「ジブチ共和国」ってどんな国?
「ジブチ共和国」の正式名称はアイスランド語で「République de Djibouti(レピュブリク・ドゥ・ヂブティ)」、英語では「Republic of Djibouti」です。漢字では「吉布提」と表記し、その他「吉布地」などとも表記されます。
「ジブチ共和国」の広さ 面積・場所について
「ジブチ共和国」の面積は、約23,200平方キロメートルで、四国の約1.3倍の大きさです。
「ジブチ共和国」の場所は、アフリカ大地溝帯の北端にあり、エリトリア、エチオピア、ソマリアと接し、紅海、アデン湾に面し、海沿いは平野が広がり、西部には高原が広がっています。
「ジブチ共和国」の首都について
「ジブチ共和国」の首都は「ジブチ市」で、「ジブチ市」は、タジュラ湾の南岸に位置する海上交通の要衝で、紅海の入り口にあたるバブ・エル・マンデブ海峡の近くにあります。
フランスの植民地であったという歴史的な経緯から、ジブチ駐留フランス軍の統合司令部が置かれています。
「ジブチ市」の人口は、2013年現在、約62.4万人です。
「ジブチ共和国」の人口について
「ジブチ共和国」の人口は、世界銀行が2019年に調べた時点で約97.4万人であり、人口密度は、約47.80人で、第131位です。
「ジブチ共和国」の成り立ちについて
「ジブチ共和国」は、1862年3月に仏がジブチ市北方のオボック地方をアファール族より譲り受け、1885年に仏がイッサ族よりジブチ市近辺を譲り受け、1896年5月に仏が仏領ソマリランドに名誉総督を派遣しました。
1946年に仏海外領土となり、1967年3月に仏領アファール・イッサと改名、1977年6月に仏より独立し、グーレド大統領が就任、1991年11月に政府軍と反政府軍FRUDの武力衝突により内戦が勃発しました。
1992年9月に国民投票が実施され、新憲法が採択、1994年12月に政府とFRUDの間で和平合意に署名、1996年3月にFRUDが政党として正式に公認、1999年4月に大統領選挙、ゲレ大統領が選出、1999年5月にゲレ大統領が就任しました。
2000年2月に政府と武装FRUDとの間で和平枠組み合意に署名、2001年5月に政府と武装FRUDとの間で最終和平案を合意、2005年4月に大統領選挙が実施、ゲレ大統領が再選されました。
2010年4月に憲法が改正され、大統領任期が短縮されて6年から5年となり、再選回数制限の撤廃がなされ、2011年4月に大統領選挙が実施、ゲレ大統領が三選、2016年4月に大統領選挙が実施、ゲレ大統領が四選しました。
「ジブチ共和国」の国民・宗教・言語について
「ジブチ共和国」の国民について
「ジブチ共和国」の人種割合は、ソマリ人系のイッサ人が約60パーセント、エチオピア系のアファル人が約35パーセントであり、フランス人、アラブ人、イタリア人やアファル人以外のエチオピアの民族など、その他が約5パーセントとなっています。
なお、イッサ人は、ジブチ市をはじめとする南部に、アファル人はタジュラ市をはじめとする北部に主に居住しています。
「ジブチ共和国」の宗教について
「ジブチ共和国」の国家宗教は、人口の約94パーセントがムスリム(イスラム教)で、約6パーセントがキリスト教です。
「ジブチ共和国」の言語について
「ジブチ共和国」の公用語は、フランス語とアラビア語で、現地住民の間においてはソマリ語とアファル語が、それぞれ広く使われています。
「ジブチ共和国」の経済状況について
「ジブチ共和国」の通貨はジブチ・フランで、GDPは約33.19億米ドルで、世界160位です。そして、一人当たりのGDPは約3,074.39米ドルで、世界130位です。
「ジブチ共和国」の貿易について
「ジブチ共和国」の貿易相手は、輸出が、サウジアラビア、インド、ナイジェリア、英国で、輸入が中国、アラブ首長国連邦、インド、インドネシアとなっています。
「ジブチ共和国」の主な輸出品目は、羊・ヤギ、その他動物、マメで、輸入品目は、石油精製品、ヤシ油、生砂糖です。
「ジブチ共和国」の政治・政策について
政治体制について
「ジブチ共和国」は、共和制で、議会は、65議席の国民議会です。
「ジブチ共和国」の政策
「ジブチ共和国」は、1977年に仏からの独立を達成するが、以降、ジブチ住民の大部分が属するイッサ族とアファール族の対立を背景とする紛争と、国民融和に向けての努力が繰り返されてきました。
1991年に政府軍と反政府軍FRUDの武力衝突により内戦が勃発し、両者間の和平対話が行き詰まる中、グーレド初代大統領は民主化を推進し、1992年複数政党制を含む新憲法が国民投票により採択されました。
1994年、政府とFRUDは和平合意し、3年余りの内戦が終結したが、反政府組織の一部は北部地域を拠点に武装FRUDが形成されました。
1999年にグーレド大統領勇退後の大統領選挙では、民主的な政権交替に注目が集まりましたが、ゲレ候補は、野党統一候補のイドイス候補を大差で破り大統領に就任、2000年に政府と武装FRUDの間で和平枠組み合意が署名され、翌2001年5月に最終和平案が合意されました。
それ以降、大統領選挙は、2005年(再選)、2011年(三選)、2016年(四選)とゲレ大統領が再選を果たし、この間、2010年4月の憲法改正によって、大統領任期の6年から5年に短縮、再選回数の制限の撤廃および大統領定年制(75歳)が導入されました。
「ジブチ共和国」元首・首相・外相について
「ジブチ共和国」の元首について
「ジブチ共和国」の元首は、イスマイル・オマール・ゲレです。
「ジブチ共和国」の首相・外相について
「ジブチ共和国」の首相は、首相 アブドゥルカデル・カミル・モハメッドで、外務・国際協力相は、マフムッド・アリ・ユスフです。
「ジブチ共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「ジブチ共和国」は、旧宗主国仏との関係を基軸として、エチオピア、ソマリア等、近隣諸国およびサウジアラビアを中心とするアラブ諸国とのバランスのとれた友好・協力関係の維持に努めています。
2001年9月の米国同時多発テロ事件以降、従来から駐留する仏軍に加え、米軍、伊軍の基地ほか、2017年7月には中国の「保障基地」が開設されました。
また、日本をはじめ、ソマリア沖海賊対処にあたる各国は、主にジブチを拠点としています。
軍事力は、2020年現在、予算は不詳で、兵役は志願兵です。
兵力は、約10,450名で、その内訳は、陸軍が約8,000名、海軍が約200名、空軍が約250名、憲兵隊が約2,000名となっています。
「ジブチ共和国」と「日本」の関係は?
「ジブチ共和国」と「日本」の政治関係は、1977年6月27日に我が国はジブチを国家を承認、翌1978年8月24日に、カミル首相来日時に外交関係樹立の口上書を交換しました。
独立当初、日本は、在仏大使館、次いで在エチオピア大使館がジブチを兼轄し、2009年3月に在ジブチ連絡事務所、10年4月に兼勤駐在官事務所が設置、2012年1月に正式な大使館が開設され、ジブチでは在京大使館が1989年4月に開設されました。
2009年3月に、日本はソマリア沖・アデン湾の海賊対処のため護衛艦2隻が派遣、同年6月からはP-3C哨戒機による活動も開始されました。
2011年6月には航空隊の拠点がジブチに設置、2020年1月には、中東地域における日本関係船舶の安全確保に関する政府の取組として、P-3C哨戒機は情報収集任務が開始されました 。
経済関係は、対日貿易については、2019年現在、貿易額は輸出が約0.006億円、輸入が約 56.66億円、主要品目は、対日輸出が魚介類、一般機械、電気機器、対日輸入が医薬品、プラスチック、穀物、日本からの進出企業は、2019年10月現在で2社となっています。
文化関係は、国立劇場に対する音響機材供与等が実施、在留邦人数は、2019年10月現在で47人、在日当該国人数は、2019年12月現在で12人です。
まとめ
以上、国特集「ジブチ共和国」でした。
ちなみに、「ジブチ共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「184位」でした。
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