中国台湾問題について(2022年4月まとめ)

海外の行政・歴史シリーズ、本記事では、中国と台湾の課題である「中国台湾問題」についてご紹介します。


はじめに

東京から飛行機で3時間足らずで到着できる身近な外国の国、台湾は、日本の九州本土とほぼ同じ大きさで人口は九州の約1.6倍です。

そんな小さな島国の台湾ですが、独立国と主張する台湾と中国の一部であると主張する中国両国でその主張を巡って議論が激しくなっているのが中国台湾問題です。近隣諸国の日本も中国台湾問題の行方次第では甚大な影響を及ぼされる恐れがあるため他国の揉め事として傍観することは出来ません。

台湾の歴史

台湾は300万年から1万年前の時代は中国と陸続きだったらしく、先住民は中国大陸から移民してきた人々でした。その後オランダとスペイン、中国、日本、中国と台湾の統治権は譲渡されてゆきます。

1895年―1945年 日本統治下で行われたこと

日清戦争に勝利した日本と中国で結ばれた下関条約により台湾は日本の支配下にされ、第二次世界大戦敗戦により中国に返還されます。

1.台湾に住む台湾人に日本国籍取得を強要。

2.教育が発展に不可欠であると考えた日本は、各地に学校を建設し、台湾人に日本の学校教育を受けさせる。台湾のお年寄りが日本語を話せるのはこの理由からです。この日本統治時代の学校教育が台湾近代化の礎になったと言えるかもしれません。

1945年―1949年

中国に返還された台湾は中国国民党政権の管理下に置かれるが、後に蒋介石によって中華民国が設立される。

1949年-1987年

蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党の内戦により、敗れた蒋介石は国民党軍を率いて政権の拠点を台湾に移し自らが台湾(中華民国)の初代総統に就任し、台湾全土にその支配力を見せる戒厳令を発令し統治を始める。この時から中国共産党支配下の中国との対立が始まる。(逃亡の際、蒋介石は多くの美術、芸術品を北京紫禁城から持ち出したことにより、台北故宮博物館の展示物について北京返還を中国から求められている。)

1987年-

国民党政権の戒厳令が解除され、台湾の民主化が進み現在の台湾へと向かう。

台湾の民主化推進に当時台湾に友好的であったアメリカ・レーガン大統領が賛同してくれたことが大きく関係していると言われています。

日本の台湾への認識

1972年 日中国交正常化に伴い台湾と国交断絶

日本は中国と日中国交正常化を発表し、日本は中国と国交を結びました。これによって中国が主張するように台湾は中国の一部とする意見を尊重し、台湾を一国として日本は国交を行わない国交断絶を宣言したのです。


そのため、公式的には日本は台湾を一つの国家として承認していません。しかしながら、同時に民間交流を従来通り維持させるための実務的な窓口を通じて、日本と台湾の友好関係は非公式に続けられて行くことになりました。

日本と台湾との交流は極めて活発です。日本は台湾には未承認の「国家」が存在するという前提で国としての実務業務を直接台湾と行っております。

中国の台湾への認識

中国にとって台湾は、中国の独立行政直轄区の一つで台湾省という位置づけです。そのため諸外国が台湾を一国として取り扱う事に反対しています。

まとめ

台湾は独立国であることを諸外国に承認してもらおうとしていますが、中国はそれに対しては強い態度を示しており、軍事力で抑え込むのではないかと世界中が懸念しています。台湾が中国の統治下となった場合、中国は台湾に自国の軍隊を配備することも可能です。台湾は日本にとても近い国ですので有事の時には日本にとって脅威となり得ます。

参考資料サイト

台湾(中华人民共和国省级行政区)_百度百科 (baidu.com)(外部サイト)

本記事は、2022年5月12日時点調査または公開された情報です。
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