「何があったんですか?」そのベテラン刑務官は、しばし視線を窓の外に送ったあとでポツリと言いました。「うん。今日な、……死刑があったんだよ。」・・・刑務官など矯正職員歴37年が綴る「刑務官」の仕事である「死刑」に関する体験コラムです。
死刑というものを肌で感じた私の最初の経験
私は幾つかの刑務所と拘置所で勤務しましたが、異様な雰囲気に包まれたある朝のことは忘れられません。
その頃私は「事務所」と呼ばれるところで働いていました。受刑者処遇に当たる部署ではなく一般事務を扱う部署のことです。平素は冗談も飛び交う和やかな職場なのですが、その日の朝は違っていました。みんな口を閉ざしてペンを持ち、書類を書いたりしている。
拝命(採用のこと)間もない私は、口喧嘩でもしたので誰も口をきかないのだろうぐらいに思っていたのですが、昼になっても、夕方になっても凍ったような空気は続きました。いくらなんでもおかしい。そこで、最古参の優しい刑務官にそっと訊いたのです。
「何があったんですか?」
そのベテラン刑務官は、しばし視線を窓の外に送ったあとでポツリと言いました。
「うん。今日な、……死刑があったんだよ。」
そのベテラン刑務官もかつて死刑執行をやったようで(明言しません)、その時のことを想い出したり、今朝の執行を命じられた仲間のことを思ったりして、つい無口になってしまったということのようです。これが死刑というものを肌で感じた私の最初の経験となりました。
死刑執行がいつ行われるかは極秘事項
死刑執行がいつ行われるかは極秘事項です。まずはその筋から所長に執行命令が伝えられ、所長は関係部長などごく一部の職員を選んで準備を命じます。そしてそれは、一般職員に悟られないようひっそりと進められていくのです。ベテラン職員が教えてくれたところでは、執行日が漏れると、死刑確定者(死刑囚というのは俗語です)に悟られて気持ちを不安定にさせてしまったり、死刑執行をやりたくない職員がポカ休(当日の朝に願い出る休暇)を取ったりするからだそうです。
その後、幸いにも私は刑場のある施設で働くことはなかったので、死刑執行に携わることはありませんでした。ほかの刑務官には申し訳ないけれども、正直ラッキーだったと思っています。それでも、いつ執行の命令が届くかもしれない拘置所長の心境を聞いたり、執行を終えた所長の疲労困憊しきった顔を見たり、あるいは、何度も執行を経験した人が心を病んでしまったことを聞いたりするたびに苦しい思いになりました。
「人」が「人」を殺すということ
仕事とはいえ、人が人を殺すというのはすさまじい行為です。心に傷を負わない方が不思議でしょう。ある人は、執行した瞬間、目の前からその人が落下していき、ロープのばたつきを抑えるためにロープを握っていたのですが、そのロープを通じて人の命が尽きていくのを感じたそうです。そして、今でもその感触が手に残っているとのことでした。
今はどうか分かりませんが、以前は、死刑執行に携わった人はそのまま勤務を解かれて早退が許されたそうです。しかしある刑務官は、そのまま帰宅すれば奥さんや子供さんなどに不審がられ、自分が死刑執行をしたことが分かってしまうかもしれないと考えて、暗くなるまで時間をつぶしたと言っていました。そして、今でも奥さんたちには死刑執行したことを内緒にしているそうです。
死刑が正義の実現のために必要だというのであれば、訴追した検察官より、判決を言い渡した裁判官より、その執行を自らの手で行う刑務官こそがその使命を一番に果たしているのではないかと私は思います。
(文:小柴龍太郎)
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