※本記事は、2019年9月調査の内容です(今後更新予定です)。
「いわき市」について
福島県にある「いわき市」は、同県の東南に位置し、太平洋に面した60kmの海岸線に10箇所の海水浴場と、小名浜港を初めとする11個所の港を有している中核市です。南は茨城県と接し、市域全体では山間部や丘陵地が多く、市街地と市街地に連続性がないのが特徴です。
「いわき市」の人口は2019年9月時点で約34万人、市域面積は約1200平方キロメートルで、福島県内では最大の人口と面積を誇っています。また、東北地方では仙台市に次いで2番目に人口が多く、面積は富山市に次いで全国で12番目の広さです。一方、市域面積は広大ながら、可住地面積の割合は約28%と福島県内の市の中では最も低いです。「いわき市」の市街地は、城下町から発展し、行政・商業・陸上交通の中心である同市中心部の平と、港町から発展し、工業・海上交通の中心である小名浜が挙げられます。また、いわきニュータウンなどの大規模な住宅地もあります。
次に、「いわき市」の産業面は、高度経済成長期以前は、石炭産業を中心に、漁業、林業、農業などの第一次産業で発展してきました。また、東日本にありながら年間を通じて比較的温暖な気候を活かした日本のハワイとしてのイメージ作りが功を奏し、観光都市としても成功しています。東北地方で最も集客力のあるリゾート施設「スパリゾートハワイアンズ」を始めとする観光資源を持ち、市内観光交流人口は約810万人で県内第1位、東北第2位を誇っています。
さらに、「いわき市」の気候は、東北地方で年間日照時間が最も長く、1日の平均気温も最も高いのが特徴です。年間の寒暖差が小さく、山間部以外では降雪もほとんどなく、数年に一度積もる程度で、市民は雪に慣れていません。
>いわき市のホームページ
http://www.city.iwaki.lg.jp/www/index.html
「いわき市」の成り立ち
「いわき市」の成り立ちは、1966年(昭和41年)に14の市町村が新設合併したことが始まりです。この合併の背景には、エネルギー革命によって石炭産業が急速に衰退し、新産業都市の指定を受ける狙いがありました。結果的に、首都圏から近い地の利を生かし、「仙台市」に次いで東北地方第2位の工業製造品出荷額を誇る工業都市になりました。
また、この合併により、当時、日本一面積が広い市になり、人口は約33万人になりました。その後、1999年(平成11年)4月に中核市に指定されました。大学進学や就職に伴う青年層の流出と、Uターン・Iターンが拮坑していますが、人口は、1998年をピークに減少傾向にあります。
さらに、「いわき市」は、全国で4例目のひらがな名の自治体になりました。1966年の市町村合併の際、「磐城市」が合併する地域にあり、吸収合併のイメージを払拭するため、ひらがなの「いわき市」に収束しました。1979年には、全国初のひらがなナンバープレートである「いわきナンバー」も新設されました。
いわき市長「清水 敏男」(しみず としお)さんはどんな人?
2013年9月からいわき市長を務める「清水敏男」さんは、1963年8月24日にいわき市で生まれました。大学卒業後、衆議院議員秘書として政治の世界に入りました。その後、いわき市議会議員を2期、福島県議会議員を4期勤めた後、第8代のいわき市長となり、2期目になります。
好きな言葉は、「親切第一」だそうです。
>いわき市長公式ホームページ
(http://shimizu-toshio.com/)
「いわき市」の行政プラン
「いわき市」の行政プランは、「創りたい ゆたかな明日、伝えたい 誇れるいわき」をキャッチフレーズに、以下の3つの都市像を掲げ、「生活者起点」・「将来世代への責任」という姿勢を大切にまちづくりに取り組むとしています。
1) 「循環を基調とした、持続可能なまち」
2) 「誰もが安全に、安心して暮らせるまち」
3) 「活力に満ち、創造力あふれるまち」
また、以下の6点を柱とし、まちづくりを進めるとしています。
1) 美しい環境を守り、育てあう
2) 心をつなぎ、支えあう
3) 学びあい、高めあう
4) 魅力を育み、磨きあう
5) 活気を生み、力を伸ばしあう
6) 交わり、連携を強めあう
まとめ
以上、地方自治体特集「中核市」シリーズ、第3回は福島県の「いわき市」についてご紹介させていただきました。
本シリーズの他の都市は下記よりご覧いただけます。
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