訓練指導法とは、文字通り自衛官を訓練する為の指導法(技法・手法)の事です。幹部自衛官は幹部学校で、陸曹は陸曹教育隊で『過程教育』履修中に『訓練指導法』を学びます。
今回は全ての指導法の基礎となる『基本教練』をご紹介します。基本教練は『軍事教練』の事で陸上自衛隊の厳正な規律を維持する根幹です。
訓練指導法の中で基本となる『基本教練の指導法』について
陸上自衛隊の教育訓練は課程教育だけをとってみても『新隊員教育(前期・後期)』、『陸士特技課程教育』、『自衛隊生徒教育』、『陸曹候補生課程教育』、『初級及び上級陸曹特技課程教育』、『陸曹航空操縦課程教育』、『陸曹上級課程』など数多くの教育があります。(幹部教育省略)
また、集合教育(訓練)その他の対象者別集合訓練を含めると限られたスペースでは紹介しきれないほどたくさんの教育訓練があります。これは陸上自衛隊の訓練が『教育訓練』を主体として成り立っているからです。
この為、一般部隊に於ける訓練に於いても指導者の教え方の上手・下手が部隊の精強度を大きく左右する事になります。訓練指導法は確立した手法が存在するにも関わらず部隊に於ける『陸曹』、『幹部』の指導能力には大きな個人差があるのが実情です。
陸上自衛隊の「基本教練」とは?
基本教練とは『基本的な軍事教練』の事です。
基本教練の目的は『個人及び部隊を訓練して諸制式に習熟させ、同時に厳正な規律及び強固な団結を養い自衛隊の各種基礎を作る為に行なう』とあります。
目的だけだと堅苦しいので、もっと別の表現をしてみましょう。言い方を変えると、基本教練とは『気を付け』、『休め』などの号令を掛けて兵士(隊員)が姿勢を変える、あるいは行動を起こすなどの動作を規則的に定義したものです。
基本教練は号令によって個人及び部隊を強制的に従わせます。個人及び部隊が統一された命令の元で迅速に行動し、指揮官の意図に沿ってこそ集団としての力が発揮できるのです。
見た目は単純ですが軍事組織では、基本教練が厳正な規律を保つ為の有効な手段で重要な訓練なのです。これは自衛隊だけでなく警察・消防など規律正しい集団の行動を求められる職場で基本教練が取り入れられている事を見ても解ります。
陸上自衛隊の「基本教練」の初歩は「個人の充実」です。
基本教練の指導法の基本中の基本は、自分が正しい動作をできる事につきます。敬礼の下手な自衛官が教えても教育効果・訓練効果は半減します。自衛官の心構えの中にある『個人の充実』が基本教練指導法の初歩であると言えるでしょう。
自衛官の心構え(参考)
新隊員教育隊で最初に教えられる精神徳目の中に『自衛官の心構え』と言うものがあります。それは次の5つです。
- 使命の自覚
- 個人の充実
- 責任の遂行
- 規律の厳守
- 団結の強化
また『部隊活動の3要素』と言うものがあります。それは『団結』『規律』『士気』の3つです。
自衛官の心構えも、部隊活動の3要素も基本教練無くして醸成(じょうせい)する事は出来ません。基本教練は部隊の精強さを表す一つの大きな『ものさし』なのです。
陸上自衛隊の「基本教練」の訓練指導計画(LP)
陸曹及び陸士隊員に対して基本教練を実施する場合、まず『訓練指導計画(レッスンプラン)』を作成します。省略して(LP=エル・ピー)と呼ぶ場合もあります。教育専門部隊及び一般部隊では共通LPと言うものがあります。
共通LPとは何かといえば、一般企業で言えば『共通マニュアル』の事です。多くの幹部・陸曹がこの共通LPを活用して隊員を教育しますが、自らの指導法の技術を高めたいのならば自分で作成した方が指導力も企画力も身につきます。
そこで、最も基本的な訓練指導計画の作成手順をご紹介して実際に指導するまでを簡単にシュミレーションして見ましょう。題名は『基本教練指導法』です。計画を作成する為の第一歩から順に説明する為に一連番号で表して行きます。
1)立案の基礎
これは指導法に限らず、計画作成時の根拠となるものです。一般企業で言うならば顧客情報・マーケット情報(リサーチ)と言うべきでしょうか?まず教育を受ける側の状態を分析します。自衛隊では教育を受ける対象者を、被教育者と言います。
立案の基礎とは被教育者の現在のレベルを把握する事です。仮に計画作成者を、A中隊の2等陸曹とします。この2曹が教官となり、A中隊の陸士10名(1等陸士×4、2等陸士×6)の各個教練の練成訓練を行うとします。
この場合、10名の隊員は、すでに課程教育を終えているので新隊員ではありません。従って敬礼の目的、敬礼の種類などの基礎は学んでいます。ただし、まだ基本教練の習熟度については、基礎的な部分を学んでいるに過ぎないレベルだと仮定します。
その場合、入隊したばかりの新隊員に教えるような内容では幼稚低すぎます。したがって計画作成時にどのレベルにあるかを明記します。たとえば『新隊員課程を修了した中隊所属の陸士隊員10名』という定義をすれば大まかなレベルが解ります。
2)目的
計画作成の最重要項目です。自衛隊の計画は多くの場合上官から目的を示される事が多いです。ただし示されなかった場合は自ら立案の基礎を分析して、目的を設定します。
今回の例で言えば、『中隊配属1年未満の陸士隊員に対して基本教練(徒手教練)を実施して各個動作の更なる練度向上を図る。』つまり個人の動作のレベルアップを図ると言う目的になります。
3)日時・場所
訓練実施日、及び訓練場所です。実施日は年月日、時間を決定します。通常の訓練指導計画は2時間が基本ですが訓練内容により多い場合、少ない場合は当然あります。
場所については、教育効果を期待できる場所ならどこでも可能です。たとえば体育館でも問題はありません。基本教練では屋内では脱帽するので体育館でも基本教練は行うからです。
ただし基本的には屋外で行うのが標準なので計画では晴天時は屋外(グラウンド)、雨天時は屋内というスタイルになるのが一般的です。
4)教官・助教
教官は、通常は訓練指導計画作成者です。助教と言うのは自衛隊特有の名称で、一般的にはコーチの事です。漢字では助手と言えば解りやすいですが自衛隊では、助手・コーチと言う名称は無く、助教(じょきょう)と言います。
【重要なポイント】
自らの指導能力を高める為には、訓練指導計画を作成して訓練の目的、演練項目、着眼、などを立体的に把握する事が重要ですが、実は優れた訓練指導計画を作成するコツは『第3者的な視点で計画を作成する』のがコツです。
どういう事かと言うと、自分が作成して全く別の自分と同じ階級の陸曹に、その計画を渡して渡した相手がスムーズに教育を実施できる計画になっていなければ優れた訓練指導計画とは言えません。
つまり、自分だけにしか理解できない訓練実施計画では、助手となるべき助教も訓練目的や、訓練の狙いなどを理解できないので、教育効果が思うように期待できないからです。
従ってLPを自己評価する場合の一番簡単な方法は、自分と同じ階級の陸曹にその計画を渡して『やり方は良くわかった』と言うのなら一応合格です。また『ここが良く解らない』と言えば見直しが必要だと言う事になります。
つまり、誰が読んでも内容を理解できる解りやすい計画で無いと実用性に欠けます。
5)主要演練項目(課目)
これは特にどの種目を重点的にやるかと言う事です。主要演練項目には精神徳目は不可です。たとえば『規律心』であるとか『団結力』とかいう項目は、主要演練項目には適しません。
なぜなら漠然とした指定では評価判定が難しいからです。評価する為の基準を『評価基準』と言います。後で詳しく述べますが、この評価基準はとても重要です。
つまり、どのレベルに達したら『合格』なのかと言う基準を作らないとダラダラとした訓練になってしまうからです。この場合、主要演練項目は『10度の敬礼』『列の整頓』にしておきます。
課目の他に『細目』もありますが、これについては課目を細かくしていくだけですので簡単な計画の場合、細目は無くてもかまいません
6)訓練の狙い・着眼
『狙い』は目的によく似てはいますが目的よりも具体的で解りやすいメリットがあります。具体的に10名の陸士に何を期待するかをまずイメージする項目が「狙い」です。
たとえばレベルアップを図る為に『クセ(個癖)を無くして、正しい動作を身に着けさせる』事によって自信を持たせるでもいいのです。
『着眼』は、どこを重点的にチェックするかです。多くしても注意力が散漫になるので絞った方が賢明です。たとえば『頭を動かさない』でも良いですし、『反動をつけて動作をしない』など、解りやすいチェックポイントを持つべきです。
7)展示・説明の隊形
展示・説明の隊形も計画に含めなければ行けません。これは意外と重要です。なぜなら展示は、どのように『見せて』どのように説明したら被教育者が解りやすいのかを考える習慣が身につくからです。
自衛隊の訓練の落とし穴は被教育者は必ず『ハイ』と言う事です。それは、命令・号令・指示で行動する集団が自衛隊だからです。
ここで指導者は見事に落とし穴に入るのです。大声で怒鳴っていれば指導しているように見える。怒っていれば自信たっぷりに命令しているように見えます。
その為、隊員が命令を理解したのか、していないのかを忘れがちになるのです。その落とし穴に入らないためにも、展示・説明隊形で隊員の視点で計画を作成する習慣を身に着けるのはとても重要です。
『これじゃ、左端の隊員からは見えない。』『ここでこんな説明をしても、意味が通じない』など教育効果が出るかどうかを考えながら計画を作成しないと指導能力も向上しません。
8)基本教練の指導の前に
実際に指導する前に先人の遺訓を学んでみましょう。第二次世界大戦時の日本海軍の名将、連合艦隊司令長官山本五十六(いそろく)元帥が、人を指導する場合の要諦(ようてい)をまとめた名言を残されています。
それは軍隊に於ける兵士の指導法の神髄を教えてくれる名言です。その名言とは、次の言葉です。
『やってみせ』
『言って聞かせて』
『させてみせ』
『ほめて』やらねば
人(兵)は動かじ。
やってみせは『展示です。』
言葉で言うよりも効果的な展示を活用すべきです。
言って聞かせては『指導です。』
これは立案の基礎に関わって来ます。隊員のレベルを把握しないで教えると、簡単すぎて効果が半減したり、難しすぎて効果が半減します。
また現在、多くの未熟な若年自衛官の指導者が失敗するのは教えていない事を怒って教育効果を下げてしまいます。文字通り怒るのと教えるのは全く違います。指導者としてやってはいけないタブーは『教えていない事を怒る』『教えていない事を指導する』です。
『させて見せ』のメリットは2つあります。一つは隊員が理解しているのか、いないのかを発見できます。もう一つ重要なのは自分の教え方が良かったのかどうかをチェックできるチャンスがあります。
これに気が付く方法は指導のやり方を変えて再度『させて見で』です。言い方を変えて隊員が正しい動作をしたのなら説明の仕方を工夫するべきです。つまり、指導法は客観的な視点を持って指導する着意を持てば、隊員及び部隊を指導する実力は間違いなく向上します。
9)指導の実践
それではいよいよ教官になったつもりで指導して行きましょう。
まず自らの服装、そして指導についてのポイントは、繰り返しになりますが個人の充実です。
一番大事な事を先に書くと最初の重要なコツが『自分が上達する』事です。下手であれば教えない方が良いでしょう。素直に指導の上手い同輩に地位を譲るべきです。これが、前述した山本元帥の名言『やって見せ』の正しい実践なのです。
自分が正しい動作をできないのに『やって見せる』指導者が残念ながら陸上自衛隊にも少なからずいます。あくまで個人の充実を指導者自ら実践しなければ行けません。
10)指導する位置を意識する
部隊を指導する場合、指導者の位置はとても重要です。指導するべき分隊員は基本教練に於いては分隊の横隊(横一列)です。指導者(教官)は分隊員全員を見渡せる位置から号令を掛ける必要があります。
その場所とは、横隊の10名の端から端までを三角形の底辺とすれば教官の位置は三角形の頂点の位置が最良の位置です。ちなみに最初の『集まれ』の号令で、教官の前に並ぶのは基準隊員で教官の6歩前に基準隊員が集まり、事後、横隊に整列します。
したがって、集まって整頓させ、番号を付与して各人の固有番号を割り当てたら、教官は三角形の頂点の位置に速やかに移動して部隊に正対します。一般的に近づくよりは離れた方が言いとされています。
11)号令は大きければ大きいほどいい
基本教練の号令を掛ける場合は、100メートル向こうの隊員に号令を掛けるつもりで号令を掛けろと言われるほど大声で号令を掛けます。理由は言うまでもなく、戦闘訓練及び実戦では、砲弾、射撃音などで、号令が聞こえないからです。
また被教育者に近づきすぎると自然と声が小さくなります。教官の声が小さいといくら『大きな声を出せ』と言っても説得力がありません。この点も『やって見せ』を自ら見本を見せる為に、努めて部隊から離れて号令を掛ける習慣を意識して持つべきです。
12)展示を活用する
初級幹部自衛官が犯しやすいミスは説明を多用しすぎる点です。弁舌さわやかで、理路整然と口頭で説明して、自己満足して悦に入っていると、教官の熱血指導にも拘らず隊員のレベルが思うように上がらないのです。
忘れてはならない事は、自衛隊は『現場が最重要な職場』と言う事です。俺に付いてこい。俺に続けというスタイルの指導で無いと教育効果は少ないと肝に銘じておくべきです。
自衛隊に於ける指導能力高い優秀な陸曹は展示を多用します。その口癖は『班長が今から展示をするのでよく見ておけ!』『このようにやってみろ』です。
陸上自衛隊の訓練は体を使って実動で結果を出す訓練ばかりなので、自分が見本を見せた方が何かにつけ教育効果が高いのです。
しかも展示を多く使う陸曹は鏡をよく見て自分をチェックする陸曹が多いです。結果的に自分をチェックする習慣があるので動作も正確で綺麗です。まずは見本を見せる。これが指導法のコツです
13)全体を見て矯正するな!
これは隊員の動作を矯正する場合のコツです。たとえば隊員の癖を為す場合、漠然と矯正しては行けません。例を挙げると10人の隊員に挙手の敬礼をさせます。その中で悪い部分を探そうとすると、漠然と異なった姿勢、動作をする隊員に意識がとらわれてしまいます。
その場合、目立った隊員の動作を矯正したとします。「背中を伸ばせ」「指を伸ばせ」など一人の隊員に複数の指導をした場合、他の隊員の癖は発見しづらくなります。
つまり、個々の隊員の個癖にとらわれ過ぎると全体が見えなくなってしまいます。これは長い自衛隊の訓練の経験から出ている顕著な傾向です。どうしてこうなるのかと言うと、一人の隊員にとらわれると評価基準が無くなってしまうからです。
これを防ぐには、一つの物差しで10人をチェックして、それが終わって別の物差しで10人をチェックする手順にすれば評価基準は常に保てます。
具体的にどうすればいいのかと言うと、まず『ヘルメット(帽子)の被り具合』を目の眉と同じで水平という基準を作ったら、その他の欠点は、ヘルメットのチェックが終わるまで指導しません。
つまり10人を素早くヘルメットだけで指導するのです。その次は脇の締めで10人を見ます。同様に足の開き…すべて一つの基準だけで先頭から最後の隊員までサッと目を流すと比較しやすくクセを素早く発見できます。
また指導は簡潔にするのも大事です。ネチネチと指導するぐらいなら一つか二つのポイントに絞って、他はチェックを緩めにして『よし、良くできた』で良いのです。
あれも、これもと欲張ると隊員はいつまでも褒められずやる気を失うばかりです。極端に言えば帽子の被りだけなら習熟度も早くしかも早く褒めることが出来て結果的に士気も上がるのです。
14)簡潔に褒める
意外と見落としがちですが、むやみやたら褒めるのは指揮官としての威厳を損ねるので最悪です。最良の指導は重点に絞って反復演練し、できた部分を素早く簡潔に褒める事です。
ただし、出来ていない部分を褒めるのは信頼感を著しく低下させます。
隊員が本当に出来た。出来ていない。を見抜く為には真剣に見ていないと出来ません。教育効果が一番できるのは本当にできた場合間髪を入れず褒める事です。できていない隊員を褒めるのは単に隊員を怠けものにするだけです。
15)展示と矯正の繰り返し
自衛隊の訓練指導を簡単にまとめると、まず『自分が見本を展示出来る事』『要点を簡潔に指導出来る事』この二つがあれば優秀な指導者に成れます。まず念頭に置くべきことは繰り返しになりますが、率先して見本を示すことにあります。
説明するよりは見せて方が早いです。特に野外訓練では見本を示して自ら率先垂範する小隊長・分隊長の率いる部隊は総じて士気が高いです。くれぐれも忘れないようにして頂きたいのは、自衛隊は世界から見ればれっきとした軍隊です。
戦史を見ても軍隊で一番損耗率(戦死)率が高いのは、兵士ではなく将校(幹部)なのです。
具体的には少尉の戦士率が高いのです。これは、軍隊組織が、口頭で人を動かす職場ではなく、自ら先に進み部下を率いる職場だと言う何よりの証明です。
ちなみに日露戦争による階級別の死亡率が一番高いのも、小隊長でした。つまり、陸上自衛隊の指導法の一番のコツは『自分が見本を見せる』事なのです。
補足:分隊と班の違いは?
連隊・大隊などの一般部隊で訓練をする場合は『分隊』です。班という名称は一般部隊でもあります。ただし『班』は『営内服務の編成』です。つまり課外(勤務時間外)の編成である服務小隊編成の最小単位が班という名称です。
ちなみに班と言う名称を訓練で使うのは『教育隊』だけです。
特に新隊員前期課程に於ける教育隊は職種が無く、何事につけ営内班で行動するので、班の方が人員を掌握しやすいなどの理由から訓練時でも『1班』、『2班』という服務編成で用いる呼称を用いています。
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