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【目指せ!外交官】国名の由来は、マレー語で「島」を意味する「パラオ共和国」の基礎知識(2021年7月調査情報)

世界の国特集、今回紹介するのは、ミクロネシア地域の島々からなる共和制国家「パラオ共和国」です。

「パラオ共和国」は、太平洋に位置する国です。

外交官になるなら押さえておきたい国の基本知識です。


「パラオ共和国」ってどんな国?

「パラオ共和国」の正式名称は、パラオ語で「Beluu ęr a Belau」、英語では「Republic of Palau」です。漢字では「巴羅」と表記し、その他「帛琉、帕勞、帛琉、帛琉」などとも表記されます。

「パラオ共和国」の広さ 面積・場所について

「パラオ共和国」の面積は約488平方キロメートルで、屋久島とほぼ同じ大きさです。

「パラオ共和国」の場所は、太平洋にあり、ミクロネシア地域の島々によって構成されています。

「パラオ共和国」の首都について

「パラオ共和国」の首都は「マルキョク」で、「マルキョク」は首都としては、パラオ最大の島、バベルダオブ島の東岸に位置し、座標は、北緯7度30分2秒、東経134度37分27秒です。

「マルキョク」の人口は、2010年現在、500人です。

「パラオ共和国」の人口について

「パラオ共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約1万8,008人であり、人口密度は、約39.22人で、第139位です。

「パラオ共和国」の成り立ちについて

「パラオ共和国」は、1500年代にスペイン人がミクロネシアの島々に来航、1899年にスペインがミクロネシアの島々を独に売却、1914年に第一次世界大戦が勃発、日本はパラオを含む独領ミクロネシア(南洋群島)を占領しました。

1920年に国際連盟から日本の(パラオを含む)ミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められ、1922年に南洋群島全体を管轄する南洋庁本庁がコロールに設置されました。

1945年に第二次世界大戦終了後、米軍占領が開始、1947年に国連の太平洋信託統治領として米国の統治が開始、1965年にミクロネシア議会が発足、代表を派遣しました。

1969年に太平洋諸島信託統治地域に関する日米協定(ミクロネシア協定)が締結、

1978年に住民投票の結果、ミクロネシア地域の統一国家からの離脱が決定、1981年に憲法が発布、自治政府が発足されました。


1982年に米国との間で自由連合盟約(コンパクト)案が合意、以後、1983年2月、1984年9月、1986年2月、1986年12月、1987年6月及び8月(無効)、1990年2月の7回住民投票が実施されましたが、75%以上の賛成を得ることが出来ずに不承認されました。

1992年に住民投票にて憲法修正案(憲法の非核条項を自由連合盟約に適用しないことによりコンパクト案承認を容易にするもの)が承認、1993年に第8回目の住民投票によりコンパクト案が承認されました。

1994年10月1日にコンパクトが発効、独立、1994年12月に国連に加盟しました。

「パラオ共和国」の国民・宗教・言語について

「パラオ共和国」の国民について

「パラオ共和国」の人種割合は、人口の約70パーセント程度がパラオ人で、他に1990年代からフィリピン人労働者が多く在住しています。

また、人口の半分以上は旧首都コロールに住み、日系パラオ人は全人口の約25パーセントを占めるともいわれています。

1970年の人口規模は1万数千人で、海外移住者は2500人以上であったと推定されており、この年以降も数百人規模で海外移住が行われ、特に1972年以降に大規模な海外移住が始まっています。

「パラオ共和国」の宗教について

「パラオ共和国」の国家宗教は、キリスト教で、カトリックが約41.6パーセント、プロテスタントが約28.2パーセントです。

他にカトリックと伝統宗教が融合した新宗教モデクゲイが約8.8パーセント、エホバの証人が約166人、末日聖徒イエス・キリスト教会が約124人で、土着の宗教もあります。

「パラオ共和国」の言語について

「パラオ共和国」の公用語は、パラオ語と英語で、パラオ語は全人口の約64.7パーセントに、英語は約9.4パーセントに使用されています。

このほか、フィリピン語が約13.5パーセント、中国語が約5.7パーセント、カロリン語が約1.5パーセント、日本語が約1.5パーセントです。

「パラオ共和国」の経済状況について

「パラオ共和国」の通貨は米ドルで、GDPは約2.68億米ドルで、世界188位です。そして、一人当たりのGDPは約14,411.66米ドルで、世界52位です。

「パラオ共和国」の貿易について

「パラオ共和国」の貿易相手は主に、輸出が日本、メキシコ、ミクロネシア、パナマで、輸入が米国、グアム、日本、中国となっています。

「パラオ共和国」の主な輸出品目は、魚介類で、輸入品目は、機械・機器、燃料、メタル、食料品です。

「パラオ共和国」の政治・政策について

政治体制について

「パラオ共和国」は、大統領制で、議会は二院制、上院は13名、下院は16名、任期は4年です。

「パラオ共和国」の政策

「パラオ共和国」は、2021年1月に就任したウィップス大統領は、省庁再編を推進するなど、より効率的かつ合理的な行政運営を目指すとともに、「パラオ人ファースト」をスローガンに掲げ、パラオ人がより活躍できる社会を実現しようとしています。


また、観光業と外国からの援助に依存する財政構造が続く中、新型コロナウイルスの影響による経済への深刻な影響を踏まえ、経済の復興及び産業の多角化に向けた新たな施策を打ち出しています。

米国とのコンパクトに基づく財政支援は、2009年9月に一旦終了しましたが、トリビオン大統領(当時)は米国とのコンパクト改訂交渉を重ねました。

その後、2010年9月、米国が今後15年間で2億3千万ドルの財政支援をパラオに供与する第二次コンパクトに署名、2017年12月に米国議会が修正コンパクト案を承認しました。

「パラオ共和国」の元首・大統領について

「パラオ共和国」の元首について

「パラオ共和国」の元首は、スランゲル・S・ウィップス・Jr.大統領です。

「パラオ共和国」の国防・軍事制度・兵役について

「パラオ共和国」は、1994年に国連加盟を果たし、WHO、IMF、UNESCO、FAO、IWCなどの国際機関やPIF、PC、FFAなどの地域機関に加盟しています。

1999年には台湾と国交を結び、米国、日本、台湾との関係を重視しています。

「パラオ共和国」には、軍隊はなく、コンパクトに基づき、パラオの安全保障・国防上の権限と責任は米国が有しています。

アイライ州に小規模な米軍施設がありますが、実戦部隊は駐留しておらず、有事の際には米軍による土地利用が認められています。

なお、コンパクトに基づき、パラオ国市民が米国軍人として数多く採用されています。

「パラオ共和国」と「日本」の関係は?

「パラオ共和国」と「日本」の政治関係は、1994年10月1日に日本がパラオ共和国を国家として承認、1994年11月2日に日本との外交関係が開設、1999年1月29日に在京パラオ共和国大使館が開設されました。

1999年2月15日に在パラオ兼勤駐在官事務所(在フィジー日本国大使館が兼轄)が開設、2008年4月に在ミクロネシア日本国大使館による兼轄が開始、2010年1月に在パラオ兼勤駐在官事務所が大使館に格上げされました。

経済関係は、貿易額は、2020年度現在、パラオからの輸入が約3.4億円、パラオへの輸出が約11.9億円、進出日本企業数が2019年10月現在、24社です。

在留邦人数は、2020年10月現在、218名で、在日パラオ人数は、2020年6月現在、40名です。

まとめ

以上、国特集「パラオ共和国」でした。

ちなみに、「パラオ共和国」の男子サッカーFIFAランキングには入っていません。

本記事は、2023年4月23日時点調査または公開された情報です。
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