イギリス産業革命 - 世界最初の産業革命

海外の行政・歴史シリーズ、本記事では、イギリスの課題・テーマである「イギリス産業革命」についてご紹介します。


時代: 18世紀から19世紀にかけて(1790~1870年)

イギリスは世界で一番初めに産業革命が起こった国です。なぜ、イギリスなのかは諸説ありますが、7年戦争に勝利したことで、産業革命に必要な原料供給地とそれを販売する市場を確保したことが大きいといえるでしょう。イギリスの産業革命はその後他国の産業革命へと発展してゆきます。

  • 第一次産業革命:ベルギー、フランス(1830年~)
  • 第二次産業革命国:ドイツ、アメリカ(1860年~)
  • 第三次産業革命国:ロシア、日本 (1880年~明治時代)

産業革命で主導となった革命産業とは

織機と紡績機械の改良

当時ヨーロッパの主流は羊毛を原料とする毛織物産業が中心でしたが、インドから輸入される綿織物の人気でどんどんその地位を奪われてしまいます。困ったイギリス政府は1700年にインドからの綿織物を輸入禁止としました。その上で、イギリス国内で綿花の栽培を行う事にしましたが、質の良いものが出来ませんでした。

18世紀後半にイギリスは、カリブ海諸島で黒人奴隷を使用し、大規模な綿花プランテーション経営で生産した原料の綿花をイギリス本国に送り、綿織物にして再輸出するリサイクルで巨大な富を生み出します。その原動力となったのが綿織物工業における紡績機の技術革新であり、イギリス産業革命のリーダー的存在となります。

主な発明

1733年 飛び杼の自動化 (ジョン・ケイ)
この改良により、織機が高速化され綿布生産性が格段に向上しました。
1764年 多軸紡績機の発明 ジェニー紡績機(ジェームス・ハーグリーブス)
従来1本ずつ糸を取る代わりに8本(のちに16本に改良)の糸を同時につぐむことができるため、生産速度が向上しました。
1771年 水力紡績機の開発 紡績機の大型化に成功(リチャード・アークライト)
小型のジェニー紡績機に比べ大型で、動力源に水力を使用。これにより数百人の工員を雇い入れる工場制機械工業が本格始動することとなります。
1779年 ミュール紡績機の誕生 (サミュエル・クロンプトン)
ジェニー紡績機と水力紡績機の長所を併せ持った質の高い織物機械です。
1785年 蒸気機関を原動力とする力織機の発明(エドモンド・カートライト)
世界初の動力織機の誕生により生産速度の高速化をもたらしました。

上記のような発展により、綿織物はイギリスの主力産業となって行きます。

製鉄技術の改良

イギリスで豊富に産出される石炭を改良し、製鉄産業を発展させました。

1709年 コークス製鉄法の研究が始まる。(エイブラハム・ダービー1世)
コークス製法とは石炭を蒸し焼きにしてコークスを生産し、それを製鉄にする技法。
1750年 改良コークス製法がイギリス全土に普及(エイブラハム・ダービー2世)
1740年 ルツボ製鋼法発明 (ベンジャミン・ハンツマン)
良質な鋼鉄が生産できるものの大量生産が出来なかったため一般的に利用されることはありませんでした。
1760年 ワット式蒸発機関を組み合わせた鋼鉄法(ジョン・スミートン)
生産効率が向上したものの、大量生産には向きませんでした。
1784年 攪拌精錬法の発明 (ヘンリー・コート)
良質な鋼鉄の大量生産に成功しました。

良質な鋼鉄の大量生産はその後の工業機械、鉄道、造船の発展へと寄与してゆきます。

動力源の発明・進歩・発展

1712年 排水ポンプの開発(トーマス・ニューコメン)
低性能だったが石炭の産出を助け生産拡大に寄与しました。
1776年 復水器を蒸気機関から切り離すことで能力を増強し、実用化に成功しました。(ジェームス・ワット)
水力を必要とする工場はすべて川沿いに建設されなければいけませんでしたが、この発明により、工場の都市部建設が可能となりました

輸送手段の発達

1761年 ブリッジウォーター運河建設(ブリッジウォーター公フランス・エジャートン)
自分の領地内にあったワースリー炭鉱と工業都市マンチェスターを運河で結び、運河運送することで、極度に経費を削減することに成功しました。このことで原料である石炭の価格が下がり、より低価格で石炭の供給が可能となりました。
1760年~1830年 運河時代と呼ばれる時期で、ブリッジウォーター運河をモデルとして、あちらこちらで「運河熱」とよばれる運河建設ブームが起こりました。運河網が発達したことで、大量物質の輸送が容易にできるようになり、商品取引がより活発化しました。
1804年 蒸気機関車の発明(リチャード・トレビシック)
1830年 リバプール港とマンチェスター間を走る蒸気機関車鉄道開通。
港と工業都市が鉄道で結ばれたことで、輸出入がより活発になり、イギリスは『世界の工場』とまで呼ばれるようになります。

その他の発明

1774年 中ぐり盤(ジョン・ウィルキンソン) ワット蒸気機械の作動に寄与
1791年 炭酸トリウムの大量生産成功(ニコラ・ルブラン)その後のガラス産業に寄与
1972年 ガス灯発明(ウィリアム・マードック)
1800年 印刷機発明(チャールズ・スタンホープ)
1800年 実用的ねじ切り旋盤発明(ヘンリー・モーズリー) ボルトとナットの互換性を持たせ、大量生産に成功。工業機械の父と呼ばれています。
1824年 ポルトランドセメント発明(ジョセフ・アスプディン)
重要な建築材料の礎となりました。

産業革命の問題点

1.工場を所有する資本家と工場で働く労働者の間の貧富の差が拡大し摩擦が起こり出しました。(ラッダイト運動勃発:1811~1817年、イギリス中部から北部にかけて織物工場地帯の労働者が織物機械を破壊。)

2.人口の都市部集中、農村部の過疎化

3.生産の機会化により、女性や幼少の子供まで労働者として働かされるようになりました。

まとめ

イギリスで産業革命が起こっていた時代に対応するのは日本の江戸時代後期で徳川家斉が11代将軍から明治時代前半です。東京を首都とし、廃藩置県が行われていたころです。

日本で初めて新橋と横浜間で初めて鉄道が開通したのは1872年でイギリスの42年後となります。日本の産業革命は、かなり遅れをとっていたことがわかります。


今回の内容の参考・関連にしたサイト

続・なぜ産業革命はイギリスから始まったのか? – MONEY PLUS (moneyforward.com)(外部サイト)

英国を産業革命に導いたインド・キャラコの大ブーム 【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第10回)(1/3) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)(外部サイト)

明治時代年表 – 日本史資料室 (gontawan.com)(外部サイト)

本記事は、2022年5月26日時点調査または公開された情報です。
記事内容の実施は、ご自身の責任のもと、安全性・有用性を考慮の上、ご利用ください。

気に入ったら是非フォローお願いします!
NO IMAGE

第一回 公務員川柳 2019

公務員総研が主催の、日本で働く「公務員」をテーマにした「川柳」を募集し、世に発信する企画です。

CTR IMG