静かなお寺の異様な存在?
お寺に行くと、参道の両側に仁王さんが立っていることがあります。正式には金剛力士像というのだそうですが、筋肉モリモリのマッチョマンで、顔はこれ以上やると壊れるのではないかと思うほど怖い表情をしています。静かで穏やかな雰囲気が漂うお寺とはおよそミスマッチ。だから私は長い間この仁王さんを異様な存在と思っていたのですが、ある時仁王さんとお寺の関係を知ってなるほどと得心することになりました。
実は「仏の心」
どういうことかといいますと、実はこの仁王さんは仏敵からお寺を守るための守護神の役割を担っていて、筋肉モリモリで顔が怖いのは、力づくでお寺をぶっ壊そうとしたり仏教の教えを排除しようとしたりする人たちを追っ払うためなのだそうです。そしてまた、仁王さんも仏の一種であり、その心は仏の心なのだということでした。ナルホド……
その時私は、納得すると同時に、
「なんか刑務官みたいだな」
と思ったのです。
仁王さんと刑務官の共通点
仏教の守護神と刑務官を一体視するなんて不届き千万と叱られるかもしれませんが、やっぱり似ていると思うのです。刑務官の中には仁王さんと勝負しても負けないくらいのコワモテの人もいます。でも彼らの心は決して鬼のようなものではありません。仏様クラスの優しい気持ちの持ち主であることが多いのです。
ただ、刑務所のルールを守らずに好き勝手に暮らそうとする受刑者とか、刑務所の平穏を乱して刑務所を困らそうとする受刑者がいれば決してそれを許さない。それこそ全身全霊を懸けてそれら無法者と闘い、刑務所を守るのです。刑務所を守るということは社会の安全を守る、国民を守るということでもあります。刑務所の中が危ない状況になれば、その周辺に住んでいる人はもちろん、世の人々は不安になってしまい、安心して暮らせないからです。
仁王さん的刑務官にもある「仏の心」
この仁王さん的刑務官は、荒くれ受刑者と対峙しながら、一方では人情にはもろく、面倒見の良い人が多いのです。例えば受刑者が懲罰を受けて落ち込んでいたりすると、自分の休憩時間を割いてその部屋に出向いて元気づけたりします。
出所後の暮らしを心配している受刑者がいればその相談に乗り、所管の部署に頼み込んで出所後の帰住先を調整してもらったり、就職先を確保してもらったりします。
さらにはそのための職業訓練を受けることを勧めたり、通信教育を受けてみないかと持ち掛けたりもします。ですから、仁王さん刑務官はそれらの真面目な受刑者にとっては頼もしい存在でもあるわけです。
仁王さんとの違い
ただし、仁王さんは二人でお寺を守っていますが、神でも仏でもない人の身である刑務官の場合にはさすがに二人というわけにはいきません。たくさんの仁王さん刑務官で刑務所を守り、国民を守り、社会を守っているのです。
(小柴龍太郎)
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