「エリトリア国」ってどんな国?
「エリトリア国」は、英語では「State of Eritrea」です。漢字では「厄立特里亜」と表記されます。
「エリトリア国」の広さ 面積・場所について
「エリトリア国」の面積は約11.76万平方キロメートルで、北海道と九州とをあわせた広さとほぼ同じです。
「エリトリア国」の場所は、東アフリカと来たアフリカ諸国の1つに位置付けられ、西にスーダン、南東美にジブチと国境を接しています。
「エリトリア国」の首都について
「エリトリア国」の首都は「アスマラ」で、「アスマラ」はエリトリア第二の都市であるマッサワとエリトリア鉄道で結ばれており、標高約2,300メートルの高地に一しています。
「エリトリア国」の人口について
「エリトリア国」の人口は、アフリカ開発銀行が2017年に調べた時点で約550万人で、世界第146位、人口の増加率は2.4パーセントです。
「エリトリア国」の成り立ちについて
「エリトリア国」は、1890年にイタリアの植民地支配下に置かれ、1942年に英の保護領となり、1952年年に国連の決定によってエチオピアとの連邦が形成されました。
その後、1962年にエチオピア議会によってエリトリアのエチオピアへの併合が決議され、1972年にエリトリア人民解放戦線(EPLF)が結成、1991年にEPLFによってエリトリア臨時政府樹立が宣言されました。
1993年4月に国連の監視の下、エリトリア地域の分離・独立を問う住民投票が実施、1993年5月24日にエチオピアから独立しました。
1998年5月にエチオピア・エリトリアで国境紛争が勃発、2000年12月にエチオピアとの包括的和平合意が成立、2002年4月に国境委員会によってエチオピアとの地図上の国境線が確定されました。
2004年に第3回地方議会選挙が実施、2018年7月にエチオピアとの外交関係が再開されました。
「エリトリア国」の国民・宗教・言語について
「エリトリア国」の国民について
「エリトリア国」は、ティグリニャ人が最大民族で、人口の55パーセントを占めています。
次いで、ティグレ人が30パーセント、サホ人が 4パーセント、ビリン人が2パーセント、アラブ系ラシャイダ人が2パーセント、エチオピア系アファル人、ベジャ人、クナマ人、ナラ人など、9民族で構成されています。
「エリトリア国」の宗教について
「エリトリア国」の国家宗教は、テフワド(エリトリア正教)と呼ばれるコプト教、キリスト教のプロテスタント、イスラム教、ユダヤ教、土着信仰のアンナ教などです。
なお、コプト教会のコプト暦「ゲエズカレンダー」を採用しているため、西暦は7年遅れですが、エリトリア国民は、一般的なグレゴリオ暦も認知しています。
また、「エリトリア国」では、宗教に寛容な文化が形成され、宗教関係のイベントがある時は、他宗教・宗派の人をゲストとして招待する伝統もあるようです。
「エリトリア国」の言語について
「エリトリア国」では、公用語として規定されてはいませんが、ティグリニャ語とアラビア語が広く使われており、商業や業務、教育で使われているなどの実質的な公用語となっています。
イタリアとイギリスの占領・植民地時代の名残もあり、イタリア語と英語は、中等・高等教育などで使用されています。
住所などの公的なものでは、ティグリニャ語、アラビア語、英語の3語を併記することが基本です。
2000年にはアフリカの諸言語の保護、育成、活用に重点が置かれたアスマラ宣言が採択され、「エリトリア国」の初等教育では、ティグリニャ語、ティグレ語、ラシャイダ語(アラビア語ヒジャーズ方言)、アファール語、サホ語、ビリン語(ビレン語)、ベジャ語、クナマ語(英語版)、ナラ語(英語版)の9つの民族語が平等に扱われています。
「エリトリア国」では、アフリカでは珍しく、小学校6年までは各民族語によって教育され、国会などでも通訳を介して行われています。
「エリトリア国」の経済状況について
「エリトリア国」の通貨はナクファで、GDPは約60億で、世界166位です。そして、一人当たりのGDPは約588.25ドルで、世界181位です。
「エリトリア国」では、人口の80%が第一次産業の農業に従事していますが、GDPの1割しか占めていません。
また、産業別のGDPでは運輸業が3割以上を占めており、工業・その他サービス部門を含めると8割以上に達しています。
「エリトリア国」の貿易について
「エリトリア国」の貿易相手は主に、輸出が中国・韓国・スペイン・フィリピン・スーダン、輸入がエジプト・中国・イタリア・スーダン・ブラジルとなっています。
「エリトリア国」の主な輸出品目は、亜鉛、銅、レアメタルで、輸入品目は、小麦、そるガム、パスタです。
「エリトリア国」の政治・政策について
「エリトリア国」の政治体制について
「エリトリア国」は、臨時政府として一党制が採用され、一院制国民議会が実施されています。
1991年に発足した臨時政府は、基本的人権および複数政党制を保障する民主的憲法を制定し、1993年5月19日に同憲法にのっとった民選政府樹立を行うことを定めた布告が発出されました。
1993年4月に実施された住民投票では、有権者の99.8パーセントがエリトリアの完全主権を主張し、同年5月24日にエチオピアからの独立が宣言されました。
1994年初め、エリトリア人民解放戦線(EPLF)が解散、民主主義と正義のための人民戦線(PFDJ)として改組されました。
1997年5月に約3年間にわたる議論を経て制憲議会によってエリトリア憲法が採択されました。
エチオピアとの国境紛争によって破壊されたインフラの復興、兵士の動員解除および退役後の社会復帰、難民・国内避難民の復帰など、多くの課題を抱えています。
「エリトリア国」の元首・外相について
「エリトリア国」の元首は、1993年5月に就任したイサイアス・アフォルキで、外相は、オスマン・サレーです。
「エリトリア国」の国防・軍事制度・兵役について
「エリトリア国」は、エチオピアとは1998年の国境紛争勃発以来、緊張関係が続いていましたが、2018年7月に20年ぶりに外交関係が再開されました。
同月にソマリアとの外交関係が樹立され、同年11月には、2009年以来、地域の不安定化に関与しているとして国連安保理による制裁が解除されるなど、国際社会との関係が改善されています。
軍事力については、予算は不明で、兵力は、総兵力が20.175万で、その内訳は、陸軍20万、海軍1400、空軍350です。
「エリトリア国」と「日本」の関係は?
「エリトリア国」と「日本」の関係は、政治関係については、1993年5月24日に独立と同時に承認、1993年9月1日に外交関係が樹立、2003年5月26日に在京大使館が開設されました。
経済関係は、日本の対エリトリア貿易は、2018年の貿易額は、輸出が1.08億円、輸入が286万円で、主要品目は、輸出が機械類、ゴム製品、輸入が衣類、魚介類です。
なお、日本からの直接投資の実績はなく、2019年5月現在で在留邦人数は2名、在日当該国人数は、2018年6月現在で50人です。
まとめ
以上、国特集「エリトリア国」でした。
ちなみに、「エリトリア国」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「205位」でした。
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