「シエラレオネ共和国」ってどんな国?
「シエラレオネ共和国」の正式名称は英語で「Republic of Sierra Leone」です。漢字では「塞拉勒窩内」と表記し、その他「塞拉略尼、比拉雷俄内、志留良礼恩、志留良々恩、塞拉略恩」などとも表記されます。
「シエラレオネ共和国」の広さ 面積・場所について
「シエラレオネ共和国」の面積は約71,740平方キロメートルで、日本の約5分の1の大きさです。
「シエラレオネ共和国」の場所は、西アフリカの西部、大西洋岸に位置し、北にギニア、南東にリベリアと国境を接し、南西は大西洋に面しています。
「シエラレオネ共和国」の首都について
「シエラレオネ共和国」の首都は「フリータウン」で、「フリータウン」は、同国南西部のフリータウン半島に位置し、シエラレオネ川の西に大西洋を臨んでいます。
「フリータウン」の人口は、2010年時点で約120万人で、港湾都市です。
「シエラレオネ共和国」の人口について
「シエラレオネ共和国」の人口は、慧海銀行が2019年に調べた時点で約781万人であり、人口密度は、約111.29人で、第74位です。
「シエラレオネ共和国」の成り立ちについて
「シエラレオネ共和国」は、15世紀にポルトガル人航海士が上陸、1787年に英国で奴隷貿易廃止促進協会が設立され、黒人移住希望者のシエラレオネへの入植が開始されました。
1792年に首都フリータウンが建設、1807年に英国で奴隷貿易禁止法が成立して以降、英国等からの多くの解放奴隷がシエラレオネに流入、1808年に英国領植民地化され、1896年に英国の保護領となりました。
1924年に新憲法が制定、1931年にダイヤモンド鉱が発見、1958年に憲法が改正、1960年7月にミルトン・マルガイ氏が初代首相に就任、1961年4月に英国から独立、
1964年4月にアルバート・マルガイ氏が首相に就任しました。
1968年4月にフリータウン市長であったシアカ・スティーブンスが首相に就任、1970年9月にダイヤモンド産業が国有化、1971年4月に共和国となり、スティーブンス氏が大統領に就任しました。
1978年5月に新憲法制定によってAPCのみの単一政党制が導入、1985年10月に大統領選挙が実施、軍事司令官ジョセフ・サイドゥ・モモ少佐が当選、モモ大統領就任、1987年3月にクーデターが未遂に終わりました。
1991年3月に革命統一戦線(RUF)武装が蜂起、内戦に突入、1992年4月 軍事クーデターが発生、ストラッサー大尉を議長(元首)とする暫定政府が発足、1996年1月にビオ准将による無血クーデターが発生、大統領・議会選挙、カバ大統領が選出されました。
1997年5月に軍事クーデターが発生、カバ大統領ギニアへ脱出、6月に軍事革命評議会議長であるコロマ少佐が国家元首に就任、1998年3月に軍事革命評議会が駆逐されカバ大統領がフリータウンに帰還しました。
1999年7月にロメ和平合意が成立、10月 に国連シエラレオネミッションの派遣が決定、2000年5月にRUFによる国連PKO要員500名の拘束事件が発生、11月にシエラレオネ政府、RUF間で停戦合意が成立、2001年5月に武装解除の実施方法について政府、RUF間で合意が成立しました。
2002年1月にカバ大統領が武装解除完了宣言、3月にカバ大統領が国家非常事態の終了宣言、5月に大統領・議会選挙が実施、現職のカバ候補が圧倒的多数の得票率で再選されました。
2003年6月にダイヤモンド輸出禁止が解除、2004年2月にカバ大統領がDDR委員会の解散を宣言、2005年12月にUNAMSILが完全撤退、2006年1月に国連シエラレオネ統合事務所(UNIOSIL)活動が開始されました。
2007年8月に大統領・議会選挙が実施、9月に大統領選挙決選投票、コロマ大統領が就任、2008年10月に国連シエラレオネ統合平和構築事務所の活動が開始、2009年3月に与野党支持者間の衝突による「3月暴動」が発生、4月にUNIPSILの仲介で与野党の共同コミュニケが発足されました
2012年11年に大統領・議会選挙が実施、コロマ大統領が再選、2014年3月にUNIPSIL活動が終了、2018年3月に大統領・議会等選挙が実施、2018年4月にビオ大統領が就任しました。
「シエラレオネ共和国」の国民・宗教・言語について
「シエラレオネ共和国」の国民について
「シエラレオネ共和国」の人種割合は、主に北部に居住するテムネ族が約35パーセント、南部に居住するメンデ族が31パーセントで、2大民族となっています。
また、このほかにリンバ族が約8パーセント、ロッコ族、マリンケ族/マンディンカ族、スースー族、ヴァイ族などの民族が存在し、約3パーセント~5パーセントが主に首都フリータウンのあるシエラレオネ半島に居住するクリオと呼ばれるクレオールです。
クリオ人は、主にイギリスや北アメリカやジャマイカなど解放奴隷の子孫や現地民族および白人との混血(ムラート)などからなっており、このほか少数ながらレバノン人をはじめとするアジア人やヨーロッパ人も都市部に定住しています。
「シエラレオネ共和国」の宗教について
「シエラレオネ共和国」の国家宗教は、イスラム教が約60パーセントで、伝統的宗教が約30パーセント、キリスト教が約10パーセントです。
プロテスタントがほとんどで、カトリックは約2パーセント程度)で、イスラム教が約71.3パーセント、キリスト教が約26.8パーセントで伝統的宗教が約1.9パーセントとされています。
シエラレオネでは名目上ではイスラム教が多く、続いて伝統的宗教が続き、キリスト教の人口は約10パーセントと少ない方ですが、シエラレオネでのキリスト教の影響力は強い現状にあります。
キリスト教の布教活動は全国的に行われており、欧米のキリスト教団体や宣教師らが各地で活動しており、イスラム教の布教活動も西部地域を中心に活発に行われてています。
シエラレオネでは暴力に発展する様な宗教対立は殆どなく、アフリカでは珍しく基本的にイスラム教徒とキリスト教徒は協力し合って平和的に交流して共存しています。
なお、イスラム教のモスクのすぐ近くや隣にキリスト教の教会が建ち並んでいる場合も珍しくありません。
「シエラレオネ共和国」の言語について
「シエラレオネ共和国」の公用語は、英語で、そのほかにテムネ語やメンデ語などの各現地部族語、クリオ語と呼ばれる英語を母体にしたクレオール語などが使われています。
「シエラレオネ共和国」の経済状況について
「シエラレオネ共和国」の通貨はレオンで、GDPは約41億米ドルで、世界156位です。そして、一人当たりのGDPは約526.51米ドルで、世界185位です。
「シエラレオネ共和国」の貿易について
「シエラレオネ共和国」の貿易相手は主に、輸出が中国、ベルギー、ルーマニア、UAE、ドイツで、輸入が中国、インド、米国、ガーナ、トルコとなっています。
「シエラレオネ共和国」の主な輸出品目は、鉱物、木材、貴石、貴金属などで、輸入品目は、プラスチック類、食糧(米)、機械類です。
「シエラレオネ共和国」の政治・政策について
政治体制について
「シエラレオネ共和国」は、共和制で、議会は、一院制の国民議会です。
「シエラレオネ共和国」の元首・首相・外相について
「シエラレオネ共和国」の元首について
「シエラレオネ共和国」の元首は、ジュリウス・マーダ・ビオ大統領です。
「シエラレオネ共和国」の首相・外相について
「シエラレオネ共和国」には、首相職はなく、外務・国際協力大臣は、ナビラ・ファリダ・チュニスです。
「シエラレオネ共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「シエラレオネ共和国」は、非同盟主義、内政不干渉、各国の主権尊重を基軸とし、地域レベルにおいてはマノ河同盟、西アフリカ諸国経済共同体の一員として協力するなど、近隣諸国との関係は密接です。
2005年8月以来、安保理改革に取り組むAUの10か国委員会の議長国を務めています。
軍事力は、予算は、2019年現在、約0.11億ドル、兵役は志願制、兵力は約8,500人で、うち海軍は200人です。
「シエラレオネ共和国」と「日本」の関係は?
「シエラレオネ共和国」と「日本」の政治関係は、日本は、1961年のシエラレオネ独立と同時に同国を承認、1973年に開設した在リベリア大使館が同国を兼轄しています。
1991年6月より在ガーナ大使館が兼轄、シエラレオネ共和国は、在中国大使館が日本を兼轄しています。
経済関係は、対日貿易については、2019年現在、貿易額は、対日輸出が約17.2億円、対日輸入が約17.7億円、主要品目は、対日輸出が非鉄金属鉱(チタン鉱、銅くず)、ダイヤモンド、金など、対日輸入が船舶類、医薬品、一般機械などで、進出日本企業は2社です。
文化関係は、2016年リサイクル柔道着100着を送付し、2017年以降柔道や空手の大使杯が実施されました。
在留邦人数は、2021年1月現在で27人、在日当該国人数は、2020年6月現在で61人です。
まとめ
以上、国特集「シエラレオネ共和国」でした。
ちなみに、「シエラレオネ共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「116位」でした。
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