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そもそも「日米同盟」って何?日本にとっての唯一の同盟国「アメリカ」(2019年記事)

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日米同盟


日本にとっては唯一の同盟国がアメリカです。とくに国際的な役割を担う外務省・外交官や自衛官など国家公務員試験でも出題テーマとなる話題です。

目次

「日米同盟」は「日米安全保障条約」に基づいている

「日米同盟」とは「日米安全保障条約」に基づき、日本とアメリカ合衆国の二国間が主に軍事的な約束をしていることを指します。

日本とアメリカの同盟関係は、第二次世界大戦後の冷戦下にあった1950年に「旧日米安全保障条約」が締結された時点から始まっていました。しかし、日本で一般的に「日米同盟」という表現が定着したのは、1980年代だと言われています。

最初に「同盟」という表現を使ったのは1979年に渡米した大平正芳首相でしたが、国内で普及したのは、1983年に中曽根康弘首相がアメリカとの「共同宣言」で「同盟」という言葉を使ってからのようです。

「日米同盟」のはじまり

「日米同盟」のはじまりは、日本が1945年に第二次世界大戦に敗北し、敗戦国としてアメリカが率いる連合軍(GHQ)の占領下に置かれたことに由来します。

その後、アメリカとソ連が冷戦状態が継続し、朝鮮半島では朝鮮戦争が勃発します。アメリカは朝鮮戦争を有利に進めるために日本という立地に軍を配備したい狙いがありましたし、日本も敗戦後で国力がボロボロの状態なのに加え、日本軍はGHQによって解体されたので、自力では国民を守れないという懸念がありました。

そこで、日本がアメリカ側につき、日本にアメリカの希望通りに米軍基地を配備することを約束したのが1951年に署名された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」であり、日米の最初の二国間条約です。この条約は、一般に「旧安全保障条約」と呼ばれていて、これによりイギリス軍は日本から撤退したようです。

しかし、この「旧安全保障条約」には、アメリカが日本国内に好きなように基地を配備できるのにもかかわらず、アメリカが日本を守る義務は明文化されておらず、圧倒的に不利な条約として国内から不満も出ていたようです。

「日米安全保障条約」の改正により変化した「日米同盟」

その後も「旧安全保障条約」に対する国内の不満もくすぶり続け、アメリカとソ連による冷戦と朝鮮戦争、そしてベトナム戦争の兆候で世界的に緊張が高まる中、「日米同盟」にも変化が訪れます。

1950年代中頃以降は、日本では朝鮮戦争による特需もあり「神武景気」という好景気の状態にありました。「冷蔵庫」「洗濯機」「白黒テレビ」といったいわゆる「三種の神器」が普及し、国内は「もはや戦後ではない」という言葉が表すように、国力が回復していました。

そしてアメリカに国内に基地を置いておいてもらうだけという状況から、在日米軍の駐留は引き続き認めつつ、アメリカに協力するという形で、「個別的自衛権」や「集団的自衛権」という考え方のもと、自力での武力の保持と行使を一部約束したのが、1961年の締結から現在でも続いている「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」であり、一般に「新安全保障条約」と呼ばれる条約です。


「新安保条約」と「安保闘争」

「新安保条約」の内容は、「旧安保条約」でアメリカ軍が日本の内乱についても干渉できるという、米軍に日本の警察のような権利を持たせていた条文が削除されたことで、国内の治安維持については日本が自立したように受け取られました。

しかし、「新安保条約」によって、在日米軍の駐留を改めて認めたことや、「新安保条約」と同時に締結された「日米地位協定」によって、日本にいるアメリカ軍の兵士の特権や税金の免除、さらに米軍関係者が日本国内で犯罪行為をしても、アメリカ側が身柄を拘束した場合、アメリカによる起訴がなければ日本での裁判が行われないなど、米軍に有利な条約だとして反発が起きます。

そして戦争の悲惨な記憶が新しいこの時代に、自衛権の行使という名目であれば武力を行使できる点について、再び戦争が起こり国民が犠牲になる不安と怒りから、反発も起こります。

日米で調印された「新安保条約」が国内で発効するには、国会での承認が必要ですが、当時の岸信介首相は衆議院での「強行採決」に踏み切ります。

衆議院で可決した「新安保条約」は、参議院では承認されないままでしたが、「衆議院の優越」により1961年の6月19日に自然承認され、日本国内外で有効な条約となりました。

この岸内閣の強行的な手法と、「新安保条約」や「日米地位協定」の内容そのものに、国内では強い反発が起こり、反対運動は過激化しました。これがいわゆる「60年安保闘争」と呼ばれる社会運動です。

ちなみに、「新安保条約」を締結したのは当時の岸信介首相で、現在の安倍晋三首相の祖父にあたります。「新安保条約」が無事に発効された1960年の6月23日に、混乱の責任を取って首相を辞任しました。

「日米同盟」の役割

外務省によると、「日米同盟」を主軸にした日本とアメリカは、基本的な価値感と、戦略的利益を共有する「同盟国」であり、「日米同盟」は日本外交の基軸として扱われています。

現在、東アジア地域では、日本と中国・韓国・北朝鮮との関係について不透明性や不確実性が存在しています。その中で、「日米安全保障体制」を中核とする「日米同盟」は、日本の平和と安全はもちろん、アジア太平洋地域の安定と発展にとって不可欠な役割を果たしているようです。

しかし、日本の後ろ盾にアメリカがいるということは、周辺国にとって脅威でもあります。そこで必要になるのが、隣国や国連を通した「国際協調」です。

日本では外務省を中心に「日米同盟」という軍事的な側面と「国際協調」という平和的な側面のバランスを取りながら、様々な課題に取り組むという考え方が基本になっています。

「国際社会で活躍する「日本」の外交を担当する中央官庁「外務省」の基本情報」

調和ある対外関係を維持することで日本国と日本国民の利益増進を図ることを任務とする中央官庁「外務省」について解説します。 「外務省」は、平和で安全な国際社会の維持に努め、国際環境を整備するとともに、日本の外交活動の中心となる行政機関です。その基本的な情報についてまとめました。

▼参考URL:外務省ホームページ「よくある質問集:北米」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/faq/area/n_america.html

アメリカ側から「日米同盟」の「見直し」を求められる理由

現在、アメリカのトランプ大統領によって「日米同盟」の見直しが言及されています。


アメリカ側の主張は、現在の「日米同盟」では、日本がアメリカを守るために先取攻撃できず、結果アメリカ国民を守ってくれないのではないかという点や、在日米軍は日本も守っているのに金額的負担が大きすぎる点などが問題だというものです。

簡単に言えば、「同盟国」である、日米関係は「対等」であるべきなのに、アメリカが一方的に多額のお金を払い、日本人を守っているが、日本人はアメリカ人を守ってくれないので、この条約はアメリカに不利だ、というのです。

当事者である日米両国どちらにとっても国内から批判が相次ぐ「日米同盟」の内容ですが、その見直しは行われるのか、これまでのように何も変わらずに収束するのか、今後の動向に注目です。

まとめ

このページでは、「日米同盟」と、その根拠になっている「日米安全保障条約」や「日米地位協定」についてまとめました。

「日米安全保障条約」には1951年に署名された「旧安保条約」と、1961年に改定された「新安保条約」があり、その内容は第二次世界大戦敗戦後の日本の状況に合わせて変化しました。

1961年の「新安保条約」の国会承認の際には、再び戦争に巻き込まれたくないなどの理由で大規模な反発運動「安保闘争」が起きました。闘争が沈静化した後の1970年にも「70年安保闘争」として条約撤廃を求めるが起こっていますが、結局現在でも「新安保条約」のもと、日本とアメリカの関係は続いています。

しかし、最近になって真の対等な関係を求めるアメリカから、「日米同盟」の見直しを求める考えが示されました。

周辺国との関係悪化から緊張が高まる日本国内では、安保条約のみならず、改憲を求める声も次第に大きくなっています。

戦争をしないため、国民を守るために自立した武力を持つという考え方もありますが、武力の保持や行使の権利を持つことが、結果として国民を危険に晒し、犠牲を生んでは、明らかに逆効果だと思います。

「日米同盟」にはさまざまな問題点や、解釈の違いもあることから、議論は続くと思われます。今後アメリカとの関係がどう変化し、日本はどのような影響を受けるのか、慎重に見守る必要があるでしょう。

本記事は、2019年8月8日時点調査または公開された情報です。
記事内容の実施は、ご自身の責任のもと、安全性・有用性を考慮の上、ご利用ください。

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この記事を書いた人

公務員総研の編集部です。公務員の方、公務員を目指す方、公務員を応援する方のチカラになれるよう活動してまいります。

コメント

コメント一覧 (2件)

    • 申し訳ございません。誰が?などがなく、どんなお話をされているのか、汲み取ることができませんでした。

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