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【目指せ!外交官】最も早く「アフリカ」と呼ばれた地域「チュニジア共和国」の基礎知識(2021年6月調査情報)

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目次

「チュニジア共和国」ってどんな国?

「チュニジア共和国」の正式名称はアラビア語で「الجمهورية التونسية‎」、英語では「Republic of Tunisia」です。漢字では「突尼斯」と表記し、その他「度尼斯、徳尼斯、土尼斯、都尼斯、吐逆斯、戸仁須」などとも表記されます。

「チュニジア共和国」の広さ 面積・場所について

「チュニジア共和国」の面積は約16万3,610平方キロメートルで、日本の約5分の2ほどの大きさです。

「チュニジア共和国」の場所は、アフリカのマグリブにあり、西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接し、北と東は地中海に面しています。

「チュニジア共和国」の首都について

「チュニジア共和国」の首都は「チュニス」で、「チュニス」は、座標、北緯36度48分0秒 東経10度10分12秒に位置しています。

「チュニス」の人口は、2004年12月現在、約83万人です。

「チュニジア共和国」の人口について

「チュニジア共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約1,169万人であり、人口密度は、約72.75人で、第106位です。

「チュニジア共和国」の成り立ちについて

「チュニジア共和国」は、紀元前9世紀から都市国家カルタゴとして栄え、ベルベルとフェニキアの文化が融合され、紀元前146年にローマ帝国がカルタゴを征服、439年にゲルマン系ヴァンダル族がカルタゴを占領し、ヴァンダル帝国が建設されました。

533年に東ローマ帝国のビザンチンがヴァンダル帝国を滅ぼし、ビザンチン文化が開花、7世紀にアラブ侵入、イスラム化が始まり、1574年にオスマン帝国の属州となりました。

1881年にフランスの保護領となり、1956年3月にフランスから独立、1957年7月に共和制に移行し、ブルギバ大統領が就任、1959年6月に共和国憲法が発布、1987年11月にベン・アリ大統領に就任しました。

1989年4月にベン・アリ大統領が当選、2011年1月にベン・アリ大統領が国外退去、ムバッザア暫定大統領が就任、2011年3月に1959年憲法が停止、2011年10月に制憲国民議会選挙が実施、2011年11月に制憲国民議会が開会されました。

2011年12月にマルズーキ大統領が就任、ジェバリ首相内閣が発足、2013年3月にラアレイエド内閣が発足、2014年1月に新憲法が公布、2014年1月にジョマア内閣が発足、2014年10月に国民代表議会選挙が実施されました。


2014年11月~12月に大統領選挙が実施、2014年12月にエセブシ大統領が就任、2015年2月にエシード内閣が発足、2016年1月にエシード内閣が改造、2016年8月にシェーヘド内閣が発足、2018年5月に地方選挙が実施されました。

2019年9~10月に大統領選挙が実施、2019年10月に国民代表議会選挙が実施、サイード大統領が就任、2020年2月にファフファーフ内閣が発足、2020年9月にムシーシー内閣が発足されました。

「チュニジア共和国」の国民・宗教・言語について

「チュニジア共和国」の国民について

「チュニジア共和国」の人種割合は、アラブ人が約98パーセントで、チュニジアの先住民はベルベル人やフェニキア人でしたが、7世紀のアラブによる征服以降、住民の混血とアラブ化が進んだため、民族的にはほとんど分けることが出来ません。

残りはヨーロッパ人が約1パーセント、ベルベル語を話すベルベル人、ユダヤ人、黒人などその他が約1パーセントとなっています。

「チュニジア共和国」の宗教について

「チュニジア共和国」の国家宗教は、イスラームが国教で、国民の約98パーセントはスンナ派で、僅かながらイバード派の信徒も存在しています。

その他は、ユダヤ教、主にカトリック、ギリシャ正教、プロテスタントなどのキリスト教で、イスラームも比較的戒律は緩やかで、女性もヴェールをかぶらず西洋的なファッションが多く見られます。

「チュニジア共和国」の言語について

「チュニジア共和国」の公用語は、アラビア語ですが、独立前はフランスの保護下にあったことからフランス語も広く普及しており、教育、政府、メディア、ビジネスなどで使われるなど準公用語的な地位となっています。

教授言語は、フランス語とアラビア語の両方となっており、大多数の国民がフランス語を話すことが可能ででアラビア語チュニジア方言はマルタ語に近いことが特徴です。

また、ごく少数ながら、ベルベル語の一つであるシェルハも話されています。

「チュニジア共和国」の経済状況について

「チュニジア共和国」の通貨は、チュニジア・ディナールで、GDPは約373.9億米ドルで、世界90位です。そして、一人当たりのGDPは約3,322.93米ドルで、世界125位です。

「チュニジア共和国」の貿易について

「チュニジア共和国」の貿易相手は主に、輸出がフランス、イタリア、ドイツ、スペイン、リビアで、輸入がイタリア、フランス、ドイツ、アルジェリア、ロシアとなっています。

「チュニジア共和国」の主な輸出品目は、機械・電気機器、衣類、石油関係、化学製品・肥料などで、輸入品目は、機械・電気機器、衣類、石油関係、自動車などです。

「チュニジア共和国」の政治・政策について

政治体制について

「チュニジア共和国」は、共和制で、議会は、国民代表議会で、議席数は217、国内線曲は199、海外選挙区は18です。

「チュニジア共和国」の元首・首相について

「チュニジア共和国」の元首について

「チュニジア共和国」の元首は、カイス・サイード大統領です。

「チュニジア共和国」の首相・外相について

「チュニジア共和国」の首相は、ヒシェーム・ムシーシーで、外相は、オスマン・ジェランディです。


「チュニジア共和国」の国防・軍事制度・兵役について

「チュニジア共和国」は、非同盟中立で、米、仏等欧米諸国と緊密な関係を有し、穏健かつ現実的な外交政策を標榜しています。

ベン・アリ政権崩壊後は、欧米に偏重した外交政策を修正し、マグレブ諸国との関係強化を優先事項として掲げ、湾岸諸国やアフリカ、アジアとの関係の活発化を目指すなど対外関係の多極化に努めています。

特に、アフリカ諸国との経済関係強化は外交の最優先課題の一つに挙げられています。

軍事力は、支出は、2019年現在、約10億3900万米ドル、兵役は、徴兵選抜制で12か月、兵力は、2017年現在、約48,000人です。

「チュニジア共和国」と「日本」の関係は?

「チュニジア共和国」と「日本」の政治関係は、日本は1956年6月26日にチュニジアを承認し、1969年2月5日に在チュニジア大使館が開設されました。

1985年以来定期的に「日・チュニジア合同委員会」が日本、チュニジアで交互に開催され、二国間関係全般、中東情勢、アジア情勢等について幅広い意見交換が行われており、2019年2月には本邦において第10回合同委員会が開催されました。

2011年3月の東日本大震災に際し、チュニジアからツナ缶6万個の物資供与があったほか、在京チュニジア大使館のイニシアティブで宮城県石巻市および千葉県旭市に支援ミッションが派遣され、救援物資の提供や炊き出しが行われました。

経済関係は、日本の対チュニジア貿易額は、2019年現在、輸入は約113億円で、輸入品目は、衣類、電気回路、音響・映像機器などの電気機器、まぐろで、輸出は、約109億円で、輸出品目は、自動車、原動機、ボイラーなどの機械、通信機、電子部品などの電気機器です。

日本からの進出企業数は、2020年3月現在で22社です。

文化関係は、チュニジアに海外拠点を設置する筑波大学を中心とした学術交流、国費留学生の受入れ、日本映画・アニメの上映会の実施、日本人音楽家によるコンサートの実施、日本語講座を設置する語学学校への支援などの実績があります。

在留邦人数は、2018年10月で136名、在日当該国人数は、2019年12月、907名です。

まとめ

以上、国特集「チュニジア共和国」でした。

ちなみに、「チュニジア共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「26位」でした。

本記事は、2023年2月26日時点調査または公開された情報です。
記事内容の実施は、ご自身の責任のもと、安全性・有用性を考慮の上、ご利用ください。

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この記事を書いた人

2021年に公務員総合研究所に入所した新人研究員。

好きな言葉は、「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」

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