アメリカ第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュについて

アメリカ合衆国の大統領シリーズ、第40回目は、第41代大統領を務めたジョージ・H・W・ブッシュです。ジョージ・H・W・ブッシュは、後に第43代大統領となるジョージ・W・ブッシュの父親であり、親子で大統領を務めました。

公務員採用試験の「外交」や「歴史」で押さえておきたいテーマです。


はじめに

日本では「パパブッシュ」として広く知られているアメリカ第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ)は裕福な家庭で育ち、第二次世界大戦時には凄腕の戦闘パイロットとして活躍した人物でもあります。誰もが羨やむ家庭環境、成績優秀、華やかな軍歴を持つ人物がアメリカ大統領になって冷戦終結、湾岸戦争、麻薬戦争などに尽力するまでのストーリーをご紹介します。

「ジョージ・H・W・ブッシュ」のプロフィール

ジョージ・H・W・ブッシュはイギリス王室に連なる裕福な家柄の出身で、5人兄弟の2番目として生まれました。父親はコネチカット州の上院議員で銀行家、母親はテニスの名手として全米で活躍しており、幼少期は何の不自由もない環境で育ったと言われています。

地元の高校を卒業後は自ら海軍への参加を志願して第二次世界大戦にパイロットとして参加しました。1942年には艦上で最も若いパイロットとして太平洋戦線に参加し、2度の被撃墜体験から生還しています。アメリカに帰国した1944年までに合計58回の戦闘に参加して生還した実績が評価され5回の勲章授章、海軍中尉への昇進を果たしています。

1945年にはバーバラ・ピアスと結婚し6人の子供を授かります。そのうちの一人が2001年から2009年まで大統領を務めたジョージ・W・ブッシュです。その後、名門イェール大学に進学し2年半で卒業。さらに、1948年には経済学の学士号を取得しています。この頃に父親も所属していた秘密結社のスカル・アンド・ボーンズに加入し、政治界への足がかりを作ったとされています。

大学卒業後はCIAと関係があった企業に勤め、国際セールスマンとして活躍します。この時にCIAに有益な情報を入手できる人物としてCIAから重宝されるようになり、後のCIA長官の座を射止めることになるのでした。1966年にはテキサス州の下院議員として選任され本格的な政治活動を始めます。そして1970年代にはリチャード・ニクソンやジェラルド・フォード政権でアメリカ国連大使、中国への特命全権公使、CIA長官を歴任しました。

1981年、ロナルド・レーガン大統領からの厚い信頼を得て副大統領に就任。2期8年間にわたってロナルド・レーガン大統領の片腕として活躍しました。そして1989年、ロナルド・レーガンの後を引き継ぐようにして第41代大統領に就任します。結果的に1期4年間の就任期間になりますが、湾岸戦争をはじめとする複雑な外交問題への課題に取り組むことになるのでした。

「ジョージ・H・W・ブッシュ」の経歴

大統領就任まで

1924年、ジョージ・H・W・ブッシュはマサチューセッツ州のミルトンに生まれます。イギリス王室に縁がある家庭の出身ということもあり、生まれながらにして恵まれた環境でした。父親が上院議員を務めていたことから政治の道も用意されていましたが、自らの意思で海軍へ入隊し、第二次世界大戦に参加しています。

戦後はイェール大学に進学、成績優秀で卒業してからは石油関連事業に従事しました。仕事ではソ連などの共産圏もマーケットに含まれていたため、ソ連の伯爵たちと人脈を作ることに成功しています。また、勤務先がCIAと関係が強かったことから、共産圏の石油関連情報をCIAに伝えるなどして情報通の人物として活躍しました。当時、冷戦状態にあったアメリカと旧ソ連の関係性のなかで共産圏中枢の情報がいかに価値が高かったかを考慮するとジョージ・H・W・ブッシュの働きは大きかったと言えます。

1964年、ジョージ・H・W・ブッシュはテキサス州の上院議員選挙に立候補しますが敗北。1966年、1968年の下院議員で選出されたものの、1970年の上院議員選挙では再び民主党議員のロイド・ベンツェンに敗れてしまい、政治家としては苦戦を強いられました。しかし、情報通であることやCIAとの強い繋がりが重宝され、ニクソン政権で国連大使、共和党全国委員会委員長などを歴任し、ホワイトハウスとの関係を深めていきました。

1976年にはCIA長官に就任し、アンゴラの共産化阻止、エジプトやサウジアラビアなどの反ソ同盟を国際商業信用銀行を通じて支援するなどし、ソ連の影響力を抑制することに尽力しています。この他にも親米でなおかつ反ソの組織を積極的に支援するなどし、水面下で冷戦の悪化を防いだと言われています。

1980年の大統領選の際には、CIA長官としての働きがロナルド・レーガン大統領候補に評価され、副大統領候補として指名を受けます。2期8年間の副大統領期間中はロナルド・レーガンに忠実な人物としてアメリカ国民からも厚い支持を受けることになるのでした。


一方で、副大統領時代にはホワイトハウスに独自危機管理センターを設立しその責任者にもなっています。ここではロナルド・レーガン政権で最も打撃が大きかったスキャンダルとされている「イラン・コントラ事件」を牛耳っていました。反ソ、反共産主義の組織を積極的に支援したことで冷戦の決着に結びついたものの、支援した麻薬組織による薬物氾濫、中東のイスラム過激派の増長に繋がったことも事実です。

大統領就任後

1988年、ジョージ・H・W・ブッシュは任期一杯まで務めたロナルド・レーガンに代わって大統領に選出されます。高い支持率を保持したまま引退したロナルド・レーガンに忠実に使えた人物として評価が高かったことからごく自然の勝利だったと言えます。ちなみに、副大統領を長く務めた人物は大統領にはなれないというジンクスを192年ぶりに破ったことも有名です。

1989年1月20日、大統領に正式に着任したジョージ・H・W・ブッシュは反ソ組織を支援した結果、収拾がつかない事態になっていた麻薬問題に取り組みました。この背景には、アメリカ政府やCIAが反ソ組織を支援した中には麻薬組織も含まれていたため、アメリカ国内の麻薬問題が常態化していたことがあります。ブッシュ大統領は麻薬の交易地点だったパナマに侵攻し、マヌエル・ノリエガ政権を壊滅させることに着手したのでした。

1989年12月3日、ブッシュ大統領はゴルバチョフ書記長とマルタで会談し冷戦の終結を宣言しました。44年にわたる両国間の緊張状態が正式に終わりを告げた瞬間です。ただし、冷戦終結を宣言したのはブッシュ大統領ですが、肝心の根回しなどは先代のロナルド・レーガン大統領による功績が大きかったことを忘れてはいけません。

1991年1月17日、ブッシュ大統領はクェートへ侵攻したイラク軍を制圧するためにアメリカ軍をサウジアラビアに派遣し、多国籍軍としてイラク軍に爆撃を開始しました。空爆、陸上部隊などを駆使し、同年2月28日にはクェート解放を宣言し停戦。この時のアメリカ世論の89%はブッシュ大統領を支持しています。この戦争は多国籍軍の勝利と同時に、長く続くことになる中東問題を複雑化させたことは間違いありません。

1992年、2期目をかけた大統領選では景気後退、約束に反して増税したことなどが影響し、アーカンソー州知事だったビル・クリントン(民主党)に現役大統領として3人目となる敗北を喫しています。ジョージ・H・W・ブッシュはわずか1期のみの大統領として表舞台から去りました。

引退後は息子のジョージ・W・ブッシュの活動に支障が出ないように目立たず静かに過ごしました。2018年11月30日、テキサス州ヒューストンで94歳の生涯を閉じたのでした。妻であるバーバラがこの世を去ってわずか7ヶ月後のことでした。

ポイント1:湾岸戦争

1期4年のみの任期に終わったジョージ・H・W・ブッシュ政権ですが、湾岸戦争の勃発はジョージ・H・W・ブッシュを語る上で外せない出来事でしょう。多国籍軍の圧倒的な勝利でクェート解放を実現し終わったとされていますが、サダム・フセイン政権と大きな溝を生んだことは間違いなく、その後長く続くことになるイラクとの外交問題をこじらせる原因になりました。

また、湾岸戦争はハイテク戦争とも呼ばれており、この戦争でアメリカは世界のどの国よりもハイテクな軍事力を保有していることを世界中に知らしめたとされています。冷戦後のソ連に対する実力誇示の狙いもあったと言われています。

ポイント2:CIA長官

ジョージ・H・W・ブッシュが大統領として活躍できた背景には「CIA長官」を務めたことが大きく影響しているとされています。政治家として活躍を始める前に、対ソ連・対共産主義の有益な情報源として活躍したことは重要なポイントです。また、副大統領時代にはホワイトハウスから秘密裏に対ソ組織を支援するなどして、ソ連の影響力を抑え込んでいたことも政界からは評価されています。

ジョージ・H・W・ブッシュは大統領になる以前から水面下での交渉事や情報収集能力に長けており、その点でリチャード・ニクソン、ジェラルド・R・フォード、ロナルド・レーガン歴代大統領たちから重宝されていたのです。

ポイント3:親子大統領

ジョージ・H・W・ブッシュは息子であるジョージ・W・ブッシュと2代で大統領を務めた親子として知られています。父親は息子と区別するために「パパブッシュ」や「ブッシュ・シニア」などと呼ばれ日本でも親しまれています。ジョージ・H・W・ブッシュが湾岸戦争を指揮したように、息子のジョージ・W・ブッシュもアルカイダ掃討作戦を指揮し、二人とも「戦時大統領」と呼ばれるようになりました。

父親のジョージ・H・W・ブッシュは任期中に目立ったスキャンダルや政策失敗がなかったため印象が良く、アメリカ海軍の戦艦の名前やCIA本部の名称に名前が使われるようになりました。この点においてジョージ・H・W・ブッシュは「クリーンな大統領」だったと言えます。

まとめ

ジョージ・H・W・ブッシュは1989年から1993年まで1期のみ大統領を務めた人物です。親子2代で大統領職を務めたことでも知名度が高く、在任中に決定的なミスやスキャンダルがなかった大統領として評価が高いことが特徴です。大統領としての功績以外にも8年におよぶ副大統領歴やCIA長官としての活躍も大きかったことも覚えておくと良いでしょう。

ジョージ・H・W・ブッシュに関する豆知識

・妻であるバーバラとの良好な関係は度々注目され、庶民的で献身的な妻として大統領よりもバーバラが取り沙汰されることも多かったとされています。
・1992年の大統領選で争ったビル・クリントンとは引退後に良好な関係を築き、プライベートで自宅を訪問するほどだったとされています。


本記事は、2020年4月1日時点調査または公開された情報です。
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