大日本帝国憲法とは?
大日本帝国憲法は、1889年(明治22年)の2月11日に発布され、翌年の1890年(明治23年)に施行された、日本で初めての成文憲法です。
1874年から板垣退助らにより国会開設・憲法制定を求める自由民権運動が起こり、憲法制定が実現しました。また、対外的には憲法を制定することにより、法治国家としての国の威信を高め、幕末に欧米列強と結んだ不平等条約を改正する目的がありました。
大日本帝国憲法の模範と形式
大日本帝国憲法は、イギリスやフランスの主権を国民とする憲法を避け、君主主権の強いプロイセンの憲法をモデルにしました。
大日本帝国憲法は、天皇の権威により制定された君主主権の憲法です。このように君主の権威で定められた憲法を「欽定憲法」と言います。この憲法は、容易に改正することができない硬性憲法でもあります。
大日本帝国憲法における天皇と主権
大日本帝国憲法の主権は天皇にあります。天皇は国の元首であり、「神聖不可侵」であると明記されました。天皇は、立法、行政、司法の機能を一手に掌握した統治権の総攬者であり、諸機関には、権限がありません。大日本帝国憲法は、前近代的な性格が残されており、外見的立憲主義の憲法でした。
大日本帝国憲法における議会
帝国議会は、大日本帝国憲法に基づく立法機関です。皇族、華族、多額納税者などで構成される貴族院と、制限選挙で選ばれた議員で構成される衆議院の二院制で、衆議院に予算先議権がありました。
帝国議会は、天皇の立法権に協賛する機関という特徴があります。協賛とは、大日本帝国憲法において、統治権の総攬者である天皇が、法律、予算を成立させる際に、事前に帝国議会が与える同意のことです。
大日本帝国憲法における内閣
大日本帝国憲法には内閣についての規定がありませんでした。内閣総理大臣は天皇から任命され、天皇の行う行政を補佐する輔弼機関として内閣は定められていました。
閣僚と官僚は対等で、天皇に対して直接・個別責任を負うものでした。
大日本帝国憲法における裁判所
大日本帝国憲法では、天皇の名において裁判するものとされていました。特別裁判所が設置され、違憲立法審査権はありませんでした。
大日本帝国憲法における人権
大日本帝国憲法下では、国民は君主(天皇)に仕える臣民と呼ばれました。
臣民の権利は、法律の範囲内において認める法律の保留があったため、1900年の治安警察法や1925年の治安維持法などによる厳しい政治抑圧が可能になりました。
臣民の人権は、自由権が中心であり、社会権の規定はありませんでした。
大日本帝国憲法下の戦争と軍隊
大日本帝国憲法では、陸海軍を指揮・命令する権限である統帥権が帝国議会や内閣から独立して存在し、天皇に直属させていました。
天皇が軍隊を直接動かすことができたため、軍部の政治的台頭とともに、軍隊は天皇の名で行動し、さらに国政全般が軍の支配下に置かれる原因となり、日中戦争・太平洋戦争に突入することになります。
20歳以上の男子国民に対しては、兵役の義務が定められていました。
日本国憲法とは?
日本国憲法は、大日本帝国憲法に変わり、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、翌年の1947年(昭和22年)に施行された、現行の憲法です。
1945年8月14日、英米中が日本に無条件降伏を要求した共同宣言であるポツダム宣言を受諾し、敗戦国となった日本は、基本的人権の尊重、軍国主義の除去、平和的・民主的な政治の樹立のために、新たな憲法が必要となり、日本国憲法ができました。
日本国憲法の模範と形式
日本国憲法は、GHQが作成した草案を修正してできました。GHQ とは、ポツダム宣言に基づき、日本の占領行政のために設けられた連合国軍の最高司令官総司令部です。この草案では、国民主権を原理とし、戦争放棄、基本的人権の保証を定めたものでした。
日本国憲法にはGHQ草案があるものの、帝国議会で議論し、修正を重ねて作成されました。このように国民の代表によって作られた憲法を民定憲法と言います。日本国憲法は、大日本帝国憲法と同じく、容易に改正することができない硬性憲法です。
日本国憲法における天皇と主権
日本国憲法では、主権は国民となりました。
大日本帝国憲法の主権者であり、元首であった天皇は、日本国と日本国民統合の象徴に変わりました。これを「象徴天皇制」と言います。天皇の職務は、象徴としての儀礼的な国事行為のみにとどまり、実質的な政治権力は持ちません。
日本国憲法における議会(国会)
日本国憲法では、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」(第41条)と定められています。国会は主権者である国民を代表する機関のため、国権の最高機関であり、国の立法はすべて国会によって行われ、ほかの国家機関は関与できないことを示しています。
国会は、衆議院と参議院の二院制で組織されています。
日本国憲法における内閣
日本国憲法では、「行政権は内閣に属する」(第65条)と定められています。つまり、内閣が行政権の最高機関と位置づけられます。
内閣の行政権の行使については、「国会に対し連帯して責任を負ふ」(第66条3項)として、議院内閣制が明記されています。内閣は国民の代表者によって構成される国会の信任に基づいて作られ、国会に連帯して責任を負います。ここにも、国民主権が反映されているのです。
内閣は、内閣総理大臣と各省庁を統括する原則14人以内の、国務大臣によって構成されます。内閣総理大臣には、国務大臣の任免権があります。
日本国憲法における裁判所
日本国憲法では、「司法権はすべて裁判所と下級裁判所に属する」(第76条1項)と定められています。国民の権利や自由を守るために、司法権は独立して存在します。
司法権の最高機関である裁判所には、違憲立法審査権があります。違憲立法審査権とは、国会の立法や内閣の行政が、憲法に適合するか否かを判断する権限です。
日本国憲法における人権
日本国憲法では人権について「すべて国民は、個人として尊重される」(第13条)とあり、個人が人間らしさを保ち、自立して生きていけるための基本的権利になります。
また、「この憲法が国民に保証する基本的人権は、侵すことのできない永久権利として、現在及び将来の国民に与えられる」(第11条)と、人権の永久不可侵性も明らかにされています。
ただし、人権は自分一人だけのものではなく、他人の権利を無視した人権の行使は認められていません。憲法には「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」(第12条)とあります。人権には「公共の福祉」による制約があるということです。
日本国憲法には、1919年のワイマール憲法で初めて登場した社会権の考え方が規定されています。
日本国憲法における戦争と軍隊
日本国憲法では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とあり、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認などが定められています。
平和憲法における「自衛権」の問題
憲法9条第2項において、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は認めない」とありますが、現在日本には世界でも有数の規模・装備を持ち、軍隊といえる実力を備えている陸海空の自衛隊が存在します。
これは、憲法9条第1項の「国際紛争を解決する手段」としては戦争を放棄すると規定されていることから、自衛権は認められていると考えられているからです。
自衛権には、個々の国々が、自国の安全を守るためにとることのできる自衛行動として、国連憲章で認められた権利である「個別的自衛権」と、自国と親密な関係にある国が攻撃を受けた場合にも、自ら自衛行動をとることができるという国際連合で定められた権利である「集団的自衛権」の2種類があります。
長年、日本国憲法上で認められている国家固有の自衛権は「個別的自衛権」に限定されるとしてきましたが、2014年の安倍内閣で限定的な集団的自衛権の行使が認められると閣議決定しました。
集団的自衛権が行使できるのは、①日本や日本と密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ明白な危険がある事態、②他に適当な手段がない、③必要最小限の実力を行使する、という場合に限られてます。
日本国憲法における地方自治
内務省を中心として、中央官庁から派遣された人物が担っていました。
一方で、日本国憲法には第8章で地方自治が保障されています。地方公共団体の組織や運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律で定めると規定があります。
憲法を改正するには?
大日本帝国憲法と日本国憲法は、ともに改正手続きが容易ではない硬性憲法です。憲法の改正方法は、大日本帝国憲法では73条、日本国憲法では96条に明記されています。
大日本帝国憲法の場合は、天皇の発議に基づき帝国議会で議論され、それぞれの議員総数の3分の2以上の出席を必要とし、その出席議員の3分の2以上の賛成をもって可決となります。
一方で、日本国憲法では、国民の代表である国会議員の提案により国会で議論され、衆議院・参議院それぞれの3分の2以上の賛成をもとに憲法改正が発議され、国民投票が行われます。憲法改正においては、衆議院と参議院の両議院は対等です。
国民投票で、有効投票の過半数の賛成をもって改正が成立し、天皇が国民の名で公布します。なお、国民投票は国民投票法で、投票年齢が18歳以上と規定されています。最低投票率は規定されておりません。
まとめ
以上「大日本帝国憲法と日本国憲法」について解説させていただきました。
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