「中央アフリカ共和国」ってどんな国?
「中央アフリカ共和国」の正式名称はフランス語で「République centrafricaine」、サンゴ語で「Ködörösêse tî Bêafrîka」、英語では「Central African Republic」です。漢字では「中非」と表記されます。
「中央アフリカ共和国」の広さ 面積・場所について
「中央アフリカ共和国」の面積は約623,000平方キロメートルで、日本の約1.7倍の大きさです。
「中央アフリカ共和国」の場所は、アフリカ中央部にあり、北東にスーダン、東に南スーダン、南にコンゴ民主共和国、南西にコンゴ共和国、西にカメルーン、北にチャドと国境を接しています。
「中央アフリカ共和国」の首都について
「中央アフリカ共和国」の首都は「バンギ」で、「バンギ」は、コンゴ川の支流であるウバンギ川河畔に位置しています。
「バンギ」の人口は、2012年現在、約73万人です。
「中央アフリカ共和国」の人口について
「中央アフリカ共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約475万人であり、人口密度は、約7.75人で、第181位です。
「中央アフリカ共和国」の成り立ちについて
「中央アフリカ共和国」は、19世紀半ばまで小国が割拠しており、1894年に仏領ウバンギ・シャリが成立、1910年に仏領赤道アフリカの一部となり、1958年に独立宣言、共和国宣言が発動されました。
1960年8月に独立、ダッコ大統領が選出、1966年1月にクーデターによりボカサ参謀総長(中佐)大統領が就任、1976年12月に帝制宣言によりボカサ大統領が皇帝に即位しました。
1979年9月にクーデターが発生、共和制が復活、ダッコ大統領が再就任、1981年9月にクーデターによってコリンバ参謀総長が国家再建軍事委員会議長に就任、憲法が停止されました。
1986年11月に国民投票により新憲法が採択、コリンバ大統領が選出、1993年10月に大統領選挙後、パタセ新大統領が就任、2003年3月にボジゼ元参謀長によるクーデターが発生、自ら「大統領」に就任し憲法が停止、「国家暫定評議会」が設立されました。
2004年12月に新憲法が国民投票で採択、2005年3~5月に大統領選挙・国民議会選挙が実施、2005年6月にボジゼ大統領が就任、2011年1月に大統領選挙が実施、ボジゼ大統領が再選されました。
2012年12月にイスラム系反政府勢力セレカによる諸都市が占拠、2013年1月にリーブルビルが合意、2013年3月にセレカが再度侵攻、バンギを占拠、ボジゼ政権が崩壊、ジョトディア・セレカ指導者「大統領」就任し、憲法の無効化、内閣総辞職、議会が解散されました。
2014年1月にジョトディア「大統領」が辞任、サンバ・パンザ「大統領」が選任、2014年7月にセレカとキリスト教自警集団(アンチ・バラカ)が停戦合意、2015年5月に国民和解フォーラムが開催されました。
2015年12月~2016年3月には、憲法草案国民投票、大統領選挙・国民議会選挙が実施、トゥアデラ大統領が就任、2017年1月にAU総会で調停メカニズム「アフリカ・イニシアティブ」が設置されました。
2019年2月に政府・14武装勢力間で和平合意が署名、2020年12月に大統領選挙・国民議会選挙が実施、2021年3月にトゥアデラ大統領が就任しました。
「中央アフリカ共和国」の国民・宗教・言語について
「中央アフリカ共和国」の国民について
「中央アフリカ共和国」の人種割合は、アダマワ・ウバンギ系言語を話す民族が中心です。
主な民族は、バイヤ族が約33パーセント、バンダ族が約27パーセント、マンディア族が約13パーセント、サラ族が約10パーセント、ムブーム族が約7パーセント、ムバカ族が約4パーセント、ヤコマ族が約4パーセント、その他が約2パーセントです。
「中央アフリカ共和国」の宗教について
「中央アフリカ共和国」の国家宗教は、伝統的宗教が約24パーセント、プロテスタントが約25パーセント、ローマ・カトリックが約25パーセント、イスラム教が約15パーセント、その他が約11パーセントです。
宗教対立は、従来ほとんど存在しませんでした。
しかし、2013年に北部のイスラム教徒を主体とするイスラム系武装勢力「セレカ」が首都バンギに侵攻し、キリスト教徒主体の住民を迫害する一方でイスラム教徒を保護しました。
さらに、これに対抗して結成されたアンチバラカがキリスト教徒の保護とイスラム教徒の迫害を行ったため、わずかな期間で両宗教間の敵意が急速に増大しました。
「中央アフリカ共和国」の言語について
「中央アフリカ共和国」の公用語は、フランス語で、日常生活では、フランス語とアダマワ・ウバンギ系言語のンバンディ語が混淆して形成されたサンゴ語というクレオール言語が事実上の共通語となっています。
「中央アフリカ共和国」の経済状況について
「中央アフリカ共和国」の通貨はCFAフランで、GDPは約22.2億米ドルで、世界165位です。そして、一人当たりのGDPは約489.87米ドルで、世界187位です。
「中央アフリカ共和国」の貿易について
「中央アフリカ共和国」の貿易相手は主に、輸出がフランス、UAE、カメルーン、中国、ニジェールで、輸入がフランス、中国、カメルーン、ネパール、インドとなっています。
「中央アフリカ共和国」の主な輸出品目は、鉄道用車両・機械類、電子機械、医療用品、繊維などで、輸入品目は、車両、鉄道機関車・車両、木材、機械、貴石などです。
「中央アフリカ共和国」の政治・政策について
政治体制について
「中央アフリカ共和国」は、共和制で、議会は、140議席の国民議会です。
「中央アフリカ共和国」の政策
「中央アフリカ共和国」は、 独立以来クーデターを繰り返し、1991年の複数政党制導入後、大統領選挙、国民議会選挙実施等民主化が進展していました。
しかし、劣悪な経済状態に起因する給与遅配問題等から公務員ストライキが慢性化、国軍兵士による反乱・騒擾事件も多発する等、政情は常に不安定でした。
2003年3月にボジゼ元国軍参謀長が反政府勢力を率いて首都バンギを侵攻、2005年、同人は選挙で大統領に就任し、2011年の大統領選挙で再選されました。
2013年にイスラム系反政府勢力連合セレカの侵攻を受け、ボジゼ政権が崩壊、セレカとキリスト教自警集団(アンチ・バラカ)が各地で衝突しました。
2015年の国民和解フォーラムを経て、翌3月にトゥアデラ大統領が就任し、国際社会の支援を受け国家復興への努力を続け、2019年1月、AUが主導し政府・14武装勢力間の交渉が実施され、翌2月、和平合意に署名しました。
合意書には、武装勢力の武装・動員解除、リハビリおよび社会復帰(DDRR)促進、地方分権、資源再配分、武装勢力が参加する包括的な政治体制整備、中央アフリカ国軍・武装勢力の合同巡回部隊設置、モニタリング・メカニズム設置等が盛り込まれました。
2020年12月にトゥアデラ大統領の再選を阻止すべく、一部の武装勢力が新たな同盟「変革のための愛国者同盟(CPC)」を結成し、武力活動を活発化させたものの、大統領選挙は予定どおり2020年12月に実施され、2021年3月にトゥアデラ大統領が再選されました。
「中央アフリカ共和国」の元首・首相・外相について
「中央アフリカ共和国」の元首について
「中央アフリカ共和国」の元首は、フォースタン・アーシャンジュ・トゥアデラ大統領です。
「中央アフリカ共和国」の首相・外相について
「中央アフリカ共和国」の首相は、フィルマン・ングレバダ首相で、外相は、シルビー・バイポ=テモン外務・在外国民大臣です。
「中央アフリカ共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「中央アフリカ共和国」は、 旧宗主国仏等先進諸国からの経済協力の獲得に努めています。
AU、中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)や周辺国による政府・武装勢力間調停プロセスを受け、1998年1月に中国と外交関係を再開し台湾と断交しました。
軍事力は、予算は、2017年現在、約3,100万ドル、兵役は、2年間の選抜徴兵制で、兵力は、約8,150人で、その内訳は、陸軍が約7,000人、空軍が約150人、憲兵隊が約1,000人です。
「中央アフリカ共和国」と「日本」の関係は?
「中央アフリカ共和国」と「日本」の政治関係は、1960年8月13日に中央アフリカを承認、1968年6月12日に中央アフリカ大使館が東京に開設、1974年1月25日に我が方大使館がバンギに開設されました。
1992年12月14日に在京中央アフリカ大使館が閉館、1995年8月1日付で江口鉱研工業株式会社社長が東京駐在中央アフリカ名誉総領事に認証、2005年1月1日に日本が大使館を廃止、以降、在カメルーン大使館が兼轄しています。
経済関係は、対日貿易において、2019年現在、貿易額は、輸出が約1.39億円、輸入が1.57億円、主要品目は、輸出が木材等、輸入が機械類・輸送機器、金属、医療用品等です。
進出企業は、2021年4月現在、ありません。
文化関係は、1980年代に、中央アフリカのバスケットボール・チーム招聘、柔道使節派遣、文化無償資金協力で体育機材、視聴覚機材など供与。2005年、文化事業でバンギ映画祭が実施されました。
在留邦人数は、2021年4月現在、3人、在日当該国人数は、2020年6月現在、17人です。
まとめ
以上、国特集「中央アフリカ共和国」でした。
ちなみに、「中央アフリカ共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「118位」でした。
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