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【目指せ!外交官】日本の約7分の1の面積「スロバキア共和国」の基礎知識(2021年6月調査情報)

世界の国特集、今回紹介するのは、中央ヨーロッパの共和制国家である「スロバキア共和国」です。

「スロバキア共和国」は、北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接している国です。

外交官になるなら押さえておきたい国の基本知識です。


「スロバキア共和国」ってどんな国?

「スロバキア共和国」の正式名称はスロバキア語で「Slovenská republika」、英語では「Slovakia」です。漢字では「捷克斯洛伐克」と表記されます。

「スロバキア共和国」の広さ 面積・場所について

「スロバキア共和国」の面積は約49,037平方キロメートルで、大きさは、日本の約7分の1です。

「スロバキア共和国」の場所は、北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接するところにあります。

「スロバキア共和国」の首都について

「スロバキア共和国」の首都は「ブラチスラヴァ」で、「ブラチスラヴァ」は首都としては、中央ヨーロッパの北緯48度9分、東経17度7分に位置しています。

また、オーストリア、ハンガリー国境に接し、チェコとも近く、市域はドナウ川とモラヴァ川の合流地点に近い小カルパチア山地の麓のドナウ平原に、ドナウ川の両岸に沿って広がっています。

「ブラチスラヴァ」の人口は、2008年末現在で、約42万8,791人です。

「スロバキア共和国」の人口について

「スロバキア共和国」の人口は、スロバキア統計局が2019年に調べた時点で約545万人であり、人口密度は、約111.31人で、第73位です。

「スロバキア共和国」の成り立ちについて

「スロバキア共和国」は、9世紀に大モラビア国時代があり、10世紀に大モラビア国が滅亡、ハンガリー王国の支配下に入り、1526年にスロバキア地域を含むハンガリー王国がハプスブルク家の統治下に入りました。

1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に改組、1918年に第一次世界大戦後のオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊後、チェコスロバキア共和国が建国、1939年にナチス・ドイツの影響の下、スロバキア国が独立しました。

1945年に第二次世界大戦後、チェコスロバキア独立が回復、1948年に共産主義体制が確立、1968年に「プラハの春」事件が発生、1969年にチェコスロバキアが連邦化、1989年に民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終焉しました。

1993年にチェコと平和裡に連邦が解消され、独立、2004年にNATO、EUに加盟しました。


「スロバキア共和国」の国民・宗教・言語について

「スロバキア共和国」の国民について

「スロバキア共和国」の人種割合は、スロバキア人が約85.8パーセント、マジャル人が約9.7パーセント、ロマが約1.7パーセント、チェック人が約0.8パーセントです。

このほか、チェック人ではなくモラヴィア人、シレジア人としてのメンタリティーを持っているもの、ルテニア人・ウクライナ人、ドイツ人、ポーランド人、クロアチア人がいますが、その総数はおよそ約2パーセントとなっています。

「スロバキア共和国」の宗教について

「スロバキア共和国」の国家宗教は、カトリックがもっとも多く、約60.3パーセントを占めています。

次いで、宗教的メンタリティを持たないものが約9.7パーセント、プロテスタントが約8.4パーセント、ギリシャ・カトリックが約4.1パーセント、東方正教会が約4.1パーセントです。

「スロバキア共和国」の言語について

「スロバキア共和国」の公用語は、スロバキア語で、一部ではハンガリー語も使われています。

また、ドイツ語が話せる世代も多く、英語は通じないことが少なくありません。

「スロバキア共和国」の経済状況について

「スロバキア共和国」の通貨はユーロで、GDPは約1,054億米ドルで、世界61位です。そして、一人当たりのGDPは約19,071.20米ドルで、世界43位です。

「スロバキア共和国」の貿易について

「スロバキア共和国」の貿易相手は主に、輸出は、ドイツ、チェコ、ポーランドで、輸入は、ドイツ、チェコ、中国となっています。

「スロバキア共和国」の主な輸出品目は、車両、機械・電気機器、原子炉・ボイラーおよび機械類並びにこれらの部分品で、輸入品目は、機械・電気機器、車両、原子炉・ボイラーおよび機械類並びにこれらの部分品です。

「スロバキア共和国」の政治・政策について

政治体制について

「スロバキア共和国」は、共和制で、議会は一院制で定員150人、任期は4年です。

「スロバキア共和国」の政策

「スロバキア共和国」は、1993年1月の独立以降、1994年の一時期を除き1998年10月まで政府を率いたメチアル首相は、その権威主義的・非民主主義的な政治手法により諸外国の批判を浴び、スロバキアは欧州統合の流れの中で周辺諸国から遅れをとることとなりました。

メチアル政権下で経済も停滞し、EU加盟交渉でも周辺国からスロバキアが取り残される形となる中、国民の焦りと不満が高まり、1998年9月の総選挙の結果、メチアル政権時の野党が中心となりズリンダ大連立内閣が成立しました。

ズリンダ政権は、民主化政策推進と経済・財政の立て直しに取り組み、諸外国からも高い評価を得ました。

また、憲法改正により大統領直接選挙制度を導入し、1999年6月にはそれまで政党間の駆け引きにより、1年以上空席となっていた大統領に与党「市民合意党」のシュステル党首が就任しました。

経済も回復を見せ、EU加盟交渉も開始される中、2002年10月に中道右派4党の連立による第二次ズリンダ政権が発足し、2004年にはNATOおよびEUに加盟、2004年4月には二回目の大統領直接選挙が行われ、ガシュパロヴィチ党首が勝利し、6月に就任しました。


2006年6月に任期を3ヶ月前倒しして総選挙が実施、ズリンダ政権による構造改革がもたらした格差に対する国民の不満などを背景に、中道左派野党の「方向-社会民主主義」が第一党となり、フィツォSmer-SD党首を首班とするSmer-SD、「人民党-民主スロバキア運動」、「スロバキア国民党」の連立政権が発足されました。

メチアル元首相が率いるL’S-HZDSと民族主義政党であるSNSの政権入りに対し、当初国内外から懸念が表明されたものの、フィツォ政権は「低所得者に優しい社会福祉国家の創設」を目標に掲げ、比較的安定した政権運営が行われました。

2010年6月の総選挙でSmer-SDが再び第一党になったものの、連立パートナーであったL’S-HZDSの議席喪失、SNSの議席減少の影響もあり、連立交渉に失敗し、その結果、ラディチョヴァー「スロバキア民主キリスト教連合」選挙リーダーを首班とするSDKU、「自由と連帯」、「キリスト教民主運動」、「架け橋」の4党による中道右派政権が発足されました。

2011年10月、EFSF機能拡充条約の批准を巡って与党が分裂し、ラディチョヴァー首相は繰り上げ選挙の実施を条件に野党Smer-SDの支持を得て同条約の批准を果たしました。

2012年3月の繰り上げ選挙ではSmer-SDが圧勝して単独で過半数を獲得し、フィツォ首相の下でスロバキア史上初の単独政権が樹立され、2014年3月の大統領選挙では、キスカ候補がフィツォ首相を破り勝利し、スロバキアで初の共産党経験および政治経験のない大統領として同年6月15日に就任しました。

2016年3月に実施された総選挙において、Smer-SDが議席数を大きく減らしたものの第一党を維持し、Smer-SD、民族主義政党「スロバキア国民党」、「架け橋」、中道右派新党の「ネットワーク」による第三次フィツォ政権が発足されました。

また、同選挙では初めて極右政党「人民党、我々のスロバキア」が議席を獲得しました。

2016年9月に「ネットワーク」所属議員7名のうち5名が「架け橋」に移籍したことを受け、新たな連立協定が結ばれ、第三次フィツォ政権はSmer-SD、「スロバキア国民党」、「架け橋」の3党連立となりました。

2018年2月以降、汚職疑惑を調査していたジャーナリストの殺害事件を機に、内閣の辞任を求めて、ビロード革命後では最大規模となる反政府デモが実施され、同年3月、フィツォ首相が辞任し、ペレグリニ政権が成立しました。

一部閣僚は交代しましたが、連立与党の枠組みは維持され、2019年3月に行われた大統領選挙は、有力候補者不在で候補者が乱立したものの、決戦投票では、「野党・無党派」対「与党」の構図となり、既存政治への不満を背景にチャプトヴァー候補が勝利し、スロバキア初の女性大統領が誕生しました。

2020年2月、政府の汚職問題に対する批判が強まる中、国会総選挙が実施され、2006年以降、政権を担ってきた最大与党「方向-社会民主主義」は大幅に得票率を減らし第一党の座を失い野党に転落しました。

既存政治への失望の受け皿として幅広く支持を獲得した「普通の人々・独立した人達」が、初めて第一党となりました。

2020年3月21日、マトヴィチ党首率いる「普通の人々」、「我々は家族」、「自由と連帯」、「人々のために」の4党による連立協定が合意され、マトヴィチ首相率いる新内閣が発足されました。

2021年3月28日、マトヴィチ首相が強行したロシアからの新型コロナウイルスワクチン購入を巡り、連立政権内で対立が生じ、同首相は辞任、4月1日、ヘゲル新政権が発足し、4党の連立政権は維持されています。

「スロバキア共和国」の元首・首相・外相について

「スロバキア共和国」の元首について

「スロバキア共和国」の元首は、ズザナ・チャプトヴァー大統領です。

「スロバキア共和国」の首相・外相について

「スロバキア共和国」の首相は、エドゥアルド・ヘゲルで、外務・欧州問題大臣 は、イヴァン・コルチョクです。

「スロバキア共和国」の国防・軍事制度・兵役について

「スロバキア共和国」は、EUおよびNATOとの協調が外交の基本方針で、EU・ユーロ圏の統合推進に積極的です。

ヴィシェグラード・グループ協力を重視し、西バルカン諸国の欧州統合に向けた取り組みを積極的に支援しています。

また、ウクライナ、モルドバ等の東方パートナーシップ諸国に対する協力も重視しています。


軍事力は、国防予算は、2019年現在、約1.5億ユーロで、兵役は志願制、兵力は、陸軍が約6,250人、空軍が約3,950人です。

「スロバキア共和国」と「日本」の関係は?

「スロバキア共和国」と「日本」の政治関係は、日本は1993年1月1日のスロバキア独立と同時に同国を承認し、同年2月3日に外交関係が開設され、在スロバキア日本国大使館は2002年1月に設置されました。

チェコスロバキア時代からの良好な関係もあり、二国間関係は順調に発展しています。

経済関係は、日本の対スロバキア貿易において、2019年現在、貿易額は、輸出が約243億円、輸入が約350億円で、主要品目は、輸出が電池、自動車、自動車の部分品、ポンプおよび遠心分離器で、輸入が自動車、重電機器、ポンプおよび遠心分離器、絶縁電線および絶縁ケーブルです。

日本からの直接投資は、自動車関連、電機関連産業等の製造業22社を含む66社が進出しています。

文化関係は、従来、文化面での交流は、日本の伝統文化に関するものが中心でしたが、近年はスロバキア民族舞踊団やスロバキア管弦楽団等の日本公演、アニメ・マンガ等、日本のポップ・カルチャーについても交流の場が広がってきています。

自治体間の相互交流としては、奈良県野迫川村がビソケー・タトリ市との間で姉妹都市関係、秋田県小坂町がバンスカー・シュティアブニツァ市との間で協力関係を結んでいます。

岐阜県岐阜市および千葉県浦安市が2020年東京オリンピック・パラリンピックのスロバキアのホストタウンに登録されており、埼玉県所沢市がEU国際都市交流プログラム(IUC)でブラチスラバのパートナー都市として登録されています。

在留邦人数は、2020年10月現在で250人、在日スロバキア人数は、2019年12月現在で355人です。

まとめ

以上、国特集「スロバキア共和国」でした。

ちなみに、「スロバキア共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「33位」でした。

本記事は、2023年1月21日時点調査または公開された情報です。
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