アメリカの大統領 第12代 ザカリー・テイラーについて

アメリカ合衆国の大統領シリーズ、第12回目は、第12代大統領を務めたザカリー・テイラーです。ザカリー・テイラーは大統領としてよりも軍人としての評価が高いことが特徴です。

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はじめに

ザカリー・テイラーは40年以上の陸軍での経験を持った軍人でありながら、米墨戦争で英雄の称号を手にして大統領にまで登り詰めた人物です。政治の世界へ進んでからは志なかばで命を落としてしまいます。アメリカ史上、大統領在任中に命を落とした2番目の大統領になりました。

アメリカが独立して以降、奴隷制度を巡って南北の対立が次第に進むなか、軍出身者が大統領になったことでどのような影響があったのか詳しく解説していきます。今回はアメリカ第12代大統領ザカリー・テイラーの特集です。

「ザカリー・テイラー」のプロフィール

ザカリー・テイラーはバージニア州オレンジ群の出身で、父親のリチャードはジョージ・ワシントンらと共に独立戦争を戦った経歴の持ち主でした。さらに、一家は1620年にメイフラワー号でイギリスからアメリカにやってきたピルグリム・ファーザーズと呼ばれるメンバーのひとりだったウィリアム・ブリュースターの子孫です。

加えて、第4代大統領のジェームズ・マディソンのまた従兄弟(はとこ)でもあり、親戚には後の大統領になるフランクリン・ルーズベルトも含まれています。ザカリー・テイラーはアメリカの政治界の主要人物らと何かしらの縁があった家庭に生まれました。

24歳のときに陸軍に入隊することを決意したザカリー・テイラーはインディアナ準州に配属され、わずか2年で大尉まで昇格します。1812年の米英戦争、1832年のブラック・ホーク戦争、1835年のセミノール戦争などで白人に抵抗するインディアンを虐殺したことで功績を讃えられました。

後にザカリー・テイラーを英雄にすることになる1846年の米墨戦争ではジェームズ・ポーク大統領の命令で、メキシコが主張する領土とアメリカが主張する領土の違いによる争いを沈静化するためにリオグランデ砦に派遣されます。そこでメキシコ側から攻撃を受けたザカリー・テイラーは反撃し宣戦布告をします。

その後も、ジェームズ・ポーク大統領の命令に反するかたちで進撃し、メキシコ軍を圧倒しました。帰国後にはザカリー・テイラーは国の英雄として賞賛されることになるのでした。

米墨戦争終結後はホイッグ党から大統領選に出馬し、民主党のルイス・カスを破り第12代大統領に就任します。しかし、大統領就任後16ヶ月目に重度の消化不良により命を落としました。

「ザカリー・テイラー」の経歴

1784年、ザカリー・テイラーはバージニア州の農家で生まれ、恵まれた環境ではなかったものの両親から読み書きを教わりながら育ちました。生涯、学業とは無縁だったため、スペルミス、文法、そして筆跡は酷いものだったと言われています。

歴代の大統領のほとんどは貴族の家系や高等教育を受けてきており、弁護士や測量士、議員などの出身者ばかりでした。しかし、ザカリー・テイラーにはそのような経歴はなく、自身は政治の世界とは無縁と思い込んで幼少期を過ごしていました。そして、大人になったら軍隊の道に進むことを決意します。

1808年、陸軍への加入を志願しインディアナ準州に配属されます。その際に指令を出した人物こそ、ザカリー・テイラーのまた従兄弟で当時の国務長官、後の第4代大統領ジェームズ・マディソンでした。1812年の米英戦争では第9代大統領のウィリアム・ハリソンの下で戦闘に加わりました。ザカリー・テイラーは、この頃には後に政治界で権力を持つ人物の目に止まる存在になっていたと言われています。


1832年、アメリカは北西部(現在のイリノイ州やミシガン州)の土地を手に入れるためソーク族やフォックス族を武力制圧したブラック・ホーク戦争を始めます。この際に抵抗するインディアンを次々に殺害していったのがザカリー・テイラーが率いる軍でした。

このブラック・ホーク戦争で活躍した人物の多くは後にアメリカ政治界で権力を持つことになります。なかでも、後の南北戦争の際にアメリカ連合国の大統領になったジェファーソン・デイヴィスや、第16代大統領のエイブラハム・リンカーン、そしてザカリー・テイラーはその代表と言われています。この時代のアメリカでは戦争で功績を挙げた人物が英雄になり、政治界に進むことは珍しいことではありませんでした。

ザカリー・テイラーが国民的英雄になり、大統領へ進むことの大きな起点となったのが1846年の米墨戦争です。アメリカとメキシコは領土に関する認識の食い違いがあり、土地買収の交渉に応じないメキシコに対してアメリカは苛立ちを抱えていました。時の大統領だったジェームズ・ポークはアメリカの領土を明確にするためザカリー・テイラーを現地に派遣します。

1846年5月、メキシコ軍がアメリカ軍の分隊を捕らえたことを受けてアメリカは正式に宣戦布告します。同年9月、ザカリー・テイラー軍はメキシコ軍の北部の要塞を制圧(モンテレーの戦い)し、1847年2月にはメキシコ軍の主力を大砲で圧倒(ブエナ・ビスタの戦い)しました。アメリカ側4,500名に対して、メキシコは16,000名でしたが、事実上、米墨戦争におけるメキシコ軍の敗北を意味していました。

実は、ザカリー・テイラーがとった行動は大統領命を逸脱したものでした。ザカリー・テイラーはジェームズ・ポーク大統領が再選を狙うために功績を横取りしようと画策していると考え、モンテレーからブエナ・ビスタへ進撃を続けました。しかし、ザカリー・テイラーの独断は後に「ブエナ・ビスタの英雄」として賞賛されることになるのでした。

米墨戦争が終わった後、一躍英雄になったザカリー・テイラーは1848年の大統領選にホイッグ党から選出されることになります。この頃のアメリカは就任当初から任期は1期のみと公言していたジェームズ・ポークの後任は「誰にでも務まる」という状態だったため、時の英雄だったザカリー・テイラーは本人の意志に反して大衆からの支持を得て勝利しました。

大統領に就任したザカリー・テイラーは「これ以上、戦争はしない」という主張をし、代わりに大衆の関心を奴隷制度に向けることにしました。ゴールドラッシュで人口が爆発的に増加したカリフォルニアを自由州(奴隷制度がない州)として昇格させようと試みますが、南部諸州からは自由州と奴隷州の均衡が崩れるため反対されてしまいます。

これを受けたザカリー・テイラーは、仮に南部諸州が反乱を起こす場合は戦闘も辞さないと強気の姿勢を見せて応酬しますが、後に南北戦争を引き起こす対立関係を悪化させることになりました。アメリカは領土拡大問題からいよいよ奴隷制度を巡る南北の対立問題に差し掛かったのです。

アメリカ国内の関心が奴隷制度に移行しつつあった1850年の独立記念日に、ザカリー・テイラーはワシントン・モニュメントの式典で暑さゆえに氷水や牛乳、果物を多量に摂取し、5日後に消化不良に陥って命を落とします。大統領就任16ヶ月目のことでした。あまりにも突然の死だったため長く暗殺が疑われていましたが、1991年に遺骨を調査した結果、毒殺の可能性はないことが判明しました。

数々の戦争で功績を挙げて大統領にまで登り詰めたザカリー・テイラーですが、アメリカ史上最も難題とされた奴隷制度を巡る南北問題を知らずしてこの世を去ったのです。ザカリー・テイラーは、米墨戦争の終結によって領土拡大に成功したアメリカが、新たな問題に直面する転換期の大統領だったと言えるでしょう。

ポイント1:米墨戦争を勝利に導いた人物

ザカリー・テイラーが大統領に就任する決め手となったのが米墨戦争での功績です。とくにモンテレーの戦いとブエナ・ビスタの戦いでの勝利は大きく、後にアメリカがカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドを手に入れることに繋がりました。

米墨戦争の勝利は、時の大統領であるジェームズ・ポークの功績ともされていますが、実質的に勝利へ導いた人物はザカリー・テイラーとする声もあります。

ポイント2:一般人が英雄、そして大統領へ

ザカリー・テイラーは教育環境に恵まれている家庭ではなかったものの、軍人を経て大統領まで登り詰めた人物という点においてアンドリュー・ジャクソンに共通するものがあると言えます。身分や教育に関係なく一般人でも大統領になれることを示した人物と言えるでしょう。しかし、政治手腕には欠ける物が多く南北に分裂しつつあったアメリカをまとめるのには苦心したとされています。

ポイント3:領土拡大から奴隷制度問題へ転換

ザカリー・テイラーはアメリカの領土拡大の風潮から奴隷制度を巡る自由州と奴隷州の対立へと転換しつつあった時の大統領です。この当時のアメリカは奴隷制度に反対する自由州(北部)、奴隷制度を維持する奴隷州(南部)の二極化が問題になっており、準州を州に昇格する際に自由州にするか、奴隷州にするかで揉めることが定着していました。

ザカリー・テイラーは自身も奴隷を保有していたこともあり、奴隷制度問題については穏健派でした。ちなみに、ザカリー・テイラーは奴隷を保有していた最後の大統領としても知られています。


まとめ

ザカリー・テイラーは軍人として活躍してアメリカの領土拡大にも大きく貢献した人物ですが、新たな問題となる奴隷制度に苦労した大統領のひとりです。大統領として功績を挙げる道半ばでこの世を去ったため、大統領としてよりも軍人としての評価が高いことが特徴です。

ザカリー・テイラーに関する豆知識

・字が汚いことで有名な大統領のひとりです。
・ニックネームは「Old Rough and Ready(老暴れん坊)」です。
・政治には関心がなく、自身が出馬した大統領選の際に投票すらしなかったとされています。

本記事は、2019年2月5日時点調査または公開された情報です。
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