教師は、当然ですが、子どもたちと一緒に毎日を過ごしています。子どもたちと過ごす毎日で忘れがちになるのが、子どもたちの親御さん、いわゆる保護者です。定期的に参観日などが持たれている学校ではその時に保護者と顔を合わす機会がありますが、普段、特別な事情がない限り、なかなか保護者と接する時間は持てません。
しかし、子どもたちは毎日、親の元での生活があって学校へ通ってきています。やはり教師として、保護者とのつながりなしでは子どもたちを育てていくことはできません。
最初、保護者は子どもの言葉で教師をイメージする
新年度を迎える時、教師は、1年生担当が決まると、どんな子どもたちが来るだろう、と、新しい出会いに思いをはせます。持ち上がりで次の学年を担当する時は、どんなクラスになるだろうか、自分が担任とわかったら、子どもたちはどんな反応をするだろうか、とワクワクしたり、少し不安になったり。
教師以上に、保護者は、新年度を、どんな教師が待ち受けているのか、誰が自分の子どもの担任になるのか、ドキドキしたり、そわそわしたりして迎えます。そして、新年度のスタートと同時に、自分の子どものクラス担任や学年担当が分かると、そこから、教師と保護者の関係が始まります。
持ち上がりでの担任や担当ならば、その前の年までのつながりがありますから、保護者も教師も、気持ち的にも楽になりますが、問題は、1年生を担当する場合や、異動して初めての年の担任の場合です。今までのつながりは全くありません。はっきり言って、担任や担当をしなければ、知り合うこともなかった者同士です。いわゆる赤の他人です。
そのため、保護者は、子どもに「あなたの先生は、どんな感じ?」などと、質問をしているはずです。そして、子どもがその質問に答えたら、その答えで、教師のイメージを膨らませていきます。
また、反抗期に差し掛かる時期でもあるので、親の質問にいちいち答えない子どももいます。そんな時は、保護者のつながりで、別の子どもが保護者に話した教師の様子を聞き、どんな教師か、想像します。今風に言うと「口コミ」です。
つまり、初めて自分の子どもの担任、担当になる教師は、どんな人物なのか分からない分、日頃接している子どもたちの反応によって、教師のイメージが作られていきます。そのため、毎日しっかりした考えのもと、ぶれることなく子どもたちに接していくことが必要となります。
保護者と最初に対面する時
最近は、授業時間の確保や、プライバシーの関係などで、実施しなくなった学校もあると聞きますが、大抵の学校では、新学期が始まって1か月もしないうちに、家庭訪問が実施されます。クラス担任をしていると、この時初めて、きちんと保護者と話をすることになる場合が多いですね。
私が家庭訪問で気を付けていたことは、まず、保護者の話(思い)をしっかり聞くことと、これから1年間こういう思いで子どもたちと接していきたい、という自分の考えをしっかり語ること、この2つです。保護者の考えを聞かずに自分の思いばかりを語るのも、保護者の思いだけを聞いて自分の考えを述べないのも、どちらも駄目だと考えます。
保護者は、教師に自分の子どもを預ける訳で、その預ける教師に対して、一定の思いを持たれます。その思いをしっかり聞き、共感をしながら、自分は毎日、預かっている子どもたちにこんな風に接していくつもりだという所信表明のようなものをすることで、保護者も「この先生は話を聞いてくれて、しっかりした考えを持っているな。」と思ってくれます。そのような印象付けができれば、最初の対面は成功だと言えるでしょう。ここで、最初の信頼を得られれば、その後の対応がスムーズに行くことが多いです。
保護者抜きでは教育は考えられない
子どもたちは、1日の大半を学校という集団の中で生活します。1日の中で一番多くの時間、接する大人は教師だと言えます。しかし、教師は、教師だけで子どもたちを育てていくことはできません。なぜなら、子どもたちの生活基盤は家庭にあるからです。その家庭と学校との両輪で、子どもを育てていくのが教育だからです。
教育はもちろん、勉強を教えることを指しますが、それだけでなく、生きていく力をつけることも教育の一環です。だからこそ、家庭の力、つまり保護者の力が必要になります。日々、子どもと関わる教師だけの力では、子どもは育ちません。
たとえば、問題を起こした生徒がいたとします。わかりやすくするために、問題行動を喫煙としましょう。放課後、校舎の陰で、あなたが担当、もしくは担任をしている生徒が喫煙をしているところを、たまたま通りかかった別の学年の教師が見つけたとします。すぐに報告が入り、担任および担当学年の教師集団での指導が始まります。
この時の指導というのが、生徒だけにして終わるものではないのです。すぐに、保護者へ連絡をし、現状を報告した上で、日常、家庭で何か気付いたことはなかったかを確認します。そして、これからどのようにしていくのか、生徒はもちろん、保護者と一緒に確認をしていかなければいけないのです。
ここで、いくら教師が、「タバコを吸ってはいけない。」と生徒に指導をし、仮に「もうこれから吸わない。」という約束を取り付けたとしても、家庭で保護者にしっかりと、教師側の指導と足並みをそろえてもらえないと、問題行動は解決しません。
極端な例として、私自身が経験したものの中に、このような例がありました。
授業を抜けて喫煙をしていて、見つかった担任をしていた男子生徒を指導していた時のことです。担任として、喫煙という、社会のルールを破ったことをしっかり自覚させ、もうタバコは吸わない、と約束をさせて、表面的な指導は終わりました。もちろん、すぐにやめられるとは思っていませんので、学年の教師集団を越え、全校的に、その生徒の行動を学校としても見守るという前提です。
そして、保護者にも、家庭で、生徒にタバコを吸っている気配を感じたら、私とした「タバコを吸わない。」という約束を守るように諭してもらうことと、学校に連絡を頂くことを約束しました。
数日して、また、その生徒が喫煙をしている様子が見られました。直接、喫煙現場を押さえた訳ではありませんが、休み時間が終わり、教室に戻ってきた時に、タバコのにおいがしたとのこと。直接現場を押さえていないので、直接の指導はその時はやめておきましたが、保護者に連絡をし、現状を話しました。すると、返ってきた答えが「吸うなら学校では吸わずに、家で吸えと言ってあるのに!」と憤られました。
保護者は保護者なりに、考えられてのことだったとは思いますが、これでは、学校と家庭の両輪での指導はできません。結局、この生徒に対しては、生徒の問題行動に対する、保護者の思いを担任としてしっかり共感できておらず、最後まで両輪にはなれなかったという苦い思い出があります。結局、その後も、生徒の喫煙は続きました。
もちろん、このような極端な問題行動だけではありません。
朝、いつもに比べて何となく元気がなく、一日ふさぎ込んでいるように見えた生徒がいたとします。その日のうちに、もちろん生徒には、「どうした? 元気ないけどなんかあった?」と声をかけます。そして、「実は…。」と話してくれれば、次の対応が考えられますが、多くはそう簡単に話しません。「別に。」が定番の返答です。そうなればそれ以上突っ込むことは避けます。話したくない生徒に無理やり話させることはしません。気にかけて見守り続けるのみです。
が、その気になる様子は、その日のうちに保護者には連絡をとります。すべての状況を説明して、家庭で変わったことはないか、まず聞きます。「今朝、実は大きな親子ゲンカをしたんです。」と話して頂ければ、それが原因かもと想像がつきます。また、特に何もなかったけれど、家でも何か元気がないと言われれば、やはり学校での「何か」が原因かもしれないと考えます。でも、担任にも話してくれない状況となれば、保護者の力を借りるしかありません。
担任から連絡があったことは伏せて、「最近元気ないように見えるけど何かあった?」と保護者に聞いてもらうようにお願いします。そこで何か話してくれたら、その内容を、話さなかったら話さなかったことを、保護者には、生徒に分からないように連絡して頂くようにします。
このように、日々の子どもたちの変化に柔軟に対応することを望まれる教師は、教師集団の力を借りながら、個としての教師として、1対1で生徒に関わると共に、保護者抜きでは、日々の対応を考えられないといっていいほど、保護者の存在が必要となります。
保護者とつながるために大切にすることは?
日々、子どもを取り巻く大人として、教師と保護者が力を合わせていくことが大切です。教師だけで解決できない子どもの問題も、そこに保護者の力が入れば、解決に向かうことがあります。また、子どものことで保護者が悩んでいることに、教師が手を差し伸べることで、悩みが解決することもあります。これらは、すべて、教師や保護者のためではなく、子どものためになるのです。
そのために、教師と保護者のつながりは本当に大切です。つながりというと少し構えてしまうかもしれませんが、要は、日頃から、どれだけ保護者と気軽に話をすることができるか、と考えてもらえばいいと思います。何でも話し合える間柄とでもいえばいいでしょうか。
私はできるだけ、日頃から、保護者と連絡を取ることを心がけました。
保育園のように、連絡帳がある訳ではありませんし、ともすれば、子どもが何か問題を起こした時くらいしか、気にかけて実行しようとしないと連絡することはありません。問題がある時にしか、連絡をしないと、学校からの電話は、良くないもの、教師は子どもが悪いことをした時にだけ連絡をよこすものになってしまいます。それでは、本当の意味での、つながりとは言えません。
だからこそ、大きな問題になる前の、「ちょっと元気なかったみたいですけど、なんかありました?」程度の内容でも、連絡をしました。何もなければよい訳ですし、「実は…。」となれば、それを話題に、しばらく保護者と話ができます。また、こんなことを気にかけてくれるのか、と、保護者の教師に対する見方も変わります。
また、私が新任の頃、ベテランの先生から聞いた「悪いことを連絡したら、近いうちに、必ずよかったことも連絡すること。」ということを実践してきたことで、保護者とのつながりがスムーズにいきました。
最初の頃は、連絡をすると、「またうちの子、なんかしましたか?」と言ってこられる保護者がほとんどでしたが、「いえいえ、今日は、授業中の発表をめちゃくちゃ頑張っていたので、お知らせしようと思って連絡しました。」という感じで返します。少しオーバー目でもいいので、頑張っていたこと、周りに優しい気遣いを見せたこと、何でもいいです。必ずよく見ていれば、子どもにはいいところがあるものですから、それを伝えることを心がけました。これも、「先生は、うちの子どものことをよく見てくれている。」と保護者に印象付けることに、結果的にはなっていました。(意図としては、先に述べたようなものだったので、あくまでも結果的に、です。)
そのため、今から振り返ると、子どもたちが帰って、自分の時間ができると、まずは電話を握り、毎日のように、どこかに電話をしていたように思います。確かに、同僚から「先生、電話好きだね。」と笑いながら言われることもありました。でも、これもすべて子どものため! 全然苦にはなりませんでした。
そうしていくうちに、いつの間にか、「気軽に話ができる間柄」になっていけたと思います。時には、「先生、今忙しいし、急なことでなかったら、明日以降にして!」と言われることもありましたが、それはそれで、はっきり言ってもられる間柄になったのだとポジティブにとらえていました。
また、そういう間柄になれれば、時には、「便りがないのが良い知らせ」を地で行くことも可能になります。生徒指導などが立て込んでくると、そちらに動力を注ぐことになり、問題なく頑張っている子どもに対しては、どうしても割ける時間が少なくなります。ようやく落ち着いた時に、「ちょっといろいろあって、連絡ができなかったんですが、便りがないのが良い知らせ、と思ってもらえていたらありがたいです。」と連絡を入れたり…。普段、マメに連絡を取ることを心がけていれば、それも通じるところがありがたかったです。
保護者に気に入られようとする必要はない
保護者とのつながりの大切さを綴ってきましたが、一つ、誤解してほしくないのは、保護者に気に入られようとして、保護者に媚びるのではないということです。われわれ教師は、教育のプロです。子どもをどう育てたいのか、プロとして、しっかりとした信念を持って仕事に取り組みます。その信念を曲げてまで、保護者に気に入られようとする必要はないのです。
時には、教師として、子どものために、保護者に厳しい意見を言わなければならない時があります。きっとこんなことを言ったら、保護者は気分を害し、自分のことを嫌に思うだろう、という考えが頭をよぎることも正直あります。
でも、ここで、保護者の機嫌を取ることを優先して、言わないことは、子どもにとってプラスにならないと判断すれば、保護者の顔色を気にすることなく、はっきりというべきです。子どものことを第一に考えているところさえぶれなければ、その時一時は、保護者も機嫌を損ねるかもしれませんが、後々、ちゃんとこちらの思いは伝わるものです。「あの時は感情的になってしまったけれど、先生の言う通りでした。」と後になって言ってくださることもありました。
中学時代は、体はもちろん、心も大きく育つ時期です。その時期に、どんな集団でどのように同世代の子どもとかかわるか、非常に大切になります。それと同時に、この時期に大人がどのように関わるかもとても大切です。この時期、身近にいる大人の教師と保護者が、いいつながりを持って、見守っていける環境を作るのは、やはり教師の努力が必要です。
最初は少し、苦痛に思うかもしれませんが、自分の信念を持って関わっていく中で、できあがってくる保護者とのつながりは、その後、何物にも代えがたい、貴重な「戦力」になります。小さなことを少しずつ少しずつ積み上げていく中で、できあがっていったつながりは、そうすぐに崩れるものではありません。そんな積み上げでできたつながりのもとで、信頼し合った教師と保護者に見守られながら育っていく子どもは、本当に幸せだといえます。
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