公務員のスキルアップのための地方自治法(2)【財産区】

「地方自治法」について解説する第2回目は、前回の【自治体の種類】の続編で、特別地方公共団体である「財産区」について解説します。

財産区は、観光地の温泉や公園の池など皆さんの身近にあるのですが、意外と知られていません。

今回はそんな財産区について条文と照らし合わせて解説します。


財産区とは?

特別地方公共団体のひとつ

「地方公共団体」には、都道府県や市町村などの「普通地方公共団体」と、政策的に作り出された特殊な地方公共団体である「特別地方公共団体」があり、さらにその「特別地方公共団体」には「特別区」、「地方公共団体の組合」、「財産区」の3つがあります。

「特別区」は東京23区のことで、また「地方公共団体の組合」には「一部事務組合」と「広域連合」の2種類があり、これは市町村や都道府県の垣根を越えて、役所の仕事の一部を合同で行おうという趣旨のものです。

そこまでは前回解説しましたので、今回は「特別地方公共団体」の種類の3つ目の、【財産区】について解説していきたいと思います。

財産区ってそもそも何?

現代でも「村」が脈々と受け継がれている?

地方自治法第294条にも規定されていますが、財産区とは市町村の一部で、市町村内にある財産や公の施設の管理・処分をするために設置された特別地方公共団体です。

ここでいう財産とは、山林、土地、ため池、墓地、温泉地などです。

もともと日本は農耕民族で、長らく「村」単位で生活していました。

その生活は、山を例にするとそこで山菜を採り、牛を放牧させ、また火を使うための薪(まき)を取り生活資源として皆でひとつの山を利用し暮らしをたてるというものでした。

山は村民が生きていくのに必要不可欠な財産だったのです。同じようにため池や、温泉もそうでした。村民が山やため池を共同所有し、生活資源として利用してきたのです。

財産区ができた由来は?

もとは村の生活資源

先述しましたが、財産区の歴史は古く、昔から村民が生活のために使っていた山、ため池、温泉などを、それを使用していた昔の「村」「町」単位で「財産区」という小さな特別地方公共団体扱いにしたものです。

では、何をきっかけに財産区ができたのでしょうか。それは村から市町村制に変わった明治時代にさかのぼります。

財産区ができるきっかけとなった明治、昭和の大合併

財産区の由来を解説するために、まず日本における数回の町村合併について解説しましょう。


明治の大合併

1889年(明治22年)、「市制町村制」が実施され、明治の大合併と呼ばれる、村と村の大規模な合併が行われました。

これは、教育や税金徴収、戸籍の管理を行う上でそれに適した大きさの自治体を作るために行われたもので、江戸時代からあった自然発生的な村落を、約300~500住戸を1単位に市町村としたものです。

これにより、当時7万以上あった村は、大合併の直後には1万数千町村と39の市にまで再編されました。

昭和の大合併

第二次世界大戦後、地方自治法にもとづいて市町村の事務とされることとなった「消防・警察の事務」、「中学校の設置管理」、「保健衛生・社会福祉の事務」の処理のために、自治体の規模に一定の大きさが必要となりました。

そこで、1953年(昭和28年)、「町村合併特例法」が施行され、また1956年(昭和31年)には「新市町村建設促進法」が施行され、これにより昭和の大合併と呼ばれる市町村の合併が全国で行われました。

この合併により、人口約8,000人を1単位とする市町村に再編され、当時9,800ほどあった市町村が3,400にまで減少しました。

現在の私たちは、ある程度の規模の都市で暮らしているのが当たり前になっていますが、昭和のついこの間まで、大合併以前は数百戸程度の市町村が普通だったのですね。

平成の大合併

参考までに、今回の財産区には若干関連は薄いですが、記憶に新しい「平成の大合併」についても見てみましょう。

この大合併は、国主導で大々的に行われました。

合併前に3,200ほどあった市町村は、2009年(平成21年)には1,700に再編されました。ほぼ半分にまで再編されたのです。

合併の際の村民の反応は?

村民は合併に大反対?

それでは明治の大合併の際、村民の反応はどうだったのでしょうか。

村民たちは、「合併したら自分たちの山が市に取られてしまう!」「山やため池は村民だけで利用する大切な資源だ!」と合併に抵抗しました。

確かに当時は、山やため池などは生活になくてはならず、それを新しい市町村全体のものにされると生活にかなりの支障があったわけです。

合併をすすめるため財産区に

このような村民の合併への抵抗に対し、国は村民の抵抗を和らげるために、先述した市制(113条)、町村制(114条)で旧村に山やため池などの財産をそのまま保有する権利を認めました。

これが「財産区」です。


ちなみに、この明治の大合併の際にできた財産区を「旧財産区」と言い、地方自治法238条には、旧村の財産等が新市町村の公有財産になった場合にも、旧村民の特別な使用権が認められることがある、と規定されています。

昭和の大合併の際にも財産区が新たにできる

同じく昭和の大合併でも、先述の町村合併促進法(1953年)で、合併で財産を吸収されることに抵抗する旧市町村の説得のために、旧市町村単位での財産区の設置を認めました。

そして翌年1954年(昭和29年)の地方自治法改正により、現在の294条ができました。

294条「法律またはこれに基づく政令に定めがあるものを除くほか、市町村および特別区の一部で財産を有し、もしくは公の施設を設けているものまたは市町村および特別区の配置分合もしくは境界変更の場合におけるこの法律もしくはこれに基づく政令の定める財産処分に関する協議に基づき市町村及び特別区の一部が財産を有しもしくは公の施設を設けるものとなるもの(これらを「財産区」という)があるときは、その財産または公の施設の管理および処分または廃止については、この法律中地方公共団体の財産または公の施設の管理および処分または廃止に関する規定による」

この昭和の大合併によりできた財産区を「新財産区」と呼びます。

こうして明治、昭和の大合併による村民の抵抗を和らげ、合併をすすめるために財産区はできたのです。

財産区の位置づけは?

財産区は法人

先述しましたが、「財産区」は特別地方公共団体であり、都道府県や市町村と同じく「法人」になります。

ですが地方公共団体といっても市町村のように役所的な広範囲の仕事をする機能は持っておらず、大まかに言うと財産の「管理」「処分」「公の施設の廃止」についてのみ権限を持つ特殊な地方公共団体です。

ちなみに、財産の「管理」とは、保存や改善などの行為で、「処分」とは売却したり賃借する行為を指しています。

議会を設けることができる

財産区は先述したとおり一応は地方公共団体なのですが、執行機関を持たず、財産の管理などシンプルなものが主な業務で、基本的にはその業務は財政区のある市町村や議会が行う(つまり役所の職員か市議会で担当する)こととなっています。

ですが財産区が独自の議会(または総会)を設けることも可能で、そのことが地方自治法に規定されています。

295条「財産区の財産または公の施設に関し必要があると認めるときは、都道府県知事は議会の議決を経て市町村または特別区の条例を設定し、財産区の議会または総会を設けて財産区に関し市町村または特別区の議会の議決すべき事項を議決させることができる」

この「必要があると認めるときは」というのはどんなことを想定しているかというと、財産区と市は利害関係が相反することが多いので、たとえば財産区が市に意思決定をされたくないと反発している場合などです。

ですから財産区民が独自に議会を設けようとする財産区も全国にはあります。

ちなみに独自の議会があってもなくても市と財産区の会計は「別会計にすること」と規定されています。(294条第3項)

議会についての取り決めは?

財産区議会(または総会)を設ける場合には、その市が財産区条例を作って、議員の定数、任期、選挙権、被選挙権などを規定しなければならないと定められています。(296条)

管理会を設けることもできる

議会を設けるとまではいかなても、管理会というものを設けることもでき、こちらを設けている財産区の方が全国には多くなっています。

管理会って何?

管理会については、296条の2と3に規定されており、議会とほぼ同じようなものです。

ほぼ同じなのですが、財産区議会が自分たちで財産の運用(転用、貸付け、売却、補修など)や、毎年の収支、決算に関することを議決できるのに対し、管理会には「議決権」がなく議決権は市議会にあり、しかしその際に「管理会の同意が必要」という形で権限があります。


また、財産区議員の定数は条例で自治体が独自に設定することができますが、管理会の委員の場合は「7名以内で任期4年」と296条に明記されています。

また議会と管理会は、どちらか一方しか設けることはできません。

財産区にはどんなものがあるの?

では具体的に日本には財産区はどれくらいあり、どんな種類のものが多いのでしょうか。

現在でも全国に4,000以上ある

財産区は全国に4,000以上あり、うち上位3県は西日本です。

全国にある財産区の保有数をいくつか例にあげると、東京8、福島23、静岡104、愛知64、京都118、広島125、福岡182などで、上位6県は大阪655、兵庫513、岡山405、青森272、山梨195、長野191となります。(平成28年現在)

ちなみに、議会を設けている財産区と、そうでない財産区があり全国で様々です。

どんな種類が多いの?

財産区には山林やため池も多いですが、温泉地や、そして現在は「住宅地」や「活用するための土地」としての用途のものも多くあります。

これは、江戸や明治と違い都市化がすすんだ現在では、農地を住宅地に転用して不動産収入を得たり、売却して資産にしたりしている財産区が多いためです。

その他にも長野県を例にすると、茅野市鹿山財産区は、蓼科高原近くにある別荘地であり、同じく別所温泉財産区は、名前のとおり温泉地です。

別所温泉財産区ができた経緯は、昭和の大合併の時に4村を合併する話になった際、反対した別所村の村民が「温泉はこのまま別所村のもの」という条件ならばと合意したものです。

つまりこのように温泉地が財産区になっている地域では、その温泉は市のものではなく未だに市の中の限定的な旧村地域のものということになるのです。

その他に有名な温泉地の財産区としては、石川県には加賀山代温泉財産区、山中温泉財産区、また外国人観光客の多い兵庫県の城崎温泉などがあります。

財産区の問題点は?

ここまで財産区の解説をしてきましたが、財産区の問題点としてどんなことがあるのか見ていきましょう。

財産区が地域格差を助長?

そもそも財産区とは、慣例で村民が長らく利用してきた山やため池など、いわば「生活資源」を共有するものでした。

市町村合併の時に本来ならそれらは当然市町村全体のものになるはずだったのですが、村民の抵抗にあい、説得するために作られた、言ってみればやむなく作られた特権だったわけです。

そして時代が変わり、現在では財産区の多くは資源としての利用ではなく住宅地開発など土地を貸して利益を得る形に変わっており、本来の財産区の趣旨からはかけ離れたものになっています。

本来、財政の規模というものは市町村単位のはずですが、実際は市の中でも地域によって財政状況が違い格差が生まれることになってしまいます。

それでは財政区の例として、全国1、2を争う規模の財産区がある神戸市の例を見てみましょう。

神戸市の例

神戸市東灘区

兵庫県は財産区の多い地域なのですが、中でも神戸市には財産区が多く、その中のひとつとして神戸市東灘区は財産区が多いことで有名です。

東灘区は、合併前の旧村すべてに財産区が存在しています。


例えば東灘区の財産区のひとつである旧魚崎町は1950年に神戸市と合併しましたが、合併に合意する条件としてできた「魚崎財産区」では、不動産収入が多額にあり、ある年度の収入は1億円にのぼります。

これらは魚崎財産区に200カ所ほどある土地の貸付収入や、収入を保管する基金の17億円もの金額の利息です。

この魚崎財産区は「議会」を設けているので、予算の使用先を決めるのはこの議会になります。

その地域の住民が利用するための会館などが4つあり、財産区の住民だけは安い利用料で済みますが、同じ神戸市民であっても区域外の住民は料金が2倍です。またマッサージチェアなどがある、区域外の住民は使えない娯楽施設もあります。

その財産区域の小中学校にも助成がされているので学校設備は豪華で、また婦人会や消防団にもこの地域にのみ毎年予算から数百万が助成されています。

他にも神戸市にはこのような10億円以上の基金を持っている財産区が数カ所あります。

地方自治法には財産区について相反する2つの記載が?

それでは地方自治法には財産区についてどう明記されているのでしょうか。

296条の5「財産区は、その財産または公の施設の管理及び処分または廃止については、その住民の福祉を増進するとともに、財産区のある市町村または特別区の一体性をそこなわないように努めなければならない」

このように規定されています。財産区の住民はこの条文の「その住民の福祉を増進」の部分に着目しますが、後半には「財産区のある市町村の一体性をそこなわないように」とも明記されているのです。

裕福な財産区はその地域住民にのみ恩恵をもたらして、同じ市でも住む地域によって格差が生まれてしまいます。

市役所の見解は?

それでは財産区のある市役所は、実際にこの財産区についてどう思っているのでしょうか?

市役所としては、財産区とされている財産は、限定的な旧村のものではなく、本来は市全体の財産とするべきだ、という表向きの見解を持ちつつも、実際にはそれをあまり大声で宣伝できない事情もあるようです。

なぜなら、市町村合併時の「合意の材料」として村に対し「財産区にして財産を守ってあげるから合併しよう」と過去に口説き文句として使った手前、今さら市のものだと強気で言うわけにもいかず、あまりこの件には積極的に触れないようにしよう、というのが本音です。

また実際のところ、財産区民の中には昔からの地域の有力者も多く、「伝統」や「村」意識が強い人も多いので、役所としてもやりにくいところがあるかもしれません。

三重行政では?

それもあってか大抵の市はこの件には触れず、議会でも取り上げる議員が時々いるにもかかわらず、なぜかそのまま追究されることもなく今に至っているのが実情です。


自然を守るための小さな財産区などは問題ないかもしれませんが、大規模な有力財産区になってくると、県の中に市があり、さらにその中に財産区という別会計を持つ自治体が存在するような形になり、まるで三重行政のようになる懸念もあります。

神戸市西区

もうひとつ、神戸市西区の財産区を例にみてみましょう。

神戸市西区は、神戸の中心地からは離れていますが交通アクセスが良く、そのため大きなニュータウンがあり、山林の多い昔ながらの農家の地域と混在しています。

この西区の郊外にある福谷財産区は、合併前は山林やため池を持つ福谷村として存在していました。

明治の大合併の際に財産区となりましたが、現在では財産区の土地をゴルフ場として貸し付けており、また先述のニュータウン開発の際に土地を売却した収入などで、200人ほどしかいない住民で30億円以上の金融資産を持っています。

10年ほど前にはこの福谷財産区の墓地移転の工事をめぐる汚職事件があり、財産区の管理会会長が収賄容疑で逮捕されました。

よそ者には来てほしくないという本音

財産区は全国に4,000もあるので決してひとくくりにはできません。

ですが、やはり閉鎖的な村意識の強い財産区では、明らかに高額な資産を手放したくなく、新たに住民になるにも「資格」のようなものが問われたり、「よそ者」という言葉がいまだに使われたりしているのも事実です。

まとめ

財産区について、古くから継承されてきた「村」の絆を受け継ぎ、地域の意識を高めて住民の結びつきを強くするすばらしいものだ、と称賛する人もいれば、住民の結びつきと言いつつも「ムラ」的思考で選民意識が強く、排他的で時代錯誤だと憤る声もあり、都市や地域によっても意見は分かれます。

実際に財産区の財産をめぐり「村」時代からの住民と新規のニュータウンの住民間で裁判になった事例もあります。

財産区といっても裕福なところばかりではなく、昔ながらの自然を守りたいという思いから、苦しい資産状況のなかどうにか全市民にも広く開放する努力をしている財産区もあります。

ただ、時代が変わった現在、もう少し世間に認知され透明性を確保するよう努力するほうがいいのかもしれませんね。皆さんはどう思われますか。

これを機会に全国にある財産区にはどんなものがあるのか、またお住まいの県の財産区を調べてみるのもおもしろいかもしれません。

本記事は、2017年11月6日時点調査または公開された情報です。
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