「ソマリア連邦共和国」ってどんな国?
「ソマリア連邦共和国」の正式名称はソマリア語で「Jamhuuriyadda Federaalka Soomaaliya」、アラビア語で「جمهورية الصومال الفدرالية」、英語では「Federal Republic of Somalia」です。漢字では「索謀利」と表記し、その他「楚森、索馬里、索馬利亞」などとも表記されます。
「ソマリア連邦共和国」の広さ 面積・場所について
「ソマリア連邦共和国」の面積は約63万8千平方キロメートルで、日本の約1.8倍の大きさです。
「ソマリア連邦共和国」の場所は、東アフリカのアフリカの角と呼ばれる地域にあり、エチオピア、ケニアおよびジブチと国境を接し、インド洋とアデン湾に面すしています。
アデン湾に沿って、グバンと呼ばれる幅約2~12キロメートルの海岸平野があり、北部に最高地点のシンビリス山があります。
「ソマリア連邦共和国」の首都について
「ソマリア連邦共和国」の首都は「モガディシュ」で、「モガディシュ」は首都としては、世界最北の、北緯度分に位置しています。
「モガディシュ」の人口は、2014年現在で、約165万人です。
「ソマリア連邦共和国」の人口について
「ソマリア連邦共和国」の人口は、IMFが2015年に調べた時点で約1,400万人であり、人口密度は、約23.60人で、第157位です。
「ソマリア連邦共和国」の成り立ちについて
「ソマリア連邦共和国」は、1960年7月に伊信託領および英領がそれぞれ独立し、合併して「ソマリア共和国」を形成し、1969年10月にクーデターによりバレが最高革命評議会議長に就任し、その後、大統領に就任しました。
1991年1月にバレ大統領が追放、全武装勢力間の内戦状態に突入、1991年5月に北部が「ソマリランド」と自称し、独立宣言しました。
1992年4月に国連ソマリア活動(UNOSOM)、米を中心とする統一タスクフォース(UNITAF)が活動を開始し、1995年3月にUNOSOMが武装勢力間の抗争、武装勢力の激しい抵抗により完全撤退しました。
1998年7月に北東部が「プントランド」と自称し自治領を宣言、2000年8月にジブチの仲介により暫定国民「政府」が成立、2003年に崩壊、2005年1月に周辺諸国の仲介によって暫定連邦「政府」(TFG)が成立しました。
2006年6月に「イスラム法廷連合」(UIC)がバイドアを除く中・南部ソマリア地域を制圧しました。
2006年12月にTFGの要請を受けたエチオピアがソマリアに派兵、2007年9月にエチオピア軍に駆逐されたUICがエリトリアで「ソマリア再解放連盟」(ARS)を結成しました。
2008年8月にTFGとARSの穏健派グループがジブチ合意(停戦等)に署名、2009年1月にエチオピア軍撤退終了後、反TFG勢力アル・シャバーブがバイドアを掌握、シェイク・シャリフがユスフ初代TFG「大統領」の後任として就任しました。
2011年6月にシェイク・シャリフTFG「大統領」とハッサン暫定連邦議会「議長」が、TFGの暫定統治期間の1年延長を決定する旨のカンパラ合意に署名、2012年8月に新暫定憲法が採択され、TFGの暫定統治期間の終了とともに新連邦議会が発足されました。
2012年9月にハッサン・シェイク・モハムッドが連邦議会により新大統領に選出され就任。21年ぶりに統一政府が樹立、2012年10月にハッサン大統領によりアブディ・ファラ・シルドンが新首相として任命され、連邦議会の承認を得て就任し、翌月、新内閣が発足されました。
2013年12月にシルドン首相が連邦議会で不信任決議を受け、アブディウェリ・シェイク・アフメドが新首相として任命され、翌年1月に連邦議会の承認を得て新内閣が発足されました。
2014年12月にアブディウェリ首相が連邦議会で不信任決議を受け、オマール・アブディラシッド・アリ・シャマルケが新首相として任命、翌2015年2月に連邦議会の承認を得て新内閣が発足されました。
2015年2月に2014年12月に首相が交代し、内閣改造が実施、新内閣が発足、2016年10月~2017年1月に上下院議員選挙が実施、上下院議長が選出されました。
2017年2月に大統領選挙(間接選挙)が行われ、モハメド・アブドゥライ・モハメド・ファルマージョが新大統領に選出、2017年3月にカイレ新首相が任命され、新内閣が発足されました。
2017年5月にソマリアに関するロンドン会合が開催、治安維持枠組み、ソマリアのための新たなパートナーシップ(NPS)が採択されました。
「ソマリア連邦共和国」の国民・宗教・言語について
「ソマリア連邦共和国」の国民について
「ソマリア連邦共和国」の人種割合は、人口約983万2,017人のうち、約85パーセントがソマリ人で、そのほかの約15パーセントは、エチオピア人、インド人、パキスタン人、ペルシャ人、イタリア人、イギリス人などとなっています。
1990年代初頭の内戦によって、ディアスポラ人の数が著しく増大することとなり、国内で最も教育水準の高いソマリ人が大挙中東やヨーロッパ、北アメリカなどに逃れた経緯があります。
「ソマリア連邦共和国」の宗教について
「ソマリア連邦共和国」の国家宗教は、イスラム教で、国民の約95パーセントがムスリムで、ムスリムのうち約98パーセントはスンナ派で、そのほかの宗教が約5パーセントとなっています。
キリスト教の影響は、1970年代に教会運営の学校が閉鎖され、宣教師が帰国すると著しく減少しました。
1989年以降は、国内のカトリック大聖堂でも大司教ら聖職者が1人もおらず、モガディシュの大聖堂は、内戦中の1992年1月から2月にかけて深刻な打撃を受けました。
ソマリアの憲法は、イスラーム以外の宗教の普及と伝達を妨げており、この措置は多くがキリスト教徒か土着の信仰を奉ずる近隣のアフリカ諸国から、ソマリアとの距離を広げています。
「ソマリア連邦共和国」の言語について
「ソマリア連邦共和国」の公用語は、ソマリ語とアラビア語です。
ソマリ語はソマリ人の国語で、少数のマイノリティとも同様に、ほぼすべてのソマリ人によって事実上全土で使用されています。
政府機関やエリート層では、欧米系言語が主流であるサブサハラアフリカ諸国の国の中では例外的にエチオピアのアムハラ語やタンザニアのスワヒリ語とともに非欧米系言語のソマリ語が共通語、作業言語として広く機能しています。
少数派言語も存在し、ソマリア中南部でラハンウェイン氏族によって話されるAf-Maayがあり、沿岸部一帯のアラブ人によって、さまざまなスワヒリ語やバントゥー語も使用されています。
なお、多くのソマリ人は、アラブのメディアや宗教教育の遠大な影響によるアラブ世界との緊密な結びつきのため、アラビア語を使用しています。
英語も旧植民地イギリス領ソマリランドであった現ソマリランドで広く用いられ、教えられています。
なお、かつてはイタリア語が主要言語でしたが、現在では、内戦と教育の欠如により、流暢に話せるのは老人世代に限られています。
「ソマリア連邦共和国」の経済状況について
「ソマリア連邦共和国」の通貨は、ソマリア・シリングで、GDPは約6,217百万米ドルで、世界152位です。そして、一人当たりのGDPは約326.98米ドルで、世界190位です。
「ソマリア連邦共和国」の貿易について
「ソマリア連邦共和国」の貿易相手は主に、輸出が、サウジアラビア、オマーン、中国、インド、イエメンで、輸入が、エチオピア、インド、中国、オマーン、トルコとなっています。
「ソマリア連邦共和国」の主な輸出品目は、家畜、バナナ、皮革、水産物で、輸入品目は、工業製品、石油製品、食料です。
「ソマリア連邦共和国」の政治・政策について
政治体制について
「ソマリア連邦共和国」は、連邦共和制で、議会は二院制で、上院は最大72名、下院は最大275名、任期はいずれも4年です。
「ソマリア連邦共和国」の政策
「ソマリア連邦共和国」は、 1969年のクーデターにより政権を掌握していたバレ政権が1991年に崩壊して以来、ソマリアは、全土を実効的に支配する政府が存在しない状態に陥りました。
劣悪な治安状況の下、大量の難民および国内避難民が発生し、また干ばつの深刻化等によって食糧不足が悪化するなど、重大な人道危機が生じました。
1992年以降、停戦監視および被災民援助活動の支援のために国連ソマリア活動が設立され、更に米を中心とする統一タスクフォースの活動が開始されましたが、武装勢力の激しい抵抗を受け、1995年3月には完全撤退を余儀なくされました。
2005年には、周辺関係国の仲介により、ケニアにおいて暫定連邦「政府」が樹立、新設されたTFG議会でユスフTFG初代「大統領」が選出され、TFGの拠点はケニアからソマリア国内に移されましたが、TFGに反対する勢力の抵抗が継続しました。
2008年8月に、TFGは、反TFG勢力の穏健派との間で停戦等を内容とする「ジブチ合意」に署名しました。
国際社会は、アフリカ連合ソマリア・ミッションの派遣や様々な援助を通じ、シェイク・シャリフ「大統領」による和平プロセスを後押ししていました。
しかし、和平プロセスへの参加を拒むアル・シャバーブ等の反TFG武装勢力による激しい抵抗により、ソマリアでは不安定な情勢が続き、TFGの実効支配地域は極めて限定されていました。
2011年6月にシェイク・シャリフTFG「大統領」とハッサン暫定連邦議会「議長」が、TFGの暫定統治期間の1年延長を決定する旨のカンパラ合意に署名しました。
TFGは、2012年8月20日の暫定統治期間終了に向け、国連や国際社会の後押しを得て、8月に暫定憲法が採択され、新連邦議会が招集、9月にハッサン・シェイク・モハムッド大統領が選出され、10月にアブディ・ファラ・シルドン首相が就任、11月に新内閣が発足され、21年ぶりに統一政府が樹立しました。
2014年12月に首相が交代し、新たにオマール・アブディラシッド・アリ・シャマルケ首相が就任、2015年2月に新内閣が発足されました。
2016年10月から2017年1月にかけて、上下院議員選挙および上下院議長の選出が行われ、2017年2月に大統領選挙(間接選挙)が実施され、モハメド・アブドゥライ・モハメッド・ファルマージョが新大統領に選出されました。
2017年3月にハッサン・アリ・カイレ新首相が任命され、新内閣が発足、5月にソマリアに関するロンドン会合が開催され、治安維持枠組みが採択されました。
なお、ソマリア沖・アデン湾での海賊等事案発生件数は、近年低い水準で推移しており、これには自衛隊を含む各国海軍等による海賊対処行動の継続をはじめとする国際社会による海賊対策等が大きく寄与しています。
その一方、海賊を生み出す根本原因の一つであるソマリア国内の貧困や若者の就職難等は未だ解決しておらず、海賊による脅威は引き続き存在しています。
日本をはじめとする各国は、この地域の海賊対策を国際的に重要な課題と捉え、引き続き海賊問題の根本的解決の観点からも、ソマリアの国造り支援に取り組んでいます。
「ソマリア連邦共和国」の元首・首相・外相について
「ソマリア連邦共和国」の元首について
「ソマリア連邦共和国」の元首は、モハメド・アブドゥライ・モハメド・ファルマージョ大統領です。
「ソマリア連邦共和国」の首相・外相について
「ソマリア連邦共和国」の首相は、ハッサン・アリ・カイレで、外務・国際協力大臣は、アフメド・イッセ・アワッドです。
「ソマリア連邦共和国」の国防・軍事制度・兵役について
「ソマリア連邦共和国」は、 1991年にバレ大統領が追放されて以来、全土を統一的に支配する政府は存在してませんでしたが、2012年8月に暫定期間が終了した後、国際社会の後押しを得て新政府が樹立されました。
アラブ・アフリカ諸国との友好関係の維持を外交の基盤とし、ソマリア自身による国造りと国際社会の支援を呼びかけています。
軍事力は、2014年現在、約2万人で、ケニア、ウガンダ、エチオピア、ブルンジ、ジブチより派兵された「AMISOM軍」が2007年より展開中で、2017年現在約2万2,000人です。
「ソマリア連邦共和国」と「日本」の関係は?
「ソマリア連邦共和国」と「日本」の政治関係は、1960年7月1日に国家を承認、1982年10月1日に駐日ソマリア大使館が開設、1990年7月1日に閉鎖、日本では在ケニア大使館が兼轄しています。
経済関係は、日本の対ソマリア貿易において、貿易額は、2016年現在、輸出が約3.97億円、輸入が約0.35億円、主要品目は、輸出が自動車、貨物自動車、輸入が生鮮魚類、精油で、日本からの直接投資は、ありません。
文化関係は、顕著な活動はなく、在留邦人数は、2018年1月現在で5人、在日当該国人数は、2013年現在、5人です。
まとめ
以上、国特集「ソマリア連邦共和国」でした。
ちなみに、「ソマリア連邦共和国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「197位」でした。
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