【第1回】社会活動家インタビュー「松尾貴臣」 – “音楽ライブ”で”笑顔”を

「公務員」じゃないけど「公務員」のように、国やマチのために活動する社会活動家を特集したインタビューシリーズ、第一回は、全国の病院や福祉施設へライブを届ける活動を10年以上続けている、"松尾貴臣"さんです。

本インタビューを通してみえてきたのは、活動を続ける松尾貴臣さんの信念でした。


はじめに – 社会活動家インタビュー第一回「松尾貴臣」さん

今回は「ホスピタルライブ」と名付け、全国の病院や福祉施設へライブを届ける活動を10年以上続けている、松尾貴臣さんにお話を聞きました。

松尾さんは、なんと2007年12月からの約11年半で訪問した施設は全国のべ2500施設以上!

その特異なバイタリティの源を探ってまいりました。

名前と職業を教えてください

松尾貴臣さん

松尾 貴臣(まつお たかおみ)、「音楽活動家」です。

本来であれば音楽家やシンガーソングライターと名乗るべき仕事をしていますが、「音楽家の仕事を通じて社会の役に立つ活動を創作して行きたい」という思いに駆られ、2005年頃から音楽活動家と名乗っています。

ホスピタルライブとはなんですか?

松尾貴臣さん

僕が全国全市町村の病院・福祉施設を対象に開催している本格的なワンマンライブのことです。

1公演あたりおよそ30分から40分の時間の中で、自身のオリジナルソングや世代に合わせたカバーソングを5、6曲程演奏しています。多いときは1日に3施設を訪問します。

大きな特徴としては2つあります。まず1つは、北海道から沖縄まで音響機材を積み込んだ車を運転して訪問することです。プロ使用の機材を持参し、安定したクオリティのライブをお届けすることにこだわっています。

また2つ目は、2008年に高知県の坂本龍馬ファンの方から坂本家の家紋が入った着物をいただいたことをきっかけに、ホスピタルライブでは「歌う坂本龍馬」と名乗るようになりました。本番前に坂本龍馬をイメージした和服に着替えて登場することで、観客の皆さんの表情がパッと明るくなり、非常に盛り上がるようになりました。

ホスピタルライブを始めたきっかけは?

2006年に母校の千葉大学で開催された、がん患者支援のイベントで歌った際にMOMOさんという末期がんの女性と出逢いました。

その方が余命半年と宣告されながら「強く生きると決めました」と宣言する姿に衝撃を受け、自分自身1分1秒を大切にしながら生きて行こうという想いを込めた「きみに読む物語」という楽曲を制作しました。


すると、その楽曲を聴いた高知の知人から「きっと入院患者さんの励ましになるから、この歌を病院で歌って欲しい」と依頼を受け、2007年に高知市内の病院でライブを開催したことがホスピタルライブの始まりです。

「きみに読む物語」についてお聞きします

特にサビのGOOD DAY の歌詞について、詳しく教えてください。

テーマはずばり「人生最期の日」です。

当時20代中盤だった僕が想像した人生最期の日です。最期の日はやっぱり「GOOD DAY」だったら良いなって思いました。

では、どんな日がGOOD DAYなのか、それを真剣に考えました。何歳かは分からないけれど、僕がおじいちゃんになってその日を迎えたとき、きっとモノやお金をたくさんもらったとしても少しも嬉しくないと思います。「大切なことは僕は君が好きで君は僕が好き、そんな単純なこと」とサビ前の歌詞にあるように、いろんなものを削ぎ落として物事を考えると、結局1番欲しいのは大好きな人と共に過ごす時間なのではないかと思いました。

じゃあ、その人と「最後の晩餐」はどこで何を食べようかなと。僕は夕日が沈む長崎市で生まれてから高校生まで過ごしたので、やっぱりオレンジ色の海を見ながら大好きなクリームパスタを食べたいなと思いました。

現実的に考えると、もう明日にも亡くなるというような状況でクリームパスタなんてこってりしたものは食べられないかも知れません。(笑)「海辺の家で」なんて在宅で最期を迎えられないかも知れません。でも、「死というものから程遠い、今しか書けない理想の最期」を堂々と歌う曲があっても良いと当時思ったんです。ただ悲しいだけの歌ではなく、そこに希望にも似た感情がエッセンスとして加えられたら良いなと。

10年以上続けて来られた理由は?

松尾貴臣さん

気づけば11年半でホスピタルライブを2500公演ほど行いました。28歳で始めたので、30代の多くの時間をホスピタルライブに費やしました。(ホスピタルライブ以外のライブも1000本近く行いました。)

本来であれば体力は少しずつ落ちて行きますので年間の公演回数も減少して行くものだと思うのですが、不思議と1年間の公演数は年を追うごとに増えて行きました。2016年以降は3年連続で300公演以上開催していますし、まだ当面は上昇傾向にあるように感じています。

どうして継続できたのかは自分でも説明が難しいのですが、どうやら体力的なものではなく「心」の問題だと思います。福祉の場というのは一般の社会よりも非常に優しさに満ち溢れています。ライブ後に「ありがとう」「とてもよかった」「また来てね」という言葉をたくさんいただくことができます。それによって僕は「心」を非常に高い位置で保つことができます。

「もっと良いライブを届けたい」という想いから、自分なりに内容を改善し実践することで、またより一層嬉しい言葉をいただくことができます。その繰り返しによって毎日毎日観客の皆さんから元気を補給してもらいながら全国を駆け巡っています。10年以上続けて来られた理由は僕の心を励まし続けてくれた全国各地の皆様のおかげだと思います。

ホスピタルライブのその先にあるものは?

よく聞かれることですし、そのたびにいつも答えるのですが、今の僕の夢は中学時代に想い描いたことと同じ「全国的なミュージシャンになること」です。

目指す山の頂きは25年経った今でも変わりません。当然ながらまだまだ現状に満足していません。ただ環境や時代、自分の置かれた状況などにより「登るルートは変わった」と思っています。インディーズという概念が生まれたり、YouTuberが出現したり、CDが全然売れなくなったり、時代は確実に変わって行くものです。「自分」というものをしっかり持っていればどんな道を登っていこうとも、必ず夢見た頂きへたどり着くことができると思っています。

また、非常にシンプルな話なのですが、これだけ福祉施設でのライブを重ねて来たことですっかり「福祉施設ライブ」の魅力にハマってしまいました。観客にとってもミュージシャンにとっても、こんなに「日常」の枠組みの中で心が満たされる音楽活動は他に思いつきません。いつか福祉施設ライブが、音楽に限らずエンターテイナーの活動場所の本流となる日が来ると思っています。そのとき「トップランナー」と呼ばれるよう、「うさぎとかめ」の「かめ」のような歩みですが、地道に前へ前へ進んでおきたいと思います。

ホスピタルライブでの印象に残ったエピソードを教えてください

松尾貴臣さん

ホスピタルライブでは「小さな奇跡」が頻繁に起こります。

「いつも不機嫌なおじいちゃんが泣きながら聴いている」とか「いつも無反応のおばあちゃんが踊りながら歌っている」とか「普段は落ち着きのない知的障がいをお持ちの方が終始集中してライブを楽しんでいる」とか、職員の方々がライブ後に興奮気味に普段との違いを教えてくれます。


もちろんそのひとつひとつが印象深く嬉しい記憶なのですが、それとは毛色が違う印象深かった出来事がありました。

それは初めて訪問した石垣島の障がい者施設でのことです。

ライブを終えて機材を車に積み終わり帰ろうとしたとき、利用者と職員の皆さんが全員玄関まで出て来てくれて、突然沖縄独特の踊り(エイサー)を踊り始めました。あのときは思わず涙がこぼれそうになりました。

人の優しさを直接的に感じ、「人間らしく生きるとは何か」ということを島の人たちに教えてもらったような気がしました。

ホスピタルライブを辞めたいと思ったことはありますか?

最初の頃は何度もありました!

ホスピタルライブを辞めたいというよりは「1年の半分をライブツアーに費やすこの生活を辞めたい」かも知れません。

この活動はとにかく体力勝負です。今でもそうですがアーティストというよりはアスリートの感覚に近いです。1年に4万kmを運転して、機材を自身でセッティングして年間350回以上ライブを行っていつつ、その合間を縫ってスケジュールの調整をして・・・。と、もはや半永久的に続くトライアスロンのようなものです。

ホスピタルライブは通常朝の10時半から1公演目が始まるのですが、体調が優れない時や気分が乗らないときも多々ありました。それでもなんとか継続できたのはやはり先ほどの問いにもあったように全国各地の人たちの優しさに支えられたからだと思います。「ハッピーを届けに参上」と言いながら、たくさんのハッピーをいただいて帰る日々です。

社会活動に関連して、「公務員」についてお聞きします

日本やマチのために働く「公務員」について、関わったことのあるエピソードやその他考えをお聞かせください

2007年に千葉県から「千葉県音楽文化方針検討委員」の委嘱を受けるまで、公務員の方々は非常に遠い存在に思えていました。僕らミュージシャンが触れ合ってはいけない神聖な領域の方々であると。(笑)ですので、最初はどのように接して良いか分からなかったのですが、イベントや講演会など様々な会場でご一緒させていただくに連れて、とても物腰柔らかい対応で丁寧な仕事をしてくれる公務員の方々に安堵の想いを抱くようになりました。

また、昨年は千葉市動物公園で開催された「BREW at the ZOO」というクラフトビールと音楽と動物園のコラボレーションをテーマとしたイベントに音楽面で深く関わらせてもらいましたが、従来の行政らしからぬテーマを発案し積極的にイベント制作に取り組む千葉市の職員さんの姿に胸が熱くなりました。

公務員総研というメディアをどう思いますか?

今後どういった企画やコンテンツがあればよいか、ご意見あれば教えてください。

シンガーソングライターとして「全国の人たちの心に響く歌を作りたい」と考えています。口で言うのは簡単ですが、実際多くの人たちの心に響く楽曲を作るということは非常に難しいことです。

そういう意味で「公務員」という多くの人たちにヒットするキーワードをテーマにこのサイトを構築されたこと自体がすごい着目点だと思いました。ありそうでなかった「公務員になるためのポータルサイト」。きっと今後もっと発展していくのだろうと考えています。

まとめ 編集部より

いかがでしたでしたか。

1年の半分をライブツアー!という活動をずっと続けている松尾貴臣さん、今日もどこかで松尾さんの歌声で日本のどこかが幸せになっていること間違いないですね!

「公務員」だけじゃない国やマチのために活動する社会活動家の特集インタビューの出演者を募集しますので、ぜひご紹介ください!

松尾貴臣さんのことをもっと知りたい方はこちら

公式サイト:http://www.omitaka.com/
公式YOUTUBEサイト:https://www.youtube.com/user/omitaka

本記事は、2019年6月25日時点調査または公開された情報です。
記事内容の実施は、ご自身の責任のもと、安全性・有用性を考慮の上、ご利用ください。

気に入ったら是非フォローお願いします!
NO IMAGE

第一回 公務員川柳 2019

公務員総研が主催の、日本で働く「公務員」をテーマにした「川柳」を募集し、世に発信する企画です。

CTR IMG