はじめに - 黒人たちの公民権獲得のために戦った「ジョン・ルイス」
2020年7月17日、アメリカの民主党下院議員で、1960年代に公民権運動の指導者としても活躍した黒人議員ジョン・ルイス氏(80歳)が膵臓がんで亡くなりました。
日本ではあまり知られていない人物かもしれませんが、アメリカでは人種差別問題や時の政権と戦い続けた象徴的な存在として非常に良く知られた議員のひとりでした。
ジョン・ルイス氏は1950年代から始まった公民権運動で、キング牧師たちと一緒に黒人たちの公民権獲得のために戦った「最後の生き残り」としても知られていました。
そこで今回は、ジョン・ルイス氏とはどのような人物で、どのような行動をしてきたのかなどをご紹介します。
公務員や公務員志望の方は、今まさに変わろうとしているアメリカの人種差別問題に大きく貢献した人物のひとりとして、ぜひ覚えておいて下さい。
ジョン・ルイス氏とは
はじめに、ジョン・ルイス氏の概略を見てみましょう。
ジョン・ルイス氏の生い立ち
ジョン・ルイス氏の本名は、John Robert Lewis(ジョン・ロバート・ルイス)です。1940年にアメリカ南部のアラバマ州で農業をしていた両親の元に、10人兄弟の3番目として生まれました。もともと、白人との接点がない家庭だったため、6歳になるまで2回しか白人を見たことがなかったと言います。
6歳頃から家族と一緒に地元の町(トロイ)にある図書館などの公共施設を訪れるようになり、初めて人種差別を経験しました。また、自分がいた南部エリアと北部エリアでは、教育施設や仕事などの仕組みが異なることを知り、次第に人種差別を自覚するようになっていきます。
11歳の時には、親戚に連れられてニューヨーク州のバッファローへ旅行に行きました。そこでは、今までに経験したことがないほどの人種差別に遭い、この問題と戦っていく必要があると決心しています。
ジョン・ルイス氏の人生を変えたモンゴメリー・バス・ボイコット事件
15歳の時、後に「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」として全米に知られることになる人種差別問題が起きたことを知ります。
当時、アラバマ州の教会に勤めていたキング牧師によるラジオによってこの事件を知ったジョン・ルイス氏は、事件後の進展を丁寧に追っていったとされています。そして、事件発生から2年後に事件の張本人であるローザ・パークス(Rosa Parks)に出会いました。
黒人女性のパークスは、アラバマ州モンゴメリーの公営バスの運転手から白人に席を譲るように要求されたのに対して、席を譲ることを拒んだところ、人種隔離政策を理由にして警察に逮捕されました。
この事件は、アメリカ中の黒人たちの怒りを買い、多くの都市でバスの利用をボイコットする運動が起こりました。当時、バスを利用するのは圧倒的に黒人が多かったため、公営バスは収入が激減し、最終的には1956年11月に連邦最高裁判所によって違憲判決が下りました。
つまり、長年にわたって差別され続けてきた黒人たちが起こした運動によって、政府や社会が大きく動いた始まりだったと言えます。
事件発生から3年後、18歳になったジョン・ルイス氏はついにキング牧師と出会い、後に広がる公民権運動の主要メンバーとして活躍するようになったのでした。
公民権運動に明け暮れた学生時代
ジョン・ルイス氏はテネシー州ナッシュビルにある神学校を卒業してから、フィスク大学(Fisk University)で宗教および哲学の学士号を取得しました。
学生時代はナッシュビルを中心に公民権運動に参加し、バスボイコットや座り込みなど非暴力的な抗議活動を行いました。この時期に生涯にわたって使うことになるキャッチフレーズの「Good trouble, necessary trouble.(良い問題、必要な問題)」が生まれたとされています。
また、大学では非暴力的な抗議活動に関するワークショップを開催するなどして、学生非暴力調整委員会(SNCC)を設立し、1963年から1966年までは同組織の委員長を務めました。学生時代から組織を取りまとめる能力に長けていたことから、高く評価されるようになります。
抗議活動「Freedom Rides」について
1961年、ジョン・ルイス氏は7人の白人と6人の黒人、合計13名で構成されたグループで、ワシントンD.C.からニューオーリンズまでバスを使って移動する試み「Freedom Rides」という抗議活動を始めました。
この抗議活動は、白人と黒人が公共交通機関で隣り合わせに座ることを法律で禁止していたことに対する抗議でした。ジョン・ルイス氏は抗議活動中に、バス停に居合わせた白人らによって暴力行為を受けて重傷を負っています。(2週間後には再び活動に参加)
また、ミシシッピ州でFreedom Ridesの活動をしていたところ、警察に逮捕されて40日間投獄されました。仲間も鉄パイプやバットなどで暴行を受ける被害を受けましたが、ジョン・ルイス氏をはじめとするメンバー全員は「非暴力行為による抗議活動」を続けることを決心しています。
公民権運動「ワシントン大行進」
1950年代から始まった黒人たちによる公民権運動がピークを迎えたのが1963年です。
同年8月28日にワシントンD.C.で開催された大規模集会には、おおよそ20万人を超える人が集まったとされており、公民権運動の中心人物だったキング牧師による「I Have a Dream」演説が行われました。
公民権運動の主要メンバーとして集会の開催に関わっていたジョン・ルイス氏は、キング牧師の前に演説をしており「Wake up, America.(アメリカよ、目を覚ませ)」という言葉で結束を図りました。
ジョン・ルイス氏は、公民権運動を主導した主要メンバーだったことから「公民権運動の闘士」としてアメリカ中で知られていました。
「血の日曜日事件」について
1965年2月26日、アラバマ州セルマにおいて、差別と脅迫によって有権者登録を妨害されたとして抗議していた黒人数百名が警官隊と衝突し、ひとりの黒人男性が白人警察官に撃たれて死亡する事件「血の日曜日事件」が起こりました。
3月7日、白人警察官による乱暴に抗議するため、州都のモンゴメリーまで行進を実施した黒人グループは、州政府による強制排除の命令を受けた警官隊と再び衝突し、17名が怪我をする事態になりました。この黒人グループを率いていたのがジョン・ルイス氏です。
ジョン・ルイス氏も白人警察官から暴行を受けて、頭蓋骨を骨折する大怪我を負っています。この時を振り返ったジョン・ルイス氏は「死ぬ覚悟で抗議した」とコメントしています。
わずか23歳にして公民権運動の主要メンバーとして活躍したジョン・ルイス氏は、政治家として残りの人生を歩むことになります。
政治家としてのジョン・ルイス氏
次に、政治家としてのジョン・ルイス氏を見てみましょう。
最もリベラルな議員
1986年、ジョン・ルイス氏は南部ジョージア州の民主党下院議員選挙で初当選を果たします。初当選までに下院議員選挙で敗北していることから、念願だった議員活動と言えます。
ジョン・ルイス氏はアメリカの中でも最も下位地域とされる「ディープ・サウス」で、最もリベラルな議員として活躍しました。
その活躍ぶりは様々な反響を呼び、地元の新聞は「人権や人種差別問題に関する議論の場を議会にまで広げた唯一の人物」として高く評価しました。議員生活の終盤では「議会の良心」とまで評されたほどです。
リベラルな姿勢で知られていたジョン・ルイス氏は人種差別問題だけでなく、国民皆保険や同性愛者の結婚、銃規制などを支持していました。
2001年のニューヨーク同時多発テロが起きた際には、ブッシュ大統領がテロリストに対して報復すると表明したことにいち早く反対しています。
実際に、ブッシュ大統領の弾劾を提案しており、その当時に弾劾を提案した唯一の議員と言われています。この時、ジョン・ルイス氏はブッシュ大統領に対して「ブッシュは王ではなく、大統領だ」とコメントしています。
2016年、フロリダ州にあるゲイクラブで49名が死亡した銃乱射事件が起きた際には、議会内で座り込みを主導し、銃規制法案の採決を訴えました。民主党下院議員188名中168名、上院議員44名中34名が座り込みに参加しています。
ジョン・ルイス氏が先導した座り込み活動は、参加した議員らのSNSを通じて世界中に広まり、深夜にも関わらず数百名の支持者が議事堂前に集まって応援したとされています。
ジョン・ルイス氏、大統領就任式をボイコット
ジョン・ルイス氏は、2001年のジョージ・W・ブッシュ大統領就任式と、2017年のトランプ大統領就任式をボイコットしています。(いずれも共和党出身者)
ジョン・ルイス氏は、いずれのケースも「本当に彼らが大統領に選ばれたと信じていない」としており、公平な選挙が実施されたと思っていないことを示唆しました。
この発言に対してトランプ大統領は自身のTwitter上でジョン・ルイス氏を「口先だけで何も行動しない、残念だ」と批判したため、反トランプ派の人たちから「人種差別」や「アメリカに対する侮辱だ」と非難が殺到し、これを機会にふたりの関係性は良好ではなくなりました。
一方で、トランプ大統領はジョン・ルイス氏が亡くなったことを受けて、ホワイトハウスや全国の公共施設は敬意を表して半旗を掲げるように指示しています。
この対応は、昨今のアメリカで続いている人種差別問題や、大統領選に向けた国民への配慮の意味も込められているとされています。
ワシントン大行進最後の生き残りとして
2009年に開催されたオバマ大統領の就任式において、ワシントン大行進最後の生き残りとして参加し、アメリカ史上初の黒人大統領誕生を祝いました。
オバマ大統領はジョン・ルイス氏に記念の写真を贈り「Because of you, John.(あなたのお陰です、ジョン)」とサインを入れました。
両者の関係はジョン・ルイス氏が亡くなるまで続き、ジョン・ルイス氏が亡くなったことを受けてオバマ元大統領は「数十年にわたり、自由と正義という大義に全てを捧げただけでなく、彼が示した模範に応えようとする世代を鼓舞した」とコメントしています。
まとめ
以上、「アメリカ公民権運動指導者のジョン・ルイス氏はどんな人物だったのか?」でした。
ジョン・ルイス氏は、アメリカで人種差別が激しかった時代から現代まで、生涯をかけて戦ってきた人物です。また、リベラルな思想を持った姿は、多くのアメリカ人を勇気付けたことでしょう。
アメリカ史における重要な出来事である公民権運動の最後の生き残りが亡くなったいま、アメリカの人種差別問題がどのように変わっていくのか目が離せません。そして、ジョン・ルイス氏が残した功績はこれからも語り継がれることですので、ぜひ覚えておいて下さい。
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