カンボジアってどんな国?
「カンボジア」の日本語の表記は「カンボジア王国」で、日本での通称は「カンボジア」です。そして、漢字による当て字では「柬蒲塞」と表記します。
正式名称はクメール語(カンボジア語)で「プレアリアチアナーチャッカンプチア」です。公式の英語表記は、「Kingdom of Cambodia(カンボゥディア)」です。
面積・場所について
「カンボジア」の国土の広さは、約18万平方キロメートルで、日本領土の約半分の大きさです。
「カンボジア」の場所は、東南アジアのインドシナ半島のほぼ真ん中です。カンボジア各地には大小さまざまな湖や池、有名なメコン川や運河がたくさんあり、豊かな水に恵まれています。
そして「カンボジア」は、西はタイ、北はラオス、東はベトナムの3国に隣接し囲まれ、南はタイランド湾に面しています。
都市について
「カンボジア」の首都は「プノンペン(Phnom Penh)」で、フランス植民地時代の街が残っており、「東洋のパリ」ともいわれる、政治・経済・文化の中心都市です。人口は約220万人ですが、過去に都市人口約5,000人だったという暗い歴史があります。しかし、現在はビジネス都市として急成長をしています。
そして、世界遺産で有名な「アンコール遺跡群」の観光拠点となる都市が「シェムリアップ(Siem Reap)」です。人口は約18万人ですが、世界中から観光客が集まるため、様々な種類のレストランや宿泊施設などがあります。
人口について
「カンボジア」の人口は、約1,600万人(2017年推定値)で、世界第68位です。
1960年頃は人口約500万人で、この50年ほどで1,000万人以上増加しています。平均年齢は約25歳と若く、今後も人口は増加していくと予想されています。
成り立ちについて
現在の「カンボジア」領域に人が住むようになったのは、紀元前4000年頃と言われています。その後1~2世紀頃、東南アジア最古国家と考えられている「扶南」がメコン川下流に誕生し、中国やインドとの交易中継地として栄えました。
一方、ラオスの南部に住んでいたクメール族が、カンボジアに進出し、6~7世紀頃にクメール族の「真臘(しんろう)」が扶南を滅ぼしました。このころ、インドから稲作や仏教、ヒンドゥー教などが伝わりました。
8世紀初めに「真臘」は、南北に分裂して国力は弱体化しましたが、ジャヤバルマン2世がこれを統一し802年アンコール王朝をおこしました。その後歴代王たちは、アンコールの各地に王宮や寺院を建て壮麗な都をつくりました。特に、1113年に即位したスーリヤヴァルマン2世は、自身の墓でもあり、クメール美術の最高傑作といわれる「アンコールワット」を築きました。
その後、国内は混乱し、1177年にはベトナムのチャンバ軍に一時アンコールを占領されましたが、この混乱を沈めたのが「ジャヤバルマン7世」で、彼はアンコール・トムを都とし、庶民の生活も重視し病院や道路や宿場を整備し、アンコール王朝の最盛期を迎えました。
14世紀になると「元」に、後半にはタイの「アユタヤ朝」に攻められるようになり、1431年首都アンコールは陥落しました。その後、首都はプノンペンやロンヴェク、ウドンなど転々とします。16世紀になるとポルトガルと交易がおこなわれ、17世紀にはオランダや中国、日本などとも交易をおこなうようになりました。
しかし、ベトナムやタイとの争いが絶えず、「カンボジア」の国力は弱まっていきます。その中、1845年に即位したアンドゥオン王は、交通網を整え文化を保護し、フランスに接近していきました。そして、1860年にフランスの博物学者により、アンコールワット遺跡が再発見されました。
1884年フランスは強要してフランス・カンボジア協約を結ばせ、1887年にはフランス領インドシナ連邦が成立し、「カンボジア」はフランスの植民地になりました。
20世紀になるとフランスからの独立運動が高まります。「シハヌーク王」は第二次世界大戦後、フランスからの独立運動を積極的に進め、1953年国際世論に訴え完全独立を果たし「カンボジア王国」が成立しました。
その後、シハヌークは国政に力を入れ経済的な発展を進めますが、1960年代になるとベトナム戦争が激しくなり、「カンボジア」領内にもアメリカ軍に爆撃されるようになり、アメリカの国交を断ち、中国につくようになります。
そして、1970年親アメリカ派のロン・ノル将軍がクーデターを起こし、シハヌークを追放し「クメール共和国」を樹立しました。ロン・ルノ政権はベトナム系住民を迫害、アメリカ軍に自国を侵攻させ、空爆により多くの農民が犠牲になり、反政府活動は激化していきました。
一方、シハヌークは北京へのがれ、「カンプチア民族統一戦線」を結成し、ポル・ポトらが率いる「クメール・ルージュ」と組んで、ロン・ノル政権への抗戦を呼びかけました。そして1975年ポル・ポト率いる「クメール・ルージュ」がブノンペンにはいり、ロン・ノル政権を倒しました。
ポル・ポトは中国の文化大革命を手本とし、ブノンペン在住の全市民を地方へ移し、強制労働にかりたてました。さらに農民中心の国にするため、旧政権関係者や富裕層・知識層などを虐殺しました。その犠牲者は約150万人ともいわれています。そして、食糧事情は危機的状況で、出生率が異常に低下しました。
1979年ポル・ポト政権と対立していたベトナム軍がブノンペンを攻略し、元クメール・ルージュ将校でベトナムに亡命し「ヘン・サムリン」を擁立し「カンボジア人民共和国」をうちたてました。
その後、反ベトナム3派(ポル・ポト、シハヌーク、ソン・サン)がゲリラ活動を続け、長い内戦状態が続きました。この「カンボジア」の問題を解決するため、国際会議が開かれ、1991年パリ和平協定が調印され、約20年にわたるカンボジア内戦が終結しました。
1993年には国連の監視のもと国民選挙も行われ、制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択し、制憲議会は国民議会に移行されました。
カンボジアの国民・宗教・言語について
国民について
「カンボジア」の民族は、クメール人(カンボジア人)が人口の約90%、残り約10%は、ベトナム人や華人、他チャム族などの少数民族です。「カンボジア」は二重国籍を認めている国でもあり、起業や投資のために「カンボジア」国籍を取得する国外の人が増えています。
宗教について
「カンボジア」の宗教は、上座部仏教(パーリ仏教)が憲法で国教とされていて、国民の約90%以上が仏教徒です。そして、主にチャム族など少数民族のイスラム教徒が約4%います。ただし、国教は仏教ですが、信教の自由は保障されています。
言語について
「カンボジア」の公用語は、クメール語(カンボジア語)です。また、少数民族は、その言語、チャム語などを話しています。過去の歴史から、高齢者などはフランス語が通じますが、近年の若者は英語を外国語として使用しています。
カンボジアの経済状況について
「カンボジア」のGDPは約220億ドル(2017年)、日本円にすると約2.5兆円で、世界第109位です。同年の一人当たりのGDPは約1,400ドルで、世界154位です。世界平均の10%にも満たない、経済水準が低い状況で、国際連合による基準では、後発開発途上国に分類されています。
「カンボジア」の主要産業は、一次産業(農業、漁業、林業など)です。近年では、観光産業などのサービス業と縫製産業などが成長しています。
貿易について
「カンボジア」の主要輸出相手国は「アメリカ」で、その他はイギリス、ドイツ、日本、中国です。主な輸出品目は、衣類、天然ゴム、木材などです。
「カンボジア」の主要輸入相手国は「中国」で、その他はシンガポール、タイ、ベトナム、日本です。主な輸入品目は、石油製品、タバコ、オートバイなどです。
「カンボジア」の総貿易額は、輸出が約110億ドル、輸入が約160億ドル(2017年)です。
カンボジアの政治・政策について
政治体制について
「カンボジア」は立憲君主制で、元首は国王です。そして、「カンボジア国王」は世襲ではなく、ノロドム家とシソワット家の2つの王家の中から、王室評議会によって国王が選出されます。国王の地位は終身です。
その王室評議会のメンバーは、両院の正副議長と首相、および上座部仏教2宗派の指導者です。
議会制度は両院制で、元老院(上院)議員は62議席で任期は6年、間接選挙により国王から任命され選出されます。国民議会(下院)議員は125議席で任期は5年、直接選挙により選出されます。
「カンボジア」の行政区分は、24の州 (provinces) と特別市のプノンペン(首都)で構成されています。
選挙制度について
「カンボジア」の国民選挙権年齢は18歳以上で、被選挙権年齢は25歳以上です。選挙制度は比例代表制(24州と特別市プノンペンが選挙区))で、国民議会(下院)議員を国民による直接選挙で選出します。
カンボジアの大統領・首相について
「カンボジア」の首相は、任期は5年ですが、2018年現在の首相「フン・セン」は、1985年就任以来、30年間以上在職しています。
カンボジアの国防制度・軍事制度・兵役について
「カンボジア王国軍」の始まりは1953年クメール人により結成された軍隊で、1993年新生「カンボジア王国」にて再編成され、「陸軍」「海軍」「空軍」「警察隊」で組織されています。その他に地方部隊(予備役)と民兵組織もあります。
軍隊の最高司令官は、法律上カンボジア国王ですが、最高司令部の実務かつ最高行政機関は国防省で、全軍を指揮しています。
「カンボジア」の兵士は、徴兵制度があるものの実施されていなく、実際は志願兵役制です。兵士の服役年齢は18歳から30歳で、服役期間は1年半です。また民兵は、毎年3ヶ月から6ヶ月間正規軍に服役します。
兵士の数は、正規軍(陸空海軍)が約12万人、警察隊が約3万人、地方部隊(予備役)は約5万人、準軍事部隊の民兵は約10万人です。そして国防費は約2.2億ドルです。
カンボジアと日本の関係について
「カンボジア」と日本は1955年日本・カンボジア友好条約を結び、外交関係を樹立しました。しかし、1975年日本のカンボジア大使館が閉鎖されましたが、1992年に再開され、2013年に両国の関係は、戦略的パートナーシップに格上げされています。また、1992年以降日本へのカンボジア人国費留学生は1,100名以上になっています。
日本から「カンボジア」への輸出額(2017年)は約400億円で、主要貿易品目は、輸送機器(車両やバイク等)、一般機械(建設機器)、織物用糸・繊維製品機器などです。また、「カンボジア」からの日本の輸入額(2017年)は、約1,400億円で、主要貿易品目は衣類、履物、
バッグ類などです。
そして、「カンボジア」にいる日本人の数は「約3,500人」で、日本にいるカンボジア人の数は「約1万人」です。(2017年)
また、約180社の日本企業が「カンボジア」に進出しており、2014年には日本の大型ショッピングモールなどもオープンしています。
まとめ
いかかでしたか?
「カンボジア」は、美しい造形美に接することができる巨大遺跡群「アンコール・ワット」が有名で、世界中から観光客が訪れる国です。20世紀後半には長い内戦が続き、国内は荒れ果てましたが、人々は失った多くの伝統文化や豊かな生活を復活させようと努力し、首都プノンペンはビジネス都市としても急成長しています。
ちなみに、「カンボジア」は世界一祝日が多い国で、2019年では祝日が30日以上あります。とくに、5月20日が追加され、5月の祝日は6日あります。
なお、男子サッカーの「カンボジア」のFIFAランキングは、2018年10月では「172位」です。
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