ツバル」」の人々を救済する策として、現在考えられている最も現実的なものは、人々が国外に移住することとされています。
移住先として候補に上がっているのは、同じ南半球に位置する先進国、オーストラリアとニュージーランドの2カ国です。ニュージーランド政府は1998年から年間60名程のペースで「ツバル」からの移民を受け入れています。しかし年齢制限や英語力など、永住権を得るためには厳しい条件が課せられているという実状です。またオーストラリアでの滞在については、現段階では3年間の労働を許可するというものに留まっていて、「ツバル」の人々が永住権や市民権を取得するまでには至っていません。これは「環境難民」として他国へ移り住むことは容易ではないことを物語っています。
また、もし移住が現実のものとなったとしても、コミュニティが離れ離れになってしまい、昔から受け継がれてきた文化や習慣を失ってしまう可能性があることは否めません。しかし、先進国に移住することでより良い教育を受けることができ、職業の選択肢が増えるというポジティブな面もあることから、子育て世代を中心に移住の道を真剣に模索している「ツバル」人は少なくないといいます。
「ツバル」の経済をサポートする世界の国々
では経済支援においては日本、そして世界の国々は「ツバル」のためにどのような策を講じているのでしょうか。
「ツバル」の隣国であるオーストラリアとニュージーランド、そして歴史的に深い繋がりのあるイギリスの三国は、国際信託基金を設立して「ツバル」の財政赤字の補填を行なうなどの支援を行ってきました。
日本は無償資金協力や技術協力を通じて「ツバル」を支援していて、オーストラリア、ニュージーランドと共に「ツバル」を支える3大支援国の一つに数えられています。日本政府は無償資金協力の一環として「ツバル」の経済構造改善計画の実施を支援し、この計画の推進に必要な資金を提供しています。
また技術協力においては、発電施設の新設と配電設備の更新に対しての支援を行ない、電気の「供給力の確保」と「供給信頼性の確保」を目指し、「ツバル」の経済発展に繋がるようにサポートしています。
まとめ
以上、「沈みゆく島国ツバルの過去・現在そして未来」でした。
最後に、「ツバル」のために個人レベルで何ができるのかを考えながら筆を置きたいと思います。
地球温暖化は、普段の生活で無意識のうちに排出している二酸化炭素に起因すると言われています。こまめに電気を消したり、寒い日にはセーターを一枚羽織るなどして省エネに努めることが、二酸化炭素の排出量減少へとつながります。
そしてできるだけ多くの人に「ツバル」のこの現状を伝えて知ってもらうことで、「沈みゆく国」への関心が高まり、この国を支えようという人々が知恵を寄せ合うようになるのではないでしょうか。
今後も、ぜひ「ツバル」の状況に注視してください。
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