「アルバニア共和国」ってどんな国?
「アルバニア共和国」は、日本語では「アルバニア共和国」、通称は「アルバニア」です。漢字による当て字では「阿爾巴尼亜」と表記します。正式名称はアルバニア語で「Republika e Shqiperise(レプブリカ・エ・シュチパリセ)」で、通称「シュチパリ」もしくは「シュチパリア」です。英語では「Republic of Albania」と表記します。
「アルバニア共和国」の国名の由来は、ラテン語の「albus(白い)」が語源です。「アルバニア共和国」の地質が、石灰岩質で白っぽいために、この国名がついたそうです。
面積・場所について
「アルバニア共和国」の国土の広さは、約28,700平方キロメートルで、これは四国の約1.5倍です。
「アルバニア共和国」の場所は、東ヨーロッパのバルカン半島南西部にあり、西はアドリア海に面しています。接している国境は、北は「モンテネグロ」、東は「マケドニア共和国」と「コソボ」、南は「ギリシャ」です。
都市について
「アルバニア共和国」の首都は「ティラナ(Tirana)」で、イーシュム川に面しており、西のアドリア海から32kmほど内陸に入った場所にあります。「ティラナ」は「アルバニア共和国」の最大の都市です。市内には、政府庁舎・上下院議事堂、各国の大使館が置かれています。
「ティラナ」の人口は、同国が行った2011年の国勢調査によれば、約42万人です。
人口について
「アルバニア共和国」の人口は、アルバニア統計局によれば、約290万人(2014年)です。「アルバニア共和国」の面積は四国の約1.5倍ですが、人口は四国の70~75%程度となっています。
成り立ちについて
「アルバニア共和国」は、1912年に「オスマントルコ」から「アルバニア公国」として、独立を果たしました。
1939年にはイタリア軍に、1943年にはドイツ軍によって占領されました。
1944年11月、ソ連軍によって全土解放され、社会主義の臨時政府が、アルバニア共産党を中心として作られました。国家運営は「ソ連」による強い影響を受けていましたが、その後の1961年に「ソ連」と断交し、1968年にはワルシャワ条約機構を脱退して、鎖国状態に突入していきます。
しかし、1990年からは少しずつ、政策は鎖国ではなく、開放路線に転換し始めました。1991年には初の自由選挙がおこなわれ、国名も「アルバニア共和国」に改称、1992年の総選挙では、初の非共産主義政権が樹立しました。同年にはイスラム協力機構にも加盟しています。
こうして、共産国家としての「アルバニア」は崩壊し、「アルバニア共和国」として国際社会への復帰を目指し、経済の復興を進めましたが、市場主義経済に移行した際にネズミ講が流行し、そのネズミ講が1997年に破綻したことで、騒乱が発生しました。3分の1もの国民がが全財産を失ってしまい、「アルバニア共和国」の経済は破綻しました。
同年6月の総選挙で、社会党を中心とする連立政権が成立し、ネズミ講に端を発した騒乱は収束を見せました。
1998年には新憲法が制定され、2000年にはWTOに、2009年にはNATO加盟し、2014年には、EU加盟候補国として認定されました。
2018年現在、「アルバニア共和国」は、EUの正式な加盟候補国のままで、未だ加盟には至っていません。
「アルバニア共和国」の国民・宗教・言語について
国民について
「アルバニア共和国」の国民は、ほとんどがアルバニア人です。しかし、南部にはギリシャ人なども住んでおり、国境付近にはマケドニア人やモンテネグロ人もいます。
宗教について
「アルバニア共和国」の宗教は、イスラム教が57%、ローマカトリック教が10%、正教が7%です。
「アルバニア共和国」では、1967年、当時の共産党政府が、中国の文化大革命に影響されて「無神国家(無神論国家)」を宣言しました。この宣言とは、全国民がどのような宗教も信仰しておらず、国内にも宗教団体が存在せず、宗教活動も一切行っていない、というもので、国民には一切の宗教活動を禁止しました。
1990年には、信教の自由が認められ、現在では上記のように、イスラム教徒・カトリック教徒・正教徒がそれぞれの宗教を信仰しています。
言語について
「アルバニア共和国」の公用語はアルバニア語ですが、北部ではゲグ方言が、南部ではトスク方言が主流で、トスク方言の方が、標準語に近いです。
「アルバニア共和国」には、イタリア語を話せる人が多く、南部に住むギリシャ人の中には、ギリシャ語を話す人々もいます。
「アルバニア共和国」の経済状況について
「アルバニア共和国」の通貨は「レク」で、GDPは約130億ドル、世界第125位です。一人当たりのGDPは約4600ドルで、世界で104位であり、バルカン半島では最下位です。
「アルバニア共和国」は、1978年頃から完全な鎖国状態になり、そのために経済が低迷しており、長年に渡って、ヨーロッパの中でも最も貧しい国という位置づけでした。
しかし、鎖国政策をやめ、2000年にはWTOに加盟、税制改革や外資を呼び込むための誘致活動を行ってきた結果、「アルバニア共和国」の経済は少しずつ回復してきています。
2012年~2013年は、「アルバニア共和国」の貿易相手国である「イタリア」と「ギリシャ」の不況の影響を受けて、経済成長のペースは鈍りましたが、2014年にはGDP成長率は2.1%に回復しました。その後も、労働市場の改善や国内消費の伸びによる影響で、GDPは緩やかに成長を続けています。
しかし、「アルバニア共和国」の経済は、ユーロ圏への輸出や、出稼ぎに出たアルバニア国民の送金に依存している部分が大きいため、ユーロ圏の経済動向に左右されてしまうという構造を打破できないでいます。
貿易について
「アルバニア共和国」の主な貿易相手国は、輸出が「イタリア、コソボ、スペイン、トルコ」であり、輸入が「イタリア、ギリシャ、中国、トルコ」です。
「アルバニア共和国」の主要な貿易品目は、輸出が、繊維、靴、鉱物、燃料、電力、建設資材で、輸入が、機械類、食料品、飲料品、タバコ、鉱物、燃料、電力です。
「アルバニア共和国」の政治・政策について
政治体制について
「アルバニア共和国」は共和制国家で、国家元首は大統領です。大統領の任期は5年で、間接選挙によって選ばれます。この間接選挙では、議会の60%以上の賛成を獲得する必要があります。
また、首相は大統領が任命し、閣僚は首相の推薦の下で大統領が指名しますが、同時に議会からの承認も得なければいけません。
アルバニア議会は、一院制で、任期は4年、全140議席です。そのうち、100議席は小選挙区制、40議席は比例代表制によって選出される、小選挙区比例代表併用制です。
「アルバニア共和国」の大統領・首相について
大統領について
「アルバニア共和国」の大統領の任期は5年で、現在の大統領はイリル・メタ氏で、2017年7月に就任しました。
首相について
「アルバニア共和国」の首相は、大統領によって任命されます。
現在の首相は、エディ・ラマ氏で、2013年9月に就任しました。
「アルバニア共和国」の国防制度・軍事制度・兵役について
「アルバニア共和国」の国軍は「アルバニア軍」です。
アルバニア軍には、陸軍、海軍、空軍の三軍があり、さらに、この三軍を統括する統合軍と統合支援部隊、訓練教育部隊があります。
「アルバニア共和国」の兵役は、徴兵制です。
「アルバニア共和国」と日本の関係について
「アルバニア共和国」と「日本」は、1981年に外交関係が再開しました。
1988年には貿易支払協定を結び、現在、「日本」から「アルバニア共和国」への輸出は主に機械類や化学製品であり、その額は約4.3億円です。反対に「アルバニア共和国」から「日本」への輸入は、金属鉱などの原材料の他、電気機器等であり、その額は約12.5億円です。
文化面では、1989年から、文部科学省が国費を使って留学生の受け入れを開始しました。
2017年の時点で、「アルバニア共和国」にいる日本人の数は約17名、逆に「日本」にいるアルバニア人は約77名です。
近年は、両国の要人の往来も盛んになっており、2017年7月には、在アルバニア日本国大使館の開館式にあたり、岸外務副大臣が「アルバニア共和国」を訪問して、当時の大統領であるニシャニ氏などと会談を行いました。また、2018年2月のミュンヘン安全保障会議の際には、日・アルバニア外相会談が実施されました。
まとめ
いかかでしたか?
「アルバニア共和国」は、1990年頃まで鎖国をしていた歴史を持ち、「無神論国家」宣言を出したり、ネズミ講によって経済が危機に瀕したこともある、情勢の安定しない国でしたが、近年では少しずつ経済の回復を図っており、EU加盟候補国として、より一層の国内の政治と経済の安定を目指し、邁進している国です。
また、「アルバニア共和国」の国民は、地中海周辺の諸民族と比べて、比較的温厚であるといわれています。
なお、男子サッカーの「アルバニア共和国」のFIFAランキングは、2018年11月では「60位」です。
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