「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」ってどんな国?
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の正式名称はスワジ語で「Umbuso weSwatini」、英語では「Kingdom of Eswatini」です。漢字では「斯威士蘭」と表記し、その他「史瓦帝尼」などとも表記されます。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の広さ 面積・場所について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の面積は、約1.7万平方キロメートルで、日本の四国よりやや小さい程度の大きさです。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」は、周囲を南アフリカ共和国とモザンビークに囲まれた内陸国で、イギリス連邦加盟国のひとつです。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の首都について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の首都は「ムババーネ」で、「ムババーネ」は、ムディンバ山脈の麓に位置し、ホホ地方、サローディングの政治・経済の中心都市となっています。
「ムババーネ」の人口は、2007年現在、約9万5,000人で、エスワティニ王国では、マンジニ地方のマンジニに次ぐ第2の都市です。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の人口について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の人口は、世界銀行が2018年に調べた時点で約113万人であり、人口密度は、約64.90人で、第114位です。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の成り立ちについて
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」は、1968年に英保護領より独立、1978年に新憲法が制定、1982年に南ア・スワジランド不可侵条約が締結、1982年に国王ソブーザ2世(1921年即位)が死去、1986年4月に国王ムスワティ3世が即位しました。
1993年10月に下院総選挙が実施、1995年3月にスワジランド労働組合(SFTU)がゼネストを実施、1995年7月に産業関係法修正によりストが禁止、1996年1月にSFTUがゼネストを敢行、1996年7月に国王によって憲法見直し委員会(CRC)の設置が表明されました。
1998年10月に下院総選挙が実施、2000年11月にSFTU主導によるゼネストが決行、2003年10月に下院総選挙が実施、2005年7月にムスワティ3世が憲法案を承認、2006年2月に新憲法が採択されました。
2008年9月に下院総選挙が実施、2013年9月に下院総選挙が実施、2018年4月19日に国名が「エスワティニ王国」に変更されました。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の国民・宗教・言語について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の国民について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の人種割合は、スワジ人が約82.3パーセント占め、多数派となっており、そのほかにズールー人や非アフリカ人もわずかに存在しています。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の宗教について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の国家宗教は、プロテスタントが約35パーセント、キリスト教と混合した現地宗教が約30パーセント、ローマ・カトリックが約20パーセントなどとなっています。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の言語について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の公用語は、スワジ語(シスワティ)と英語です。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の経済状況について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の通貨はリランゲーニで、GDPは約46.8億米ドルで、世界158位です。そして、一人当たりのGDPは約3,504.45米ドルで、世界120位です。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の貿易について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の貿易相手は主に、輸出が、南アフリカ、ケニア、パキスタン、モザンビークで、輸入が、南アフリカ、モーリタニア、エジプト、ギニアとなっています。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の主な輸出品目は、濃縮清涼飲料、砂糖、繊維製品、木材で、輸入品目は、工業製品、機械、食料・家畜、化学製品です。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の政治・政策について
政治体制について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」は、王政で議会は二院制です。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の政策
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」は、最大部族たるスワティ族を基盤として圧倒的な権限を持つ国王が君臨する王制国家でした。
61年間にわたり王位にあったソブーザ2世が1982年に死去した直後は,王位継承をめぐり王族内で対立が見られました。
1986年4月にムスワティ3世が即位し、ムスワティ3世は、国政を支配していた最高評議会を解散するなど、新国王としての権力の確立を図ってきました。
2000年にはスワジランド労働組合(SFTU)主導によるゼネスト、国境封鎖デモが発生しましたが、1993年以降、5度の総選挙が実施され、2006年には1973年以来停止されていた憲法に代わる新憲法を発効させるなど、内政の安定化が図られています。
なお、この新憲法の下で現代的な政党活動が認められるかどうかが焦点となっていましたが、現在に至るまで政党活動は認められておらず、近年、民主化を求める抗議運動が散発的に発生しています。
2018年4月19日に挙行された独立50周年記念式典で、ムスワティ3世国王は、同国の国名を「エスワティニ王国」に変更することを宣言し、同日に発効しました。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の元首・首相。外相について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の元首について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の元首は、King MSWATI IIIです。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の首相について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の首相は、Ambrose Mandvulo DLAMINI(アンブロセ・マンドゥロ・ドラミニ)で、外相は、Thuli DLADLAです。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の国防・軍事制度・兵役について
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」は、現実的な穏健外交政策で、国連、AU、英連邦等に加盟しています。
南アフリカの経済に大きく依存しているため、同国との関係に細心の注意を払っています。
なお、「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」は、台湾と外交関係を有する国家のひとつです。
軍事力は、予算は、2017年現在、約88.7百万米ドルで、兵役は、志願制、兵力は、約3,000人程度となっています。
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」と「日本」の関係は?
「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」と「日本」の政治関係は、1968年9月に同国を承認、1971年5月に外交関係が樹立、在南アフリカ日本大使館が兼轄しています。
一方、「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」は、日本に大使館を有さず、在マレーシア大使館が兼轄しています。
経済関係は、日本の対エスワティニ貿易において、貿易額は、2018年現在、輸出が約19.2億円、輸入が約1.5億円で、主要品目は、輸出が自動車、バスおよびトラック、有機化合物で、輸入が柑橘類(グレープフルーツ)、半導体等製造装置です。
文化関係は、なしで、在留邦人数は、2018年10月現在で16人、在日当該国人数は2019年6月現在で6人です。
まとめ
以上、国特集「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」でした。
ちなみに、「エスワティニ王国(旧:スワジランド王国)」の男子サッカーFIFAランキングでは、2020年11月の時点では「153位」でした。
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